このように、わたしは聞きました。或る時のことです。尊者クマーラ・カッサパは、コーサラ〔国〕において、大いなる比丘の僧団である、五百ばかりの比丘たちと共に、遊行〔の旅〕を歩みながら、セータブヤーという名のコーサラ〔国〕の城市のあるところに、そこへと至り着きました。そこで、まさに、尊者クマーラ・カッサパは、セータブヤーに住んでいます。セータブヤーの北にあるシンサパー林において。また、まさに、その時点にあって、王族のパーヤーシが、セータブヤーに居住しています。有情たちで隆盛し、草と薪と水を有し、穀物を有する、王領地に──コーサラ〔国〕のパセーナディ王によって施された、王施にして梵施たる〔王領地〕に。
王族のパーヤーシの事
また、まさに、その時点にあって、王族のパーヤーシに、このような形態の、悪しきものである悪しき見解が生起するところと成ります。「かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない」と。まさに、セータブヤー〔の住者〕たる婆羅門や家長たちは、「君よ、まさに、沙門ゴータマの弟子である沙門クマーラ・カッサパが、コーサラ〔国〕において、大いなる比丘の僧団である、五百ばかりの比丘たちと共に、遊行〔の旅〕を歩みながら、セータブヤーに到着し、セータブヤーに住んでいる。セータブヤーの北にあるシンサパー林において。また、まさに、彼に、貴君クマーラ・カッサパに、このように、善き評価の声が上がっている。『賢者であり、明敏なる者であり、思慮ある者であり、多聞の者であり、様々な言説ある者であり、善き弁才ある者である。まさしく、そして、年長の者であり、さらに、阿羅漢である』〔と〕。また、まさに、善きかな、そのような形態の阿羅漢たちとの会見が有るのは」と耳にしました。そこで、まさに、セータブヤー〔の住者〕たる婆羅門や家長たちは、セータブヤーから出立して、集団となっては集団となり、群れの状態で、北に向かい、シンサパー林のあるところに赴きます。
また、まさに、その時点にあって、王族のパーヤーシは、高楼の上にあり、昼の休憩に入った状態でいます。まさに、王族のパーヤーシは、セータブヤー〔の住者〕たる婆羅門や家長たちが、セータブヤーから出立して、集団となっては集団となり、群れの状態で、北に向かい、シンサパー林のあるところに赴きつつあるのを見ました。見て、侍従に告げました。「君よ、侍従よ、いったい、まさに、どうして、セータブヤー〔の住者〕たる婆羅門や家長たちは、セータブヤーから出立して、集団となっては集団となり、群れの状態で、北に向かい、シンサパー林のあるところに赴くのだ」と。
「君よ、まさに、沙門ゴータマの弟子である沙門クマーラ・カッサパが存在します。コーサラ〔国〕において、大いなる比丘の僧団である、五百ばかりの比丘たちと共に、遊行〔の旅〕を歩みながら、セータブヤーに到着し、セータブヤーに住んでいます。セータブヤーの北にあるシンサパー林において。また、まさに、彼に、貴君クマーラ・カッサパに、このように、善き評価の声が上がっています。『賢者であり、明敏なる者であり、思慮ある者であり、多聞の者であり、様々な言説ある者であり、善き弁才ある者である。まさしく、そして、年長の者であり、さらに、阿羅漢である』と。これらの者たちは、彼と、貴君クマーラ・カッサパと、会見するために近づいて行きます」と。「君よ、侍従よ、まさに、それでは、セータブヤー〔の住者〕たる婆羅門や家長たちのいるところに、そこへと近づいて行きなさい。近づいて行って、チャンパー〔の住者〕たる婆羅門や家長たちに、このように説きなさい。『君よ、王族のパーヤーシは、このように言っています。「まさに、貴君たちは、待ちたまえ。王族のパーヤーシもまた、沙門クマーラ・カッサパと会見するために近づいて行くでしょう」』と。沙門クマーラ・カッサパが、愚者にして明敏ならざる者たちである、セータブヤー〔の住者〕たる婆羅門や家長たちに、『かくのごとくもまた、他の世は存在する。化生の有情たちは存在する。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在する』と説得する、前にだ。君よ、侍従よ、なぜなら、他の世は存在せず、化生の有情たちは存在せず、諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しないからだ」と。「君よ、わかりました」と、まさに、その侍従は、王族のパーヤーシに答えて、セータブヤー〔の住者〕たる婆羅門や家長たちのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、セータブヤー〔の住者〕たる婆羅門や家長たちに、こう言いました。「君よ、王族のパーヤーシは、このように言っています。『まさに、貴君たちは、待ちたまえ。王族のパーヤーシもまた、沙門クマーラ・カッサパと会見するために近づいて行くでしょう』」と。
そこで、まさに、王族のパーヤーシは、セータブヤー〔の住者〕たる婆羅門や家長たちに取り囲まれ、シンサパー林のあるところに、尊者クマーラ・カッサパのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、尊者クマーラ・カッサパを相手に共に挨拶しました。共に挨拶し記憶されるべき話を交わして、一方に坐りました。まさに、セータブヤー〔の住者〕たる婆羅門や家長たちもまた、一部の者たちはまた、尊者クマーラ・カッサパを敬拝して、一方に坐りました。一部の者たちはまた、尊者クマーラ・カッサパを相手に共に挨拶しました。共に挨拶し記憶されるべき話を交わして、一方に坐りました。一部の者たちはまた、尊者クマーラ・カッサパのいるところに、そこへと合掌を手向けて、一方に坐りました。一部の者たちはまた、名と姓を告げ聞かせて、一方に坐りました。一部の者たちはまた、沈黙の状態で、一方に坐りました。
非存の論
一方に坐った、まさに、王族のパーヤーシは、尊者クマーラ・カッサパに、こう言いました。「貴君カッサパよ、まさに、わたしは、このような論ある者であり、このような見解ある者です。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。「王族よ、わたしは、このような論を、このような見解を、あるいは、見たことも、あるいは、聞いたことも、ありません。まさに、どうして、まさに、このように説くのですか。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』と。
月と日の喩え
王族よ、まさに、それでは、まさしく、あなたに、ここにおいて問い返しましょう。すなわち、あなたのよろしいように、そのとおりに、それを説き明かしてください。王族よ、それを、どう思いますか。これらの月と日は、あるいは、この世においてありますか、あるいは、他の〔世〕においてありますか。彼らは、あるいは、天〔の神々〕たちですか、あるいは、人間たちですか」と。「貴君カッサパよ、これらの月と日は、他の世においてあります──この〔世〕ではなく。彼らは、天〔の神々〕たちです──人間たちではなく」と。「王族よ、この教相によってもまた、まさに、あなたに、このような〔思いが〕有れ。『かくのごとくもまた、他の世は存在する。化生の有情たちは存在する。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在する』」と。
「たとえ、何であれ、貴君カッサパが、このように言うとして、そこで、まさに、ここにおいて、わたしに、このような〔思いが〕有ります。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。「王族よ、また、教相は存在しますか。その教相によって、あなたに、このような〔思いが〕有るとして。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。「貴君カッサパよ、教相は存在します。その教相によって、わたしに、このような〔思いが〕有るのです。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。「王族よ、すなわち、どのように、そのごとく」と。「貴君カッサパよ、ここに、わたしの、朋友や僚友たちが、親族や血縁たちが、命あるものを殺す者たちであり、与えられていないものを取る者たちであり、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないある者たちであり、虚偽を説く者たちであり、中傷の言葉ある者たちであり、粗暴な言葉ある者たちであり、雑駁な虚論ある者たちであり、強欲〔の思い〕ある者たちであり、憎悪している心の者たちであり、誤った見解ある者たちであり、他時にあって、彼らが、病苦の者となり、苦しみの者となり、激しい病の者となり、〔世に〕有ります。すなわち、わたしが、『今や、これらの者たちは、この病苦から出起することはないであろう』と知るとき、わたしは、近づいて行って、彼らに、このように説きます。『君よ、まさに、このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「すなわち、それらの者たちが、命あるものを殺す者たちであるなら、与えられていないものを取る者たちであるなら、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないある者たちであるなら、虚偽を説く者たちであるなら、中傷の言葉ある者たちであるなら、粗暴な言葉ある者たちであるなら、雑駁な虚論ある者たちであるなら、強欲〔の思い〕ある者たちであるなら、憎悪している心の者たちであるなら、誤った見解ある者たちであるなら、彼らは、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生する」と。貴君たちは、まさに、命あるものを殺す者たちであり、与えられていないものを取る者たちであり、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないある者たちであり、虚偽を説く者たちであり、中傷の言葉ある者たちであり、粗暴な言葉ある者たちであり、雑駁な虚論ある者たちであり、強欲〔の思い〕ある者たちであり、憎悪している心の者たちであり、誤った見解ある者たちです。それで、もし、それらの尊き沙門や婆羅門たちの言葉が真理であるなら、貴君たちは、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生するでしょう。君よ、それで、もし、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生するなら、わたしのいるところに戻って告げるのです。「かくのごとくもまた、他の世は存在する。化生の有情たちは存在する。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在する」と。また、まさに、貴君たちは、わたしにとって、信を置ける頼りになる者たちです。すなわち、貴君たちが見たものは、そのように、自ら見たものとして、このように、このことは有るでしょう』と。彼らは、わたしに、『善きかな』と答えて〔そののち〕、まさしく、戻って告げることもなく、また、使者を送り届けることもありません。貴君カッサパよ、これがまた、まさに、教相となります。その教相によって、わたしに、このような〔思いが〕有るのです。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。
盗賊の喩え
「王族よ、まさに、それでは、まさしく、あなたに、ここにおいて問い返しましょう。すなわち、あなたのよろしいように、そのとおりに、それを説き明かしてください。王族よ、それを、どう思いますか。ここに、家来たちが、盗賊の犯罪者を捕捉して、あなたに見せるとします。『尊き方よ、あなたにとって、この者は、盗賊であり、犯罪者です。すなわち、それを、〔あなたが〕求めるなら、この者に、棒(刑罰)を課したまえ』と。彼らに、あなたは、このように説きます。『君よ、まさに、それでは、この男を、堅固な縄で後ろ手にきつく結縛を結び縛って、刈り上げ頭に為して、銅鼓の騒音とともに、道から道へ、十字路から十字路へと遍く導いて、南の門をとおり、城市の南から出て、刑場において、頭を断ち切りなさい』と。彼らは、『善きかな』と答えて、その男を、堅固な縄で後ろ手にきつく結縛を結び縛って、刈り上げ頭に為して、銅鼓の騒音とともに、道から道へ、十字路から十字路へと遍く導いて、南の門をとおり、城市の南から出て、刑場において坐らせます。いったい、まさに、その盗賊は、刑罰執行者たちにたいし、『尊き刑罰執行者たちよ、わたしの、朋友や僚友たちが、親族や血縁たちが、何某の、あるいは、村に、あるいは、町にいます。すなわち、わたしが、彼らに指図して戻ってくるまで、それまでのあいだ、お待ちください』と、〔承諾を〕得るでしょうか、それとも、刑罰執行者たちは、まさしく、語り散らしている者の頭を断ち切るでしょうか」と。「貴君カッサパよ、まさに、その盗賊は、刑罰執行者たちにたいし、『尊き刑罰執行者たちよ、わたしの、朋友や僚友たちが、親族や血縁たちが、何某の、あるいは、村に、あるいは、町にいます。すなわち、わたしが、彼らに指図して戻ってくるまで、それまでのあいだ、お待ちください』と、〔承諾を〕得ることはないでしょう。そこで、まさに、刑罰執行者たちは、語り散らしている者の、その頭を断ち切るでしょう」と。「王族よ、まさに、その盗賊は、まさに、人間として、人間たち〔の世〕において、刑罰執行者たちにたいし、『尊き刑罰執行者たちよ、わたしの、朋友や僚友たちが、親族や血縁たちが、何某の、あるいは、村に、あるいは、町にいます。すなわち、わたしが、彼らに指図して戻ってくるまで、それまでのあいだ、お待ちください』と、〔承諾を〕得ることはないでしょう。また、どうして、あなたの、朋友や僚友たちが、親族や血縁たちが、命あるものを殺す者たちであり、与えられていないものを取る者たちであり、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないある者たちであり、虚偽を説く者たちであり、中傷の言葉ある者たちであり、粗暴な言葉ある者たちであり、雑駁な虚論ある者たちであり、強欲〔の思い〕ある者たちであり、憎悪している心の者たちであり、誤った見解ある者たちであり、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生したとして、地獄の番人たちにたいし、『尊き地獄の番人たちよ、すなわち、わたしたちが、王族のパーヤーシのもとに赴いて、「かくのごとくもまた、他の世は存在する。化生の有情たちは存在する。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在する」と告げるまで、それまでのあいだ、お待ちください』と、〔承諾を〕得るというのでしょう。王族よ、この教相によってもまた、まさに、あなたに、このような〔思いが〕有れ。『かくのごとくもまた、他の世は存在する。化生の有情たちは存在する。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在する』」と。
「たとえ、何であれ、貴君カッサパが、このように言うとして、そこで、まさに、ここにおいて、わたしに、このような〔思いが〕有ります。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。「王族よ、また、教相は存在しますか。その教相によって、あなたに、このような〔思いが〕有るとして。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。「貴君カッサパよ、教相は存在します。その教相によって、わたしに、このような〔思いが〕有るのです。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。「王族よ、すなわち、どのように、そのごとく」と。「貴君カッサパよ、ここに、わたしの、朋友や僚友たちが、親族や血縁たちが、命あるものを殺すことから離間した者たちであり、与えられていないものを取ることから離間した者たちであり、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないから離間した者たちであり、虚偽を説くことから離間した者たちであり、中傷の言葉から離間した者たちであり、粗暴な言葉から離間した者たちであり、雑駁な虚論から離間した者たちであり、強欲〔の思い〕なき者たちであり、憎悪していない心の者たちであり、正しい見解ある者たちであり、他時にあって、彼らが、病苦の者となり、苦しみの者となり、激しい病の者となり、〔世に〕有ります。すなわち、わたしが、『今や、これらの者たちは、この病苦から出起することはないであろう』と知るとき、わたしは、近づいて行って、彼らに、このように説きます。『君よ、まさに、このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「すなわち、それらの者たちが、命あるものを殺すことから離間した者たちであるなら、与えられていないものを取ることから離間した者たちであるなら、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないから離間した者たちであるなら、虚偽を説くことから離間した者たちであるなら、中傷の言葉から離間した者たちであるなら、粗暴な言葉から離間した者たちであるなら、雑駁な虚論から離間した者たちであるなら、強欲〔の思い〕なき者たちであるなら、憎悪していない心の者たちであるなら、正しい見解ある者たちであるなら、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生する」と。貴君たちは、まさに、命あるものを殺すことから離間した者たちであり、与えられていないものを取ることから離間した者たちであり、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないから離間した者たちであり、虚偽を説くことから離間した者たちであり、中傷の言葉から離間した者たちであり、粗暴な言葉から離間した者たちであり、雑駁な虚論から離間した者たちであり、強欲〔の思い〕なき者たちであり、憎悪していない心の者たちであり、正しい見解ある者たちです。それで、もし、それらの尊き沙門や婆羅門たちの言葉が真理であるなら、貴君たちは、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生するでしょう。君よ、それで、もし、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生するなら、わたしのいるところに戻って告げるのです。「かくのごとくもまた、他の世は存在する。化生の有情たちは存在する。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在する」と。また、まさに、貴君たちは、わたしにとって、信を置ける頼りになる者たちです。すなわち、貴君たちが見たものは、そのように、自ら見たものとして、このように、このことは有るでしょう』と。彼らは、わたしに、『善きかな』と答えて〔そののち〕、まさしく、戻って告げることもなく、また、使者を送り届けることもありません。貴君カッサパよ、これがまた、まさに、教相となります。その教相によって、わたしに、このような〔思いが〕有るのです。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。
糞坑の人の喩え
「王族よ、まさに、それでは、あなたのために、喩えを為しましょう。喩えによって、ここに、一部の識者たる人たちは、語られたことの義(意味)を了知します。王族よ、それは、たとえば、また、糞坑のなかに頭に至るまで潜っている人が存するとします。そこで、あなたは、家来たちに命じます。『君よ、まさに、それでは、その男を、その糞坑から引き上げよ』と。彼らは、『善きかな』と答えて、その男を、その糞坑から引き上げます。彼らに、あなたは、このように説きます。『君よ、まさに、それでは、その男の身体から、諸々の竹の箆で、糞を、善く拭い清めたうえにも拭い清めよ』と。彼らは、「善きかな」と答えて、その男の身体から、諸々の竹の箆で、糞を、善く拭い清めたうえにも拭い清めます。彼らに、あなたは、このように説きます。『君よ、まさに、それでは、その男の身体を、黄土で、三回、善く揉みほぐしたうえにも揉みほぐせ』と。彼らは、その男の身体を、黄土で、三回、善く揉みほぐしたうえにも揉みほぐします。彼らに、あなたは、このように説きます。『君よ、まさに、それでは、その男を、油で塗って、微細な塗粉で、三回、善く洗い清められたものと為せ』と。彼らは、その男を、油で塗って、微細な塗粉で、三回、善く洗い清められたものと為します。彼らに、あなたは、このように説きます。『君よ、まさに、それでは、その男の髪と髭を整えよ』と。彼らは、その男の髪と髭を整えます。彼らに、あなたは、このように説きます。『君よ、まさに、それでは、その男に、かつまた、高価な花飾を、かつまた、高価な塗料を、かつまた、諸々の高価な衣装を、提供せよ』と。彼らは、その男に、かつまた、高価な花飾を、かつまた、高価な塗料を、かつまた、諸々の高価な衣装を、提供します。彼らに、あなたは、このように説きます。『君よ、まさに、それでは、その男を、高楼に登らせて、五つの欲望の属性を現起させよ』と。彼らは、その男を、高楼に登らせて、五つの欲望の属性を現起させます。
王族よ、それを、どう思いますか。さて、いったい、その男に、善く沐浴し、善く塗油し、善く髪と髭を整え、花飾と装飾品を付け、白い衣をまとい、優美なる高楼の上に至り、五つの欲望の属性を供与され、保有する者たちと成り、〔それらを〕楽しんでいる者に、まさしく、ふたたび、その糞坑のなかに潜ることを欲することが存するでしょうか」と。「貴君カッサパよ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「それは、何を因とするのですか」〔と〕。「貴君カッサパよ、不浄の糞坑は、まさしく、そして、不浄のものであり、さらに、不浄のものと見なされ、まさしく、そして、忌避されるものであり、さらに、忌避されるものと見なされ、まさしく、そして、嫌悪のものであり、さらに、嫌悪のものと見なされるからです」と。「王族よ、まさしく、このように、まさに、人間たちは、天〔の神々〕たちにとって、不浄のものであり、さらに、不浄のものと見なされ、まさしく、そして、忌避されるものであり、さらに、忌避されるものと見なされ、まさしく、そして、嫌悪のものであり、さらに、嫌悪のものと見なされます。王族よ、百ヨージャナにわたり、まさに、人間の臭いは、天〔の神々〕たちを悩まします。また、どうして、あなたの、朋友や僚友たちが、親族や血縁たちが、命あるものを殺すことから離間した者たちであり、与えられていないものを取ることから離間した者たちであり、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないから離間した者たちであり、虚偽を説くことから離間した者たちであり、中傷の言葉から離間した者たちであり、粗暴な言葉から離間した者たちであり、雑駁な虚論から離間した者たちであり、強欲〔の思い〕なき者たちであり、憎悪していない心の者たちであり、正しい見解ある者たちであり、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生したとして、彼らが、戻って告げるというのでしょう。『かくのごとくもまた、他の世は存在する。化生の有情たちは存在する。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在する』と。王族よ、この教相によってもまた、まさに、あなたに、このような〔思いが〕有れ。『かくのごとくもまた、他の世は存在する。化生の有情たちは存在する。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在する』」と。
「たとえ、何であれ、貴君カッサパが、このように言うとして、そこで、まさに、ここにおいて、わたしに、このような〔思いが〕有ります。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。「王族よ、また、教相は存在しますか。……略……。「貴君カッサパよ、教相は存在します。……略……。「王族よ、すなわち、どのように、そのごとく」と。「貴君カッサパよ、ここに、わたしの、朋友や僚友たちが、親族や血縁たちが、命あるものを殺すことから離間した者たちであり、与えられていないものを取ることから離間した者たちであり、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないから離間した者たちであり、虚偽を説くことから離間した者たちであり、中傷の言葉から離間した者たちであり、粗暴な言葉から離間した者たちであり、雑駁な虚論から離間した者たちであり、強欲〔の思い〕なき者たちであり、憎悪していない心の者たちであり、正しい見解ある者たちであり、他時にあって、彼らが、病苦の者となり、苦しみの者となり、激しい病の者となり、〔世に〕有ります。すなわち、わたしが、『今や、これらの者たちは、この病苦から出起することはないであろう』と知るとき、わたしは、近づいて行って、彼らに、このように説きます。『君よ、まさに、このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「すなわち、それらの者たちが、命あるものを殺すことから離間した者たちであるなら、与えられていないものを取ることから離間した者たちであるなら、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないから離間した者たちであるなら、虚偽を説くことから離間した者たちであるなら、中傷の言葉から離間した者たちであるなら、粗暴な言葉から離間した者たちであるなら、雑駁な虚論から離間した者たちであるなら、強欲〔の思い〕なき者たちであるなら、憎悪していない心の者たちであるなら、正しい見解ある者たちであるなら、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、三十三天〔の神々〕たちの同類として再生する」と。貴君たちは、まさに、命あるものを殺すことから離間した者たちであり、与えられていないものを取ることから離間した者たちであり、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないから離間した者たちであり、虚偽を説くことから離間した者たちであり、中傷の言葉から離間した者たちであり、粗暴な言葉から離間した者たちであり、雑駁な虚論から離間した者たちであり、強欲〔の思い〕なき者たちであり、憎悪していない心の者たちであり、正しい見解ある者たちです。それで、もし、それらの尊き沙門や婆羅門たちの言葉が真理であるなら、貴君たちは、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、三十三天〔の神々〕たちの同類として再生するでしょう。君よ、それで、もし、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、三十三天〔の神々〕たちの同類として再生するなら、わたしのいるところに戻って告げるのです。「かくのごとくもまた、他の世は存在する。化生の有情たちは存在する。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在する」と。また、まさに、貴君たちは、わたしにとって、信を置ける頼りになる者たちです。すなわち、貴君たちが見たものは、そのように、自ら見たものとして、このように、このことは有るでしょう』と。彼らは、わたしに、『善きかな』と答えて〔そののち〕、まさしく、戻って告げることもなく、また、使者を送り届けることもありません。貴君カッサパよ、これがまた、まさに、教相となります。その教相によって、わたしに、このような〔思いが〕有るのです。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。
三十三天の喩え
「王族よ、まさに、それでは、まさしく、あなたに、ここにおいて問い返しましょう。すなわち、あなたのよろしいように、そのとおりに、それを説き明かしてください。王族よ、また、まさに、すなわち、人間の百年ですが、これは、三十三天〔の神々〕たちの一つの夜と昼となります。その夜をもとに三十夜で、ひと月となります。その月をもとに十二月で、まる一年となります。そのまる一年をもとに天の千年で、三十三天〔の神々〕たちの寿命の量となります。すなわち、あなたの、朋友や僚友たちが、親族や血縁たちが、命あるものを殺すことから離間した者たちであり、与えられていないものを取ることから離間した者たちであり、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないから離間した者たちであり、虚偽を説くことから離間した者たちであり、中傷の言葉から離間した者たちであり、粗暴な言葉から離間した者たちであり、雑駁な虚論から離間した者たちであり、強欲〔の思い〕なき者たちであり、憎悪していない心の者たちであり、正しい見解ある者たちであり、彼らが、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、三十三天〔の神々〕たちの同類として再生したとします。また、それで、もし、彼らに、このような〔思いが〕有るとします。『まずは、あるいは、二つの、あるいは、三つの、夜と昼のあいだ、わたしたちは、天の五つの欲望の属性を供与され、保有する者たちと成り、〔それらを〕楽しみ、そこで、わたしたちは、王族のパーヤーシのもとに赴いて告げるのだ。「かくのごとくもまた、他の世は存在する。化生の有情たちは存在する。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在する」』と。さて、いったい、彼らは、戻って告げるでしょうか。『かくのごとくもまた、他の世は存在する。化生の有情たちは存在する。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在する』」と。「貴君カッサパよ、まさに、このことは、さにあらず。貴君カッサパよ、なぜなら、もはや、わたしたちは、すでに命を終えた者たちとして長く有るからです。貴君カッサパよ、また、誰が、このことを、貴君カッサパに告げたのですか。あるいは、『三十三天〔の神々〕たちが存在する』と。あるいは、『このような長寿の者たちとして、三十三天〔の神々〕たちはある』と。わたしたちは、貴君カッサパに信を置きません。あるいは、『三十三天〔の神々〕たちが存在する』と。あるいは、『このような長寿の者たちとして、三十三天〔の神々〕たちはある』と」と。
生まれながらの盲者の喩え
「王族よ、それは、たとえば、また、生まれながらの盲者が、諸々の黒と白の形態を見られず、諸々の青の形態を見られず、諸々の黄の形態を見られず、諸々の赤の形態を見られず、諸々の深紅の形態を見られず、平坦と凹凸を見られず、諸々の星宿の形態を見られず、月と日を見られず、彼が、このように説くとします。『諸々の黒と白の形態は存在しない。諸々の黒と白の形態を見る者は存在しない。諸々の青の形態は存在しない。諸々の青の形態を見る者は存在しない。諸々の黄の形態は存在しない。諸々の黄の形態を見る者は存在しない。諸々の赤の形態は存在しない。諸々の赤の形態を見る者は存在しない。諸々の深紅の形態は存在しない。諸々の深紅の形態を見る者は存在しない。平坦と凹凸は存在しない。平坦と凹凸を見る者は存在しない。諸々の星宿の形態は存在しない。諸々の星宿の形態を見る者は存在しない。月と日は存在しない。月と日を見る者は存在しない。わたしは、これを知らない。わたしは、これを見ない。それゆえに、それは存在しない』と。王族よ、いったい、まさに、彼は、正しく説きつつ説いていますか」と。「貴君カッサパよ、まさに、このことは、さにあらず。諸々の黒と白の形態は存在します。諸々の黒と白の形態を見る者は存在します。諸々の青の形態は存在します。諸々の青の形態を見る者は存在します。……略……。平坦と凹凸を見る者は存在します。諸々の星宿の形態は存在します。諸々の星宿の形態を見る者は存在します。月と日は存在します。月と日を見る者は存在します。『わたしは、これを知らない。わたしは、これを見ない。それゆえに、それは存在しない』と〔説くなら〕、貴君カッサパよ、まさに、彼は、正しく説きつつ説いていません」と。「王族よ、思うに、まさしく、このように、まさに、あなたは、生まれながらの盲者の如き者であることが明白となります。すなわち、あなたは、わたしに、このように説きます。
『貴君カッサパよ、また、誰が、このことを、貴君カッサパに告げたのですか。あるいは、「三十三天〔の神々〕たちが存在する」と。あるいは、「このような長寿の者たちとして、三十三天〔の神々〕たちはある」と。わたしたちは、貴君カッサパに信を置きません。あるいは、「三十三天〔の神々〕たちが存在する」と。あるいは、「このような長寿の者たちとして、三十三天〔の神々〕たちはある」と』と。王族よ、まさに、このように、他の世は見られるべきではありません。すなわち、あなたが、この肉眼によって思うように。王族よ、すなわち、まさに、諸々の林地や林野の辺境を、諸々の辺地の臥坐所を受用する、それらの沙門や婆羅門たちがいます。彼らは、そこにおいて、〔気づきを〕怠らず、熱情ある者となり、自己を精励する者たちとして〔世に〕住みながら、天眼を清めます。彼らは、人間を超越した清浄の天眼によって、まさしく、そして、この世を、かつまた、他〔の世〕を、さらに、化生の者たちである有情たちを、見ます。王族よ、そして、このように、まさに、他の世は見られるべきです。まさしく、しかし、すなわち、あなたが、この肉眼によって思うように、ではなく。王族よ、この教相によってもまた、まさに、あなたに、このような〔思いが〕有れ。『かくのごとくもまた、他の世は存在する。化生の有情たちは存在する。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在する』」と。
「たとえ、何であれ、貴君カッサパが、このように言うとして、そこで、まさに、ここにおいて、わたしに、このような〔思いが〕有ります。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。「王族よ、また、教相は存在しますか。……略……。「貴君カッサパよ、教相は存在します。……略……。「王族よ、すなわち、どのように、そのごとく」と。「貴君カッサパよ、ここに、わたしは、戒ある者たちであり、善き法(性質)ある者たちである、沙門や婆羅門たちを見ます──生きることを欲し、死なないことを欲し、安楽を欲し、苦痛を嫌悪する者たちです。貴君カッサパよ、〔まさに〕その、わたしに、このような〔思いが〕有ります。『それで、もし、まさに、戒ある者たちであり、善き法(性質)ある者たちである、これらの尊き沙門や婆羅門たちが、このように知るなら、「ここ(現世)から、わたしたちが死んだなら、より勝るものが有るであろう」と、今や、戒ある者たちであり、善き法(性質)ある者たちである、これらの尊き沙門や婆羅門たちは、あるいは、毒を喰らうであろうし、あるいは、刃を持つであろうし、あるいは、〔首を〕吊って命を終えるであろうし、あるいは、深淵に落ち行くであろう。しかしながら、すなわち、まさに、戒ある者たちであり、善き法(性質)ある者たちである、これらの尊き沙門や婆羅門たちは、このように知らないことから、「ここから、わたしたちが死んだなら、より勝るものが有るであろう」と、それゆえに、戒ある者たちであり、善き法(性質)ある者たちである、これらの尊き沙門や婆羅門たちは、生きることを欲し、死なないことを欲し、安楽を欲し、苦痛を嫌悪し、自殺しないのだ』〔と〕。貴君カッサパよ、これがまた、まさに、教相となります。その教相によって、わたしに、このような〔思いが〕有るのです。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。
妊婦の喩え
「王族よ、まさに、それでは、あなたのために、喩えを為しましょう。喩えによって、ここに、一部の識者たる人たちは、語られたことの義(意味)を了知します。王族よ、過去の事ですが、或るひとりの婆羅門に、二者の夫人が有りました。一者には、あるいは、齢十年の、あるいは、齢十二年の、子が有りました。一者は、身重の妊婦です。そこで、まさに、その婆羅門は、命を終えました。そこで、まさに、その学生(婆羅門の子)は、亭主を共にする〔他の〕母(妊婦)に、こう言いました。『尊女よ、すなわち、この、あるいは、財産も、あるいは、穀物も、あるいは、銀も、あるいは、金も、その全ては、わたしのものです。ここにおいて、あなたのものは、何であれ存在しません。尊女よ、父の遺産を、わたしに引き渡したまえ』と。このように説かれたとき、その女性婆羅門は、その学生に、こう言いました。『親愛なる者よ、まずは、待ってください。すなわち、出産するまで。それで、もし、童子として有るなら、彼にもまた、一部分のものが〔遺産として〕有るでしょう。それで、もし、童女として有るなら、彼女はまた、あなたの下女と成るでしょう』と。再度また、まさに、その学生は、亭主を共にする〔他の〕母に、こう言いました。『尊女よ、すなわち、この、あるいは、財産も、あるいは、穀物も、あるいは、銀も、あるいは、金も、その全ては、わたしのものです。ここにおいて、あなたのものは、何であれ存在しません。尊女よ、父の遺産を、わたしに引き渡したまえ』と。再度また、まさに、その女性婆羅門は、その学生に、こう言いました。『親愛なる者よ、まずは、待ってください。すなわち、出産するまで。それで、もし、童子として有るなら、彼にもまた、一部分のものが〔遺産として〕有るでしょう。それで、もし、童女として有るなら、彼女はまた、あなたの下女と成るでしょう』と。三度また、まさに、その学生は、亭主を共にする〔他の〕母に、こう言いました。『尊女よ、すなわち、この、あるいは、財産も、あるいは、穀物も、あるいは、銀も、あるいは、金も、その全ては、わたしのものです。ここにおいて、あなたのものは、何であれ存在しません。尊女よ、父の遺産を、わたしに引き渡したまえ』と。
そこで、まさに、その女性婆羅門は、刃を掴んで、内室に入って、腹を切り裂きました。『すなわち、出産するまでに、あるいは、すなわち、童子であるか、あるいは、すなわち、童女であるか、〔知るのだ〕』と。彼女は、まさしく、そして、自己を、かつまた、生命を、かつまた、胎児を、さらに、自らの所有物を、失いました。すなわち、そのように、愚者にして明敏ならざる者は、根源のままならずに遺産を探し求めながら、不幸と災厄を惹起したのです。王族よ、まさしく、このように、まさに、あなたは、愚者にして明敏ならざる者であり、根源のままならずに他の世を探し求めながら、不幸と災厄を惹起するでしょう。それは、たとえば、また、その女性婆羅門が、愚者にして明敏ならざる者であり、根源のままならずに遺産を探し求めながら、不幸と災厄を惹起したように。王族よ、まさに、戒ある者たちであり、善き法(性質)ある者たちである、沙門や婆羅門たちは、未熟のものを完熟させません。そして、また、完熟を待ちます。王族よ、なぜなら、賢者たちには、戒ある者たちであり、善き法(性質)ある者たちである、沙門や婆羅門たちには、生命に義(利益)があるからです。王族よ、そのとおり、そのとおりに、まさに、戒ある者たちであり、善き法(性質)ある者たちである、沙門や婆羅門たちが、長きにわたり、長時のあいだ、〔世に〕止住するなら、そのとおり、そのとおりに、多くの功徳を生み出し、さらに、実践します──多くの人々の利益のために、多くの人々の安楽のために、世〔の人々〕への慈しみ〔の思い〕のために、天〔の神々〕と人間たちの、義(目的)のために、利益のために、安楽のために。王族よ、この教相によってもまた、まさに、あなたに、このような〔思いが〕有れ。『かくのごとくもまた、他の世は存在する。化生の有情たちは存在する。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在する』」と。
「たとえ、何であれ、貴君カッサパが、このように言うとして、そこで、まさに、ここにおいて、わたしに、このような〔思いが〕有ります。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。「王族よ、また、教相は存在しますか。……略……。「貴君カッサパよ、教相は存在します。……略……。「王族よ、すなわち、どのように、そのごとく」と。「貴君カッサパよ、ここに、家来たちが、盗賊の犯罪者を捕捉して、わたしに見せます。『尊き方よ、あなたにとって、この者は、盗賊であり、犯罪者です。すなわち、それを、〔あなたが〕求めるなら、この者に、棒(刑罰)を課したまえ』と。彼らに、わたしは、このように説きます。『君よ、まさに、それでは、この男を、まさしく、生きているまま、瓶のなかに入れて、口を塞いで、水気のある皮で覆って、水気のある粘土で厚い塗装を為して、竈に載せて、火を着けなさい』と。彼らは、わたしに、『善きかな』と答えて、その男を、まさしく、生きているまま、瓶のなかに入れて、口を塞いで、水気のある皮で覆って、水気のある粘土で厚い塗装を為して、竈に載せて、火を着けます。すなわち、わたしたちが、『その男は、命を終えたのだ』と知るとき、そこで、その瓶を降ろして、〔塗装と皮を〕外して、口を開いて、ゆっくりと眺め見ます。『まさしく、おそらく、まさに、彼の生気(霊魂)が出つつあるのを、〔わたしたちは〕見るであろう』と。彼の生気が出つつあるのを、わたしたちが見ることは、まさしく、ありません。貴君カッサパよ、これがまた、まさに、教相となります。その教相によって、わたしに、このような〔思いが〕有るのです。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。
夢の喩え
「王族よ、まさに、それでは、まさしく、あなたに、ここにおいて問い返しましょう。すなわち、あなたのよろしいように、そのとおりに、それを説き明かしてください。王族よ、まさに、あなたは証知しますか──昼寝に入った、夢を見ている者として、喜ばしき園を、喜ばしき林を、喜ばしき土地を、喜ばしき蓮池を」と。「貴君カッサパよ、わたしは証知します──昼寝に入った、夢を見ている者として、喜ばしき園を、喜ばしき林を、喜ばしき土地を、喜ばしき蓮池を」と。「その時点において、あなたのことを、傴僂の女たちもまた、小人の女たちもまた、少女たちもまた、童女たちもまた、見守っていますか」と。「貴君カッサパよ、そのとおりです。その時点において、わたしのことを、傴僂の女たちもまた、小人の女たちもまた、少女たちもまた、童女たちもまた、見守っています」と。「さて、いったい、彼女たちは、あなたの生気が、あるいは、入りつつあるのを、あるいは、出つつあるのを、見ますか」と。「貴君カッサパよ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「王族よ、まさに、生きている彼女たちが、まさに、生きているあなたの、〔その〕生気が、あるいは、入りつつあるのを、あるいは、出つつあるのを、見ないのです。また、どうして、あなたが、命を終えた者の生気が、あるいは、入りつつあるのを、あるいは、出つつあるのを、見るというのでしょう。王族よ、この教相によってもまた、まさに、あなたに、このような〔思いが〕有れ。『かくのごとくもまた、他の世は存在する。化生の有情たちは存在する。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在する』」と。
「たとえ、何であれ、貴君カッサパが、このように言うとして、そこで、まさに、ここにおいて、わたしに、このような〔思いが〕有ります。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。「王族よ、また、教相は存在しますか。……略……。「貴君カッサパよ、教相は存在します。……略……。「王族よ、すなわち、どのように、そのごとく」と。「貴君カッサパよ、ここに、家来たちが、盗賊の犯罪者を捕捉して、わたしに見せます。『尊き方よ、あなたにとって、この者は、盗賊であり、犯罪者です。すなわち、それを、〔あなたが〕求めるなら、この者に、棒を課したまえ』と。彼らに、わたしは、このように説きます。『君よ、まさに、それでは、この男を、まさしく、生きているまま、秤で計測して、弦で止息し、殺して〔そののち〕、まさしく、ふたたび、秤で計測しなさい』と。彼らは、わたしに、『善きかな』と答えて、その男を、まさしく、生きているまま、秤で計測して、弦で止息し、殺して〔そののち〕、まさしく、ふたたび、秤で計測します。すなわち、彼が生きているとき、そのときは、かつまた、より軽快なるものとして有り、かつまた、より柔和なるものとして〔有り〕、かつまた、より行為に適するものとして〔有ります〕。いっぽう、すなわち、彼が命を終えた者と成るとき、そのときは、かつまた、より鈍重なるものとして有り、かつまた、より沈澱したものとして〔有り〕、かつまた、より行為に適さないものとして〔有ります〕。貴君カッサパよ、これがまた、まさに、教相となります。その教相によって、わたしに、このような〔思いが〕有るのです。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。
熱せられた鉄の玉の喩え
「王族よ、まさに、それでは、あなたのために、喩えを為しましょう。喩えによって、ここに、一部の識者たる人たちは、語られたことの義(意味)を了知します。王族よ、それは、たとえば、また、人が、昼のあいだ熱せられた鉄の玉を、燃え盛り、光り輝き、光を有するものと成ったものを、秤で計測するとします。〔まさに〕その、この〔鉄の玉〕を、他時にあって、冷たくなり、鎮火したものを、秤で計測するとします。いったい、まさに、いつ、その鉄の玉は、あるいは、より軽快なるものと成りますか、あるいは、より柔和なるものと〔成りますか〕、あるいは、より行為に適するものと〔成りますか〕──あるいは、すなわち、燃え盛り、光り輝き、光を有するものと成ったときですか、あるいは、すなわち、冷たくなり、鎮火したときですか」と。「貴君カッサパよ、すなわち、その鉄の玉が、そして、火を共具したものとして有り、さらに、風を共具したものとして〔有り〕、燃え盛り、光り輝き、光を有するものと成ったとき、そのときは、かつまた、より軽快なるものと成り、かつまた、より柔和なるものと〔成り〕、かつまた、より行為に適するものと〔成ります〕。いっぽう、すなわち、その鉄の玉が、まさしく、火を共具したものではなく有り、風を共具したものではなく〔有り〕、冷たくなり、鎮火したとき、そのときは、かつまた、より鈍重なるものと成り、かつまた、より沈澱したものと〔成り〕、かつまた、より行為に適さないものと〔成ります〕」と。「王族よ、まさしく、このように、まさに、すなわち、この身体が、そして、寿命を共具したものとして有り、かつまた、熱を共具したものとして〔有り〕、さらに、識知〔作用〕を共具したものとして〔有る〕とき、そのときは、かつまた、より軽快なるものと成り、かつまた、より柔和なるものと〔成り〕、かつまた、より行為に適するものと〔成ります〕。いっぽう、すなわち、この身体が、まさしく、寿命を共具したものものではなく有り、熱を共具したものではなく〔有り〕、識知〔作用〕を共具したものではなく〔有る〕とき、そのときは、かつまた、より鈍重なるものと成り、かつまた、より沈澱したものと〔成り〕、かつまた、より行為に適さないものと〔成ります〕。王族よ、この教相によってもまた、まさに、あなたに、このような〔思いが〕有れ。『かくのごとくもまた、他の世は存在する。化生の有情たちは存在する。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在する』」と。
「たとえ、何であれ、貴君カッサパが、このように言うとして、そこで、まさに、ここにおいて、わたしに、このような〔思いが〕有ります。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。「王族よ、また、教相は存在しますか。……略……。「貴君カッサパよ、教相は存在します。……略……。「王族よ、すなわち、どのように、そのごとく」と。「貴君カッサパよ、ここに、家来たちが、盗賊の犯罪者を捕捉して、わたしに見せます。『尊き方よ、あなたにとって、この者は、盗賊であり、犯罪者です。すなわち、それを、〔あなたが〕求めるなら、この者に、棒を課したまえ』と。彼らに、わたしは、このように説きます。『君よ、まさに、それでは、この男を、かつまた、表皮を、かつまた、皮を、かつまた、肉を、かつまた、腱を、かつまた、骨を、かつまた、骨髄を、〔それらを〕損壊せずして、生命を奪いなさい。まさしく、おそらく、まさに、彼の生気が出つつあるのを、〔わたしたちは〕見るであろう』と。彼らは、わたしに、『善きかな』と答えて、その男を、かつまた、表皮を……略……〔それらを〕損壊せずして、生命を奪います。すなわち、彼が、半死の者と成るとき、彼らに、わたしは、このように説きます。『君よ、まさに、それでは、この男を、上向きに横たわらせよ。まさしく、おそらく、まさに、彼の生気が出つつあるのを、〔わたしたちは〕見るであろう』と。彼らは、その男を、上向きに横たわらせます。彼の生気が出つつあるのを、わたしたちが見ることは、まさしく、ありません。彼らに、わたしは、このように説きます。『君よ、まさに、それでは、この男を、下向きに横たわらせよ。……脇を下に横たわらせよ。……別の脇を下に横たわらせよ。……上に立たせよ。……逆さに立たせよ……手で打て。……石で打て。……棒で打て。……刃で打て。……振り落とせ、振り回せ、振り払え。まさしく、おそらく、まさに、彼の生気が出つつあるのを、〔わたしたちは〕見るであろう』と。彼らは、その男を、振り落とし、振り回し、振り払います。彼の生気が出つつあるのを、わたしたちが見ることは、まさしく、ありません。彼には、まさしく、その眼が有り、それらの形態が〔有るも〕、しかしながら、その〔認識の〕場所は得知せず、まさしく、その耳が有り、それらの音声が〔有るも〕、しかしながら、その〔認識の〕場所は得知せず、まさしく、その鼻が有り、それらの臭気が〔有るも〕、しかしながら、その〔認識の〕場所は得知せず、まさしく、その舌が有り、それらの味感が〔有るも〕、しかしながら、その〔認識の〕場所は得知せず、まさしく、その身が有り、それらの感触が〔有るも〕、しかしながら、その〔認識の〕場所は得知しません。貴君カッサパよ、これがまた、まさに、教相となります。その教相によって、わたしに、このような〔思いが〕有るのです。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。
法螺貝吹きの喩え
「王族よ、まさに、それでは、あなたのために、喩えを為しましょう。喩えによって、ここに、一部の識者たる人たちは、語られたことの義(意味)を了知します。王族よ、過去の事ですが、或るひとりの法螺貝吹きが、法螺貝を携えて、最辺境の地方に赴きました。彼は、或るひとつの村のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、村の中央に立ち、三回、法螺貝を鳴らして、法螺貝を地面に置いて、一方に坐りました。王族よ、そこで、まさに、それらの辺境の地方の人間たちに、この〔思い〕が有りました。『はてさて、いったい、まさに、これは、何の音なのだ。このように貪るべきものであり、このように欲するべきものであり、このように酔うべきものであり、このように結縛するべきものであり、このように耽溺するべきものである、〔この音は〕』と。〔彼らは〕集まって、その法螺貝吹きに、こう言いました。『はてさて、いったい、まさに、これは、何の音なのだ。このように貪るべきものであり、このように欲するべきものであり、このように酔うべきものであり、このように結縛するべきものであり、このように耽溺するべきものである、〔この音は〕』と。『君よ、これは、まさに、法螺貝という名のものです。これは、その〔法螺貝〕の音です。このように貪るべきものであり、このように欲するべきものであり、このように酔うべきものであり、このように結縛するべきものであり、このように耽溺するべきものである、〔この音は〕』と。彼らは、その法螺貝を、上向きに横たわらせました。『君よ、法螺貝よ、説け。君よ、法螺貝よ、説け』と。その法螺貝が音を立てることは、まさしく、ありませんでした。彼らは、その法螺貝を、下向きに横たわらせました。……脇を下に横たわらせました。……別の脇を下に横たわらせました。……上に立たせました。……逆さに立たせました……手で打ちました。……石で打ちました。……棒で打ちました。……刃で打ちました。……振り落とし、振り回し、振り払いました。『君よ、法螺貝よ、説け。君よ、法螺貝よ、説け』と。その法螺貝が音を立てることは、まさしく、ありませんでした。
王族よ、そこで、まさに、その法螺貝吹きに、この〔思い〕が有りました。『それほどまでに、これらの辺境の地方の人間たちが、愚者であるとは。まさに、どうして、まさに、根源のままならずに法螺貝の音を探し求めるのだろう』と。彼らが見ているなか、法螺貝を掴んで、三回、法螺貝を鳴らして、法螺貝を携えて、立ち去りました。王族よ、そこで、まさに、それらの辺境の地方の人間たちに、この〔思い〕が有りました。『君よ、どうやら、すなわち、この法螺貝が、まさに、そして、人を共具したものとして有り、かつまた、努力を共具したものとして〔有り〕、さらに、風を共具したものとして〔有る〕とき、そのとき、この法螺貝は、音を立てるらしい。いっぽう、すなわち、この法螺貝が、まさしく、人を共具したものではなく有り、かつまた、努力を共具したものではなく〔有り〕、さらに、風を共具したものではなく〔有る〕とき、そのときは、この法螺貝は、音を立てない』と。王族よ、まさしく、このように、まさに、すなわち、この身体が、そして、寿命を共具したものとして有り、かつまた、熱を共具したものとして〔有り〕、さらに、識知〔作用〕を共具したものとして〔有る〕とき、そのときは、前進もまたし、後進もまたし、立ちもまたし、坐りもまたし、臥をもまた営み、眼によってもまた形態を見、耳によってもまた音声を聞き、鼻によってもまた臭気を嗅ぎ、舌によってもまた味感を味わい、身によってもまた感触に触れ、意によって法(意の対象)を識知します。いっぽう、すなわち、この身体が、まさしく、寿命を共具したものではなく有り、熱を共具したものではなく〔有り〕、識知〔作用〕を共具したものではなく〔有る〕とき、そのときは、まさしく、前進することもなく、後進することもなく、立つこともなく、坐ることもなく、臥を営むこともなく、眼によってもまた形態を見ず、耳によってもまた音声を聞かず、鼻によってもまた臭気を嗅がず、舌によってもまた味感を味わわず、身によってもまた感触に触れず、意によってもまた法(意の対象)を識知しません。王族よ、この教相によってもまた、まさに、あなたに、このような〔思いが〕有れ。『かくのごとくもまた、他の世は存在する。化生の有情たちは存在する。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在する』」と。
「たとえ、何であれ、貴君カッサパが、このように言うとして、そこで、まさに、ここにおいて、わたしに、このような〔思いが〕有ります。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。「王族よ、また、教相は存在しますか。……略……。「貴君カッサパよ、教相は存在します。……略……。「王族よ、すなわち、どのように、そのごとく」と。「貴君カッサパよ、ここに、家来たちが、盗賊の犯罪者を捕捉して、わたしに見せます。『尊き方よ、あなたにとって、この者は、盗賊であり、犯罪者です。すなわち、それを、〔あなたが〕求めるなら、この者に、棒を課したまえ』と。彼らに、わたしは、このように説きます。『君よ、まさに、それでは、この男の表皮を断ちなさい。まさしく、おそらく、まさに、彼の生気を、〔わたしたちは〕見るであろう』と。彼らは、その男の表皮を断ちます。彼の生気を、わたしたちが見ることは、まさしく、ありません。彼らに、わたしは、このように説きます。『君よ、まさに、それでは、この男の皮を断ちなさい……。肉を断ちなさい……。腱を断ちなさい……。骨を断ちなさい……。骨髄を断ちなさい。まさしく、おそらく、まさに、彼の生気を、〔わたしたちは〕見るであろう』と。彼らは、その男の骨髄を断ちます。彼の生気を、わたしたちが見ることは、まさしく、ありません。貴君カッサパよ、これがまた、まさに、教相となります。その教相によって、わたしに、このような〔思いが〕有るのです。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。
結髪の祭火者の喩え
「王族よ、まさに、それでは、あなたのために、喩えを為しましょう。喩えによって、ここに、一部の識者たる人たちは、語られたことの義(意味)を了知します。王族よ、過去の事ですが、或るひとりの結髪の祭火者が、林所にある柴小屋において暮らしています。王族よ、そこで、まさに、或るどこかの地方において、隊商が出起しました(仕立てられた)。そこで、まさに、その隊商は、その結髪の祭火者の庵所の近隣で一夜を住して、立ち去りました。王族よ、そこで、まさに、その結髪の祭火者に、この〔思い〕が有りました。『それなら、さあ、わたしは、その隊商の野営地のあるところに、そこへと近づいて行くのだ。まさしく、おそらく、まさに、ここにおいて、何かしらの資益物に到達するであろう』と。そこで、まさに、その結髪の祭火者は、まさしく、早朝に起きて、その隊商の野営地のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、その隊商の野営地において、愚鈍で上向きに臥す年少の童子(嬰児)が捨てられているのを見ました。見て、彼に、この〔思い〕が有りました。『まさに、このことは、わたしにとって、適切なることではない。すなわち、わたしが見ているなか、人間たる生類が命を終えるのは。それなら、さあ、わたしは、この小児を、庵所に連れて行って、扶養し、養育し、育て上げるのだ』と。そこで、まさに、その結髪の祭火者は、その小児を、庵所に連れて行って、扶養し、養育し、育て上げました。すなわち、その小児が、あるいは、齢十年か、あるいは、齢十二年か、〔そのような者と〕成るとき、そこで、まさに、その結髪の祭火者に、地方において、何らかの或る用事が生起しました。そこで、まさに、その結髪の祭火者は、その小児に、こう言いました。『息子よ、わたしは、地方に赴くことを求める。息子よ、火を世話するのだ。そして、おまえによって、火が消えることがあってはならない。そして、それで、もし、火が消えるなら、この鉈とこれらの木片とこの火起こしの棒があるので、火を起こして、火を世話するのだ』と。そこで、まさに、その結髪の祭火者は、その小児に、このように教示して、地方に赴きました。彼が遊びを追い求めていたところ、火は消えました。
そこで、まさに、その小児に、この〔思い〕が有りました。『父は、まさに、わたしに、このように言った。「息子よ、火を世話するのだ。そして、おまえによって、火が消えることがあってはならない。そして、それで、もし、火が消えるなら、この鉈とこれらの木片とこの火起こしの棒があるので、火を起こして、火を世話するのだ」と。それなら、さあ、わたしは、火を起こすして、火を世話するのだ』と。そこで、まさに、その小児は、火起こしの棒を、鉈で加工しました。『まさしく、おそらく、まさに、火に到達するであろう』と。彼が火に到達することは、まさしく、ありませんでした。火起こしの棒を、二様に裂きました。三様に裂きました。四様に裂きました。五様に裂きました。十様に裂きました。百様に裂きました。片々と為しました。片々と為して、臼のなかで打ちました。臼のなかで打って、大風のなかに吹き放ちました。『まさしく、おそらく、まさに、火に到達するであろう』と。彼が火に到達することは、まさしく、ありませんでした。
そこで、まさに、その結髪の祭火者は、地方において、その用事を済ませて、自らの庵所のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、その小児に、こう言いました。『息子よ、どうだろう、おまえによって、火が消えることはなかったかな』と。『父よ、ここに、わたしが遊びを追い求めていたところ、火は消えました。〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。「父は、まさに、わたしに、このように言った。『息子よ、火を世話するのだ。そして、おまえによって、火が消えることがあってはならない。そして、それで、もし、火が消えるなら、この鉈とこれらの木片とこの火起こしの棒があるので、火を起こして、火を世話するのだ』と。それなら、さあ、わたしは、火を起こして、火を世話するのだ」と。そこで、まさに、わたしは、火起こしの棒を、鉈で加工しました。「まさしく、おそらく、まさに、火に到達するであろう」と。わたしが火に到達することは、まさしく、ありませんでした。火起こしの棒を、二様に裂きました。三様に裂きました。四様に裂きました。五様に裂きました。十様に裂きました。百様に裂きました。片々と為しました。片々と為して、臼のなかで打ちました。臼のなかで打って、大風のなかに吹き放ちました。「まさしく、おそらく、まさに、火に到達するであろう」と。わたしが火に到達することは、まさしく、ありませんでした』と。そこで、まさに、その結髪の祭火者に、この〔思い〕が有りました。『それほどまでに、この小児が、愚者にして明敏ならざる者であるとは。まさに、根源のままならずに、まさに、どのように、火を探し求めるというのだろう』と。彼が見ているなか、火起こしの棒を掴んで、火を起こして、その小児に、こう言いました。『息子よ、このように、まさに、火は起こされるべきである。まさしく、しかし、すなわち、愚者にして明敏ならざる者である、おまえが、火を探し求めるように、ではなく』と。王族よ、まさしく、このように、まさに、あなたは、愚者にして明敏ならざる者であり、根源のままならずに他の世を探し求めます。王族よ、悪しきものとしてある、悪しき見解を、これを放棄しなさい。王族よ、悪しきものとしてある、悪しき見解を、これを放棄しなさい。あなたにとって、長夜にわたり、利益ならざるもののために〔成り〕、苦痛のために成ってはいけません」と。
「たとえ、何であれ、貴君カッサパが、このように言うとして、そこで、まさに、悪しきものとしてある、悪しき見解を、これを放棄することは、まさしく、わたしはできません。コーサラ〔国〕のパセーナディ王もまた、他国の王たちもまた、わたしのことを知ります。『王族のパーヤーシは、このような論ある者であり、このような見解ある者である。「かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない」』と。貴君カッサパよ、それで、もし、わたしが、悪しきものとしてある、悪しき見解を、これを放棄するなら、わたしに説く者たちが有るでしょう。『それほどまでに、王族のパーヤーシが、愚者にして明敏ならざる者であるとは、悪しく把握されたものを把握する者であるとは』と。たとえ、激情をもってしても、それを維持するでしょう。たとえ、偽装をもってしても、それを維持するでしょう。たとえ、加虐をもってしても、それを維持するでしょう」と。
二者の隊商の長の喩え
「王族よ、まさに、それでは、あなたのために、喩えを為しましょう。喩えによって、ここに、一部の識者たる人たちは、語られたことの義(意味)を了知します。王族よ、過去の事ですが、千の荷車からなる、大いなる荷車の隊商が、東の地方から西の地方に赴きました。その〔隊商〕は、〔赴いた〕ところ、赴いたところで、まさしく、すみやかに、草や薪や水を、緑の葉を、完全に奪い去ります。また、まさに、その隊商には、二者の隊商の長が有りました。一者は、五百の荷車の〔隊商の長として〕、一者は、五百の荷車の〔隊商の長として〕。そこで、まさに、それらの隊商の長たちに、この〔思い〕が有りました。『まさに、これは、千の荷車からなる、大いなる荷車の隊商である。〔まさに〕その、わたしたちは、〔赴く〕ところ、赴くところで、まさしく、すみやかに、草や薪や水を、緑の葉を、完全に奪い去る。それなら、さあ、わたしたちは、この隊商を、二様に区分するのだ。一方を、五百の荷車に、一方を、五百の荷車に』と。彼らは、その隊商を、二様に区分しました。一方を、五百の荷車に、一方を、五百の荷車に。一者の隊商の長は、多くの、かつまた、草を、かつまた、薪を、かつまた、水を、積載して、隊商を出発させました。また、まさに、出発して二日三日のこと、その隊商は、人が──色黒で眼が赤く、矢束を装着し、蓮華の花飾をつけ、濡れた衣と濡れた髪で、泥にまみれた車輪の牛車とともに──道の向こうからやってくるのを見ました。見て、こう言いました。『君よ、どこからやってきたのですか』と。『何某の地方から』と。『どこに赴くのですか』と。『何某という名の地方に』と。『君よ、どうでしょう、前方の難所において、激しく雨降らせる大いなる雨雲があるのでは』と。『君よ、そのとおりです。前方の難所において、激しく雨降らせる大いなる雨雲があります。諸々の冠水した道があります。多くの、かつまた、草があり、かつまた、薪があり、かつまた、水があります。君よ、諸々の古い草と薪と水を捨てなさい。諸々の軽い荷の荷車で、急ぎに急いで赴きなさい。諸々の車馬が疲弊してはいけません』と。
そこで、まさに、その隊商の長は、隊商の者たちに告げました。『君よ、この人は、このように言った。「前方の難所において、激しく雨降らせる大いなる雨雲があります。諸々の冠水した道があります。多くの、かつまた、草があり、かつまた、薪があり、かつまた、水があります。君よ、諸々の古い草と薪と水を捨てなさい。諸々の軽い荷の荷車で、急ぎに急いで赴きなさい。諸々の車馬が疲弊してはいけません」と。君よ、諸々の古い草と薪と水を捨てなさい。諸々の軽い荷の荷車で、隊商を出発させなさい』と。『君よ、わかりました』と、まさに、それらの隊商の者たちは、その隊商の長に答えて、諸々の古い草と薪と水を捨てて、諸々の軽い荷の荷車で、隊商を出発させました。彼らは、第一の隊商の野営地においてもまた、あるいは、草を、あるいは、薪を、あるいは、水を、見ませんでした。第二の隊商の野営地においてもまた……。第三の隊商の野営地においてもまた……。第四の隊商の野営地においてもまた……。第五の隊商の野営地においてもまた……。第六の隊商の野営地においてもまた……。第七の隊商の野営地においてもまた、あるいは、草を、あるいは、薪を、あるいは、水を、見ませんでした。まさしく、全ての不幸と災厄を惹起しました。さらに、すなわち、その隊商において、あるいは、人間たちとして〔有り〕、あるいは、家畜たちとして有った、全ての者たちを、その人間ならざる夜叉が食物としました──諸々の骨だけを残りとして。
すなわち、第二の対象の長が、『さあ、今や、まさに、その隊商が出立して多く〔の時〕となる』と了知したとき、多くの、かつまた、草を、かつまた、薪を、かつまた、水を、積載して、隊商を出発させました。また、まさに、出発して二日三日のこと、その隊商は、人が──色黒で眼が赤く、矢束を装着し、蓮華の花飾をつけ、濡れた衣と濡れた髪で、泥にまみれた車輪の牛車とともに──道の向こうからやってくるのを見ました。見て、こう言いました。『君よ、どこからやってきたのですか』と。『何某の地方から』と。『どこに赴くのですか』と。『何某という名の地方に』と。『君よ、どうでしょう、前方の難所において、激しく雨降らせる大いなる雨雲があるのでは』と。『君よ、そのとおりです。前方の難所において、激しく雨降らせる大いなる雨雲があります。諸々の冠水した道があります。多くの、かつまた、草があり、かつまた、薪があり、かつまた、水があります。君よ、諸々の古い草と薪と水を捨てなさい。諸々の軽い荷の荷車で、急ぎに急いで赴きなさい。諸々の車馬が疲弊してはいけません』と。
そこで、まさに、その隊商の長は、隊商の者たちに告げました。『君よ、この人は、このように言いました。「前方の難所において、激しく雨降らせる大いなる雨雲があります。諸々の冠水した道があります。多くの、かつまた、草があり、かつまた、薪があり、かつまた、水があります。君よ、諸々の古い草と薪と水を捨てなさい。諸々の軽い荷の荷車で、急ぎに急いで赴きなさい。諸々の車馬が疲弊してはいけません」と。君よ、この人は、わたしたちの、まさしく、朋友でもなく、親族や血縁でもありません。どうして、この者に信を置いて、わたしたちが赴くというのでしょう。あなたたちは、諸々の古い草と薪と水を捨てるべきではありません。運び込んだままの物品とともに、隊商を出発させなさい。わたしたちは、古いものを捨てることなくあるのです』と。『君よ、わかりました』と、まさに、それらの隊商の者たちは、その隊商の長に答えて、運び込んだままの物品とともに、隊商を出発させました。彼らは、第一の隊商の野営地においてもまた、あるいは、草を、あるいは、薪を、あるいは、水を、見ませんでした。第二の隊商の野営地においてもまた……。第三の隊商の野営地においてもまた……。第四の隊商の野営地においてもまた……。第五の隊商の野営地においてもまた……。第六の隊商の野営地においてもまた……。第七の隊商の野営地においてもまた、あるいは、草を、あるいは、薪を、あるいは、水を、見ませんでした。そして、不幸と災厄を惹起した、その隊商を見ました。さらに、すなわち、また、その隊商においてまた、あるいは、人間たちとして〔有り〕、あるいは、家畜たちとして有った、彼らの、そして、諸々の骨だけを見ました──その人間ならざる夜叉によって食物とされた者たちの。
そこで、まさに、その隊商の長は、隊商の者たちに告げました。『君よ、まさに、この隊商は、不幸と災厄を惹起したのです。すなわち、そのように、隊商の長にして、遍き導き手たる、その愚者によって。君よ、まさに、それでは、すなわち、諸々の少値の商品が、わたしたちの隊商にあるなら、それらを捨てて、すなわち、諸々の大値の商品が、この隊商にあるなら、それらを取りなさい』と。『君よ、わかりました』と、まさに、それらの隊商の者たちは、その隊商の長に答えて、すなわち、諸々の少値の商品が、自らの隊商にあるなら、それらを捨てて、すなわち、諸々の大値の商品が、その隊商にあるなら、それらを取って、その難所を、〔無事〕安穏に超え出ました。すなわち、そのように、隊商の長にして、遍き導き手たる、賢者によって。王族よ、まさしく、このように、まさに、あなたは、愚者にして明敏ならざる者であり、根源のままならずに他の世を探し求めながら、不幸と災厄を惹起するでしょう。それは、たとえば、また、その、前者の隊商の長のように。すなわち、また、あなたの〔言葉を〕聞くべきであり信を置くべきと思い考える、それらの者たちもまた、不幸と災厄を惹起するでしょう。それは、たとえば、また、それらの隊商の者たちのように。王族よ、悪しきものとしてある、悪しき見解を、これを放棄しなさい。王族よ、悪しきものとしてある、悪しき見解を、これを放棄しなさい。あなたにとって、長夜にわたり、利益ならざるもののために〔成り〕、苦痛のために成ってはいけません」と。
「たとえ、何であれ、貴君カッサパが、このように言うとして、そこで、まさに、悪しきものとしてある、悪しき見解を、これを放棄することは、まさしく、わたしはできません。コーサラ〔国〕のパセーナディ王もまた、他国の王たちもまた、わたしのことを知ります。『王族のパーヤーシは、このような論ある者であり、このような見解ある者である。「かくのごとくもまた、他の世は存在しない。……略……報いは存在しない」』と。貴君カッサパよ、それで、もし、わたしが、悪しきものとしてある、悪しき見解を、これを放棄するなら、わたしに説く者たちが有るでしょう。『それほどまでに、王族のパーヤーシが、愚者にして明敏ならざる者であるとは、悪しく把握されたものを把握する者であるとは』と。たとえ、激情をもってしても、それを維持するでしょう。たとえ、偽装をもってしても、それを維持するでしょう。たとえ、加虐をもってしても、それを維持するでしょう」と。
糞を荷とする者の喩え
「王族よ、まさに、それでは、あなたのために、喩えを為しましょう。喩えによって、ここに、一部の識者たる人たちは、語られたことの義(意味)を了知します。王族よ、過去の事ですが、或るひとりの養豚者の人が、自らの村から他の村に赴きました。そこにおいて、沢山の乾いた糞が捨てられているのを見ました。見て、彼に、この〔思い〕が有りました。『まさに、この、沢山の乾いた糞が捨てられているが、しかしながら、わたしにとっては、豚の食事である。それなら、さあ、わたしは、ここから、乾いた糞を運ぶのだ』と。彼は、上衣を広げて、沢山の乾いた糞を振りまいて、ひとまとめに結び縛って、頭に載せて、赴きました。彼に、道の途中で、大いなる雨雲が雨を降らせました。彼は、爪先に至るまで糞にまみれながら、滲み出つつ流れ出ている糞の荷を担いで、赴きました。〔まさに〕その、この者のことを、人間たちが見て、このように言いました。『話させてもらうが、まさに、おまえは、どうなのだ、狂者なのか、どうなのだ、乱心者なのか。まさに、どうして、まさに、爪先に至るまで糞にまみれながら、滲み出つつ流れ出ている糞の荷を運ぶのだ』と。『話させてもらうが、まさに、ここにおいて、おまえたちは、狂者たちである、おまえたちは、乱心者たちである。また、まさに、そのとおりに、わたしにとっては、豚の食事なのだ』と。王族よ、思うに、まさしく、このように、まさに、あなたは、糞を荷とする者の如き者であることが明白となります。王族よ、悪しきものとしてある、悪しき見解を、これを放棄しなさい。王族よ、悪しきものとしてある、悪しき見解を、これを放棄しなさい。あなたにとって、長夜にわたり、利益ならざるもののために〔成り〕、苦痛のために成ってはいけません」と。
「たとえ、何であれ、貴君カッサパが、このように言うとして、そこで、まさに、悪しきものとしてある、悪しき見解を、これを放棄することは、まさしく、わたしはできません。コーサラ〔国〕のパセーナディ王もまた、他国の王たちもまた、わたしのことを知ります。『王族のパーヤーシは、このような論ある者であり、このような見解ある者である。「かくのごとくもまた、他の世は存在しない。……略……報いは存在しない」』と。貴君カッサパよ、それで、もし、わたしが、悪しきものとしてある、悪しき見解を、これを放棄するなら、わたしに説く者たちが有るでしょう。『それほどまでに、王族のパーヤーシが、愚者にして明敏ならざる者であるとは、悪しく把握されたものを把握する者であるとは』と。たとえ、激情をもってしても、それを維持するでしょう。たとえ、偽装をもってしても、それを維持するでしょう。たとえ、加虐をもってしても、それを維持するでしょう」と。
さいころ賭博師の喩え
「王族よ、まさに、それでは、あなたのために、喩えを為しましょう。喩えによって、ここに、一部の識者たる人たちは、語られたことの義(意味)を了知します。王族よ、過去の事ですが、二者のさいころ賭博師が、諸々のさいころで賭けをしました。一者のさいころ賭博師は、次から次へと〔悪しき〕賽の目を飲み込みます(悪い目が出たら、さいころを飲み込んでしまう)。まさに、第二のさいころ賭博師は、そのさいころ賭博師が、次から次へと〔悪しき〕賽の目を飲み込んでいるのを見ました。見て、そのさいころ賭博師に、こう言いました。『友よ、まさに、あなたは、一方的に勝つ。友よ、わたしに、諸々のさいころを渡したまえ。捧げものをするのだ(あなたの勝ち運にあやかりたい)』と。『友よ、わかった』と、まさに、そのさいころ賭博師は、そのさいころ賭博師に、諸々のさいころを委ねました。そこで、まさに、そのさいころ賭博師は、諸々のさいころを、毒で満たして、そのさいころ賭博師に、こう言いました。『友よ、さあ、まさに、諸々のさいころで賭けをするのだ』と。『友よ、わかった』と、まさに、そのさいころ賭博師は、そのさいころ賭博師に答えました。再度また、まさに、それらの賭博師たちは、諸々のさいころで賭けをしました。再度また、まさに、そのさいころ賭博師は、次から次へと〔悪しき〕賽の目を飲み込みます。まさに、第二のさいころ賭博師は、そのさいころ賭博師が、再度また、次から次へと〔悪しき〕賽の目を飲み込んでいるのを見ました。見て、そのさいころ賭博師に、こう言いました。
〔そこで、詩偈に言う〕『最高の劇物(猛毒)が塗られた賽子を飲みながら、人は、〔そのことを〕覚らない。悪しき博徒よ、さあ、飲め、飲め。のちに、おまえにとって、辛きものと成るであろう』と。
王族よ、思うに、まさしく、このように、まさに、あなたは、さいころ賭博師の如き者であることが明白となります。王族よ、悪しきものとしてある、悪しき見解を、これを放棄しなさい。王族よ、悪しきものとしてある、悪しき見解を、これを放棄しなさい。あなたにとって、長夜にわたり、利益ならざるもののために〔成り〕、苦痛のために成ってはいけません」と。
「たとえ、何であれ、貴君カッサパが、このように言うとして、そこで、まさに、悪しきものとしてある、悪しき見解を、これを放棄することは、まさしく、わたしはできません。コーサラ〔国〕のパセーナディ王もまた、他国の王たちもまた、わたしのことを知ります。『王族のパーヤーシは、このような論ある者であり、このような見解ある者である。「かくのごとくもまた、他の世は存在しない。……略……報いは存在しない」』と。貴君カッサパよ、それで、もし、わたしが、悪しきものとしてある、悪しき見解を、これを放棄するなら、わたしに説く者たちが有るでしょう。『それほどまでに、王族のパーヤーシが、愚者にして明敏ならざる者であるとは、悪しく把握されたものを把握する者であるとは』と。たとえ、激情をもってしても、それを維持するでしょう。たとえ、偽装をもってしても、それを維持するでしょう。たとえ、加虐をもってしても、それを維持するでしょう」と。
麻を荷とする者の喩え
「王族よ、まさに、それでは、あなたのために、喩えを為しましょう。喩えによって、ここに、一部の識者たる人たちは、語られたことの義(意味)を了知します。王族よ、過去の事ですが、或るひとつの地方が出起しました(勃興し興起した)。そこで、まさに、道友が、道友に告げました。『友よ、行こう。その地方のあるところに、そこへと近づいて行くのだ。まさしく、おそらく、まさに、ここにおいて、何かしらの財に到達するであろう』と。『友よ、わかった』と、まさに、道友は、道友に答えました。彼らは、その地方のあるところに、或るひとつの新興の村のあるところに、そこへと近づいて行きました。そこにおいて、沢山の麻が捨てられているのを見ました。見て、道友は、道友に告げました。『友よ、まさに、この、沢山の麻が捨てられている。友よ、まさに、それでは、かつまた、あなたも、麻を荷として結び縛れ、かつまた、わたしも、麻を荷として結び縛ろう。両者ともに、麻を荷として担いで、赴くのだ』と。『友よ、わかった』と、まさに、道友は、道友に答えて、麻を荷として結び縛って、彼らは、両者ともに、麻を荷として担いで、或るひとつの新興の村のあるところに、そこへと近づいて行きました。そこにおいて、沢山の麻糸が捨てられているのを見ました。見て、道友は、道友に告げました。『友よ、すなわち、麻を求める〔わたしたちが〕、まさに、義(目的)とする、この、沢山の麻の糸が捨てられている。友よ、まさに、それでは、かつまた、あなたも、麻の荷を捨てよ、かつまた、わたしも、麻の荷を捨てよう。両者ともに、麻の糸を荷として担いで、赴くのだ』と。『友よ、まさに、わたしにとって、この麻の荷は、かつまた、遠くから運ばれたものであり、かつまた、善く装着されたものである。わたしにとって、十分なるものである。あなたは、〔このことを〕覚知せよ』と。そこで、その道友は、麻の荷を捨てて、麻の糸を荷として担ぎました。
彼らは、或るひとつの新興の村のあるところに、そこへと近づいて行きました。そこにおいて、沢山の麻布が捨てられているのを見ました。見て、道友は、道友に告げました。『友よ、すなわち、あるいは、麻を、あるいは、麻の糸を、求める〔わたしたちが〕、まさに、義(目的)とする、この、沢山の麻布が捨てられている。友よ、まさに、それでは、かつまた、あなたも、麻の荷を捨てよ、かつまた、わたしも、麻の糸の荷を捨てよう。両者ともに、麻布を荷として担いで、赴くのだ』と。『友よ、まさに、わたしにとって、この麻の荷は、かつまた、遠くから運ばれたものであり、かつまた、善く装着されたものである。わたしにとって、十分なるものである。あなたは、〔このことを〕覚知せよ』と。そこで、その道友は、麻の糸の荷を捨てて、麻布を荷として担ぎました。
彼らは、或るひとつの新興の村のあるところに、そこへと近づいて行きました。そこにおいて、沢山の亜麻が捨てられているのを見ました。見て……略……沢山の亜麻の糸が捨てられているのを見ました。見て……沢山の亜麻の布地が捨てられているのを見ました。見て……沢山の木綿が捨てられているのを見ました。見て……沢山の木綿の糸が捨てられているのを見ました。見て……沢山の木綿の布地が捨てられているのを見ました。見て……沢山の鉄が捨てられているのを見ました。見て……沢山の銅が捨てられているのを見ました。見て……沢山の錫が捨てられているのを見ました。見て……沢山の鉛が捨てられているのを見ました。見て……沢山の銀が捨てられているのを見ました。見て……沢山の金が捨てられているのを見ました。見て、道友は、道友に告げました。『友よ、すなわち、あるいは、麻を、あるいは、麻の糸を、あるいは、麻布を、あるいは、亜麻を、あるいは、亜麻の糸を、あるいは、亜麻の布地を、あるいは、木綿を、あるいは、木綿の糸を、あるいは、木綿の布地を、あるいは、鉄を、あるいは、銅を、あるいは、錫を、あるいは、鉛を、あるいは、銀を、求める〔わたしたちが〕、まさに、義(目的)とする、この、沢山の金が捨てられている。友よ、まさに、それでは、かつまた、あなたも、麻の荷を捨てよ、かつまた、わたしも、銀の荷を捨てよう。両者ともに、金を荷として担いで、赴くのだ』と。『友よ、まさに、わたしにとって、この麻の荷は、かつまた、遠くから運ばれたものであり、かつまた、善く装着されたものである。わたしにとって、十分なるものである。あなたは、〔このことを〕覚知せよ』と。そこで、その道友は、銀の荷を捨てて、金を荷として担ぎました。
彼らは、自らの村のあるところに、そこへと近づいて行きました。そこにおいて、すなわち、麻の荷を担いで赴いた、その道友ですが、彼の母と父は、まさしく、大いに喜ばず、子と妻たちも大いに喜ばず、朋友や僚友たちも大いに喜ばず、さらに、それを因縁として、安楽と悦意に到達しませんでした。いっぽう、すなわち、金の荷を担いで赴いた、その道友ですが、彼の母と父もまた大いに喜び、子と妻たちもまた大いに喜び、朋友や僚友たちもまた大いに喜び、さらに、それを因縁として、安楽と悦意に到達しました。王族よ、思うに、まさしく、このように、まさに、あなたは、麻を荷とする者の如き者であることが明白となります。王族よ、悪しきものとしてある、悪しき見解を、これを放棄しなさい。王族よ、悪しきものとしてある、悪しき見解を、これを放棄しなさい。あなたにとって、長夜にわたり、利益ならざるもののために〔成り〕、苦痛のために成ってはいけません」と。
帰依所に赴くこと
「わたしは、貴君カッサパの、まさしく、最初の喩えによって、わが意を得た者となり、満悦した者となるも、しかしながら、また、わたしは、これらの種々様々な問いへの応答を聞くことを欲する者となり、このように、わたしは、貴君カッサパに反論が為されるべきと思い考えました。貴君カッサパよ、すばらしいことです。貴君カッサパよ、すばらしいことです。貴君カッサパよ、それは、たとえば、また、あるいは、倒れたものを起こすかのように、あるいは、覆われたものを開くかのように、あるいは、迷う者に道を告げ知らせるかのように、あるいは、暗黒のなかで油の灯火を保つかのように、『眼ある者たちは、諸々の形態を見る』と、まさしく、このように、貴君カッサパによって、無数の教相によって、法(真理)が明示されました。貴君カッサパよ、〔まさに〕この、わたしは、彼を、貴君ゴータマを帰依所に赴きます──そして、法(教え)を、さらに、比丘の僧団を。貴君カッサパは、わたしを、在俗信者として認めてください──今日以後、命ある限り、帰依所に赴いた者として。
貴君カッサパよ、そして、わたしは、大いなる祭祀を執り行なうことを求めます。貴君カッサパは、わたしに教示したまえ。それは、わたしにとって、長夜にわたり、利益のために〔存し〕、安楽のために存するでしょう」と。
祭祀の話
「王族よ、まさに、そのような形態の祭祀において、あるいは、牛たちが殺され、あるいは、山羊や羊たちが殺され、あるいは、鶏や豚たちが殺され、あるいは、様々な種類の命あるものたちの殺害を惹起するなら、そして、納受者たちが、誤った見解ある者たちとして、誤った思惟ある者たちとして、誤った言葉ある者たちとして、誤った行業ある者たちとして、誤った生き方ある者たちとして、誤った努力ある者たちとして、誤った気づきある者たちとして、誤った禅定ある者たちとして、〔世に〕有るなら、王族よ、まさに、このような形態の祭祀は、大いなる果と成らず、大いなる福利と〔成ら〕ず、大いなる光輝と〔成ら〕ず、大いなる充満と〔成り〕ません。王族よ、それは、たとえば、また、耕作者が、種と鋤を携えて、林に入るとします。彼は、そこにおいて、悪しき田畑であり、悪しき土地である、木株や棘が引き抜かれていないところに、破断し、腐敗し、熱風に打破され、しっかりと保管されていない、諸々の未熟ならざる種を据え置き、そして、天が、〔その〕時〔その〕時に、正しく流雨を授けないなら、さて、いったい、それらの種は、増大を〔惹起し〕、成長を〔惹起し〕、広大を惹起するでしょうか、あるいは、耕作者は、広大なる果に到達するでしょうか」と。「貴君カッサパよ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「王族よ、まさしく、このように、まさに、そのような形態の祭祀において、あるいは、牛たちが殺され、あるいは、山羊や羊たちが殺され、あるいは、鶏や豚たちが殺され、あるいは、様々な種類の命あるものたちの殺害を惹起するなら、そして、納受者たちが、誤った見解ある者たちとして、誤った思惟ある者たちとして、誤った言葉ある者たちとして、誤った行業ある者たちとして、誤った生き方ある者たちとして、誤った努力ある者たちとして、誤った気づきある者たちとして、誤った禅定ある者たちとして、〔世に〕有るなら、王族よ、まさに、このような形態の祭祀は、大いなる果と成らず、大いなる福利と〔成ら〕ず、大いなる光輝と〔成ら〕ず、大いなる充満と〔成り〕ません。
王族よ、しかしながら、まさに、そのような形態の祭祀において、まさしく、牛たちが殺されず、山羊や羊たちが殺されず、鶏や豚たちが殺されず、様々な種類の命あるものたちの殺害を惹起しないなら、そして、納受者たちが、正しい見解ある者たちとして、正しい思惟ある者たちとして、正しい言葉ある者たちとして、正しい行業ある者たちとして、正しい生き方ある者たちとして、正しい努力ある者たちとして、正しい気づきある者たちとして、正しい禅定ある者たちとして、〔世に〕有るなら、王族よ、まさに、このような形態の祭祀は、大いなる果と成り、大いなる福利と〔成り〕、大いなる光輝と〔成り〕、大いなる充満と〔成ります〕。王族よ、それは、たとえば、また、耕作者が、種と鋤を携えて、林に入るとします。彼は、そこにおいて、善き田畑であり、善き土地である、木株や棘が善く引き抜かれているところに、破断せず、腐敗せず、熱風に打破されず、しっかりと保管された、諸々の未熟の種を据え置き、そして、天が、〔その〕時〔その〕時に、正しく流雨を授けるなら、さて、いったい、それらの種は、増大を〔惹起し〕、成長を〔惹起し〕、広大を惹起するでしょうか、あるいは、耕作者は、広大なる果に到達するでしょうか」と。「貴君カッサパよ、そのとおりです」〔と〕。「王族よ、まさしく、このように、まさに、そのような形態の祭祀において、まさしく、牛たちが殺されず、山羊や羊たちが殺されず、鶏や豚たちが殺されず、様々な種類の命あるものたちの殺害を惹起しないなら、そして、納受者たちが、正しい見解ある者たちとして、正しい思惟ある者たちとして、正しい言葉ある者たちとして、正しい行業ある者たちとして、正しい生き方ある者たちとして、正しい努力ある者たちとして、正しい気づきある者たちとして、正しい禅定ある者たちとして、〔世に〕有るなら、王族よ、まさに、このような形態の祭祀は、大いなる果と成り、大いなる福利と〔成り〕、大いなる光輝と〔成り〕、大いなる充満と〔成ります〕」と。
ウッタラ学徒の事
そこで、まさに、王族のパーヤーシは、布施を実施しました──沙門や婆羅門や困窮者や放浪者や乞食者や乞い求める者たちのために。また、まさに、その布施においては、このような形態のものが施されます──食料として、酸えた粥を添え物とする屑米が──そして、諸々の衣として、毛玉のある粗野なるものが。また、まさに、その布施において、ウッタラという名の学徒が、従事者として有りました。彼は、布施を施して、このように指定します。「この布施によって、わたしは、まさしく、王族のパーヤーシと、この世において遭遇した。他〔の世〕においては、〔そのようなことが〕あってはならない」と。まさに、王族のパーヤーシは、「どうやら、ウッタラ学徒が、布施を施して、このように指定するらしい。『この布施によって、わたしは、まさしく、王族のパーヤーシと、この世において遭遇した。他〔の世〕においては、〔そのようなことが〕あってはならない』」と耳にしました。そこで、まさに、王族のパーヤーシは、ウッタラ学徒を呼び寄せて、こう言いました。「親愛なる者よ、ウッタラよ、本当に、まさに、あなたは、布施を施して、このように指定するのか。『この布施によって、わたしは、まさしく、王族のパーヤーシと、この世において遭遇した。他〔の世〕においては、〔そのようなことが〕あってはならない』」と。「君よ、そのとおりです」と。「親愛なる者よ、ウッタラよ、また、どうして、あなたは、布施を施して、このように指定するのか。『この布施によって、わたしは、まさしく、王族のパーヤーシと、この世において遭遇した。他〔の世〕においては、〔そのようなことが〕あってはならない』と。親愛なる者よ、ウッタラよ、まさに、わたしたちは、功徳を義(目的)とする者たちであり、まさしく、布施の果を期待する者たちではないのか」と。「まさに、貴君の布施においては、このような形態のものが施されます──食料として、酸えた粥を添え物とする屑米が、すなわち、貴君が、足でさえも触れることを求めず、ましてや、食べることなど〔論外の食料が〕──そして、諸々の衣として、毛玉のある粗野なるものが、すなわち、貴君が、足でさえも触れることを求めず、ましてや、まとうことなど〔論外の諸々の衣が〕。また、まさに、貴君は、わたしどもにとって、愛しく意に適う者です。どうして、わたしどもが、意に適うものを、意に適わないものと結び付けるというのでしょう」と。「親愛なる者よ、ウッタラよ、まさに、それでは、あなたは、それが、わたしが食べるような食料であるなら、そのような食料を、〔施物として〕仕立てと。そして、それが、わたしがまとうような諸々の衣であるなら、そして、そのような諸々の衣を、〔施物として〕仕立てよ」と。「君よ、わかりました」と、まさに、ウッタラ学徒は、王族のパーヤーシに答えて、それが、王族のパーヤーシが食べるような食料であるなら、そのような食料を、〔施物として〕仕立てました。そして、それが、王族のパーヤーシがまとうような諸々の衣であるなら、そして、そのような諸々の衣を、〔施物として〕仕立てました。
そこで、まさに、王族のパーヤーシは、恭しくなく布施を施して、自らの手でなく布施を施して、心作なく布施を施して、捨てられたものの布施を施して、身体の破壊ののち、死後において、四大王天〔の神々〕たちの同類として再生しました──空無なるセーリーサカ天宮に。いっぽう、すなわち、彼の布施において、従事者として有った、ウッタラという名の学徒は、彼は、恭しく布施を施して、自らの手で布施を施して、心作ある布施を施して、捨てられていないものの布施を施して、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生しました──三十三天〔の神々〕たちの同類として。
パーヤーシ天子
また、まさに、その時点にあって、尊者ガヴァンパティは、幾度となく、空無なるセーリーサカ天宮に、昼の休息のために赴きます。そこで、まさに、パーヤーシ天子は、尊者ガヴァンパティのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、尊者ガヴァンパティを敬拝して、一方に立ちました。一方に立った、まさに、パーヤーシ天子に、尊者ガヴァンパティは、こう言いました。「友よ、誰なのですか、〔ここに〕存する、あなたは」と。「尊き方よ、わたしは、王族のパーヤーシです」と。「友よ、まさに、あなたは、このような論ある者として、このような見解ある者として、〔世に〕有ったのではないですか。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』」と。「尊き方よ、たしかに、わたしは、このような論ある者として、このような見解ある者として、〔世に〕有りました。『かくのごとくもまた、他の世は存在しない。化生の有情たちは存在しない。諸々の善行と悪行の行為に、果たる報いは存在しない』と。ですが、また、わたしは、尊貴なるクマーラ・カッサパによって、悪しきものとしてある、悪しき見解から、これから遠離させられたのです」と。「友よ、いっぽう、すなわち、あなたの布施において、従事者として有った、ウッタラという名の学徒は、彼は、どこに再生したのですか」と。「友よ、いっぽう、すなわち、わたしの布施において、従事者として有った、ウッタラという名の学徒は、彼は、恭しく布施を施して、自らの手で布施を施して、心作ある布施を施して、捨てられていないものの布施を施して、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生したのです──三十三天〔の神々〕たちの同類として。尊き方よ、いっぽう、わたしは、恭しくなく布施を施して、自らの手でなく布施を施して、心作なく布施を施して、捨てられたものの布施を施して、身体の破壊ののち、死後において、四大王天〔の神々〕たちの同類として再生したのです──空無なるセーリーサカ天宮に。尊き方よ、ガヴァンパティよ、まさに、それでは、人間の世に赴いて、このように告げてください。『恭しく布施を施しなさい、自らの手で布施を施しなさい、心作ある布施を施しなさい、捨てられていないものの布施を施しなさい。王族のパーヤーシは、恭しくなく布施を施して、自らの手でなく布施を施して、心作なく布施を施して、捨てられたものの布施を施して、身体の破壊ののち、死後において、四大王天〔の神々〕たちの同類として再生したのです──空無なるセーリーサカ天宮に。いっぽう、すなわち、彼の布施において、従事者として有った、ウッタラという名の学徒は、彼は、恭しく布施を施して、自らの手で布施を施して、心作ある布施を施して、捨てられていないものの布施を施して、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生したのです──三十三天〔の神々〕たちの同類として』」と。
そこで、まさに、尊者ガヴァンパティは、人間の世に赴いて、このように告げました。「恭しく布施を施しなさい、自らの手で布施を施しなさい、心作ある布施を施しなさい、捨てられていないものの布施を施しなさい。王族のパーヤーシは、恭しくなく布施を施して、自らの手でなく布施を施して、心作なく布施を施して、捨てられたものの布施を施して、身体の破壊ののち、死後において、四大王天〔の神々〕たちの同類として再生したのです──空無なるセーリーサカ天宮に。いっぽう、すなわち、彼の布施において、従事者として有った、ウッタラという名の学徒は、彼は、恭しく布施を施して、自らの手で布施を施して、心作ある布施を施して、捨てられていないものの布施を施して、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生したのです──三十三天〔の神々〕たちの同類として」と。
パーヤーシの経は終了となり、〔以上が〕第十となる。
大いなるものの部は〔以上で〕終了となる。
その〔部〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「大いなる行状、因縁、そして、涅槃、スダッサナ、ジャナヴァサバ、ゴーヴィンダ、集い、帝釈〔天〕の問いなるもの、そして、大いなる気づきの確立、第十のものとして、パーヤーシが有る」〔と〕。
大いなるものの部の聖典は〔以上で〕終了となる。
注釈【3】
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