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長い経典

DN19. マハー・ゴーヴィンダの経

翻訳【22】

マハー・ゴーヴィンダの経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、ラージャガハに住んでおられます。ギッジャクータ山において。そこで、まさに、音楽神の子であるパンチャシカが、夜が更けると、見事な色艶となり、全面あまねくギッジャクータ山を照らして、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に立ちました。一方に立った、まさに、音楽神の子であるパンチャシカは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、すなわち、まさに、わたしが、三十三天〔の神々〕たちの、面前で聞き、面前で受けた、そのことを、世尊に告げます」と。「パンチャシカよ、あなたは、わたしに告げなさい」と、世尊は言いました。

天の集会場

「尊き方よ、過日のことですが、以前、斎戒のその日、十五〔日〕において、〔雨季の〕充足のとき、満ちた満月の夜、そして、全面あまねく、三十三天〔の神々〕たちが、スダンマーの集会場おいて、着坐し参集した状態でいます。かつまた、大いなる天の衆が、遍きにわたり、坐った状態でいます。かつまた、〔天の〕四大王が、四方にあって、坐った状態でいます。東の方角において、ダタラッタ大王が、西に向かって、天〔の神々〕たちを前にして、坐った状態でいます。南の方角において、ヴィルーラカ大王が、北に向かって、天〔の神々〕たちを前にして、坐った状態でいます。西の方角において、ヴィルーパッカ大王が、東に向かって、天〔の神々〕たちを前にして、坐った状態でいます。北の方角において、ヴェッサヴァナ大王が、南に向かって、天〔の神々〕たちを前にして、坐った状態でいます。尊き方よ、すなわち、そして、全面あまねく、三十三天〔の神々〕たちが、スダンマーの集会場において、着坐し参集した状態でいるとき、かつまた、大いなる天の衆が、遍きにわたり、坐った状態でいるとき、かつまた、〔天の〕四大王が、四方にあって、坐った状態でいるとき、これが、彼らの、坐における〔坐り方〕と成ります。そこで、後ろに、わたしたちの坐が有ります。

尊き方よ、すなわち、世尊のもと、梵行を歩んで、三十三〔天〕の身体に新しく再生した、それらの天〔の神々〕たちは、彼らは、他の天〔の神々〕たちに輝きまさります──まさしく、そして、色艶によって、さらに、福徳によって。尊き方よ、それによって、まさに、三十三天〔の神々〕たちは、わが意を得た者たちと成り、歓喜した者たちと〔成り〕、喜悦と悦意を生じた者たちと〔成ります〕。『ああ、まさに、天の身体ある者たちは遍く満ち、阿修羅の身体ある者たちは衰退する』と。

尊き方よ、そこで、まさに、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕は、三十三天〔の神々〕たちの清信を見出して、これらの詩偈によって随喜しました。

〔そこで、詩偈に言う〕『ああ、まさに、インダと共に、三十三天〔の神々〕たちは歓喜する──如来を、そして、法(教え)の善き法(教え)たることを、礼拝しながら──

そして、色艶と福徳ある新参の天〔の神々〕たちを見ながら──善き至達者たる方のもと、梵行を歩んで、ここに到来した者たちを〔見ながら〕。

彼らは、色艶によって、福徳と寿命によって、他の者たちに輝きまさる──広き智慧ある方の弟子たちとして、殊勝〔の境地〕に近しく赴いた者たちとして、ここに。

このことを見て、インダと共に、三十三天〔の神々〕たちは愉悦する──如来を、そして、法(教え)の善き法(教え)たることを、礼拝しながら』と。

尊き方よ、それによって、まさに、三十三天〔の神々〕たちは、より一層激しく、わが意を得た者たちと成り、歓喜した者たちと〔成り〕、喜悦と悦意を生じた者たちと〔成ります〕。『ああ、まさに、天の身体ある者たちは遍く満ち、阿修羅の身体ある者たちは衰退する』と。

八つの事実のとおりの栄誉

尊き方よ、そこで、まさに、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕は、三十三天〔の神々〕たちの清信を見出して、三十三天〔の神々〕たちに告げました。『敬愛なる者たちよ、まさに、あなたたちは、彼の、世尊の、八つの事実のとおりの栄誉を聞くことを求めますか』と。『敬愛なる方よ、わたしたちは、彼の、世尊の、八つの事実のとおりの栄誉を聞くことを求めます』と。尊き方よ、そこで、まさに、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕は、三十三天〔の神々〕たちに、世尊の、八つの事実のとおりの栄誉を述べ伝えました。『(1)それを、どう思いますか──貴君たちは、三十三天〔の神々〕たちは。さてまた、どれほどまでに、彼が、世尊が実践したのかを──多くの人々の利益のために、多くの人々の安楽のために、世〔の人々〕への慈しみ〔の思い〕のために、天〔の神々〕と人間たちの、義(目的)のために、利益のために、安楽のために。このように、多くの人々の利益のために、多くの人々の安楽のために、世〔の人々〕への慈しみ〔の思い〕のために、天〔の神々〕と人間たちの、義(目的)のために、利益のために、安楽のために、実践した者を、この支分をもまた具備した教師を、まさしく、過去の時において、〔わたしたちは〕等しく随観せず、また、今現在も、彼より、世尊より、他に〔等しく随観し〕ません。

(2)また、まさに、法(教え)は、彼によって、世尊によって、見事に告げ知らされたものであり、現に見られるものであり、時を要さないものであり、来て見るものであり、導くものであり、識者たちによって各自それぞれに知られるべきものです。このように、導くものである法(教え)の説示者を、この支分をもまた具備した教師を、まさしく、過去の時において、〔わたしたちは〕等しく随観せず、また、今現在も、彼より、世尊より、他に〔等しく随観し〕ません。

(3)また、まさに、彼によって、世尊によって、『これは、善なるものである』と善く報知され、『これは、善ならざるものである』と善く報知され、『これは、罪過を有するものである』『これは、罪過なきものである』『これは、慣れ親しむべきものである』『これは、慣れ親しむべきではないものである』『これは、下劣なるものである』『これは、精妙なるものである』『これは、黒と白と〔黒と白の〕両部分を有するものである』と善く報知されました。このように、諸々の法(性質)である善なるものと善ならざるものと罪過を有するものと罪過なきものと慣れ親しむべきものと慣れ親しむべきではないものと下劣なるものと精妙なるものと黒と白と〔黒と白の〕両部分を有するものの報知者を、この支分をもまた具備した教師を、まさしく、過去の時において、〔わたしたちは〕等しく随観せず、また、今現在も、彼より、世尊より、他に〔等しく随観し〕ません。

(4)また、まさに、彼によって、世尊によって、弟子たちに、涅槃に至る〔実践の〕道が善く報知され、かつまた、涅槃は、かつまた、〔実践の〕道は、〔それぞれ一つに〕合流します。それは、たとえば、また、まさに、ガンガー〔川〕の水が、ヤムナー〔川〕の水と合流し合体するように、まさしく、このように、彼によって、世尊によって、弟子たちに、涅槃に至る〔実践の〕道が善く報知され、かつまた、涅槃は、かつまた、〔実践の〕道は、〔それぞれ一つに〕合流します。このように、涅槃に至る〔実践の〕道の報知者を、この支分をもまた具備した教師を、まさしく、過去の時において、〔わたしたちは〕等しく随観せず、また、今現在も、彼より、世尊より、他に〔等しく随観し〕ません。

(5)また、まさに、彼には、世尊には、万全の利得があり、万全の名声があります──すなわち、思うに、士族たちが、愛顧の形態ある者たちとして〔世に〕住むかぎりは。また、まさに、彼は、世尊は、驕慢を離れ去った者として、食を食します。このように、驕慢を離れ去った者として、食を食している者を、この支分をもまた具備した教師を、まさしく、過去の時において、〔わたしたちは〕等しく随観せず、また、今現在も、彼より、世尊より、他に〔等しく随観し〕ません。

(6)また、まさに、彼は、世尊は、まさしく、そして、〔いまだ〕学びある者たる実践者たちにとって、さらに、煩悩が滅尽した完成者たちにとって、道友として得られた者なるも、世尊は、彼らを追い払って、独りある喜びに専念する者として〔世に〕住みます。このように、独りある喜びに専念する者を、この支分をもまた具備した教師を、まさしく、過去の時において、〔わたしたちは〕等しく随観せず、また、今現在も、彼より、世尊より、他に〔等しく随観し〕ません。

(7)また、まさに、彼は、世尊は、説くとおり、そのとおりに為す者であり、為すとおり、そのとおりに説く者です。かくのごとく、説くとおり、そのとおりに為す者であり、為すとおり、そのとおりに説く者です。このように、法(教え)を法(教え)のままに実践する者を、この支分をもまた具備した教師を、まさしく、過去の時において、〔わたしたちは〕等しく随観せず、また、今現在も、彼より、世尊より、他に〔等しく随観し〕ません。

(8)また、まさに、彼は、世尊は、疑惑を超え渡った者であり、懐疑を離れ去った者であり、初等の梵行を志欲として思惟を完成した者です。このように、疑惑を超え渡った者を、懐疑を離れ去った者を、初等の梵行を志欲として思惟を完成した者を、この支分をもまた具備した教師を、まさしく、過去の時において、〔わたしたちは〕等しく随観せず、また、今現在も、彼より、世尊より、他に〔等しく随観し〕ません』と。

尊き方よ、まさに、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕は、三十三天〔の神々〕たちに、世尊の、これらの八つの事実のとおりの栄誉を述べ伝えました。尊き方よ、それによって、まさに、三十三天〔の神々〕たちは、より一層激しく、わが意を得た者たちと成り、歓喜した者たちと〔成り〕、喜悦と悦意を生じた者たちと〔成ります〕──世尊の、八つの事実のとおりの栄誉を聞いて〔そののち〕。尊き方よ、そこで、一部の天〔の神々〕たちは、このように言いました。『敬愛なる者たちよ、ああ、まさに、四者の正等覚者が、世に生起するべきです。そして、まさしく、世尊のように、法(教え)を説示するべきです。それは、多くの人々の利益のために、多くの人々の安楽のために、世〔の人々〕への慈しみ〔の思い〕のために、天〔の神々〕と人間たちの、義(目的)のために、利益のために、安楽のために、〔世に〕存するでしょう』と。一部の天〔の神々〕たちは、このように言いました。『敬愛なる者たちよ、四者の正等覚者は、さておくとしましょう。敬愛なる者たちよ、ああ、まさに、三者の正等覚者が、世に生起するべきです。そして、まさしく、世尊のように、法(教え)を説示するべきです。それは、多くの人々の利益のために、多くの人々の安楽のために、世〔の人々〕への慈しみ〔の思い〕のために、天〔の神々〕と人間たちの、義(目的)のために、利益のために、安楽のために、〔世に〕存するでしょう』と。一部の天〔の神々〕たちは、このように言いました。『敬愛なる者たちよ、三者の正等覚者は、さておくとしましょう。敬愛なる者たちよ、ああ、まさに、二者の正等覚者が、世に生起するべきです。そして、まさしく、世尊のように、法(教え)を説示するべきです。それは、多くの人々の利益のために、多くの人々の安楽のために、世〔の人々〕への慈しみ〔の思い〕のために、天〔の神々〕と人間たちの、義(目的)のために、利益のために、安楽のために、〔世に〕存するでしょう』と。

尊き方よ、このように説かれたとき、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕は、三十三天〔の神々〕たちに、こう言いました。『敬愛なる者たちよ、まさに、このことは、状況なきことであり、機会なきことです。すなわち、一つの世の界域において、二者の阿羅漢にして正等覚者が、前なく後なく〔同時に〕生起することです。この状況は見出されません。敬愛なる者たちよ、ああ、まさに、彼は、世尊は、病苦少なく、病悩少なく、長きにわたり、長時のあいだ、〔世に〕止住するべきです。それは、多くの人々の利益のために、多くの人々の安楽のために、世〔の人々〕への慈しみ〔の思い〕のために、天〔の神々〕と人間たちの、義(目的)のために、利益のために、安楽のために、〔世に〕存するでしょう』と。尊き方よ、そこで、まさに、その義(目的)によって、三十三天〔の神々〕たちが、スダンマーの集会場において、着坐し参集した状態でいる、その義(目的)を思弁して、その義(目的)を考量して、それで、〔天の〕四大王は、その義(目的)について、〔三十三天の神々たちによって〕言葉を説かれたこともまた有り──それで、〔天の〕四大王は、その義(目的)について、〔三十三天の神々たちによって〕言葉を教示されたこともまた有り──それぞれの自らの坐において、去ることなく立っています。

〔そこで、詩偈に言う〕『それらの王たちは、言葉を説かれ、教示を受け取って、清信した意ある寂静なる者たちとなり、自らの坐において、〔去ることなく〕立った』と。

尊き方よ、そこで、まさに、北の方角において、秀逸なる光明が生み出され、光輝が出現しました──天〔の神々〕たちの天の威光を、まさしく、超え行って。尊き方よ、そこで、まさに、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕は、三十三天〔の神々〕たちに告げました。『敬愛なる者たちよ、すなわち、まさに、秀逸なる光明が生み出され、光輝が出現し、諸々の形相が見られるように、〔長からずして〕梵〔天〕が出現するでしょう。なぜなら、梵〔天〕には、出現するにあたり、これが前兆となるからです。すなわち、この、光明が生み出され、光輝が出現します』と。

〔そこで、詩偈に言う〕『すなわち、諸々の形相が見られるように、〔長からずして〕梵〔天〕が出現するであろう。なぜなら、梵〔天〕には、広大にして大いなる光輝が、これが、〔出現の〕形相となるからである』と。

サナンクマーラの話

尊き方よ、そこで、まさに、三十三天〔の神々〕たちは、すなわち、自らの坐において坐りました。『この光輝を、〔わたしたち〕知るのだ。すなわち、報いが有るであろう、〔そのとおりに〕。それを、まさしく、実証して〔そののち〕、〔わたしたち〕赴くのだ』と。〔天の〕四大王もまた、すなわち、自らの坐において坐りました。『この光輝を、〔わたしたち〕知るのだ。すなわち、報いが有るであろう、〔そのとおりに〕。それを、まさしく、実証して〔そののち〕、〔わたしたち〕赴くのだ』と。この〔言葉〕を聞いて、三十三天〔の神々〕たちは、一境に入定しました(思いを一つにした)。『この光輝を、〔わたしたち〕知るのだ。すなわち、報いが有るであろう、〔そのとおりに〕。それを、まさしく、実証して〔そののち〕、〔わたしたち〕赴くのだ』と。

尊き方よ、すなわち、梵〔天〕のサナンクマーラが、三十三天〔の神々〕たちに出現するときは、粗大なる自己状態を化作して出現します。尊き方よ、また、まさに、すなわち、梵〔天〕の元来の色艶は、それは、三十三天〔の神々〕たちの眼の視野においては対処できません。尊き方よ、すなわち、梵〔天〕のサナンクマーラが、三十三天〔の神々〕たちに出現するとき、彼は、他の天〔の神々〕たちに輝きまさります──まさしく、そして、色艶によって、さらに、福徳によって。尊き方よ、それは、たとえば、また、黄金の姿形が、人間の姿形に輝きまさるように、尊き方よ、まさしく、このように、まさに、すなわち、梵〔天〕のサナンクマーラが、三十三天〔の神々〕たちに出現するとき、彼は、他の天〔の神々〕たちに輝きまさります──まさしく、そして、色艶によって、さらに、福徳によって。尊き方よ、すなわち、梵〔天〕のサナンクマーラが、三十三天〔の神々〕たちに出現するとき、その衆において、誰であれ、天〔の神〕が、あるいは、敬拝することも、あるいは、立礼することも、あるいは、坐によって招くことも、ありません。まさしく、全ての者たちが、沈黙の状態で、合掌の者たちとなり、結跏をもって坐っています。『今や、その天〔の神〕に、梵〔天〕のサナンクマーラが、長椅子を求めるなら、その天〔の神〕の長椅子のうえに、〔彼は〕坐るであろう』と。尊き方よ、また、まさに、その天〔の神〕の長椅子のうえに、梵〔天〕のサナンクマーラが坐るなら、その天〔の神〕は、秀逸なる信受の獲得を得ますし、その天〔の神〕は、秀逸なる悦意の獲得を得ます。尊き方よ、それは、たとえば、また、王権によって、新たに灌頂し即位灌頂した王たる士族が、彼が、秀逸なる信受の獲得を得るように、彼が、秀逸なる悦意の獲得を得るように、尊き方よ、まさしく、このように、まさに、その天〔の神〕の長椅子のうえに、梵〔天〕のサナンクマーラが坐るなら、その天〔の神〕は、秀逸なる信受の獲得を得ますし、その天〔の神〕は、秀逸なる悦意の獲得を得ます。尊き方よ、そこで、梵〔天〕のサナンクマーラは、三十三天〔の神々〕たちの清信を見出して、消没したまま、これらの詩偈によって随喜しました。

〔そこで、詩偈に言う〕『ああ、まさに、インダと共に、三十三天〔の神々〕たちは歓喜する──如来を、そして、法(教え)の善き法(教え)たることを、礼拝しながら──

そして、色艶と福徳ある新参の天〔の神々〕たちを見ながら──善き至達者たる方のもと、梵行を歩んで、ここに到来した者たちを〔見ながら〕。

彼らは、色艶によって、福徳と寿命によって、他の者たちに輝きまさる──広き智慧ある方の弟子たちとして、殊勝〔の境地〕に近しく赴いた者たちとして、ここに。

このことを見て、インダと共に、三十三天〔の神々〕たちは愉悦する──如来を、そして、法(教え)の善き法(教え)たることを、礼拝しながら』と。

尊き方よ、梵〔天〕のサナンクマーラは、この義(意味)を語りました。尊き方よ、この義(意味)を語っている、梵〔天〕のサナンクマーラには、八つの支分を具備した声が有ります。かつまた、明瞭で、かつまた、識知でき、かつまた、美妙で、かつまた、必聴にして、かつまた、円滑で、かつまた、拡散せず、かつまた、深遠で、かつまた、雄大なるものとして。尊き方よ、また、まさに、すなわち、梵〔天〕のサナンクマーラが、衆に声で伝えるとおりに、そして、彼の話し声は、衆の外に放たれることがありません。尊き方よ、また、まさに、彼には、このように、八つの支分を具備した声が有り、彼は、『梵の声ある者』と説かれます。尊き方よ、そこで、まさに、三十三天〔の神々〕たちは、梵〔天〕のサナンクマーラに、こう言いました。『大いなる梵〔天〕よ、善きかな、まさしく、このことを、わたしたちは究明して歓喜します。さてまた、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕によって語られたものとして、彼の、世尊の、八つの事実のとおりの栄誉が存在します。そして、それら〔の八つの事実のとおりの栄誉〕を、わたしたちは究明して歓喜します』と。

八つの事実のとおりの栄誉

尊き方よ、梵〔天〕のサナンクマーラは、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕に、こう言いました。『天〔の神々〕たちのインダよ、善きかな、わたしたちもまた、彼の、世尊の、八つの事実のとおりの栄誉を聞きたいものです』と。尊き方よ、『大いなる梵〔天〕よ、わかりました』と、まさに、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕は、梵〔天〕のサナンクマーラに、世尊の、八つの事実のとおりの栄誉を述べ伝えました。

『(1)それを、どう思いますか──貴君は、大いなる梵〔天〕は。さてまた、どれほどまでに、彼が、世尊が実践したのかを──多くの人々の利益のために、多くの人々の安楽のために、世〔の人々〕への慈しみ〔の思い〕のために、天〔の神々〕と人間たちの、義(目的)のために、利益のために、安楽のために。このように、多くの人々の利益のために、多くの人々の安楽のために、世〔の人々〕への慈しみ〔の思い〕のために、天〔の神々〕と人間たちの、義(目的)のために、利益のために、安楽のために、実践した者を、この支分をもまた具備した教師を、まさしく、過去の時において、〔わたしたちは〕等しく随観せず、また、今現在も、彼より、世尊より、他に〔等しく随観し〕ません。

(2)また、まさに、法(教え)は、彼によって、世尊によって、見事に告げ知らされたものであり、現に見られるものであり、時を要さないものであり、来て見るものであり、導くものであり、識者たちによって各自それぞれに知られるべきものです。このように、来て見るものである法(教え)の説示者を、この支分をもまた具備した教師を、まさしく、過去の時において、〔わたしたちは〕等しく随観せず、また、今現在も、彼より、世尊より、他に〔等しく随観し〕ません。

(3)また、まさに、彼によって、世尊によって、『これは、善なるものである』と善く報知され、『これは、善ならざるものである』と善く報知され、『これは、罪過を有するものである』『これは、罪過なきものである』『これは、慣れ親しむべきものである』『これは、慣れ親しむべきではないものである』『これは、下劣なるものである』『これは、精妙なるものである』『これは、黒と白と〔黒と白の〕両部分を有するものである』と善く報知されました。このように、諸々の法(性質)である善なるものと善ならざるものと罪過を有するものと罪過なきものと慣れ親しむべきものと慣れ親しむべきではないものと下劣なるものと精妙なるものと黒と白と〔黒と白の〕両部分を有するものの報知者を、この支分をもまた具備した教師を、まさしく、過去の時において、〔わたしたちは〕等しく随観せず、また、今現在も、彼より、世尊より、他に〔等しく随観し〕ません。

(4)また、まさに、彼によって、世尊によって、弟子たちに、涅槃に至る〔実践の〕道が善く報知され、かつまた、涅槃は、かつまた、〔実践の〕道は、〔それぞれ一つに〕合流します。それは、たとえば、また、まさに、ガンガー〔川〕の水が、ヤムナー〔川〕の水と合流し合体するように、まさしく、このように、彼によって、世尊によって、弟子たちに、涅槃に至る〔実践の〕道が善く報知され、かつまた、涅槃は、かつまた、〔実践の〕道は、〔それぞれ一つに〕合流します。このように、涅槃に至る〔実践の〕道の報知者を、この支分をもまた具備した教師を、まさしく、過去の時において、〔わたしたちは〕等しく随観せず、また、今現在も、彼より、世尊より、他に〔等しく随観し〕ません。

(5)また、まさに、彼には、世尊には、万全の利得があり、万全の名声があります──すなわち、思うに、士族たちが、愛顧の形態ある者たちとして〔世に〕住むかぎりは。また、まさに、彼は、世尊は、驕慢を離れ去った者として、食を食します。このように、驕慢を離れ去った者として、食を食している者を、この支分をもまた具備した教師を、まさしく、過去の時において、〔わたしたちは〕等しく随観せず、また、今現在も、彼より、世尊より、他に〔等しく随観し〕ません。

(6)また、まさに、彼は、世尊は、まさしく、そして、〔いまだ〕学びある者たる実践者たちにとって、さらに、煩悩が滅尽した完成者たちにとって、道友として得られた者なるも、世尊は、彼らを追い払って、独りある喜びに専念する者として〔世に〕住みます。このように、独りある喜びに専念する者を、この支分をもまた具備した教師を、まさしく、過去の時において、〔わたしたちは〕等しく随観せず、また、今現在も、彼より、世尊より、他に〔等しく随観し〕ません。

(7)また、まさに、彼は、世尊は、説くとおり、そのとおりに為す者であり、為すとおり、そのとおりに説く者です。かくのごとく、説くとおり、そのとおりに為す者であり、為すとおり、そのとおりに説く者です。このように、法(教え)を法(教え)のままに実践する者を、この支分をもまた具備した教師を、まさしく、過去の時において、〔わたしたちは〕等しく随観せず、また、今現在も、彼より、世尊より、他に〔等しく随観し〕ません。

(8)また、まさに、彼は、世尊は、疑惑を超え渡った者であり、懐疑を離れ去った者であり、初等の梵行を志欲として思惟を完成した者です。このように、疑惑を超え渡った者を、懐疑を離れ去った者を、初等の梵行を志欲として思惟を完成した者を、この支分をもまた具備した教師を、まさしく、過去の時において、〔わたしたちは〕等しく随観せず、また、今現在も、彼より、世尊より、他に〔等しく随観し〕ません』と。

尊き方よ、まさに、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕は、梵〔天〕のサナンクマーラに、世尊の、これらの八つの事実のとおりの栄誉を述べ伝えました。尊き方よ、それによって、まさに、梵〔天〕のサナンクマーラは、わが意を得た者と成り、歓喜した者と〔成り〕、喜悦と悦意を生じた者と〔成ります〕──世尊の、八つの事実のとおりの栄誉を聞いて〔そののち〕。尊き方よ、そこで、梵〔天〕のサナンクマーラは、粗大なる自己状態を化作して、パンチャシカ(音楽神の天子)の少年の色艶と成って、三十三天〔の神々〕たちに出現しました。彼は、宙に舞い上がって、虚空において、空中において、結跏をもって坐りました。尊き方よ、それは、たとえば、また、力ある人が、あるいは、善く広げられた長椅子のうえに、あるいは、平坦な土地の部分において、結跏をもって坐るように、尊き方よ、まさしく、このように、まさに、梵〔天〕のサナンクマーラは、宙に舞い上がって、虚空において、空中において、結跏をもって坐って、三十三天〔の神々〕たちに告げました。

ゴーヴィンダ婆羅門の事

『それを、どう思いますか──貴君たちは、三十三天〔の神々〕たちは。どれほどまでに、長夜にわたり、まさしく、大いなる智慧ある者として、彼が、世尊が〔世に〕有ったかを。君よ、過去の事ですが、ディサンパティという名の王が〔世に〕有りました。ディサンパティ王には、ゴーヴィンダという名の婆羅門の司祭が有りました。ディサンパティ王には、子として、レーヌという名の王子が有りました。ゴーヴィンダ婆羅門には、子として、ジョーティパーラという名の学徒が有りました。かくのごとく、かつまた、レーヌ王子が、かつまた、ジョーティパーラ学徒が、さらに、他の六者の士族(王族)たちが、かくのごとく、これらの八者の道友たちが〔世に〕有りました。君よ、そこで、まさに、諸々の昼夜が経過して、ゴーヴィンダ婆羅門が、命を終えました。ゴーヴィンダ婆羅門が命を終えたとき、ディサンパティ王は嘆き悲しみました。「ああ、まさに、その時点において、わたしたちが、ゴーヴィンダ婆羅門にたいし、全ての為すべきことを正しく委ねて、五つの欲望の属性(五妙欲:色・声・香・味・触)を供与され、保有する者と成り、〔それらを〕楽しむ、まさに、その時点において、ゴーヴィンダ婆羅門は、命を終えたのだ」と。君よ、このように説かれたとき、レーヌ王子は、ディサンパティ王に、こう言いました。「陛下よ、まさに、あなたは、ゴーヴィンダ婆羅門が命を終えたとき、極めて激しく嘆き悲しんではいけません。陛下よ、ゴーヴィンダ婆羅門には、子として、ジョーティパーラという名の学徒が存在します。まさしく、そして、父よりもより賢者であり、まさしく、そして、父よりもより十分なる義(意味)を見る者です。すなわち、また、彼の父が教示した、諸々の義(意味)も、それらもまた、まさしく、ジョーティパーラ学徒の教示のうちにあります」と。「王子よ、そのとおりなのか」と。「陛下よ、そのとおりです」と。

マハー・ゴーヴィンダの事

君よ、そこで、まさに、ディサンパティ王は、或るひとりの家来に告げました。「さて、家来よ、さあ、おまえは、ジョーティパーラという名の学徒のいるところに、そこへと近づいて行きなさい。近づいて行って、ジョーティパーラ学徒に、このように説きなさい。『貴君ジョーティパーラに、栄えが存せ。ディサンパティ王が、貴君を、ジョーティパーラ学徒を、呼んでいます。ディサンパティ王は、貴君と、ジョーティパーラ学徒と、会見することを欲しています』」と。君よ、「陛下よ、わかりました」と、まさに、その家来は、ディサンパティ王に答えて、ジョーティパーラ学徒のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、ジョーティパーラ学徒に、こう言いました。「貴君ジョーティパーラに、栄えが存せ。ディサンパティ王が、貴君を、ジョーティパーラ学徒を、呼んでいます。ディサンパティ王は、貴君と、ジョーティパーラ学徒と、会見することを欲しています」と。君よ、「君よ、わかりました」と、まさに、ジョーティパーラ学徒は、その家来に答えて、ディサンパティ王いるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、ディサンパティ王を相手に共に挨拶しました。共に挨拶し記憶されるべき話を交わして、一方に坐りました。君よ、一方に坐った、まさに、ジョーティパーラ学徒に、ディサンパティ王は、こう言いました。「貴君ジョーティパーラは、わたしたちに教示したまえ。貴君ジョーティパーラは、わたしたちへの教示を拒んではいけません。あなたを、父祖の境位に据え置きましょう。ゴーヴィンダたる〔境位〕に灌頂しましょう」と。君よ、「君よ、わかりました」と、まさに、彼は、ジョーティパーラ学徒は、ディサンパティ王に答えました。君よ、そこで、まさに、ディサンパティ王は、ジョーティパーラ学徒を、ゴーヴィンダたる〔境位〕に灌頂しました。彼を、父祖の境位に据え置きました。ゴーヴィンダたる〔境位〕に灌頂されたジョーティパーラ学徒は、父祖の境位に据え置かれ、すなわち、また、彼の父が教示した、諸々の義(意味)であるなら、それらの義(意味)をもまた教示します。すなわち、また、彼の父が教示しなかった、諸々の義(意味)であるとして、それらの義(意味)をもまた教示します。すなわち、また、彼の父が対処した、諸々の生業であるなら、それらの生業をもまた対処します。すなわち、また、彼の父が対処しなかった、諸々の生業であるとして、それらの生業をもまた対処します。〔まさに〕その、この者のことを、人間たちは、このように言いました。「ああ、まさに、ゴーヴィンダ婆羅門だ。ああ、まさに、マハー・ゴーヴィンダ(大いなるゴーヴィンダ)婆羅門だ」と。君よ、これを転機として、まさに、このように、ジョーティパーラ学徒には、まさしく、「ゴーヴィンダ」「マハー・ゴーヴィンダ」という呼称が生起しました。

王権の分与

君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、それらの六者の士族たちのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、それらの六者の士族たちに、こう言いました。「君よ、まさに、ディサンパティ王は、老い朽ち、年長となり、老練にして、歳月を重ね、年齢を加えた者です。君よ、また、まさに、いったい、誰が、生命のことを知るというのでしょう。また、まさに、この状況は見出されます。すなわち、ディサンパティ王が命を終えたとき、王権を為す者たちが、レーヌ王子を、王権に灌頂することです。貴君たちは、行きたまえ。レーヌ王子のいるところに、そこへと近づいて行くのです。近づいて行って、レーヌ王子に、このように説くのです。『わたしたちは、まさに、貴君レーヌの道友にして、愛しく意に適う嫌悪ならざる者たちです。貴君が、それを安楽とするなら、わたしたちも、それを安楽とします。貴君が、それを苦痛とするなら、わたしたちも、それを苦痛とします。君よ、まさに、ディサンパティ王は、老い朽ち、年長となり、老練にして、歳月を重ね、年齢を加えた者です。君よ、また、まさに、いったい、誰が、生命のことを知るというのでしょう。また、まさに、この状況は見出されます。すなわち、ディサンパティ王が命を終えたとき、王権を為す者たちが、レーヌ王子を、王権に灌頂することです。それで、もし、貴君レーヌが、王権を得るなら、わたしたちに、王権を分け与えるべきです』」と。君よ、「君よ、わかりました」と、まさに、それらの六者の士族たちは、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門に答えて、レーヌ王子のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、レーヌ王子に、このように言いました。「わたしたちは、まさに、貴君レーヌの道友にして、愛しく意に適う嫌悪ならざる者たちです。貴君が、それを安楽とするなら、わたしたちも、それを安楽とします。貴君が、それを苦痛とするなら、わたしたちも、それを苦痛とします。君よ、まさに、ディサンパティ王は、老い朽ち、年長となり、老練にして、歳月を重ね、年齢を加えた者です。君よ、また、まさに、いったい、誰が、生命のことを知るというのでしょう。また、まさに、この状況は見出されます。すなわち、ディサンパティ王が命を終えたとき、王権を為す者たちが、レーヌ王子を、王権に灌頂することです。それで、もし、貴君レーヌが、王権を得るなら、わたしたちに、王権を分け与えるべきです」と。「君よ、いったい、まさに、他の誰が、わたしの領土において、安楽の者と成るというのでしょう──貴君たちより他に。君よ、それで、もし、わたしが、王権を得るなら、あなたたちに、王権を分け与えるでしょう」と。

君よ、そこで、まさに、諸々の昼夜が経過して、ディサンパティ王が、命を終えました。ディサンパティ王が命を終えたとき、王権を為す者たちは、レーヌ王子を、王権に灌頂しました。王権によって、レーヌは灌頂され、五つの欲望の属性を供与され、保有する者と成り、〔それらを〕楽しみます。君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、それらの六者の士族たちのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、それらの六者の士族たちに、こう言いました。「君よ、まさに、ディサンパティ王は、命を終え、王権によって、レーヌは灌頂され、五つの欲望の属性を供与され、保有する者と成り、〔それらを〕楽しみます。君よ、また、まさに、いったい、誰が知るというのでしょう。酔うべきものは、諸々の欲望〔の対象〕です。貴君たちは、行きたまえ。レーヌ王のいるところに、そこへと近づいて行くのです。近づいて行って、レーヌ王に、このように説くのです。『君よ、まさに、ディサンパティ王は、命を終え、王権によって、貴君レーヌは灌頂されました。貴君は、その言葉を記憶しますか』」と。

君よ、「君よ、わかりました」と、まさに、それらの六者の士族たちは、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門に答えて、レーヌ王のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、レーヌ王に、こう言いました。「君よ、まさに、ディサンパティ王は、命を終え、王権によって、貴君レーヌは灌頂されました。貴君は、その言葉を記憶しますか」と。「君よ、わたしは、その言葉を記憶します。君よ、いったい、まさに、誰が、北は長大にして、南は荷車の口であるかの、この大いなる地を、七種に等しく、善く区分されたものに区分することができるというのでしょう」と。「君よ、いったい、まさに、他の誰ができるというのでしょう──マハー・ゴーヴィンダ婆羅門より他に」と。君よ、そこで、まさに、レーヌ王は、或るひとりの家来に告げました。「さて、家来よ、さあ、おまえは、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門のいるところに、そこへと近づいて行きなさい。近づいて行って、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門に、このように説きなさい。『尊き方よ、レーヌ王が、あなたを呼んでいます』」と。君よ、「陛下よ、わかりました」と、まさに、その家来は、レーヌ王に答えて、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門に、こう言いました。「尊き方よ、レーヌ王が、あなたを呼んでいます」と。君よ、「君よ、わかりました」と、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、その家来に答えて、レーヌ王のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、レーヌ王を相手に共に挨拶しました。共に挨拶し記憶されるべき話を交わして、一方に坐りました。君よ、一方に坐った、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門に、レーヌ王は、こう言いました。「さあ、貴君ゴーヴィンダは、北は長大にして、南は荷車の口であるかの、この大いなる地を、七種に等しく、善く区分されたものに区分したまえ」と。「君よ、わかりました」と、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、レーヌ王に答えて、北は長大にして、南は荷車の口であるかの、この大いなる地を、七種に等しく、善く区分されたものに区分しました。全てが〔七種に等しく〕荷車の口であるかに据え置きました。そこで、まさに、レーヌ王の地方は、〔それらの〕中央に有ります。

〔そこで、詩偈に言う〕「カーリンガ〔国〕のダンタプラが、そして、アッサカ〔国〕のポータナが──アヴァンティ〔国〕のマヘーサヤが、かつまた、ソーヴィーラ〔国〕のロールカが──

かつまた、ヴィデーハ〔国〕のミティラーが、アンガ〔国〕のチャンパーが造作され、さらに、カーシ〔国〕のバーラーナシーが──これらが、ゴーヴィンダによって造作された」と。

君よ、そこで、まさに、それらの六者の士族たちは、すなわち、自らの利得によって、わが意を得た者たちと成り、円満成就した思惟ある者たちと〔成りました〕。「すなわち、求めるところとして、すなわち、望むところとして、すなわち、志向するところとして、すなわち、切望するところとして、まさに、わたしたちに有った、その〔思い〕が、わたしたちの得るところとなった」と。

〔そこで、詩偈に言う〕「サッタブー、そして、ブラフマダッタ、ヴェッサブー、バラタと共に、レーヌ、さらに、二者のダタラッタが、そのとき、七者のバーラダ(国王)として〔世に〕存した」と。

第一の朗読分は〔以上で〕終了となる。

〔善き〕評価の声が上がること

君よ、そこで、まさに、それらの六者の士族たちは、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門に、こう言いました。「すなわち、まさに、貴君ゴーヴィンダが、レーヌ王にとって、愛しく意に適う嫌悪ならざる道友であるように、まさしく、このように、まさに、貴君ゴーヴィンダは、わたしたちにとってもまた、愛しく意に適う嫌悪ならざる道友です。貴君ゴーヴィンダは、わたしたちに教示したまえ。貴君ゴーヴィンダは、わたしたちへの教示を拒んではいけません」と。「君よ、わかりました」と、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、それらの六者の士族たちに答えました。君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、そして、七者の即位灌頂した王たる士族たちに、王権について教示し、そして、七者の婆羅門の大家たちに、さらに、七百の沐浴師たちに、諸々の呪文を教授しました。

君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門に、他時にあって、このように、善き評価の声が上がりました。「マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、じかに、梵〔天〕を見る。マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、じかに、梵〔天〕と、論じ合い、談じ合い、話し合う」と。君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門に、この〔思い〕が有りました。「わたしに、まさに、このように、善き評価の声が上がっている。『マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、じかに、梵〔天〕を見る。マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、じかに、梵〔天〕と、論じ合い、談じ合い、話し合う』と。また、まさに、わたしは、梵〔天〕を見ない。梵〔天〕と論じ合うこともなく、梵〔天〕と談じ合うこともなく、梵〔天〕と話し合うこともない。また、まさに、このことを、わたしは聞いた。年長となり、老練にして、師匠のなかの大師匠たる婆羅門たちが語っているところとして、『彼が、雨期の四月のあいだ静坐し、慈悲の瞑想を瞑想するなら、彼は、梵〔天〕を見る。梵〔天〕と論じ合い、梵〔天〕と談じ合い、梵〔天〕と話し合う』と。それなら、さあ、わたしは、雨期の四月のあいだ静坐し、慈悲の瞑想を瞑想するのだ」と。

君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、レーヌ王のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、レーヌ王に、こう言いました。「君よ、わたしに、まさに、このように、善き評価の声が上がっています。『マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、じかに、梵〔天〕を見る。マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、じかに、梵〔天〕と、論じ合い、談じ合い、話し合う』と。君よ、また、まさに、わたしは、梵〔天〕を見ません。梵〔天〕と論じ合うこともなく、梵〔天〕と談じ合うこともなく、梵〔天〕と話し合うこともありません。また、まさに、このことを、わたしは聞きました。年長となり、老練にして、師匠のなかの大師匠たる婆羅門たちが語っているところとして、『彼が、雨期の四月のあいだ静坐し、慈悲の瞑想を瞑想するなら、彼は、梵〔天〕を見る。梵〔天〕と論じ合い、梵〔天〕と談じ合い、梵〔天〕と話し合う』と。君よ、わたしは求めます──雨期の四月のあいだ静坐し、慈悲の瞑想を瞑想することを。〔わたしは〕存します──食事を運ぶ一者より他に、誰であれ、近づくことなき者として」と。「今が、そのための時と、貴君ゴーヴィンダが思うのなら〔思いのままに〕」と。

君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、それらの六者の士族たちのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、それらの六者の士族たちに、こう言いました。「君よ、わたしに、まさに、このように、善き評価の声が上がっています。『マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、じかに、梵〔天〕を見る。マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、じかに、梵〔天〕と、論じ合い、談じ合い、話し合う』と。君よ、また、まさに、わたしは、梵〔天〕を見ません。梵〔天〕と論じ合うこともなく、梵〔天〕と談じ合うこともなく、梵〔天〕と話し合うこともありません。また、まさに、このことを、わたしは聞きました。年長となり、老練にして、師匠のなかの大師匠たる婆羅門たちが語っているところとして、『彼が、雨期の四月のあいだ静坐し、慈悲の瞑想を瞑想するなら、彼は、梵〔天〕を見る。梵〔天〕と論じ合い、梵〔天〕と談じ合い、梵〔天〕と話し合う』と。君よ、わたしは求めます──雨期の四月のあいだ静坐し、慈悲の瞑想を瞑想することを。〔わたしは〕存します──食事を運ぶ一者より他に、誰であれ、近づくことなき者として」と。「今が、そのための時と、貴君ゴーヴィンダが思うのなら〔思いのままに〕」と。

君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、それらの、そして、七者の婆羅門の大家たちのいるところに、さらに、七百の沐浴師たちのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、そして、七者の婆羅門の大家たちに、さらに、七百の沐浴師たちに、こう言いました。「君よ、わたしに、まさに、このように、善き評価の声が上がっています。『マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、じかに、梵〔天〕を見る。マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、じかに、梵〔天〕と、論じ合い、談じ合い、話し合う』と。君よ、また、まさに、わたしは、梵〔天〕を見ません。梵〔天〕と論じ合うこともなく、梵〔天〕と談じ合うこともなく、梵〔天〕と話し合うこともありません。また、まさに、このことを、わたしは聞きました。年長となり、老練にして、師匠のなかの大師匠たる婆羅門たちが語っているところとして、『彼が、雨期の四月のあいだ静坐し、慈悲の瞑想を瞑想するなら、彼は、梵〔天〕を見る。梵〔天〕と論じ合い、梵〔天〕と談じ合い、梵〔天〕と話し合う』と。君よ、わたしは求めます──雨期の四月のあいだ静坐し、慈悲の瞑想を瞑想することを。〔わたしは〕存します──食事を運ぶ一者より他に、誰であれ、近づくことなき者として」と。「今が、そのための時と、貴君ゴーヴィンダが思うのなら〔思いのままに〕」と。

君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、同等の者たちである四十者の妻たちのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、それらの同等の者たちである四十者の妻たちに、こう言いました。「尊女よ、わたしに、まさに、このように、善き評価の声が上がっています。『マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、じかに、梵〔天〕を見る。マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、じかに、梵〔天〕と、論じ合い、談じ合い、話し合う』と。尊女よ、また、まさに、わたしは、梵〔天〕を見ません。梵〔天〕と論じ合うこともなく、梵〔天〕と談じ合うこともなく、梵〔天〕と話し合うこともありません。また、まさに、このことを、わたしは聞きました。年長となり、老練にして、師匠のなかの大師匠たる婆羅門たちが語っているところとして、『彼が、雨期の四月のあいだ静坐し、慈悲の瞑想を瞑想するなら、彼は、梵〔天〕を見る。梵〔天〕と論じ合い、梵〔天〕と談じ合い、梵〔天〕と話し合う』と。尊女よ、わたしは求めます──雨期の四月のあいだ静坐し、慈悲の瞑想を瞑想することを。〔わたしは〕存します──食事を運ぶ一者より他に、誰であれ、近づくことなき者として」と。「今が、そのための時と、貴君ゴーヴィンダが思うのなら〔思いのままに〕」と。

君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、城市の東に、新しい公会堂を造作させて、雨期の四月のあいだ静坐し、慈悲の瞑想を瞑想しました。まさに、ここに、食事を運ぶ一者より他に、誰であれ、近づいて行きません。君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門に、四月が経過して、まさしく、焦慮が有り、思い悩みが有りました。「また、まさに、このことを、わたしは聞いた。年長となり、老練にして、師匠のなかの大師匠たる婆羅門たちが語っているところとして、『彼が、雨期の四月のあいだ静坐し、慈悲の瞑想を瞑想するなら、彼は、梵〔天〕を見る。梵〔天〕と論じ合い、梵〔天〕と談じ合い、梵〔天〕と話し合う』と。また、まさに、わたしは、梵〔天〕を見ない。梵〔天〕と論じ合うこともなく、梵〔天〕と談じ合うこともなく、梵〔天〕と話し合うこともない」と。

梵天との論議

君よ、そこで、まさに、梵〔天〕のサナンクマーラは、〔自らの〕心をとおして、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門の心の思索を了知して、それは、たとえば、また、まさに、力ある人が、あるいは、曲げた腕を伸ばすかのように、あるいは、伸ばした腕を曲げるかのように、まさしく、このように、梵の世において消没し、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門の面前に出現しました。君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門に、まさしく、恐怖が有り、驚愕が有り、身の毛のよだちが有りました。すなわち、そのように、過去に見たことがない形態を見て。君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、恐怖し、畏怖する者となり、身の毛のよだちを生じ、梵〔天〕のサナンクマーラに、詩偈をもって語りかけました。

〔そこで、詩偈に言う〕「色艶ある方であり、福徳ある方であり、吉祥ある方です。敬愛なる方よ、あなたは、いったい、どのような方として存しているのですか。知らずにいる者たちとして、あなたに尋ねます。どのように、わたしどもは、あなたのことを知るべきですか」と。

「わたしのことを、まさに、永遠(サナンタナ)の童子(クマーラ)と、梵の世において、〔人々は〕知ります。天〔の神々〕たちの全てが、わたしのことを知っています。ゴーヴィンダよ、このように、知りたまえ」〔と〕。

「坐があり、水があり、足に塗る油があり、そして、甘美なる野菜があります──梵〔天〕のために。供物〔の評価〕について、貴君に尋ねます。供物〔の評価〕を為したまえ──わたしどものために、貴君は」〔と〕。

「あなたのために、〔わたしたちは〕供物を納受します。ゴーヴィンダよ、すなわち、あなたが語る、〔その供物を〕。所見の法(現世)の利益という義(目的)のために、さらに、未来の安楽のために、機会が作られた者として、〔あなたは〕尋ねなさい──それが何であれ、望み求めるものを」と。

君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門に、この〔思い〕が有りました。「まさに、〔わたしは〕存している──梵〔天〕のサナンクマーラによって、機会が作られた者として。いったい、まさに、何を、わたしは、梵〔天〕のサナンクマーラに尋ねるべきなのか──あるいは、所見の法(現世)の義(目的)を〔尋ねるべきなのか〕、あるいは、未来の〔義〕を〔尋ねるべきなのか〕」と。君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門に、この〔思い〕が有りました。「まさに、わたしは、諸々の所見の法(現世)の義(目的)に巧みな智ある者である。他者たちもまた、わたしに、所見の法(現世)の義(目的)を尋ねる。それなら、さあ、わたしは、梵〔天〕のサナンクマーラに、まさしく、未来の義(目的)を尋ねるのだ」と。君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、梵〔天〕のサナンクマーラに、詩偈をもって語りかけました。

〔そこで、詩偈に言う〕「梵〔天〕のサナンクマーラに、〔わたしは〕尋ねます──疑いある者として、疑いなき方に、諸々の他者の論について。どこにおいて立脚し、そして、何について学んでいるなら、死すべき者でありながら、不死なる梵の世に至り得るのですか」と。

「梵(婆羅門)よ、人間たち〔の世〕において、我執〔の思い〕を捨棄して、〔心が〕専一と成り、慈悲〔の思い〕を信念し、生臭なく、淫事から離れ、ここにおいて立脚し、そして、ここにおいて学んでいるなら、死すべき者でありながら、不死なる梵の世に至り得ます」と。

「『我執〔の思い〕を捨棄して』という、貴君の〔言葉を〕、わたしは、〔このように〕了知します。ここに、一部の者は、あるいは、少なき財物の範疇を捨棄して、あるいは、大いなる財物の範疇を捨棄して、あるいは、少なき親族の集団を捨棄して、あるいは、大いなる親族の集団を捨棄して、髪と髭を剃り落として、諸々の黄褐色の衣(袈裟)をまとって、家から家なきへと出家します。かくのごとく、『我執〔の思い〕を捨棄して』という、貴君の〔言葉を〕、わたしは、〔このように〕了知します。『〔心が〕専一と成り』という、貴君の〔言葉を〕、わたしは、〔このように〕了知します。ここに、一部の者は、遠離の臥坐所である、林地に、木の根元に、山に、渓谷に、山窟に、墓場に、林野の辺境に、野外に、藁積場に、親近します。かくのごとく、『〔心が〕専一と成り』という、貴君の〔言葉を〕、わたしは、〔このように〕了知します。『慈悲〔の思い〕に信念し』という、貴君の〔言葉を〕、わたしは、〔このように〕了知します。ここに、一部の者は、慈悲〔の思い〕を共具した心で、一つの方角を充満して、〔世に〕住みます。そのように、第二〔の方角〕を〔充満して、世に住みます〕。そのように、第三〔の方角〕を〔充満して、世に住みます〕。そのように、第四〔の方角〕を〔充満して、世に住みます〕。かくのごとく、上に、下に、横に、一切所に、一切において自己たることから、一切すべての世を、広大で莫大で無量にして怨念〔の思い〕なく憎悪〔の思い〕なく慈悲〔の思い〕を共具した心で充満して、〔世に〕住みます。かくのごとく、『慈悲〔の思い〕に信念し』という、貴君の〔言葉を〕、わたしは、〔このように〕了知します。しかしながら、生臭について語っている貴君の〔言葉を〕、まさに、わたしは、〔いまだ〕了知しません」〔と〕。

〔そこで、詩偈に言う〕「梵(梵天)よ、人間たち〔の世〕において、誰が、生臭の者たちなのですか。これらの者たちのことを、〔わたしは〕知りません。慧者たる方よ、ここに、説いてください。〔教示を〕為したまえ──人々は、何によって覆われ、〔悪しき臭いを〕放つのですか。悪所にある者たちとなり、梵の世が覆われているのですか」と。

「忿激、虚偽を説くこと、そして、欺き、裏切り、吝嗇、高慢、嫉妬、欲求、物欲、さらに、他者を傷つけること、そして、貪欲()、かつまた、憤怒()、さらに、驕慢()、迷妄()──これらのうちに束縛された者たちは、生臭なきことなく、悪所にある者たちとなり、梵の世が覆われているのです」と。

「すなわち、生臭について語っている貴君の〔言葉を〕、まさに、わたしは、〔そのとおりに〕了知します。それらは、家に居住している者によるなら、削除し易きものならず。君よ、わたしは、家から家なきへと出家するでしょう」と。「今が、そのための時と、貴君ゴーヴィンダが思うのなら〔思いのままに〕」と。

レーヌ王への申し立て

君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、レーヌ王のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、レーヌ王に、こう言いました。「今や、貴君は、他の司祭を遍く探し求めたまえ。すなわち、貴君に、王権のことを教示するであろう、〔他の司祭を〕。君よ、わたしは、家から家なきへと出家することを求めます。また、まさに、すなわち、生臭について語っている梵〔天〕の〔言葉を〕、わたしが聞いたとおりに、それらは、家に居住している者によるなら、削除し易きものならず。君よ、わたしは、家から家なきへと出家するでしょう」と。

〔そこで、詩偈に言う〕「地上の長たるレーヌ王に、わたしは告げる。あなたは、王権によって覚知したまえ。司祭たることに、わたしは喜び楽しまない」〔と〕。

「それで、もし、あなたに、諸々の欲望に不足があるなら、わたしは、あなたのために遍く満たそう。すなわち、あなたを害する者がいるなら、わたしは、地上の軍団長として、〔彼を〕阻止しよう。あなたは、父である、わたしは、子である。ゴーヴィンダよ、わたしたちを捨棄してはならない」〔と〕。

「わたしに、諸々の欲望に不足は存在しない。わたしを害する者は見出されない。人間ならざる者の言葉を聞いて、それゆえに、家〔の生活〕に、わたしは喜び楽しまない」〔と〕。

「人間ならざる者は、どのような色艶ある者であり、あなたに、どのような義(道理)を語ったのか。さてまた、その〔言葉〕を聞いて、わたしたちを捨棄するとは──諸々の家〔の生活〕を、そして、わたしたちの全部を」〔と〕。

「過去において、〔斎戒に〕入ったわたしに──祭祀を欲する者として存しているわたしに──クサ〔草〕の葉が遍く敷かれた、燃え盛る祭火が存した。

そののち、わたしのもとに、梵の世から、梵〔天〕のサナンクマーラが出現した。彼は、わたしの問いを説き明かした。それを聞いて、家〔の生活〕に、〔わたしは〕喜び楽しまない」〔と〕。

「わたしは、貴君に信を置く。ゴーヴィンダよ、すなわち、あなたが語る、〔そのことを〕。人間ならざる者の言葉を聞いて、どうして、他なるものとして転起できよう。

あなたの、その〔言葉〕に、〔わたしたちは〕従い転じ行くであろう。ゴーヴィンダよ、貴君は、わたしたちの教師である。すなわち、汚濁なく、垢を離れ、浄美なる、瑠璃の宝珠のように、このように、信ある者たちとして、〔わたしたちは〕歩むであろう──ゴーヴィンダの教示において」と。

「それで、もし、貴君ゴーヴィンダが、家から家なきへと出家するなら、わたしたちもまた、家から家なきへと出家しましょう。そこで、すなわち、あなたの赴く所は、それは、わたしたちの赴く所と成るでしょう」と。

六者の士族たちへの申し立て

君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、それらの六者の士族たちのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、それらの六者の士族たちに、こう言いました。「今や、貴君たちは、他の司祭を遍く探し求めたまえ。すなわち、貴君たちに、王権について教示するであろう、〔他の司祭を〕。君よ、わたしは、家から家なきへと出家することを求めます。また、まさに、すなわち、生臭について語っている梵〔天〕の〔言葉を〕、わたしが聞いたとおりに、それらは、家に居住している者によるなら、削除し易きものならず。君よ、わたしは、家から家なきへと出家するでしょう」と。君よ、そこで、まさに、それらの六者の士族たちは、一方に立ち去って、このように等しく思弁しました。「まさに、これらの婆羅門たちは、まさに、財を貪る者たちである。それなら、さあ、わたしたちは、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門〔の心変わり〕を、財によって試みるのだ」と。彼らは、近づいて行って、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門に、このように言いました。「君よ、まさに、これらの七つの王国において、沢山の所有物が等しく見出されます。それから、貴君は、すなわち、義(目的)としてあるかぎり、そのかぎりのものを持ち運ばれよ」と。「君よ、十分です。わたしにもまた、この沢山の所有物があります──まさしく、貴君たちに由縁するものとして。わたしは、その全てを捨棄して、家から家なきへと出家するでしょう。また、まさに、すなわち、生臭について語っている梵〔天〕の〔言葉を〕、わたしが聞いたとおりに、それらは、家に居住している者によるなら、削除し易きものならず。君よ、わたしは、家から家なきへと出家するでしょう」と。君よ、そこで、まさに、それらの六者の士族たちは、一方に立ち去って、このように等しく思弁しました。「まさに、これらの婆羅門たちは、まさに、婦女たちを貪る者たちである。それなら、さあ、わたしたちは、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門〔の心変わり〕を、婦女たちによって試みるのだ」と。彼らは、近づいて行って、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門に、このように言いました。「君よ、まさに、これらの七つの王国において、沢山の婦女たちが等しく見出されます。それから、貴君は、すなわち、義(目的)としてあるかぎり、そのかぎりのものを持ち運ばれよ」と。「君よ、十分です。わたしにもまた、これらの同等の者たちである四十者の妻たちがあります。わたしは、彼女たちの全てをもまた捨棄して、家から家なきへと出家するでしょう。また、まさに、すなわち、生臭について語っている梵〔天〕の〔言葉を〕、わたしが聞いたとおりに、それらは、家に居住している者によるなら、削除し易きものならず。君よ、わたしは、家から家なきへと出家するでしょう」と。

「それで、もし、貴君ゴーヴィンダが、家から家なきへと出家するなら、わたしたちもまた、家から家なきへと出家しましょう。そこで、すなわち、あなたの赴く所は、それは、わたしたちの赴く所と成るでしょう」と。

〔そこで、詩偈に言う〕「それで、もし、そこにおいて、〔迷える〕凡夫が執着している、諸々の欲望〔の対象〕を、〔あなたたちが〕捨棄するなら、勉励せよ、堅固なる者たちと成れ、忍耐の力によって〔心が〕定められた者たちと〔成れ〕。

この道は、真っすぐな道。この道は、無上なるもの。正しくある者たちによって守られた正なる法(教え)。梵の世への再生のためのもの」と。

「まさに、それでは、貴君ゴーヴィンダは、七年のあいだ待ちたまえ。七年が経過して、わたしたちもまた、家から家なきへと出家しましょう。そこで、すなわち、あなたの赴く所は、それは、わたしたちの赴く所と成るでしょう」と。

「君よ、まさに、七年は長過ぎます。わたしは、貴君たちを、七年のあいだ待つことはできません。君よ、また、まさに、いったい、誰が、諸々の生命のことを知るというのでしょう。赴くべきは、未来です。考量するべきは、覚るべきは、為すべきは、善なることです。歩むべきは、梵行です。生まれた者に、不死は存在しません。また、まさに、すなわち、生臭について語っている梵〔天〕の〔言葉を〕、わたしが聞いたとおりに、それらは、家に居住している者によるなら、削除し易きものならず。君よ、わたしは、家から家なきへと出家するでしょう」と。「まさに、それでは、貴君ゴーヴィンダは、六年のあいだ待ちたまえ。……略……五年のあいだ待ちたまえ。……四年のあいだ待ちたまえ。……三年のあいだ待ちたまえ。……二年のあいだ待ちたまえ。……一年のあいだ待ちたまえ。一年が経過して、わたしたちもまた、家から家なきへと出家しましょう。そこで、すなわち、あなたの赴く所は、それは、わたしたちの赴く所と成るでしょう」と。

「君よ、まさに、一年は長過ぎます。わたしは、貴君たちを、一年のあいだ待つことはできません。君よ、また、まさに、いったい、誰が、諸々の生命のことを知るというのでしょう。赴くべきは、未来です。考量するべきは、覚るべきは、為すべきは、善なることです。歩むべきは、梵行です。生まれた者に、不死は存在しません。また、まさに、すなわち、生臭について語っている梵〔天〕の〔言葉を〕、わたしが聞いたとおりに、それらは、家に居住している者によるなら、削除し易きものならず。君よ、わたしは、家から家なきへと出家するでしょう」と。「まさに、それでは、貴君ゴーヴィンダは、七月のあいだ待ちたまえ。七月が経過して、わたしたちもまた、家から家なきへと出家しましょう。そこで、すなわち、あなたの赴く所は、それは、わたしたちの赴く所と成るでしょう」と。

「君よ、まさに、七月は長過ぎます。わたしは、貴君たちを、七月のあいだ待つことはできません。君よ、また、まさに、いったい、誰が、諸々の生命のことを知るというのでしょう。赴くべきは、未来です。考量するべきは、覚るべきは、為すべきは、善なることです。歩むべきは、梵行です。生まれた者に、不死は存在しません。また、まさに、すなわち、生臭について語っている梵〔天〕の〔言葉を〕、わたしが聞いたとおりに、それらは、家に居住している者によるなら、削除し易きものならず。君よ、わたしは、家から家なきへと出家するでしょう」と。

「まさに、それでは、貴君ゴーヴィンダは、六月のあいだ待ちたまえ。……略……五月のあいだ待ちたまえ。……四月のあいだ待ちたまえ。……三月のあいだ待ちたまえ。……二月のあいだ待ちたまえ。……一月のあいだ待ちたまえ。……半月のあいだ待ちたまえ。半月が経過して、わたしたちもまた、家から家なきへと出家しましょう。そこで、すなわち、あなたの赴く所は、それは、わたしたちの赴く所と成るでしょう」と。

「君よ、まさに、半月は長過ぎます。わたしは、貴君たちを、半月のあいだ待つことはできません。君よ、また、まさに、いったい、誰が、諸々の生命のことを知るというのでしょう。赴くべきは、未来です。考量するべきは、覚るべきは、為すべきは、善なることです。歩むべきは、梵行です。生まれた者に、不死は存在しません。また、まさに、すなわち、生臭について語っている梵〔天〕の〔言葉を〕、わたしが聞いたとおりに、それらは、家に居住している者によるなら、削除し易きものならず。君よ、わたしは、家から家なきへと出家するでしょう」と。「まさに、それでは、貴君ゴーヴィンダは、七日のあいだ待ちたまえ。すなわち、わたしたちが、自らの子と妻たちに、王権によって教示するまでは。七日が経過して、わたしたちもまた、家から家なきへと出家しましょう。そこで、すなわち、あなたの赴く所は、それは、わたしたちの赴く所と成るでしょう」と。「君よ、まさに、七日は長くありません。わたしは、貴君たちを、七日のあいだ待ちましょう」と。

婆羅門の大家等々への申し立て

君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、それらの、そして、七者の婆羅門の大家たちのいるところに、さらに、七百の沐浴師たちのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、それらの、そして、七者の婆羅門の大家たちに、さらに、七百の沐浴師たちに、こう言いました。「今や、貴君たちは、他の師匠を遍く探し求めたまえ。すなわち、貴君たちに、諸々の呪文を教授するであろう、〔他の師匠を〕。君よ、わたしは、家から家なきへと出家することを求めます。また、まさに、すなわち、生臭について語っている梵〔天〕の〔言葉を〕、わたしが聞いたとおりに、それらは、家に居住している者によるなら、削除し易きものならず。君よ、わたしは、家から家なきへと出家するでしょう」と。「貴君ゴーヴィンダは、家から家なきへと出家してはいけません。君よ、出家者たちは、かつまた、権能少なき者たちであり、かつまた、利得少なき者たちです。婆羅門たることは、かつまた、大いなる権能があり、かつまた、大いなる利得があります」と。「貴君たちは、このように言ってはいけません。『君よ、出家者たちは、かつまた、権能少なき者たちであり、かつまた、利得少なき者たちです。婆羅門たることは、かつまた、大いなる権能があり、かつまた、大いなる利得があります』と。君よ、いったい、まさに、誰か、わたしより他に、あるいは、より大いなる権能ある者がいますか、あるいは、より大いなる利得ある者がいますか。君よ、まさに、わたしは、今現在、王たちにとっての王のようにあり、婆羅門たちにとっての梵〔天〕のようにあり、家長たちにとっての天神のようにあります。わたしは、その全てを捨棄して、家から家なきへと出家するでしょう。また、まさに、すなわち、生臭について語っている梵〔天〕の〔言葉を〕、わたしが聞いたとおりに、それらは、家に居住している者によるなら、削除し易きものならず。君よ、わたしは、家から家なきへと出家するでしょう」と。「それで、もし、貴君ゴーヴィンダが、家から家なきへと出家するなら、わたしたちもまた、家から家なきへと出家しましょう。そこで、すなわち、あなたの赴く所は、それは、わたしたちの赴く所と成るでしょう」と。

妻たちへの申し立て

君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、同等の者たちである四十者の妻たちのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、同等の者たちである四十者の妻たちに、こう言いました。「尊女たちのなかで、すなわち、求める者は、あるいは、自らの親族の家々に赴きなさい、あるいは、他の夫を遍く探し求めなさい。尊女よ、わたしは、家から家なきへと出家することを求めます。また、まさに、すなわち、生臭について語っている梵〔天〕の〔言葉を〕、わたしが聞いたとおりに、それらは、家に居住している者によるなら、削除し易きものならず。尊女よ、わたしは、家から家なきへと出家するでしょう」と。「あなたこそは、わたしたちにとって、親族たちのなかの親族です。また、あなたは、夫たちのなかの夫です。それで、もし、貴君ゴーヴィンダが、家から家なきへと出家するなら、わたしたちもまた、家から家なきへと出家しましょう。そこで、すなわち、あなたの赴く所は、それは、わたしたちの赴く所と成るでしょう」と。

マハー・ゴーヴィンダの出家

君よ、そこで、まさに、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、その七日が経過して、髪と髭を剃り落として、諸々の黄褐色の衣をまとって、家から家なきへと出家しました。また、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門が出家したところ、かつまた、七者の即位灌頂した王たる士族たちが、そして、七者の婆羅門の大家たちが、さらに、七百の沐浴師たちが、かつまた、同等の者たちである四十者の妻たちが、さらに、幾千の士族たちが、さらに、幾千の婆羅門たちが、さらに、幾千の家長たちが、そして、宮女たちから、幾千の婦女たちが、髪と髭を剃り落として、諸々の黄褐色の衣をまとって、家から家なきへと、出家したマハー・ゴーヴィンダ婆羅門に従い出家しました。君よ、まさに、その衆に取り囲まれ、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、諸々の村や町や地方や王都において、遊行〔の旅〕を歩みます。君よ、また、まさに、すなわち、その時点において、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門が、あるいは、村へと、あるいは、町へと、近づいて行くなら、そこにおいて、王たちにとっての王のように、婆羅門たちにとっての梵〔天〕のように、家長たちにとっての天神のように、〔彼は〕有ります。また、まさに、その時点において、人間たちが、あるいは、くしゃみをするなら、あるいは、躓くなら、彼らは、このように言いました。「マハー・ゴーヴィンダ婆羅門に、礼拝が存せ。七者の司祭に、礼拝が存せ」と。

君よ、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門は、慈愛〔の思い〕を共具した心で、一つの方角を充満して、〔世に〕住みました。そのように、第二〔の方角〕を〔充満して、世に住みました〕。そのように、第三〔の方角〕を〔充満して、世に住みました〕。そのように、第四〔の方角〕を〔充満して、世に住みました〕。かくのごとく、上に、下に、横に、一切所に、一切において自己たることから、一切すべての世を、広大で莫大で無量にして怨念〔の思い〕なく憎悪〔の思い〕なく慈愛〔の思い〕を共具した心で充満して、〔世に〕住みました。慈悲〔の思い〕を共具した心で……略……。歓喜〔の思い〕を共具した心で……略……。放捨〔の思い〕を共具した心で……略……憎悪〔の思い〕なく放捨〔の思い〕を共具した心で充満して、〔世に〕住みました。そして、弟子たちに、梵の世における共住のための道を説示しました。

君よ、また、まさに、その時点において、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門の弟子たちで、すなわち、一切によって一切にわたり、教えを了知した、それらの者たちは、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、梵の世に、再生しました。すなわち、一切によって一切にわたり、教えを了知しなかった、それらの者たちは、身体の破壊ののち、死後において、一部の者たちはまた、他化自在天〔の神々〕たちの同類として再生し、一部の者たちはまた、化楽天〔の神々〕たちの同類として再生し、一部の者たちはまた、兜率天〔の神々〕たちの同類として再生し、一部の者たちはまた、耶摩天〔の神々〕たちの同類として再生し、一部の者たちはまた、三十三天〔の神々〕たちの同類として再生し、一部の者たちはまた、四大王天〔の神々〕たちの同類として再生しました。すなわち、全てに劣る身体を円満成就させる、それらの者たちは、音楽神の身体を円満成就させました。君よ、かくのごとく、まさに、かくのごとく、まさに、これらの良家の子息たちの出家は、まさしく、全ての者たちの〔出家が〕、無駄ならざるもの成り、徒労なきものと〔成り〕、果を有するものと〔成り〕、生成を有するものと〔成りました〕』と。

世尊は、それを記憶しますか」と。「パンチャシカよ、わたしは記憶します。その時点において、わたしは、マハー・ゴーヴィンダ婆羅門として〔世に〕有りました。わたしは、それらの弟子たちに、梵の世における共住のための道を説示しました。パンチャシカよ、また、まさに、わたしの、その梵行は、厭離のためではなく、離貪のためではなく、止滅のためではなく、寂止のためではなく、証知のためではなく、正覚のためではなく、涅槃のためではなく、梵の世への再生のために、まさしく、そのかぎりにおいて、等しく転起します。

パンチャシカよ、また、まさに、わたしの、この梵行は、一方的に、厭離のために、離貪のために、止滅のために、寂止のために、証知のために、正覚のために、涅槃のために、等しく転起します。パンチャシカよ、では、どのようなものが、その梵行であり、一方的に、厭離のために、離貪のために、止滅のために、寂止のために、証知のために、正覚のために、涅槃のために、等しく転起するのですか。まさしく、この、聖なる八つの支分ある道です。それは、すなわち、この、正しい見解であり、正しい思惟であり、正しい言葉であり、正しい行業であり、正しい生き方であり、正しい努力であり、正しい気づきであり、正しい禅定です。アーナンダよ、ここに、まさに、その梵行は、一方的に、厭離のために、離貪のために、止滅のために、寂止のために、証知のために、正覚のために、涅槃のために、等しく転起します。

パンチャシカよ、また、まさに、わたしの弟子たちで、すなわち、一切によって一切にわたり、教えを了知する、それらの者たちは、諸々の煩悩の滅尽あることから、煩悩なきものとして、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住みます。すなわち、一切によって一切にわたり、教えを了知しない、それらの者たちは、五つの下なる域に束縛するものの完全なる滅尽あることから、化生の者と成り、そこにおいて、完全なる涅槃に到達する者と〔成り〕、その世から戻り来る法(性質)なき者と〔成ります〕。すなわち、一切によって一切にわたり、教えを了知しない、一部の者たちはまた、三つの束縛するものの完全なる滅尽あることから、貪欲と憤怒と迷妄の希薄なることから、一来たる者と成り、一度だけ、この世に帰り来て、苦しみの終極を為します。すなわち、一切によって一切にわたり、教えを了知しない、一部の者たちはまた、三つの束縛するものの完全なる滅尽あることから、預流たる者と成り、堕所の法(性質)なき者と〔成り〕、決定の者と〔成り〕、正覚を行き着く所とする者と〔成ります〕。パンチャシカよ、かくのごとく、まさに、これらの良家の子息たちの出家は、まさしく、全ての者たちの〔出家が〕、無駄ならざるものであり、徒労なきものであり、果を有するものであり、生成を有するものです」と。

世尊は、この〔言葉〕を言いました。わが意を得た音楽神の子であるパンチャシカは、世尊の語ったことを大いに喜んで、随喜して、世尊を敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、まさしく、その場において、消没した、ということです。

マハー・ゴーヴィンダの経は終了となり、〔以上が〕第六となる。

注釈【2】