翻訳【20】
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正覚の経
このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)に住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園(祇園精舎)において。そこで、まさに、世尊は、比丘たちに告げました。
「比丘たちよ、それで、もし、〔教えを〕他にする異教の遍歴遊行者たちが、このように尋ねるとします。『友よ、諸々の正覚の項目の法(性質)を修めるために、何が、機縁となるのですか』と。比丘たちよ、このように尋ねられたなら、あなたたちは、それらの〔教えを〕他にする異教の遍歴遊行者たちに、どのようなものとして説き明かしますか」と。「尊き方よ、わたしたちにとって、諸々の法(教え)は、世尊を根元とするものであり……略……。世尊の〔言葉を〕聞いて、比丘たちは、〔それを〕保持するでしょう」と。
「比丘たちよ、まさに、それでは、聞きなさい。善くしっかりと、意を為しなさい。〔では〕語ります」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、世尊に答えました。世尊は、こう言いました。
「それで、もし、〔教えを〕他にする異教の遍歴遊行者たちが、このように尋ねるとします。『友よ、諸々の正覚の項目の法(性質)を修めるために、何が、機縁となるのですか』と。比丘たちよ、このように尋ねられたなら、あなたたちは、それらの〔教えを〕他にする異教の遍歴遊行者たちに、このように説き明かすべきです。
『(1)友よ、ここに、比丘が、善き朋友ある者として、善き道友ある者として、善き友人ある者として、〔世に〕有ります。友よ、諸々の正覚の項目の法(性質)を修めるために、これが、第一の機縁となります。
(2)友よ、さらに、また、他に、比丘が、戒ある者として〔世に〕有り、戒条による統御によって統御された者として〔世に〕住み、〔正しい〕習行と〔正しい〕境涯を成就した者として、諸々の微量の罪過について恐怖を見る者として、〔戒を〕受持して、諸々の学びの境処において学びます。友よ、諸々の正覚の項目の法(性質)を修めるために、これが、第二の機縁となります。
(3)友よ、さらに、また、他に、比丘が、すなわち、謹厳にして、心の開顕に正当なる、この議論⸺それは、すなわち、この、少なき欲求たること(少欲)についての議論、満ち足りていること(知足)についての議論、遠離についての議論、〔世俗と〕交わりなきことについての議論、精進勉励についての議論、戒についての議論、禅定についての議論、智慧についての議論、解脱についての議論、解脱の知見についての議論ですが、このような形態の議論を、欲するままに得る者として、苦難なく得る者として、困難なく得る者として、〔世に〕有ります。友よ、諸々の正覚の項目の法(性質)を修めるために、これが、第三の機縁となります。
(4)友よ、さらに、また、他に、比丘が、精進に励む者として〔世に〕住みます⸺諸々の善ならざる法(性質)の捨棄のために、諸々の善なる法(性質)の成就のために、諸々の善なる法(性質)において、強靭なる者となり、断固たる勤勉ある者となり、重荷を捨て置かない者となり。友よ、諸々の正覚の項目の法(性質)を修めるために、これが、第四の機縁となります。
(5)友よ、さらに、また、他に、比丘が、智慧ある者として〔世に〕有ります⸺聖なる洞察にして、正しく苦しみの滅尽に至るものである、生成と滅至の智慧を具備した者として。友よ、諸々の正覚の項目の法(性質)を修めるために、これが、第五の機縁となります』〔と〕。
比丘たちよ、善き朋友ある者であり、善き道友ある者であり、善き友人ある者である、比丘には、このことが期待できます。戒ある者として〔世に〕有るでしょうし、戒条による統御によって統御された者として〔世に〕住むでしょうし、〔正しい〕習行と〔正しい〕境涯を成就した者として、諸々の微量の罪過について恐怖を見る者として、〔戒を〕受持して、諸々の学びの境処において学ぶでしょう。
比丘たちよ、善き朋友ある者であり、善き道友ある者であり、善き友人ある者である、比丘には、このことが期待できます。すなわち、謹厳にして、心の開顕に正当なる、この議論⸺それは、すなわち、この、少なき欲求たることについての議論、満ち足りていることについての議論、遠離についての議論、〔世俗と〕交わりなきことについての議論、精進勉励についての議論、戒についての議論、禅定についての議論、智慧についての議論、解脱についての議論、解脱の知見についての議論ですが、このような形態の議論を、欲するままに得る者として、苦難なく得る者として、困難なく得る者として、〔世に〕有るでしょう。
比丘たちよ、善き朋友ある者であり、善き道友ある者であり、善き友人ある者である、比丘には、このことが期待できます。精進に励む者として〔世に〕住むでしょう⸺諸々の善ならざる法(性質)の捨棄のために、諸々の善なる法(性質)の成就のために、諸々の善なる法(性質)において、強靭なる者となり、断固たる勤勉ある者となり、重荷を捨て置かない者となり。
比丘たちよ、善き朋友ある者であり、善き道友ある者であり、善き友人ある者である、比丘には、このことが期待できます。智慧ある者として〔世に〕有るでしょう⸺聖なる洞察にして、正しく苦しみの滅尽に至るものである、生成と滅至の智慧を具備した者として。
比丘たちよ、また、そして、その比丘によって、これらの五つの法(性質)において確立して〔そののち〕、より上なるものとして、四つの法(性質)が修められるべきです。(6)貪欲〔の思い〕の捨棄のために、不浄〔の表象〕(不浄想)が修められるべきであり、(7)憎悪〔の思い〕の捨棄のために、慈愛〔の心〕(慈:慈悲の瞑想)が修められるべきであり、(8)思考の断絶のために、呼吸についての気づき(安般念:呼吸の瞑想)が修められるべきであり、(9)『〔わたしは〕存在する』という思量(我慢:自我意識)の根絶ために、無常の表象(無常想)が修められるべきです。比丘たちよ、無常の表象ある者には、無我の表象(無我想)が確立します。無我の表象ある者は、『〔わたしは〕存在する』という思量の根絶に、涅槃に、まさしく、所見の法(現法:現世)において至り得ます」と。〔以上が〕第一となる。
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