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翻訳【16】

雌牛の如き者の経

「比丘たちよ、それは、たとえば、また、〔一部の〕山の雌牛が、愚かで、明敏ならず、田畑を知らず、平坦ならざる山を渡り歩くことに巧みな智なくあるようなものです。その〔山の雌牛〕に、このような〔思いが〕存するとします。『それなら、さあ、わたしは、まさしく、そして、過去に赴いたことのない方角に赴くのだ。さらに、過去に喰ったことのない諸々の草を喰うのだ。かつまた、過去に飲んだことのない諸々の飲み物を飲むのだ』と。その〔山の雌牛〕が、前足を善く確立されたものとして確立させて、ではなく、後足を引き上げるなら、その〔山の雌牛〕は、まさしく、そして、過去に赴いたことのない方角に赴くこともなく、さらに、過去に喰ったことのない諸々の草を喰うこともなく、かつまた、過去に飲んだことのない諸々の飲み物を飲むこともありません。さらに、すなわち、〔その〕地域において、その〔山の雌牛〕が立っていたとき、『それなら、さあ、わたしは、まさしく、そして、過去に赴いたことのない方角に赴くのだ。さらに、過去に喰ったことのない諸々の草を喰うのだ。かつまた、過去に飲んだことのない諸々の飲み物を飲むのだ』と、このような〔思いが〕存したのですが、しかしながら、〔その山の雌牛は、その地域を離れてそののち、かつて立っていた〕その地域に、〔無事〕安穏に戻れません。それは、何を因とするのですか。比丘たちよ、なぜなら、そのように、その山の雌牛は、愚かで、明敏ならず、田畑を知らず、平坦ならざる山を渡り歩くことに巧みな智なくあるからです。比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、ここに、一部の比丘は、愚かで、明敏ならず、田畑を知らず、巧みな智なき者として、まさしく、諸々の欲望〔の対象〕から離れて、諸々の善ならざる法(性質)から離れて、〔粗雑なる〕思考を有し、〔微細なる〕想念を有し、遠離から生じる喜悦と安楽がある、第一の瞑想を成就して〔世に〕住みます。彼は、その形相を、習修せず、修めず、多く為さず、善く確立されたものとして〔心に〕確立しません。

彼に、このような〔思いが〕有ります。『それなら、さあ、わたしは、〔粗雑なる〕思考と〔微細なる〕想念の寂止あることから、内なる清信あり、心の専一なる状態あり、思考なく、想念なく、禅定から生じる喜悦と安楽がある、第二の瞑想を成就して〔世に〕住むのだ』と。彼は、〔粗雑なる〕思考と〔微細なる〕想念の寂止あることから……略……第二の瞑想を成就して〔世に〕住むことができません。彼に、このような〔思いが〕有ります。『それなら、さあ、わたしは、まさしく、諸々の欲望〔の対象〕から離れて、諸々の善ならざる法(性質)から離れて、〔粗雑なる〕思考を有し、〔微細なる〕想念を有し、遠離から生じる喜悦と安楽がある、第一の瞑想を成就して〔世に〕住むのだ』と。彼は、まさしく、諸々の欲望〔の対象〕から離れて……略……第一の瞑想を成就して〔世に〕住むこともできません。比丘たちよ、この者は、『比丘として、両者から転落した者であり、両者から遍く衰退した者である。それは、たとえば、また、その山の雌牛が、愚かで、明敏ならず、田畑を知らず、平坦ならざる山を渡り歩くことに巧みな智なくあるように』〔と〕説かれます。

比丘たちよ、それは、たとえば、また、〔一部の〕山の雌牛が、賢く、明敏で、田畑を知り、平坦ならざる山を渡り歩くことに巧みな智あるようなものです。その〔山の雌牛〕に、このような〔思いが〕存するとします。『それなら、さあ、わたしは、まさしく、そして、過去に赴いたことのない方角に赴くのだ。さらに、過去に喰ったことのない諸々の草を喰うのだ。かつまた、過去に飲んだことのない諸々の飲み物を飲むのだ』と。その〔山の雌牛〕が、前足を善く確立されたものとして確立させて、後足を引き上げるなら、その〔山の雌牛〕は、まさしく、そして、過去に赴いたことのない方角に赴くでしょうし、さらに、過去に喰ったことのない諸々の草を喰うでしょうし、かつまた、過去に飲んだことのない諸々の飲み物を飲むでしょう。さらに、すなわち、〔その〕地域において、その〔山の雌牛〕が立っていたとき、『それなら、さあ、わたしは、まさしく、そして、過去に赴いたことのない方角に赴くのだ。さらに、過去に喰ったことのない諸々の草を喰うのだ。かつまた、過去に飲んだことのない諸々の飲み物を飲むのだ』と、このような〔思いが〕存したのですが、そして、〔その山の雌牛は、その地域を離れてそののち、かつて立っていた〕その地域に、〔無事〕安穏に戻れます。それは、何を因とするのですか。比丘たちよ、なぜなら、そのように、その山の雌牛は、賢く、明敏で、田畑を知り、平坦ならざる山を渡り歩くことに巧みな智あるからです。(1)比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、ここに、一部の比丘は、賢く、明敏で、田畑を知り、巧みな智ある者として、まさしく、諸々の欲望〔の対象〕から離れて、諸々の善ならざる法(性質)から離れて、〔粗雑なる〕思考を有し、〔微細なる〕想念を有し、遠離から生じる喜悦と安楽がある、第一の瞑想を成就して〔世に〕住みます。彼は、その形相を、習修し、修め、多く為し、善く確立されたものとして〔心に〕確立します。

(2)彼に、このような〔思いが〕有ります。『それなら、さあ、わたしは、〔粗雑なる〕思考と〔微細なる〕想念の寂止あることから、内なる清信あり、心の専一なる状態あり、思考なく、想念なく、禅定から生じる喜悦と安楽がある、第二の瞑想を成就して〔世に〕住むのだ』と。彼は、第二の瞑想を損なうことなく、〔粗雑なる〕思考と〔微細なる〕想念の寂止あることから……略……第二の瞑想を成就して〔世に〕住みます。彼は、その形相を、習修し、修め、多く為し、善く確立されたものとして〔心に〕確立します。

(3)彼に、このような〔思いが〕有ります。『それなら、さあ、わたしは、さらに、喜悦の離貪あることから、そして、放捨の者として〔世に〕住み、かつまた、気づきと正知の者として〔世に住み〕、そして、身体による安楽を得知し、すなわち、その者のことを、聖者たちが、「放捨の者であり、気づきある者であり、安楽の住ある者である」と告げ知らせるところの、第三の瞑想を成就して〔世に〕住むのだ』と。彼は、第三の瞑想を損なうことなく、さらに、喜悦の離貪あることから……略……第三の瞑想を成就して〔世に〕住みます。彼は、その形相を、習修し、修め、多く為し、善く確立されたものとして〔心に〕確立します。

(4)彼に、このような〔思いが〕有ります。『それなら、さあ、わたしは、かつまた、安楽の捨棄あることから、かつまた、苦痛の捨棄あることから、まさしく、過去において、悦意と失意の滅至あることから、苦でもなく楽でもない、放捨による気づきの完全なる清浄たる、第四の瞑想を成就して〔世に〕住むのだ』と。彼は、第四の瞑想を損なうことなく、かつまた、安楽の捨棄あることから……略……第四の瞑想を成就して〔世に〕住みます。彼は、その形相を、習修し、修め、多く為し、善く確立されたものとして〔心に〕確立します。

(5)彼に、このような〔思いが〕有ります。『それなら、さあ、わたしは、全てにわたり、諸々の形態の表象の超越あることから、諸々の敵対の表象の滅至あることから、諸々の種々なる表象に意を為さないことから、「虚空は、終極なきものである」と、虚空無辺なる〔認識の〕場所を成就して〔世に〕住むのだ』と。彼は、虚空無辺なる〔認識の〕場所を損なうことなく、全てにわたり、諸々の形態の表象の超越あることから、諸々の敵対の表象の滅至あることから、諸々の種々なる表象に意を為さないことから、『虚空は、終極なきものである』と、虚空無辺なる〔認識の〕場所を成就して〔世に〕住みます。彼は、その形相を、習修し、修め、多く為し、善く確立されたものとして〔心に〕確立します。

(6)彼に、このような〔思いが〕有ります。『それなら、さあ、わたしは、全てにわたり、虚空無辺なる〔認識の〕場所を超越して、「識知〔作用〕は、終極なきものである」と、識知無辺なる〔認識の〕場所を成就して〔世に〕住むのだ』と。彼は、識知無辺なる〔認識の〕場所を損なうことなく、全てにわたり、虚空無辺なる〔認識の〕場所を超越して、『識知〔作用〕は、終極なきものである』と、識知無辺なる〔認識の〕場所を成就して〔世に〕住みます。その形相を、習修し、修め、多く為し、善く確立されたものとして〔心に〕確立します。

(7)彼に、このような〔思いが〕有ります。『それなら、さあ、わたしは、全てにわたり、識知無辺なる〔認識の〕場所を超越して、「何であれ、存在しない」と、無所有なる〔認識の〕場所を成就して〔世に〕住むのだ』と。彼は、無所有なる〔認識の〕場所を損なうことなく、全てにわたり、識知無辺なる〔認識の〕場所を超越して、『何であれ、存在しない』と、無所有なる〔認識の〕場所を成就して〔世に〕住みます。その形相を、習修し、修め、多く為し、善く確立されたものとして〔心に〕確立します。

(8)彼に、このような〔思いが〕有ります。『それなら、さあ、わたしは、全てにわたり、無所有なる〔認識の〕場所を超越して、表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所を成就して〔世に〕住むのだ』と。彼は、表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所を損なうことなく、全てにわたり、無所有なる〔認識の〕場所を超越して、表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所を成就して〔世に〕住みます。その形相を、習修し、修め、多く為し、善く確立されたものとして〔心に〕確立します。

(9)彼に、このような〔思いが〕有ります。『それなら、さあ、わたしは、全てにわたり、表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所を超越して、表象と感覚の止滅を成就して〔世に〕住むのだ』と。彼は、表象と感覚の止滅を損なうことなく、全てにわたり、表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所を超越して、表象と感覚の止滅を成就して〔世に〕住みます。その形相を、習修し、修め、多く為し、善く確立されたものとして〔心に〕確立します。

比丘たちよ、すなわち、まさに、比丘が、まさしく、その〔入定〕その入定に、入定もまたし出起もまたすることから、彼の心は、柔和と成り、行為に適するものと〔成ります〕。柔和で行為に適する心によって、禅定は、無量なるものと成り、善く修められたものと〔成ります〕。彼は、無量なる禅定によって、善く修められた〔禅定〕によって、証知によって実証されるべき、その〔法〕その法(性質)に、心を向かわせ、気づき〔の場所〕気づきの場所において、まさしく、その場その場において、証知による実証あることから、実証の可能性に至り得ます。

それで、もし、彼が、『無数〔の流儀〕に関した〔種々なる〕神通の種類を体現するのだ。一なる者としてもまた有って、多種なる者として存するのだ。多種なる者としてもまた有って、一なる者として存するのだ。……略……。梵の世に至るまでもまた、身体によって自在に転起させるのだ』と望むなら、気づき〔の場所〕気づきの場所において、まさしく、その場その場において、実証の可能性に至り得ます。

それで、もし、彼が、『人間を超越した清浄の天耳の界域によって……略……』と望むなら、気づき〔の場所〕気づきの場所において、まさしく、その場その場において、実証の可能性に至り得ます。

それで、もし、彼が、『他の有情たちの〔心を〕、他の人たちの心を、〔自らの〕心をとおして探知して、覚知するのだ。あるいは、貪欲を有する心を、「貪欲を有する心である」と覚知するのだ。あるいは、貪欲を離れた心を、「貪欲を離れた心である」と覚知するのだ。あるいは、憤怒を有する心を、「憤怒を有する心である」と覚知するのだ。あるいは、憤怒を離れた心を、「憤怒を離れた心である」と覚知するのだ。あるいは、迷妄を有する心を、「迷妄を有する心である」と覚知するのだ。あるいは、迷妄を離れた心を……。あるいは、退縮した心を……。あるいは、散乱した心を……。あるいは、莫大なる心を……。あるいは、莫大ならざる心を……。あるいは、有上なる心を……。あるいは、無上なる心を……。あるいは、定められた心を……。あるいは、定められていない心を……。あるいは、解脱した心を……。あるいは、解脱していない心を、「解脱していない心である」と覚知するのだ』と望むなら、気づき〔の場所〕気づきの場所において、まさしく、その場その場において、実証の可能性に至り得ます。

それで、もし、彼が、『無数〔の流儀〕に関した過去における居住を随念するのだ。それは、すなわち、この、一生をもまた、二生をもまた……かくのごとく、行相を有し、素性を有する、無数〔の流儀〕に関した過去における居住を随念するのだ』と望むなら、気づき〔の場所〕気づきの場所において、まさしく、その場その場において、実証の可能性に至り得ます。

それで、もし、彼が、『人間を超越した清浄の天眼によって……〔為した〕行為のとおり〔報いに〕近しく赴く者たちとして、有情たちを覚知するのだ』と望むなら、気づき〔の場所〕気づきの場所において、まさしく、その場その場において、実証の可能性に至り得ます。

それで、もし、彼が、『諸々の煩悩の滅尽あることから、煩悩なきものとして、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むのだ』と望むなら、気づき〔の場所〕気づきの場所において、まさしく、その場その場において、実証の可能性に至り得ます」と。〔以上が〕第四となる。

注釈【0】