翻訳【16】
English
- Bhikkhu Bodhi (2012)
- Bhikkhu Sujato
繁體字
- 莊春江
日本語
- 関西パーリ語実習会 (2023)
Deutsch
- Nyānatiloka Thera (1907)
- Sabbamitta (2019)
Português
- Michael Beisert (2008)
Русский
- SV theravada.ru (2013)
Norsk
- Kåre A. Lie
বাংলা
- সুমঙ্গল বড়ুয়া (2018)
Việt Ngữ
- Thích Minh Châu
Bahasa Indonesia
- Indra Anggara
සිංහල
- A.P. de Zoysa
ပြန်သွားရန်
- Pitaka Myanmar Translation
ภาษาไทย
- Siam Rath
पाळिभासा (Pāli)
- Mahāsaṅgīti Tipiṭaka
参照
- Sutta Central
ナンダの経
「(1)比丘たちよ、ナンダのことを、『良家の子息である』と、正しく説きつつ説くべきです。(2)比丘たちよ、ナンダのことを、『力ある者である』と、正しく説きつつ説くべきです。(3)比丘たちよ、ナンダのことを、『清信ある者である』と、正しく説きつつ説くべきです。(4)比丘たちよ、ナンダのことを、『強き貪欲(意欲)ある者である』と、正しく説きつつ説くべきです。比丘たちよ、〔これらの契機より〕他に、どうして、ナンダが、(5)諸々の〔感官の〕機能(根)において門が守られている者であり、(6)食において量を知る者であり、(7)〔眠らずに〕起きていることに専念している者であり、(8)気づきと正知を具備した者であるというのでしょう。それら〔の契機〕によって、ナンダは、円満成就した完全なる清浄の梵行を歩むことができるのです。比丘たちよ、そこで、ナンダの、諸々の〔感官の〕機能において門が守られていることについて、このことが有ります。比丘たちよ、それで、もし、ナンダに、東の方角が眺められるべきものとして有るなら、ナンダは、心をもって、全てに集中して、東の方角を眺めます。『このように、わたしが、東の方角を眺めていると、諸々の悪しき善ならざる法(性質)である強欲〔の思い〕や失意〔の思い〕が流れ込むことはないであろう』と。まさに、かくのごとく、そこにおいて、正知の者と成ります。
比丘たちよ、それで、もし、ナンダに、西の方角が眺められるべきものとして有るなら……略……北の方角が眺められるべきものとして有るなら……南の方角が眺められるべきものとして有るなら、ナンダは、心をもって、全てに集中して、南の方角を眺めます。『このように、わたしが、南の方角を眺めていると、諸々の悪しき善ならざる法(性質)である強欲〔の思い〕や失意〔の思い〕が流れ込むことはないであろう』と。まさに、かくのごとく、そこにおいて、正知の者と成ります。比丘たちよ、まさに、ナンダの、諸々の〔感官の〕機能において門が守られていることについて、このことが有ります。
比丘たちよ、そこで、ナンダの、食において量を知ることについて、このことが有ります。比丘たちよ、ここに、ナンダは、根源のままに審慮して〔そののち〕、食を食します⸺まさしく、戯れのためではなく、驕りのためではなく、装うことのためではなく、飾ることのためではなく、この身体の、止住のために、存続のために、悩害の止息のために、梵行の資助のために、まさしく、そのかぎりにおいて。『かくのごとく、そして、〔わたしは〕古い〔空腹の〕感受を打破するであろうし、さらに、新しい〔空腹の〕感受を生起させないであろう。そして、〔生命の〕続行が、わたしに有るであろう⸺かつまた、罪過なき〔生〕が、かつまた、平穏の住が』と。比丘たちよ、まさに、ナンダの、食において量を知ることについて、このことが有ります。
比丘たちよ、そこで、ナンダの、〔眠らずに〕起きていることへの専念〔努力〕について、このことが有ります。比丘たちよ、ここに、ナンダは、昼のあいだ、歩行〔瞑想〕と坐禅〔瞑想〕によって、諸々の〔修行の〕妨害となる法(性質)から、心を完全に清めます。夜の初更(宵の内)のあいだ、歩行〔瞑想〕と坐禅〔瞑想〕によって、諸々の〔修行の〕妨害となる法(性質)から、心を完全に清めます。夜の中更(真夜中)のあいだ、足に足を重ねて、右脇をもって獅子の臥を営みます(右脇を下にして獅子のように臥す)⸺気づきと正知の者として、〔次に〕起き上がることへの表象に意を為して。夜の後更(明け方)のあいだ、起きて〔そののち〕、歩行〔瞑想〕と坐禅〔瞑想〕によって、諸々の〔修行の〕妨害となる法(性質)から、心を完全に清めます。比丘たちよ、まさに、ナンダの、〔眠らずに〕起きていることへの専念〔努力〕について、このことが有ります。
比丘たちよ、そこで、ナンダの、気づきと正知について、このことが有ります。比丘たちよ、ここに、ナンダに、諸々の感受は、見出されたものとして生起し、見出されたものとして現起し、見出されたものとして滅至します。諸々の表象は……略……。諸々の思考は……略……滅至します。比丘たちよ、まさに、ナンダの、気づきと正知について、このことが有ります。
比丘たちよ、〔これらの契機より〕他に、どうして、ナンダが、諸々の〔感官の〕機能において門が守られている者であり、食において量を知る者であり、〔眠らずに〕起きていることに専念している者であり、気づきと正知を具備した者であるというのでしょう。それら〔の契機〕によって、ナンダは、円満成就した完全なる清浄の梵行を歩むことができるのです」と。〔以上が〕第九となる。
翻訳【16】
English
- Bhikkhu Bodhi (2012)
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Deutsch
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注釈【0】