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翻訳【3】

トーデイヤ学徒の問いについての釈示

1094. (1088)かくのごとく、尊者トーデイヤが 〔尋ねた〕⸺彼のうちに、諸々の欲望が住みつくことなく、彼に、渇愛が見出されることなく、かつまた、彼が、諸々の懐疑を超えた者であるなら、彼には、どのような解脱が〔存在するのですか〕(1)

「彼のうちに、諸々の欲望が住みつくことなく」とは、彼のうちに、諸々の欲望が、住さず、等しく住さず、固く住さず、遍く住さないなら。ということで、「彼のうちに、諸々の欲望が住みつくことなく」。「かくのごとく、尊者トーデイヤが〔尋ねた〕 」とは、「かくのごとく」とは、句の連鎖……略 ([197]参照) ……。「尊者」とは、敬愛の言葉……略 ([197]参照) ……。「トーデイヤ」とは、その婆羅門の、名前としての……略 ([197]参照) ……話法。ということで、「かくのごとく、尊者トーデイヤが 〔尋ねた〕 」。

「彼に、渇愛が見出されることなく」とは、彼に、渇愛が、存在せず、存さず、等しく見出されず、認知されず、捨棄され、断絶され、寂止し、安息し、生起の可能なきものとなり、知恵の火によって焼かれたなら。ということで、「彼に、渇愛が見出されることなく」。

「かつまた、彼が、諸々の懐疑を超えた者であるなら」とは、かつまた、彼が、諸々の懐疑を、超え渡った者であり、超え上がった者であり、超え出た者であり、超越した者であり、等しく超越した者であり、超克した者であるなら。ということで、「かつまた、彼が、諸々の懐疑を超えた者であるなら」。

「彼には、どのような解脱が 〔存在するのですか〕」とは、「彼には、どのような解脱が、何を確立したものとして、何を流儀とするものとして、何を相似とするものとして、求められるべきであるのか」と、解脱のことを尋ねる。ということで、「彼には、どのような解脱が〔存在するのですか〕 」。それによって、その婆羅門は言った。

かくのごとく、尊者トーデイヤが 〔尋ねた〕⸺「彼のうちに、諸々の欲望が住みつくことなく、彼に、渇愛が見出されることなく、かつまた、彼が、諸々の懐疑を超えた者であるなら、彼には、どのような解脱が〔存在するのですか〕 」と。
1095. (1089)かくのごとく、世尊は 〔答えた〕⸺トーデイヤよ、彼のうちに、諸々の欲望が住みつくことなく、彼に、渇愛が見出されることなく、かつまた、彼が、諸々の懐疑を超えた者であるなら、彼には、他の解脱は〔存在し〕 ません。 (2)

「彼のうちに、諸々の欲望が住みつくことなく」とは、「彼のうちに」とは、その人のうちに、阿羅漢のうちに、煩悩の滅尽者のうちに。「諸々の欲望」とは、概略するなら、二つの諸々の欲望がある。(1) そして、諸々の事物の欲望であり、 (2) さらに、諸々の 〔心の〕 汚れの欲望である。(1) ……略 ([245-246]参照) ……。これらが、諸々の事物の欲望と説かれる。 (2) ……略 ([247-248]参照)……。これらが、諸々の 〔心の〕汚れの欲望と説かれる。「彼のうちに、諸々の欲望が住みつくことなく」とは、彼のうちに、諸々の欲望が、住さず、等しく住さず、固く住さず、遍く住さないなら。ということで、「彼のうちに、諸々の欲望が住みつくことなく」。

「かくのごとく、世尊は 〔答えた〕 ⸺トーデイヤよ」とは、「トーデイヤよ」とは、世尊は、その婆羅門に、名前で語りかける。「世尊(バガヴァント) 」とは、尊重の同義語。……略 ([205]参照) …… 〔その〕実証となる概念であり、すなわち、この、世尊である。ということで、「かくのごとく、世尊は 〔答えた〕 ⸺トーデイヤよ」。

「彼に、渇愛が見出されることなく」とは、「渇愛」とは、形態への渇愛、音声への渇愛、臭気への渇愛、味感への渇愛、感触への渇愛、法(意の対象)への渇愛。「彼に」とは、阿羅漢に、煩悩の滅尽者に。「彼に、渇愛が見出されることなく」とは、彼に、渇愛が、存在せず、存さず、等しく見出されず、認知されず、捨棄され、断絶され、寂止し、安息し、生起の可能なきものとなり、知恵の火によって焼かれたなら。ということで、「彼に、渇愛が見出されることなく」。

「かつまた、彼が、諸々の懐疑を超えた者であるなら」とは、懐疑は、疑惑と説かれる。苦痛についての疑い……略 ([470]参照) ……心の驚愕、意の散乱である。「彼が」とは、すなわち、 〔まさに〕その、阿羅漢が、煩悩の滅尽者が。「かつまた、彼が、諸々の懐疑を超えた者であるなら」とは、かつまた、彼が、諸々の疑惑を、超え渡った者であり、超え上がった者であり、超え出た者であり、超越した者であり、等しく超越した者であり、超克した者であるなら。ということで、「かつまた、彼が、諸々の懐疑を超えた者であるなら」。

「彼には、他の解脱は 〔存在し〕 ません」とは、その解脱によって、彼が、解脱者として解脱するであろう、他の解脱は、〔もはや〕 彼には存在しない。彼には、解脱によって為されるべきことは、〔すでに〕 為されたものとしてある。ということで、「彼には、他の解脱は〔存在し〕 ません」。それによって、世尊は言った。

かくのごとく、世尊は 〔答えた〕⸺「トーデイヤよ、彼のうちに、諸々の欲望が住みつくことなく、彼に、渇愛が見出されることなく、かつまた、彼が、諸々の懐疑を超えた者であるなら、彼には、他の解脱は〔存在し〕 ません」と。
1096. (1090)〔尊者トーデイヤが尋ねた〕⸺彼は、依存なき者ですか。それとも、願い求める者ですか。彼は、智慧ある者ですか。それとも、智慧によって想い描く者(思量し分別する者) ですか。釈迦 〔族〕の方よ、すなわち、わたしが、牟尼を識知できるように、一切に眼ある方よ、それを、わたしに説明してください。 (3)

「彼は、依存なき者ですか。それとも、願い求める者ですか」とは、彼は、渇愛なき者であるのか、もしくは、渇愛を有する者として、諸々の形態を願い求め、諸々の音声を……略……諸々の臭気を……諸々の味感を……諸々の感触を……家を……衆徒を……居住を……利得を……盛名を……賞賛を……安楽を……衣料を……〔行乞の〕 施食を……臥坐具を……病のための日用品たる薬の必需品(常備薬) を……欲望の界域 欲界 を……形態の界域 色界 を……形態なき界域 無色界 を……欲望の生存 欲有 を……形態の生存 色有 を……形態なき生存 無色有 を……表象の生存 想有 を……表象なき生存 無想有 を……表象あるにもあらず表象なきにもあらざる生存 非想非非想有 を……一つの組成としての生存(色蘊のみを有する生存) を……四つの組成としての生存 (色蘊以外の四蘊を有する生存) を……五つの組成としての生存 (五蘊すべてを有する生存) を……過去を……未来を……現在を……諸々の見られ聞かれ思われ識られるべき法(事象)を、願い求め、愛用し、切望し、熱望し、渇望するのか。ということで、「彼は、依存なき者ですか。それとも、願い求める者ですか」。

「彼は、智慧ある者ですか。それとも、智慧によって想い描く者(思量し分別する者)ですか」とは、「彼は、智慧ある者ですか」とは、賢者であり、智慧ある者であり、覚慧ある者であり、知恵ある者であり、分明ある者であり、思慮ある者であるのか。「それとも、智慧によって想い描く者ですか」とは、もしくは、あるいは、八つの入定の知恵によって、あるいは、五つの神知の知恵によって、あるいは、誤った知恵によって、あるいは、渇愛の妄想を、あるいは、見解の妄想を、想い描き、生じさせ、産出させ、発現させ、結実させるのか。ということで、「彼は、智慧ある者ですか。それとも、智慧によって想い描く者ですか」。

「釈迦 〔族〕の方よ、すなわち、わたしが、牟尼を識知できるように」とは、「釈迦 〔族〕の方よ」とは、釈迦 〔族〕 たる世尊は、釈迦 〔族〕 の家系から出家した方である、ということでもまた、「釈迦 〔族〕の方」。さらに、あるいは、富ある方であり、大いなる財ある方であり、財ある方である、ということでもまた、「釈迦 〔族〕 の方」。彼には、これらの財がある。それは、すなわち、この、信という財、戒という財、恥〔の思い〕 という財、 〔良心の〕 咎めという財、所聞という財、施捨という財、智慧という財、 〔四つの〕気づきの確立という財、 〔四つの〕 正しい精励という財、 〔四つの〕 神通の足場という財、 〔五つの〕機能という財、 〔五つの〕 力という財、 〔七つの〕 覚りの支分という財、聖なる八つの支分ある道という財、 〔聖者の〕(預流道・一来道・不還道・阿羅漢道)という財、 〔沙門の〕(預流果・一来果・不還果・阿羅漢果)という財、涅槃という財である。これらの無数の種類ある財の宝によって、富ある方であり、大いなる財ある方であり、財ある方である、ということでもまた、「釈迦〔族〕の方」。さらに、あるいは、有能なる方、可能なる方、発出ある方、十分なる自己ある方、勇士たる方、勇者たる方、勇猛なる方、恐怖なき方、驚愕なき方、恐懼なき方、逃げない方、恐怖と恐ろしさを捨棄した方、身の毛のよだつことを離れ去った方である、ということでもまた、「釈迦〔族〕 の方」。「釈迦 〔族〕の方よ、すなわち、わたしが、牟尼を識知できるように」とは、釈迦 〔族〕の方よ、すなわち、わたしが、牟尼を、知ることができるように、了知できるように、識知できるように、解知できるように、理解できるように。ということで、「釈迦〔族〕 の方よ、すなわち、わたしが、牟尼を識知できるように」。

「一切に眼ある方よ、それを、わたしに説明してください」とは、「それを」とは、〔わたしが〕 尋ねるところの、それを、 〔わたしが〕 乞い求めるところの、それを、 〔わたしが〕要請するところの、それを、 〔わたしが〕清信するところの、それを。「説明してください」とは、告げ知らせてください、説示してください、報知してください、確立してください、開顕してください、区分してください、明瞭と為してください、明示してください。「一切に眼ある方よ」とは、一切にわたる眼は、一切知者たる知恵と説かれる。……略([500-501]参照) ……。それによって、如来は、一切に眼ある方となる」〔と〕。ということで、「一切に眼ある方よ、それを、わたしに説明してください」。それによって、その婆羅門は言った。

〔尊者トーデイヤが尋ねた〕⸺「彼は、依存なき者ですか。それとも、願い求める者ですか。彼は、智慧ある者ですか。それとも、智慧によって想い描く者(思量し分別する者) ですか。釈迦 〔族〕の方よ、すなわち、わたしが、牟尼を識知できるように、一切に眼ある方よ、それを、わたしに説明してください」と。
1097. (1091)〔世尊は答えた〕⸺彼は、依存なき者です。しかしながら、願い求める者ではありません。彼は、智慧ある者です。しかしながら、智慧によって想い描く者ではありません。トーデイヤよ、このように、また、牟尼を識知しなさい⸺無一物で、欲望〔の対象〕〔迷いの〕生存にたいする執着なき者と。 (4)

「彼は、依存なき者です。しかしながら、願い求める者ではありません」とは、彼は、渇愛なき者である。彼は、渇愛を有する者ではなく、諸々の形態を願い求めず、諸々の音声を……諸々の臭気を……略([710]参照) ……諸々の見られ聞かれ思われ識られるべき法(事象)を、願い求めず、欲求せず、愛用せず、切望せず、熱望せず、渇望しない。ということで、「彼は、依存なき者です。しかしながら、願い求める者ではありません」。

「彼は、智慧ある者です。しかしながら、智慧によって想い描く者ではありません」とは、「智慧ある者」とは、賢者、智慧ある者、覚慧ある者、知恵ある者、分明ある者、思慮ある者。「しかしながら、智慧によって想い描く者ではありません」とは、あるいは、八つの入定の知恵によって、あるいは、五つの神知の知恵によって、あるいは、誤った知恵によって、あるいは、渇愛の妄想を、あるいは、見解の妄想を、想い描かず、生じさせず、産出させず、発現させず、結実させない。ということで、「彼は、智慧ある者ですか。あるいは、智慧によって想い描く者ですか」。

「トーデイヤよ、このように、また、牟尼を識知しなさい」とは、「牟尼(ムニ) 」とは、沈黙 (モーナ)は、知恵と説かれる。……略 ([409-418]参照)……彼は、執着の網を超え行って、『牟尼』 〔と呼ばれる〕〔と〕。「トーデイヤよ、このように、また、牟尼を識知しなさい」とは、トーデイヤよ、このように、牟尼を、知りなさい、識知しなさい、解知しなさい、理解しなさい。ということで、「トーデイヤよ、このように、また、牟尼を識知しなさい」。

「無一物で、欲望 〔の対象〕〔迷いの〕生存にたいする執着なき者と」とは、「無一物で」とは、貪欲の所有、憤怒の所有、迷妄の所有、思量の所有、見解の所有、〔心の〕汚れの所有、悪しき行ないの所有があり、彼の、これらの所有が、捨棄され、断絶され、寂止し、安息し、生起の可能なきものとなり、知恵の火によって焼かれたなら、彼は、無一物の者と説かれる。「諸々の欲望」とは、概略するなら、二つの諸々の欲望がある。(1) そして、諸々の事物の欲望であり、 (2) さらに、諸々の 〔心の〕 汚れの欲望である。(1) ……略 ([245-246]参照) ……。これらが、諸々の事物の欲望と説かれる。 (2) ……略 ([247-248]参照)……。これらが、諸々の 〔心の〕汚れの欲望と説かれる。「生存」とは、二つの生存がある。 (1) そして、行為の生存業有 であり、 (2) さらに、結生あるものとしてのさらなる生存 再有 である。……略 ([438]参照) ……。これが、結生あるものとしてのさらなる生存である。

「無一物で、欲望 〔の対象〕〔迷いの〕 生存にたいする執着なき者と」とは、無一物の人と、〔牟尼を識知しなさい〕 。そして、欲望 〔の対象〕 にたいする、さらに、 〔迷いの〕生存にたいする、執着なき者と、居着かない者と、付着しない者と、障害とならない者と、離欲した者と、出離した者と、解脱した者と、束縛を離れた者と、制約を離れることを為した心で〔世に〕 住んでいる者と、 〔牟尼を識知しなさい〕 。ということで、「無一物で、欲望 〔の対象〕〔迷いの〕生存にたいする執着なき者と」。それによって、世尊は言った。

〔世尊は答えた〕⸺「彼は、依存なき者です。しかしながら、願い求める者ではありません。彼は、智慧ある者です。しかしながら、智慧によって想い描く者ではありません。トーデイヤよ、このように、また、牟尼を識知しなさい⸺無一物で、欲望〔の対象〕〔迷いの〕生存にたいする執着なき者と」と。

詩偈の終了と共に……略 ([262]参照)……。「尊き方よ、世尊は、わたしの教師です。わたしは、弟子として存しています」と。

トーデイヤ学徒の問いについての釈示が、第九となる。

注釈【0】