「比丘たちよ、四つのものがあります。これらの力です。どのようなものが、四つのものなのですか。智慧の力であり、精進の力であり、罪過なきものの力であり、愛護の力です。(1)比丘たちよ、では、どのようなものが、智慧の力なのですか。すなわち、〔それらの〕法(性質)が善なるものであり、善なるものと究明されたなら、すなわち、〔それらの〕法(性質)が善ならざるものであり、善ならざるものと究明されたなら、すなわち、〔それらの〕法(性質)が罪過を有するものであり、罪過を有するものと究明されたなら、すなわち、〔それらの〕法(性質)が罪過なきものであり、罪過なきものと究明されたなら、すなわち、〔それらの〕法(性質)が黒のものであり、黒のものと究明されたなら、すなわち、〔それらの〕法(性質)が白のものであり、白のものと究明されたなら、すなわち、〔それらの〕法(性質)が慣れ親しむべきものであり、慣れ親しむべきものと究明されたなら、すなわち、〔それらの〕法(性質)が慣れ親しむべきではないものであり、慣れ親しむべきではないものと究明されたなら、すなわち、〔それらの〕法(性質)が十全にして聖ならざるものであり、十全にして聖ならざるものと究明されたなら、すなわち、〔それらの〕法(性質)が十全にして聖なるものであり、十全にして聖なるものと究明されたなら、彼の、それらの法(性質)は、智慧によって、しっかりと見られたものと成り、しっかりと探査されたものと〔成ります〕。比丘たちよ、これは、智慧の力と説かれます。
(2)比丘たちよ、では、どのようなものが、精進の力なのですか。すなわち、〔それらの〕法(性質)が善ならざるものであり、善ならざるものと究明されたなら、すなわち、〔それらの〕法(性質)が罪過を有するものであり、罪過を有するものと究明されたなら、すなわち、〔それらの〕法(性質)が黒のものであり、黒のものと究明されたなら、すなわち、〔それらの〕法(性質)が慣れ親しむべきではないものであり、慣れ親しむべきではないものと究明されたなら、すなわち、〔それらの〕法(性質)が十全にして聖ならざるものであり、十全にして聖ならざるものと究明されたなら、それらの法(性質)の捨棄のために、欲〔の思い〕(意欲)を生じさせ、努力し、精進に励み、心を励起し、精励します。すなわち、〔それらの〕法(性質)が善なるものであり、善なるものと究明されたなら、すなわち、〔それらの〕法(性質)が罪過なきものであり、罪過なきものと究明されたなら、すなわち、〔それらの〕法(性質)が白のものであり、白のものと究明されたなら、すなわち、〔それらの〕法(性質)が慣れ親しむべきものであり、慣れ親しむべきものと究明されたなら、すなわち、〔それらの〕法(性質)が十全にして聖なるものであり、十全にして聖なるものと究明されたなら、それらの法(性質)の獲得のために、欲〔の思い〕を生じさせ、努力し、精進に励み、心を励起し、精励します。比丘たちよ、これは、精進の力と説かれます。
(3)比丘たちよ、では、どのようなものが、罪過なきものの力なのですか。比丘たちよ、ここに、聖なる弟子が、罪過なき身体の行為を具備した者として〔世に〕有り、罪過なき言葉の行為を具備した者として〔世に〕有り、罪過なき意の行為を具備した者として〔世に〕有ります。比丘たちよ、これは、罪過なきものの力と説かれます。
(4)比丘たちよ、では、どのようなものが、愛護の力なのですか。比丘たちよ、四つのものがあります。これらの愛護の基盤です。布施であり、愛ある言葉であり、義(利益)ある行ないであり、〔自他が〕等しくあることです。比丘たちよ、諸々の布施のなかでは、これを至高のものとします。すなわち、この、法(教え)の布施です。比丘たちよ、諸々の愛ある言葉のなかでは、これを至高のものとします。すなわち、この、義(目的)ある者のために、耳を傾ける者のために、繰り返し、法(教え)を説示することです。比丘たちよ、諸々の義(利益)ある行ないのなかでは、これを至高のものとします。すなわち、この、信なき者を、信の成就において、受持させ、固着させ、確立させ、劣戒の者を、戒の成就において……略……物惜の者を、施捨の成就において……略……智慧浅き者を、智慧の成就において、受持させ、固着させ、確立させることです。諸々の〔自他が〕等しくあることのなかでは、これを至高のものとします。すなわち、この、預流たる者が預流たる者と等しくあることであり、一来たる者が一来たる者と等しくあることであり、不還たる者が不還たる者と等しくあることであり、阿羅漢が阿羅漢と等しくあることです。比丘たちよ、これは、愛護の力と説かれます。比丘たちよ、まさに、これらの四つの力があります。
比丘たちよ、まさに、これらの四つの力を具備した聖なる弟子は、五つの恐怖を超越した者として〔世に〕有ります。どのようなものが、五つのものなのですか。生計の恐怖であり、名声なき恐怖であり、衆のなかで恐れおののく恐怖であり、死の恐怖であり、悪趣の恐怖です。比丘たちよ、それで、まさに、その聖なる弟子は、かくのごとく深慮します。『(5)わたしは、生計の恐怖を恐怖しない。わたしが、どのような生計の恐怖を恐怖するというのだろう。わたしには、四つの力が存在する。智慧の力であり、精進の力であり、罪過なきものの力であり、愛護の力である。まさに、智慧浅き者は、生計の恐怖を恐怖するであろう。怠惰の者は、生計の恐怖を恐怖するであろう。罪過を有する身体の生業と言葉の生業と意の生業ある者は、生計の恐怖を恐怖するであろう。愛護なき者は、生計の恐怖を恐怖するであろう。(6)わたしは、名声なき恐怖を恐怖しない。……略……。(7)わたしは、衆のなかで恐れおののく恐怖を恐怖しない。……略……。(8)わたしは、死の恐怖を恐怖しない。……略……。(9)わたしは、悪趣の恐怖を恐怖しない。わたしが、どのような悪趣の恐怖を恐怖するというのだろう。わたしには、四つの力が存在する。智慧の力であり、精進の力であり、罪過なきものの力であり、愛護の力である。まさに、智慧浅き者は、悪趣の恐怖を恐怖するであろう。怠惰の者は、悪趣の恐怖を恐怖するであろう。罪過を有する身体の生業と言葉の生業と意の生業ある者は、悪趣の恐怖を恐怖するであろう。愛護なき者は、悪趣の恐怖を恐怖するであろう』〔と〕。比丘たちよ、まさに、これらの四つの力を具備した聖なる弟子は、これらの五つの恐怖を超越した者として〔世に〕有ります」と。〔以上が〕第五となる。
注釈【0】