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翻訳【15】

ナンダカの経

或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園において。また、まさに、その時点にあって、尊者ナンダカは、集会所において、比丘たちに、法(教え)の講話によって、〔教えを〕見示し、受持させ、激励し、感動させます。そこで、まさに、世尊は、夕刻時に、静坐から出起し、集会所のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、講話の終了を待ちながら、門小屋の外に立ちました。そこで、まさに、世尊は、講話の終了を知って、咳払いをして、閂を打ち叩きました。まさに、それらの比丘たちは、世尊のために、扉を開きました。

そこで、まさに、世尊は、集会所に入って、設けられた坐に坐りました。坐って、まさに、世尊は、尊者ナンダカに、こう言いました。「ナンダカよ、まさに、あなたの、この法(教え)の教相は長きものとして、比丘たちに示されました。講話の終了を待ちながら、門小屋の外に立っている、わたしの背が痛くなるほどに」と。

このように説かれたとき、尊者ナンダカは、当惑している様子で、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、また、まさに、わたしたちは、『世尊が門小屋の外に立っている』と知りません。尊き方よ、まさに、それで、もし、わたしたちが、『世尊が門小屋の外に立っている』と知るなら、これほどまでにもまた、〔長きものとして〕弁じることは、まさに、ないでしょう」と。

そこで、まさに、世尊は、尊者ナンダカの当惑している様子を知って、尊者ナンダカに、こう言いました。「ナンダカよ、善きかな、善きかな。ナンダカよ、まさに、このことは、信によって家から家なきへと出家した良家の子息たちである、あなたたちにとって、適切なることです。すなわち、あなたたちが、法(教え)の議論のために着坐することです。ナンダカよ、あなたたちが参集したときには、二つの為すべきことがあります⸺あるいは、法(教え)の議論であるか、あるいは、聖なる沈黙の状態であるか、です。(1)ナンダカよ、比丘が、そして、信ある者として〔世に〕有ります⸺しかしながら、戒ある者ではありません。このように、彼は、その支分によって、円満成就なき者と成ります。彼は、その支分を、円満成就させるべきです⸺『どのようなわけであれ、わたしは、そして、信ある者として、さらに、戒ある者として、〔世に〕存するべきである』と。ナンダカよ、しかしながら、すなわち、まさに、比丘が、そして、信ある者として、さらに、戒ある者として、〔世に〕有ることから、このように、彼は、その支分によって、円満成就ある者と成ります。

(2)ナンダカよ、比丘が、そして、信ある者として、さらに、戒ある者として、〔世に〕有ります⸺しかしながら、内に〔止寂の〕心による禅定の得者ではありません。このように、彼は、その支分によって、円満成就なき者と成ります。彼は、その支分を、円満成就させるべきです⸺『どのようなわけであれ、わたしは、そして、信ある者として、かつまた、戒ある者として、さらに、内に〔止寂の〕心による禅定の得者として、〔世に〕存するべきである』と。ナンダカよ、しかしながら、すなわち、まさに、比丘が、そして、信ある者として、かつまた、戒ある者として、さらに、内に〔止寂の〕心による禅定の得者として、〔世に〕有ることから、このように、彼は、その支分によって、円満成就ある者と成ります。

(3)ナンダカよ、比丘が、そして、信ある者として、かつまた、戒ある者として、さらに、内に〔止寂の〕心による禅定の得者として、〔世に〕有ります⸺卓越の智慧による法(性質)の観察の得者ではなく。このように、彼は、その支分によって、円満成就なき者と成ります。ナンダカよ、それは、たとえば、また、四足の命あるものが存し、彼の一足が下等にして悪辣であるなら、このように、彼は、その支分によって、円満成就なき者として存するように、ナンダカよ、まさしく、このように、まさに、比丘が、そして、信ある者として、かつまた、戒ある者として、さらに、内に〔止寂の〕心による禅定の得者として、〔世に〕有り、卓越の智慧による法(性質)の観察の得者でないなら、このように、彼は、その支分によって、円満成就なき者と成ります。彼は、その支分を、円満成就させるべきです⸺『どのようなわけであれ、わたしは、そして、信ある者として、かつまた、戒ある者として、かつまた、内に〔止寂の〕心による禅定の得者として、さらに、卓越の智慧による法(性質)の観察の得者として、〔世に〕存するべきである』と。

(4)ナンダカよ、しかしながら、すなわち、まさに、比丘が、そして、信ある者として、かつまた、戒ある者として、かつまた、内に〔止寂の〕心による禅定の得者として、さらに、卓越の智慧による法(性質)の観察の得者として、〔世に〕有ることから、このように、彼は、その支分によって、円満成就ある者と成ります」と。世尊は、この〔言葉〕を言いました。善き至達者は、この〔言葉〕を言って、坐から立ち上がって、精舎に入りました。

そこで、まさに、尊者ナンダカは、世尊が立ち去ったすぐあと、比丘たちに告げました。「友よ、今や、世尊は、四つの境処によって、全一にして円満成就した完全なる清浄の梵行を明示して、坐から立ち上がって、精舎に入ったのです。『ナンダカよ、比丘が、そして、信ある者として〔世に〕有ります⸺しかしながら、戒ある者ではありません。このように、彼は、その支分によって、円満成就なき者と成ります。彼は、その支分を、円満成就させるべきです⸺「どのようなわけであれ、わたしは、そして、信ある者として、さらに、戒ある者として、〔世に〕存するべきである」と。ナンダカよ、しかしながら、すなわち、まさに、比丘が、そして、信ある者として、さらに、戒ある者として、〔世に〕有ることから、このように、彼は、その支分によって、円満成就ある者と成ります。ナンダカよ、比丘が、そして、信ある者として、さらに、戒ある者として、〔世に〕有ります⸺しかしながら、内に〔止寂の〕心による禅定の得者ではありません。……略……さらに、内に〔止寂の〕心による禅定の得者として、〔世に〕有ります⸺卓越の智慧による法(性質)の観察の得者ではなく。このように、彼は、その支分によって、円満成就なき者と成ります。ナンダカよ、それは、たとえば、また、四足の命あるものが存し、彼の一足が下等にして悪辣であるなら、このように、彼は、その支分によって、円満成就なき者として存するように、ナンダカよ、まさしく、このように、まさに、比丘が、そして、信ある者として、かつまた、戒ある者として、さらに、内に〔止寂の〕心による禅定の得者として、〔世に〕有り、卓越の智慧による法(性質)の観察の得者でないなら、このように、彼は、その支分によって、円満成就なき者と成ります。彼は、その支分を、円満成就させるべきです⸺「どのようなわけであれ、わたしは、そして、信ある者として、かつまた、戒ある者として、かつまた、内に〔止寂の〕心による禅定の得者として、さらに、卓越の智慧による法(性質)の観察の得者として、〔世に〕存するべきである」と。ナンダカよ、しかしながら、すなわち、まさに、比丘が、そして、信ある者として、かつまた、戒ある者として、かつまた、内に〔止寂の〕心による禅定の得者として、さらに、卓越の智慧による法(性質)の観察の得者として、〔世に〕有ることから、このように、彼は、その支分によって、円満成就ある者と成ります』と。

友よ、五つのものがあります。これらの、〔正しい〕時に法(教え)を聞くことと〔正しい〕時に法(教え)を論じることにおける福利です。どのようなものが、五つのものなのですか。(5)友よ、ここに、比丘が、比丘たちに、法(教え)を説示します⸺最初が善きものとして、中間において善きものとして、結末が善きものとして、義(意味)を有するものとして、文(文型)を有するものとして、全一にして円満成就した完全なる清浄の梵行を明示します。友よ、そのとおり、そのとおりに、比丘が、比丘たちに、法(教え)を説示し、最初が善きものとして、中間において善きものとして、結末が善きものとして、義(意味)を有するものとして、文(文型)を有するものとして、全一にして円満成就した完全なる清浄の梵行を明示するなら、そのとおり、そのとおりに、彼は、教師にとって、かつまた、愛しい者として、かつまた、意に適う者として、かつまた、重き者として、かつまた、尊ばれる者として、〔世に〕有ります。友よ、これは、第一の、〔正しい〕時に法(教え)を聞くことと〔正しい〕時に法(教え)を論じることにおける福利です。

(6)友よ、さらに、また、他に、比丘が、比丘たちに、法(教え)を説示します⸺最初が善きものとして、中間において善きものとして、結末が善きものとして、義(意味)を有するものとして、文(文型)を有するものとして、全一にして円満成就した完全なる清浄の梵行を明示します。友よ、そのとおり、そのとおりに、比丘が、比丘たちに、法(教え)を説示し、最初が善きものとして……略……梵行を明示するなら、そのとおり、そのとおりに、彼は、その法(教え)において、そして、義(意味)の得知者として、さらに、法(教え)の得知者として、〔世に〕有ります。友よ、これは、第二の、〔正しい〕時に法(教え)を聞くことと〔正しい〕時に法(教え)を論じることにおける福利です。

(7)友よ、さらに、また、他に、比丘が、比丘たちに、法(教え)を説示します⸺最初が善きものとして、中間において善きものとして、結末が善きものとして、義(意味)を有するものとして、文(文型)を有するものとして、全一にして円満成就した完全なる清浄の梵行を明示します。友よ、そのとおり、そのとおりに、比丘が、比丘たちに、法(教え)を説示し、最初が善きものとして……略……梵行を明示するなら、そのとおり、そのとおりに、彼は、その法(教え)において、深遠にして義(意味)ある句を、智慧によって理解して〔正しく〕見ます。友よ、これは、第三の、〔正しい〕時に法(教え)を聞くことと〔正しい〕時に法(教え)を論じることにおける福利です。

(8)友よ、さらに、また、他に、比丘が、比丘たちに、法(教え)を説示します⸺最初が善きものとして、中間において善きものとして、結末が善きものとして、義(意味)を有するものとして、文(文型)を有するものとして、全一にして円満成就した完全なる清浄の梵行を明示します。友よ、そのとおり、そのとおりに、比丘が、比丘たちに、法(教え)を説示し、最初が善きものとして……略……梵行を明示するなら、そのとおり、そのとおりに、彼のことを、梵行を共にする者たちは、より以上に敬愛します。『たしかに、この尊者は、あるいは、〔すでに〕至り得たのであり、あるいは、〔こののち〕至り得るであろう』と。友よ、これは、第四の、〔正しい〕時に法(教え)を聞くことと〔正しい〕時に法(教え)を論じることにおける福利です。

(9)友よ、さらに、また、他に、比丘が、比丘たちに、法(教え)を説示します⸺最初が善きものとして、中間において善きものとして、結末が善きものとして、義(意味)を有するものとして、文(文型)を有するものとして、全一にして円満成就した完全なる清浄の梵行を明示します。友よ、そのとおり、そのとおりに、比丘が、比丘たちに、法(教え)を説示し、最初が善きものとして、中間において善きものとして、結末が善きものとして、義(意味)を有するものとして、文(文型)を有するものとして、全一にして円満成就した完全なる清浄の梵行を明示するなら、そこにおいて、まさに、それらの比丘たちが、〔いまだ〕学びある者たちであり、〔いまだ〕意図に至り得ていない者たちであり、束縛からの平安軛安穏という無上なるものを切望しながら〔世に〕住むなら、彼らは、その法(教え)を聞いて、精進に励みます⸺〔いまだ〕至り得ていないものに至り得るために、〔いまだ〕到達していないものに到達するために、〔いまだ〕実証していないものに実証するために。また、そこにおいて、それらの比丘たちが、阿羅漢たちであり、煩悩の滅尽者たちであり、〔梵行の〕完成者たちであり、為すべきことを為した者たちであり、〔生の〕重荷を置いた者たちであり、自らの義(目的)に至り得た者たちであり、〔迷いの〕生存に束縛するものの完全なる滅尽者たちであり、正しい了知による解脱者たちであるなら、彼らは、その法(教え)を聞いて、まさしく、所見の法(現世)における安楽の住現法楽住に専念する者たちとして〔世に〕住みます。友よ、これは、第五の、〔正しい〕時に法(教え)を聞くことと〔正しい〕時に法(教え)を論じることにおける福利です。友よ、まさに、これらの五つの、〔正しい〕時に法(教え)を聞くことと〔正しい〕時に法(教え)を論じることにおける福利があります」と。〔以上が〕第四となる。

注釈【0】