1102. (1096)かくのごとく、尊者ジャトゥカンニが 〔言った〕 ⸺わたしは、欲なき〔あり方〕 を欲する勇者 (ブッダ) のことを聞いて、激流を超え行く方に欲なき 〔あり方〕 を尋ねるために、やってまいりました。 〔一切を知る〕眼と共に生じた方よ、寂静の境処を説いてください。世尊よ、それを、わたしに、真実のとおりに説いてください。 (1)
「わたしは、欲なき 〔あり方〕 を欲する勇者 (ブッダ)のことを聞いて」とは、聞いて、聴いて、把握して、近しく保持して、近しく観て。「かくのごとくもまた、彼は、世尊は、阿羅漢であり、正等覚者であり、明知と行ないの成就者であり、善き至達者( 善逝 ) であり、世 〔の一切〕 を知る者であり、無上なる者であり、調御されるべき人の馭者であり、天 〔の神々〕 と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である」 〔と〕。ということで、「わたしは、聞いて」。「勇者のことを」とは、勇者たる世尊は、精進ある方、ということで、「勇者」。可能なる方、ということで、「勇者」。発出ある方、ということで、「勇者」。十分なる自己ある方、ということで、「勇者」。勇士たる方、ということで、「勇者」。勇猛なる方、恐怖なき方、驚愕なき方、恐懼なき方、逃げない方、恐怖と恐ろしさを捨棄した方、身の毛のよだつことを離れ去った方、ということで、「勇者」。
〔そこで、詩偈に言う〕「この 〔世において〕 、一切の悪しき 〔行為〕 から離れた者は、地獄の苦しみを超え行って、精進ある者として、彼は 〔世に有る〕 。彼は、精進ある者として、精励ある者として、真実なることから、如なる者は、『勇者』〔と〕 呼ばれる」と。
「わたしは、欲なき 〔あり方〕 を欲する勇者のことを聞いて」とは、「諸々の欲望」とは、概略するなら、二つの諸々の欲望がある。(1) そして、諸々の事物の欲望であり、 (2) さらに、諸々の 〔心の〕 汚れの欲望である。(1) ……略 ([245-246]参照) ……。これらが、諸々の事物の欲望と説かれる。 (2) ……略 ([247-248]参照)……。これらが、諸々の 〔心の〕汚れの欲望と説かれる。覚者たる世尊の、諸々の事物の欲望は 〔すでに〕遍知され、諸々の 〔心の〕 汚れの欲望は 〔すでに〕 捨棄され、諸々の事物の欲望が 〔すでに〕遍知されたことから、諸々の 〔心の〕 汚れの欲望が 〔すでに〕 捨棄されたことから、世尊は、諸々の欲望 〔の対象〕 を欲さず、諸々の欲望 〔の対象〕を切望せず、諸々の欲望 〔の対象〕 を熱望せず、諸々の欲望 〔の対象〕 を渇望しない。彼らが、諸々の欲望 〔の対象〕を欲し、諸々の欲望 〔の対象〕 を切望し、諸々の欲望 〔の対象〕 を熱望し、諸々の欲望 〔の対象〕を渇望するなら、彼らは、欲望 〔の対象〕 に欲望ある者たちであり、貪欲〔の対象〕 に貪欲ある者たちであり、表象 〔の対象〕 に表象ある者たちであるが、世尊は、諸々の欲望 〔の対象〕 を欲さず、諸々の欲望 〔の対象〕を切望せず、諸々の欲望 〔の対象〕 を熱望せず、諸々の欲望 〔の対象〕を渇望しない。それゆえに、覚者は、欲なき者として、無欲なる者として、欲望を捨て去った者として、欲望を吐き去った者として、欲望を解き放った者として、欲望を捨棄した者として、欲望を放棄した者として、貪欲を離れた者として、貪欲を離れ去った者として、貪欲を捨て去った者として、貪欲を吐き捨てた者として、貪欲を解き放った者として、貪欲を捨棄した者として、貪欲を放棄した者として、無欲の者として、涅槃に到達した者として、〔心が〕 清涼と成った者として、安楽の得知ある者として、梵と成った自己によって〔世に〕 住む。ということで、「わたしは、欲なき 〔あり方〕 を欲する勇者のことを聞いて」。
「かくのごとく、尊者ジャトゥカンニが 〔言った〕 」とは、「かくのごとく」とは、句の連鎖……略 ([197]参照)……。また、句の順序たること。これが、「かくのごとく」ということになる。「尊者」とは、敬愛の言葉、尊重の言葉、尊重〔の思い〕 を有し敬虔 〔の思い〕を有する言葉。これが、「尊者」ということになる。「ジャトゥカンニ」とは、その婆羅門の、氏姓としての、名称、呼称、通名、通称。ということで、「かくのごとく、尊者ジャトゥカンニが〔言った〕 」。
「激流を超え行く方に欲なき 〔あり方〕を尋ねるために、やってまいりました」とは、「激流を超え行く方に」とは、激流を超え行く方に、激流を、超越した方に、等しく超越した方に、超克した方に。ということで、「激流を超え行く方に」。「尋ねるために」とは、尋ねるために、問うために、乞い求めるために、要請するために、清信するために。「欲なき〔あり方〕 を」「やってまいりました」とは、欲なき 〔あり方〕 を、無欲なる 〔あり方〕 を、欲望を捨て去った〔あり方〕 を、欲望を吐き去った 〔あり方〕 を、欲望を解き放った 〔あり方〕を、欲望を捨棄した 〔あり方〕 を、欲望を放棄した 〔あり方〕 を、貪欲を離れた 〔あり方〕を、貪欲を離れ去った 〔あり方〕 を、貪欲を捨て去った 〔あり方〕 を、貪欲を吐き捨てた 〔あり方〕を、貪欲を解き放った 〔あり方〕 を、貪欲を捨棄した 〔あり方〕 を、貪欲を放棄した 〔あり方〕を、尋ねるために。 〔わたしたちは〕 やってきた、 〔わたしたちは〕 到来した、 〔わたしたちは〕近しく到来した、 〔わたしたちは〕 達し得た、 〔わたしたちは〕 あなたと共に集いあつまった。ということで、「激流を超え行く方に欲なき〔あり方〕 を尋ねるために、やってまいりました」。
「 〔一切を知る〕眼と共に生じた方よ、寂静の境処を説いてください」とは、「寂静」とは、一つの行相によるなら、寂静でもまたあり、寂静の境処でもまたあり、まさしく、そのものとしてあり(両者は同一である) 、不死なる涅槃である。すなわち、 〔まさに〕 その、一切の形成 〔作用〕の止寂、一切の依り所の放棄、渇愛の滅尽、離貪、止滅、涅槃である。まさに、このことが、世尊によって説かれた。「これは、寂静なる境処である。これは、精妙なる境処である。すなわち、この、一切の形成〔作用〕の止寂、一切の依り所の放棄、渇愛の滅尽、離貪、止滅、涅槃である」と。さらに、他の行相によるなら、それらの法 (性質)が、寂静に到達するために、寂静を体得するために、寂静を実証するために、等しく転起するなら⸺それは、すなわち、この、四つの気づきの確立、四つの正しい精励、四つの神通の足場、五つの機能、五つの力、七つの覚りの支分、聖なる八つの支分ある道であるが⸺これら〔の法〕は、諸々の寂静の境処と説かれる。寂静の境処を、救護の境処を、避難の境処を、帰依の境処を、恐怖なき境処を、死滅なき境処を、不死の境処を、涅槃の境処を、説いてください、告げ知らせてください、説示してください、報知してください、確立してください、開顕してください、区分してください、明瞭と為してください、明示してください。「〔一切を知る〕眼と共に生じた方よ」とは、眼は、一切知者たる知恵と説かれる。覚者たる世尊の、そして、眼は、さらに、勝者の状態は、菩提〔樹〕 の根元において、 〔その〕前でもなく、 〔その〕 後でもなく、一つの瞬間 ( 刹那 ) において生起したものであり、それゆえに、覚者は、〔一切を知る〕 眼と共に生じた方である。ということで、「 〔一切を知る〕 眼と共に生じた方よ、寂静の境処を説いてください」。
「世尊よ、それを、わたしに、真実のとおりに説いてください」とは、真実のとおりは、不死なる涅槃と説かれる。……略([429]参照) ……止滅、涅槃である。「世尊 (バガヴァント) よ」とは、尊重の同義語。……略 ([205]参照) …… 〔その〕実証となる概念であり、すなわち、この、世尊である。「それを、わたしに、説いてください」とは、説いてください、告げ知らせてください……略……明示してください。ということで、「世尊よ、それを、わたしに、真実のとおりに説いてください」。それによって、その婆羅門は言った。
かくのごとく、尊者ジャトゥカンニが 〔言った〕 ⸺「わたしは、欲なき 〔あり方〕 を欲する勇者(ブッダ) のことを聞いて、激流を超え行く方に欲なき 〔あり方〕 を尋ねるために、やってまいりました。 〔一切を知る〕眼と共に生じた方よ、寂静の境処を説いてください。世尊よ、それを、わたしに、真実のとおりに説いてください」と。
1103. (1097)なぜなら、世尊は、諸々の欲望 〔の対象〕 を征服して、 〔あるがままに〕 振る舞うからです⸺光り輝く太陽が、 〔その〕 輝きによって地を 〔征服する〕ように。広き智慧ある方よ、少なき智慧のわたしに、法 (教え)を告げ知らせてください。わたしが識知しなければならない、 〔まさに〕 その、この〔世における〕 生と老の捨棄 〔という法〕 を。 (2)
「なぜなら、世尊は、諸々の欲望 〔の対象〕 を征服して、 〔あるがままに〕振る舞うからです」とは、「世尊 (バガヴァント) 」とは、尊重の同義語。……略([205]参照) …… 〔その〕実証となる概念であり、すなわち、この、世尊である。「諸々の欲望」とは、概略するなら、二つの諸々の欲望がある。 (1) そして、諸々の事物の欲望であり、 (2)さらに、諸々の 〔心の〕 汚れの欲望である。 (1) ……略 ([245-246]参照)……。これらが、諸々の事物の欲望と説かれる。 (2) ……略([247-248]参照) ……。これらが、諸々の 〔心の〕 汚れの欲望と説かれる。覚者たる世尊は、諸々の事物の欲望を遍知して、諸々の 〔心の〕 汚れの欲望を捨棄して、征して、征服して、覆い尽くして、完全に奪い去って、踏みにじって、〔世を〕 歩み、 〔世に〕住み、振る舞い、行持し、 〔行ないを〕 守り、 〔身を〕 保ち、 〔身を〕保ち行く。ということで、「なぜなら、世尊は、諸々の欲望 〔の対象〕 を征服して、〔あるがままに〕 振る舞うからです」。
「光り輝く太陽が、 〔その〕輝きによって地を 〔征服する〕 ように」とは、太陽 (アーディッチャ) は、日 (スーリヤ・太陽神)と説かれる。地は、地上と説かれる。たとえば、輝きを具備し、光り輝く太陽が、地を、征して、征服して、覆い尽くして、完全に奪い去って、熱苦させて、一切の、虚空に至ったものを、闇に至ったものを、打破して、暗黒を砕破して、光明を見示して、虚空において、空中において、空の道において、赴くように、まさしく、このように、知恵の輝きを具備し、知恵によって光り輝く世尊は、一切の、行作の集起を……略……〔心の〕汚れの闇を、無明の暗黒を、砕破して、知恵の光明を見示して、諸々の事物の欲望を遍知して、諸々の 〔心の〕 汚れの欲望を捨棄して、征して、征服して、覆い尽くして、完全に奪い去って、踏みにじって、〔世を〕 歩み、 〔世に〕住み、振る舞い、行持し、 〔行ないを〕 守り、 〔身を〕 保ち、 〔身を〕保ち行く。ということで、「光り輝く太陽が、 〔その〕 輝きによって地を〔征服する〕 ように」。
「広き智慧ある方よ、少なき智慧のわたしに」とは、わたしは、微小の智慧ある者として、下等の智慧ある者として、悪辣の智慧ある者として、劣小の智慧ある者として、〔世に〕存している。あなたはまた、偉大なる智慧ある方であり、多々なる智慧ある方であり、敏速なる智慧ある方であり、疾走する智慧ある方であり、鋭敏なる智慧ある方であり、洞察の智慧ある方である。広きは、地と説かれる。世尊は、その地と等しく広大にして拡張した智慧を具備した方である。ということで、「広き智慧ある方よ、少なき智慧のわたしに」。
「法 (教え)を告げ知らせてください。わたしが識知しなければならない、 〔まさに〕その」とは、「法 (教え)を」とは、最初が善きものとして、中間において善きものとして、結末が善きものとして、義 (意味) を有するものとして、文 (文型)を有するものとして、全一にして円満成就した完全なる清浄の梵行を、四つの気づきの確立を、四つの正しい精励を、四つの神通の足場を、五つの機能を、五つの力を、七つの覚りの支分を、聖なる八つの支分ある道を、そして、涅槃を、さらに、涅槃に至る〔実践の〕道を、告げ知らせてください、説示してください、報知してください、確立してください、開顕してください、区分してください、明瞭と為してください、明示してください。「わたしが識知しなければならない、〔まさに〕その」とは、わたしが、知るべきところの、了知するべきところの、識知するべきところの、解知するべきところの、理解するべきところの、到達するべきところの、体得するべきところの、実証するべきところの、それを。ということで、「法(教え) を告げ知らせてください。わたしが識知しなければならない、〔まさに〕 その」。
「この 〔世における〕生と老の捨棄 〔という法〕 を」とは、まさしく、この 〔世における〕 、生と老の、死の、捨棄を、寂止を、放棄を、安息を、不死なる涅槃を。ということで、「この〔世における〕 生と老の捨棄 〔という法〕 を」。それによって、その婆羅門は言った。
「なぜなら、世尊は、諸々の欲望 〔の対象〕 を征服して、 〔あるがままに〕振る舞うからです⸺光り輝く太陽が、 〔その〕 輝きによって地を〔征服する〕 ように。広き智慧ある方よ、少なき智慧のわたしに、法(教え) を告げ知らせてください。わたしが識知しなければならない、〔まさに〕 その、この 〔世における〕 生と老の捨棄 〔という法〕を」と。
1104. (1098)かくのごとく、世尊は 〔答えた〕 ⸺ジャトゥカンニよ、諸々の欲望〔の対象〕 にたいする貪求 〔の思い〕 を取り除きなさい。離欲 〔の境地〕を「平安である」と見て、 〔執着の対象として〕 執持されたものが、あるいは、〔排除の対象として〕 放棄されたものが、あなたには、何も見出されてはなりません。(3)
「諸々の欲望 〔の対象〕にたいする貪求 〔の思い〕を取り除きなさい」とは、「諸々の欲望」とは、概略するなら、二つの諸々の欲望がある。 (1) そして、諸々の事物の欲望であり、 (2)さらに、諸々の 〔心の〕 汚れの欲望である。 (1) ……略 ([245-246]参照)……。これらが、諸々の事物の欲望と説かれる。 (2) ……略([247-248]参照) ……。これらが、諸々の 〔心の〕 汚れの欲望と説かれる。「貪求 〔の思い〕を」とは、貪求は、渇愛と説かれる。すなわち、貪欲 (ラーガ) 、貪染……略([207]参照) ……強欲、貪欲 (ローバ) 、善ならざるものの根元である。「諸々の欲望 〔の対象〕 にたいする貪求 〔の思い〕を取り除きなさい」とは、諸々の欲望 〔の対象〕 にたいする貪求〔の思い〕を、取り除きなさい、取り除き去りなさい、捨棄しなさい、除去しなさい、終息を為しなさい、状態なきへと至らせなさい。ということで、「諸々の欲望〔の対象〕 にたいする貪求 〔の思い〕 を取り除きなさい」。「ジャトゥカンニよ」とは、その婆羅門に、氏姓で語りかける。「世尊(バガヴァント) 」とは、尊重の同義語。……略 ([205]参照) …… 〔その〕実証となる概念であり、すなわち、この、世尊である。ということで、「かくのごとく、世尊は 〔答えた〕 ⸺ジャトゥカンニよ」。
「離欲 〔の境地〕を『平安である』と見て」とは、「離欲 〔の境地〕 を」とは、正しい〔実践の〕 道を、 〔真理に〕随順する 〔実践の〕 道を、正反対のもの (敵対者) なき 〔実践の〕 道を、義(意味) のままなる 〔実践の〕道を、法 (教え) が法 (教え)のままなる 〔実践の〕 道を、諸戒における円満成就を作り為すことを、諸々の〔感官の〕 機能において門が守られていることを、食について量を知ることを、〔眠らずに〕起きていることへの専念を、気づきと正知を、四つの気づきの確立を、四つの正しい精励を、四つの神通の足場を、五つの機能を、五つの力を、七つの覚りの支分を、聖なる八つの支分ある道を、そして、涅槃を、さらに、涅槃に至る〔実践の〕 道を、平安 〔の観点〕から、救護所 〔の観点〕 から、避難所 〔の観点〕 から、帰依所 〔の観点〕 から、恐怖なき〔の観点〕 から、死滅なき 〔の観点〕 から、不死 〔の観点〕 から、涅槃〔の観点〕から、見て、観て、比較して、推量して、分明して、明確と為して。ということで、「離欲 〔の境地〕 を『平安である』と見て」。
「 〔執着の対象として〕執持されたものが、あるいは、 〔排除の対象として〕 放棄されたものが」とは、「〔執着の対象として〕執持されたものが」とは、渇愛を所以に、見解を所以に、収取され、偏執され、固着され、固執され、信念されたものが。「あるいは、〔排除の対象として〕放棄されたものが」とは、あるいは、解き放たれるべきものとして、捨棄されるべきものとして、除去されるべきものとして、終息が為されるべきものとして、状態なきへと至らせられるべきものとして、あるいは、放棄されたものが。ということで、「〔執着の対象として〕 執持されたものが、あるいは、 〔排除の対象として〕 放棄されたものが」。
「あなたには、何も見出されてはなりません」とは、貪欲の所有、憤怒の所有、迷妄の所有、思量の所有、見解の所有、 〔心の〕汚れの所有、悪しき行ないの所有があり、あなたに、この所有が、見出されてはならない、強く見出されてはならない、等しく見出されてはならない、〔それを〕捨棄しなさい、除去しなさい、終息を為しなさい、状態なきへと至らせなさい。ということで、「あなたには、何も見出されてはなりません」それによって、世尊は言った。
かくのごとく、世尊は 〔答えた〕 ⸺「ジャトゥカンニよ、諸々の欲望 〔の対象〕にたいする貪求 〔の思い〕 を取り除きなさい。離欲 〔の境地〕 を『平安である』と見て、 〔執着の対象として〕執持されたものが、あるいは、 〔排除の対象として〕放棄されたものが、あなたには、何も見出されてはなりません」と。
1105. (1099)それが、過去にあるなら、それを、干上がらせなさい。未来において、あなたには、何も有ってはなりません。もし、 〔その〕 中間 (現在) において、〔何も〕 収め取らないなら、 〔あなたは〕 寂静なる者となり、 〔世を〕 歩むでしょう。(4)
「それが、過去にあるなら、それを、干上がらせなさい」とは、諸々の過去の形成〔作用〕 (諸行 :形成されたもの・現象世界) を対象として、それらの 〔心の〕 汚れ ( 煩悩) が生起するなら、それらの 〔心の〕汚れを、干しなさい、干上がらせなさい、乾かしなさい、乾燥させなさい、種なきものと為しなさい、捨棄しなさい、除去しなさい、終息を為しなさい、状態なきへと至らせなさい。ということで、このようにもまた、「それが、過去にあるなら、それを、干上がらせなさい」。さらに、あるいは、それらが、諸々の過去の行為( 業 ) の行作 ( 現行 ) にして 〔いまだ〕 報い ( 異熟)が熟していないものであるなら、それらの行為の行作を、干しなさい、干上がらせなさい、乾かしなさい、乾燥させなさい、種なきものと為しなさい、捨棄しなさい、除去しなさい、終息を為しなさい、状態なきへと至らせなさい。ということで、このようにもまた、「それが、過去にあるなら、それを、干上がらせなさい」。
「未来において、あなたには、何も有ってはなりません」とは、未来において(パッチャー) は、未来に (アナーガタン) と説かれる。諸々の未来の形成 〔作用〕を対象として、貪欲の所有、憤怒の所有、迷妄の所有、思量の所有、見解の所有、 〔心の〕汚れの所有、悪しき行ないの所有があり、あなたに、この所有が、有ってはならない、 〔それを〕作り為してはならない、生じさせてはならない、産出させてはならない、発現させてはならない、結実させてはならない、捨棄しなさい、除去しなさい、終息を為しなさい、状態なきへと至らせなさい。ということで、「未来において、あなたには、何も有ってはなりません」。
「もし、 〔その〕 中間(現在) において、 〔何も〕収め取らないなら」とは、中間は、現在の形態と感受 〔作用〕 と表象〔作用〕 と諸々の形成 〔作用〕と識知 〔作用〕 と説かれる。諸々の現在の形成 〔作用〕 を、渇愛を所以に、見解を所以に、 〔あなたが〕収め取らないなら、 〔あなたが〕 執持しないなら、 〔あなたが〕 収取しないなら、 〔あなたが〕偏執しないなら、 〔あなたが〕 愉悦しないなら、 〔あなたが〕 迎合しないなら、 〔あなたが〕固執しないなら、愉悦を、迎合を、固執を、収取を、偏執を、固着を、 〔あなたが〕捨棄するなら、 〔あなたが〕 除去するなら、 〔あなたが〕 終息を為すなら、 〔あなたが〕状態なきへと至らせるなら。ということで、「もし、 〔その〕 中間において、〔何も〕 収め取らないなら」。
「 〔あなたは〕寂静なる者となり、 〔世を〕歩むでしょう」とは、貪欲が、寂静となったことから、寂静となった者となり、 〔世を〕歩むであろう、憤怒が……略 ([250]参照)……一切の善ならざる行作が、静まったことから、静められたことから、寂静となったことから、寂止されたことから、燃え尽きたことから、寂滅したことから、離れ去ったことから、安息したことから、〔心が〕静まった者となり、寂静となった者となり、寂止した者となり、寂滅した者となり、安息した者となり、 〔世を〕 歩むであろう、 〔世に〕住むであろう、振る舞うであろう、行持するであろう、 〔行ないを〕 守るであろう、〔身を〕 保つであろう、 〔身を〕保ち行くであろう。ということで、「 〔あなたは〕 寂静なる者となり、〔世を〕 歩むでしょう」。それによって、世尊は言った。
「それが、過去にあるなら、それを、干上がらせなさい。未来において、あなたには、何も有ってはなりません。もし、 〔その〕 中間 (現在) において、〔何も〕 収め取らないなら、 〔あなたは〕 寂静なる者となり、 〔世を〕歩むでしょう」と。
1106. (1100)婆羅門よ、全てにあまねく、名前と形態 ( 名色:現象世界) にたいし、貪求 〔の思い〕を離れた者には、彼には、諸々の煩悩は見出されません⸺それら (煩悩) によって、〔世の人々は〕 死魔の支配に行き着くのですが。 (5)
「婆羅門よ、全てにあまねく、名前と形態 (名色 :現象世界) にたいし、貪求 〔の思い〕を離れた者には」とは、「全てにあまねく」とは、一切によって一切にわたり、一切の点において一切にわたり、残りなく残余なく、〔物事を〕完全に取り上げる言葉。これが、「全てにあまねく」ということになる。「名前」とは、四つの形態なき範疇 (受・想・行・識) 。「形態」とは、そして、四つの大いなる元素 (四大種 :地・水・火・風) であり、さらに、四つの大いなる元素に執取して〔形成された〕 形態 (四大所造色 ) である。貪求は、渇愛と説かれる。すなわち、貪欲(ラーガ) 、貪染……略 ([207]参照) ……強欲、貪欲 (ローバ)、善ならざるものの根元である。「婆羅門よ、全てにあまねく、名前と形態にたいし、貪求 〔の思い〕を離れた者には」とは、全てにあまねく、名前と形態にたいし、貪求を離れた者には、貪求を離れ去った者には、貪求を捨て去った者には、貪求を吐き捨てた者には、貪求を解き放った者には、貪求を捨棄した者には、貪求を放棄した者には、貪欲を離れた者には、貪欲を離れ去った者には、貪欲を捨て去った者には、貪欲を吐き捨てた者には、貪欲を解き放った者には、貪欲を捨棄した者には、貪欲を放棄した者には。ということで、「婆羅門よ、全てにあまねく、名前と形態にたいし、貪求〔の思い〕 を離れた者には」。
「彼には、諸々の煩悩は見出されません」とは、「諸々の煩悩」とは、四つの煩悩がある。欲望の煩悩、生存の煩悩、見解の煩悩、無明の煩悩である。「彼には」とは、阿羅漢には、煩悩の滅尽者には。「見出されません」とは、彼には、これらの煩悩は、存在せず、存さず、等しく見出されず、認知されず、捨棄され、断絶され、寂止し、安息し、生起の可能なきものとなり、知恵の火によって焼かれたものとしてある。ということで、「彼には、諸々の煩悩は見出されません」。
「それら (煩悩)によって、 〔世の人々は〕死魔の支配に行き着くのですが」とは、それらの煩悩によって、あるいは、 〔世の人々は〕死魔の支配に赴き、あるいは、死の支配に赴き、あるいは、悪魔の徒の支配に赴くとして、彼には、それらの煩悩は、存在せず、存さず、等しく見出されず、認知されず、捨棄され、断絶され、寂止し、安息し、生起の可能なきものとなり、知恵の火によって焼かれたものとしてある。ということで、「それらによって、〔世の人々は〕 死魔の支配に行き着くのですが」。それによって、世尊は言った。
「婆羅門よ、全てにあまねく、名前と形態 (名色 :現象世界) にたいし、貪求 〔の思い〕 を離れた者には、彼には、諸々の煩悩は見出されません⸺それら (煩悩) によって、 〔世の人々は〕死魔の支配に行き着くのですが」と。
詩偈の終了と共に……略 ([262]参照)……。「尊き方よ、世尊は、わたしの教師です。わたしは、弟子として存しています」と。
ジャトゥカンニ学徒の問いについての釈示が、第十一となる。
注釈【0】