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翻訳【26】

始源の経

ヴァーセッタとバーラドヴァージャ

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)に住んでおられます。東の林園のミガーラマータルの高楼(鹿母講堂)において。また、まさに、その時点にあって、ヴァーセッタとバーラドヴァージャが、比丘たちのなかで、比丘の状態を望みながら別住しています。そこで、まさに、世尊は、夕刻時に、静坐から出起し、高楼から降りて、高楼の影のもとで、野外において、歩行〔瞑想〕をしています。

まさに、ヴァーセッタは、世尊が、夕刻時に、静坐から出起し、高楼から降りて、高楼の影のもとで、野外において、歩行〔瞑想〕をしているのを見ました。見て、バーラドヴァージャに告げました。「友よ、バーラドヴァージャよ、この方が、世尊が、夕刻時に、静坐から出起し、高楼から降りて、高楼の影のもとで、野外において、歩行〔瞑想〕をしています。友よ、バーラドヴァージャよ、行きましょう。世尊のおられるところに、そこへと近づいて行くのです。まさしく、おそらく、まさに、世尊の現前にあって、法(教え)の話を聞くことを得るでしょう」と。「友よ、わかりました」と、まさに、バーラドヴァージャは、ヴァーセッタに答えました。

そこで、まさに、ヴァーセッタとバーラドヴァージャは、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、歩行〔瞑想〕をしている世尊に従って歩行〔瞑想〕をしました。そこで、まさに、世尊は、ヴァーセッタに告げました。「ヴァーセッタよ、あなたたちは、まさに、生まれながらの婆羅門たちとして〔世に〕存しています──婆羅門の家系から、婆羅門の家から、家から家なきへと出家した者たちとして。ヴァーセッタよ、どうでしょう、婆羅門たちは、あなたたちを、罵倒しませんか、口撃しませんか」と。「尊き方よ、たしかに、婆羅門たちは、わたしたちを罵倒し口撃します──自己の形態にかなう、遍く満ちた口撃によって、遍く満ちないところなく」と。「ヴァーセッタよ、また、すなわち、どのように、婆羅門たちは、あなたたちを罵倒し口撃するのですか──自己の形態にかなう、遍く満ちた口撃によって、遍く満ちないところなく」と。「尊き方よ、婆羅門たちは、このように言います。『婆羅門だけが、最勝の階級である。他の者たちは、下劣な階級である。婆羅門だけが、白の階級である。他の者たちは、黒の階級である。婆羅門たちだけが、清浄となる。婆羅門ならざる者たちは、さにあらず。婆羅門たちだけが、梵の、子たちであり、正嫡たちであり、口から生まれた者たちである。梵から生じる者たちであり、梵によって化作された者たちであり、梵の相続者たちである。〔まさに〕その、おまえたちは、最勝の階級を捨棄して、下劣な階級に到達した者たちとして〔世に〕存している──すなわち、この、坊主頭の似非沙門たちに、卑俗の黒き者たちに、梵の足から生まれた者たちに。〔まさに〕その、このことは、善きことならず。〔まさに〕その、このことは、適切ならず。すなわち、おまえたちが、最勝の階級を捨棄して、下劣な階級に到達したのは──すなわち、この、坊主頭の似非沙門たちに、卑俗の黒き者たちに、梵の足から生まれた者たちに』と。尊き方よ、このように、まさに、婆羅門たちは、わたしたちを罵倒し口撃します──自己の形態にかなう、遍く満ちた口撃によって、遍く満ちないところなく」と。

「ヴァーセッタよ、たしかに、婆羅門たちは、過去のことを思念することなく、あなたたちに、このように言います。『婆羅門だけが、最勝の階級である。他の者たちは、下劣な階級である。婆羅門だけが、白の階級である。他の者たちは、黒の階級である。婆羅門たちだけが、清浄となる。婆羅門ならざる者たちは、さにあらず。婆羅門たちだけが、梵の、子たちであり、正嫡たちであり、口から生まれた者たちである。梵から生じる者たちであり、梵によって化作された者たちであり、梵の相続者たちである』と。ヴァーセッタよ、また、まさに、婆羅門たちのなかの女性婆羅門たちは、月経ある者たちもまた見られ、妊婦たちもまた〔見られ〕、出産している者たちもまた〔見られ〕、授乳している者たちもまた〔見られます〕。そして、それらの婆羅門たちは、まさしく、胎から生まれる者たちとして〔世に〕存していながら、このように言います。『婆羅門だけが、最勝の階級である。他の者たちは、下劣な階級である。婆羅門だけが、白の階級である。他の者たちは、黒の階級である。婆羅門たちだけが、清浄となる。婆羅門ならざる者たちは、さにあらず。婆羅門たちだけが、梵の、子たちであり、正嫡たちであり、口から生まれた者たちである。梵から生じる者たちであり、梵によって化作された者たちであり、梵の相続者たちである』と。彼らは、まさしく、そして、梵〔天〕を誹謗し、かつまた、虚偽を語り、さらに、多くの功徳ならざるものを生み出します。

四つの階級の清浄

ヴァーセッタよ、これらの四つの階級があります。士族たちであり、婆羅門たちであり、庶民たちであり、隷民たちです。ヴァーセッタよ、まさに、士族もまた、ここに、一部の者は、命あるものを殺す者として、与えられていないものを取る者として、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないある者として、虚偽を説く者として、中傷の言葉ある者として、粗暴な言葉ある者として、雑駁な虚論ある者として、強欲〔の思い〕ある者として、憎悪している心の者として、誤った見解ある者として、〔世に〕有ります。ヴァーセッタよ、かくのごとく、まさに、すなわち、これらの法(性質)は、善ならざるものであり、善ならざると見なされたものであり、罪過を有するものであり、罪過を有すると見なされたものであり、慣れ親しむべきではないものであり、慣れ親しむべきではないと見なされたものであり、十全にして聖なるものではなく、十全にして聖なると見なされたものではなく、黒いものであり、黒い報いあるものであり、識者たちに難詰されるものであり、それら〔の法〕が、ここに、一部の士族においてもまた見られます。ヴァーセッタよ、まさに、婆羅門もまた……略……。ヴァーセッタよ、まさに、庶民もまた……略……。ヴァーセッタよ、まさに、隷民もまた、ここに、一部の者は、命あるものを殺す者として、与えられていないものを取る者として、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないある者として、虚偽を説く者として、中傷の言葉ある者として、粗暴な言葉ある者として、雑駁な虚論ある者として、強欲〔の思い〕ある者として、憎悪している心の者として、誤った見解ある者として、〔世に〕有ります。ヴァーセッタよ、かくのごとく、まさに、すなわち、これらの法(性質)は、善ならざるものであり、善ならざると見なされたものであり……略……黒いものであり、黒い報いあるものであり、識者たちに難詰されるものであり、それら〔の法〕が、ここに、一部の隷民においてもまた見られます。

ヴァーセッタよ、まさに、士族もまた、ここに、一部の者は、命あるものを殺すことから離間した者として、与えられていないものを取ることから離間した者として、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないことから離間した者として、虚偽を説くことから離間した者として、中傷の言葉から離間した者として、粗暴な言葉から離間した者として、雑駁な虚論から離間した者として、強欲〔の思い〕なき者として、憎悪していない心の者として、正しい見解ある者として、〔世に〕有ります。ヴァーセッタよ、かくのごとく、まさに、すなわち、これらの法(性質)は、善なるものであり、善なると見なされたものであり、罪過なきものであり、罪過なきと見なされたものであり、慣れ親しむべきものであり、慣れ親しむべきと見なされたものであり、十全にして聖なるものであり、十全にして聖なると見なされたものであり、白いものであり、白い報いあるものであり、識者たちに賞賛されるものであり、それら〔の法〕が、ここに、一部の士族においてもまた見られます。ヴァーセッタよ、まさに、婆羅門もまた……略……。ヴァーセッタよ、まさに、庶民もまた……略……。ヴァーセッタよ、まさに、隷民もまた、ここに、一部の者は、命あるものを殺すことから離間した者として……略……強欲〔の思い〕なき者として、憎悪していない心の者として、正しい見解ある者として、〔世に〕有ります。ヴァーセッタよ、かくのごとく、まさに、すなわち、これらの法(性質)は、善なるものであり、善なると見なされたものであり、罪過なきものであり、罪過なきと見なされたものであり、慣れ親しむべきものであり、慣れ親しむべきと見なされたものであり、十全にして聖なるものであり、十全にして聖なると見なされたものであり、白いものであり、白い報いあるものであり、識者たちに賞賛されるものであり、それら〔の法〕が、ここに、一部の隷民においてもまた見られます。

ヴァーセッタよ、まさに、これらの四つの階級において、このように、黒と白の法(性質)が──まさしく、そして、識者たちに難詰されるものも、さらに、識者たちに賞賛されるものも──両者が混在し、転起しているなかで、すなわち、ここにおいて、婆羅門たちは、このように言います。『婆羅門だけが、最勝の階級である。他の者たちは、下劣な階級である。婆羅門だけが、白の階級である。他の者たちは、黒の階級である。婆羅門たちだけが、清浄となる。婆羅門ならざる者たちは、さにあらず。婆羅門たちだけが、梵の、子たちであり、正嫡たちであり、口から生まれた者たちである。梵から生じる者たちであり、梵によって化作された者たちであり、梵の相続者たちである』と。彼らのその〔言葉〕を、識者たちは承認しません。それは、何を因とするのですか。ヴァーセッタよ、なぜなら、これらの四つの階級があるなかで、その比丘が、阿羅漢として、煩悩の滅尽者として、〔梵行の〕完成者として、為すべきことを為した者として、〔生の〕重荷を置いた者として、自らの義(目的)に至り得た者として、〔迷いの〕生存に束縛するものの完全なる滅尽者として、正しい了知による解脱者として、〔世に〕有るなら、彼は、それら〔の四つの階級〕のなかの至高の者と告げ知らされるからです──まさしく、法(正義)によって──法(正義)ならざることによって、ではなく。ヴァーセッタよ、まさに、法(正義)は、この人々において、最勝のものとしてあります──まさしく、そして、所見の法(現世)において、さらに、未来の運命としても。

ヴァーセッタよ、この教相によってもまた、〔まさに〕その、このことが知られるべきです。すなわち、まさしく、法(正義)が、この人々において、最勝のものとしてあるとおりに──まさしく、そして、所見の法(現世)において、さらに、未来の運命としても。

ヴァーセッタよ、まさに、コーサラ〔国〕のパセーナディ王は、『沙門ゴータマは、無上なる者であり、釈迦〔族〕の家から出家した者である』と知ります。ヴァーセッタよ、また、まさに、釈迦〔族〕の者たちは、コーサラ〔国〕のパセーナディ王に付き従う者たちとして〔世に〕有ります。ヴァーセッタよ、まさに、釈迦〔族〕の者たちは、コーサラ〔国〕のパセーナディ王にたいし、倒礼の所作を、敬拝を、奉仕を、合掌の行為を、和敬の行為を、為します。ヴァーセッタよ、かくのごとく、まさに、すなわち、釈迦〔族〕の者たちが、コーサラ〔国〕のパセーナディ王にたいし、倒礼の所作を、敬拝を、奉仕を、合掌の行為を、和敬の行為を、為すとして、〔まさに〕その、倒礼の所作を、敬拝を、奉仕を、合掌の行為を、和敬の行為を、コーサラ〔国〕のパセーナディ王は、如来にたいし為します。それは、『善き生まれの者として、沙門ゴータマはあり、悪しき生まれの者として、わたしは存している』『力ある者として、沙門ゴータマはあり、力弱き者として、わたしは存している』『清らかな者として、沙門ゴータマはあり、醜き色艶の者として、わたしは存している』『大いなる権能ある者として、沙門ゴータマはあり、少なき権能ある者として、わたしは存している』ということではなく、そこで、まさに、それは、まさしく、法(教え)を尊敬しながら、法(教え)を尊重しながら、法(教え)を思慕しながら、法(教え)を供養しながら、法(教え)を敬恭しながら、このように、コーサラ〔国〕のパセーナディ王は、如来にたいしたいし、倒礼の所作を、敬拝を、奉仕を、合掌の行為を、和敬の行為を、為します。ヴァーセッタよ、この教相によってもまた、まさに、このことが知られるべきです。すなわち、まさしく、法(正義)が、この人々において、最勝のものとしてあるとおりに──まさしく、そして、所見の法(現世)において、さらに、未来の運命としても。

ヴァーセッタよ、あなたたちは、まさに、種々なる生まれの者たちとして、種々なる名の者たちとして、種々なる姓の者たちとして、種々なる家の者たちとして、〔世に〕存し、家から家なきへと出家したのです。『あなたたちは、どのような者たちなのですか』と尋ねられ、〔そのように〕存しているなら、『釈子たる沙門たちとして、〔わたしたちは〕存しています』と明言しなさい。ヴァーセッタよ、また、まさに、すなわち、その者の、如来にたいする信が、固着し、根元から生じ、確立し、堅固で、あるいは、沙門によって、あるいは、婆羅門によって、あるいは、天〔の神〕によって、あるいは、悪魔によって、あるいは、梵〔天〕によって、あるいは、世において、誰であれ、動かしようがないなら、彼にとって、このことは、言葉たるに健全なるものがあります。『世尊の、子として、正嫡として、口から生まれた者として、法(教え)から生じる者として、法(教え)によって化作された者として、法(教え)の相続者として、〔わたしは〕存している』と。それは、何を因とするのですか。ヴァーセッタよ、なぜなら、『法(真理)の身体』とはまた、『梵の身体』とはまた、『法(真理)と成った者』とはまた、『梵と成った者』とはまた、これは、如来の同義語であるからです。

ヴァーセッタよ、すなわち、いつであれ、いつかは、長時が経過して、この世が展転する、まさに、その時と成ります(世界が拡散し崩壊する時がくる)。世が展転しているとき、多くのところとして、有情たちは、光音〔天〕に等しく転起する者たちと成ります。彼らは、そこにおいて、意によって作られる者たちとして、喜悦を食物とする者たちとして、自ら光輝ある者たちとして、空中を歩む者たちとして、浄美なる境位ある者たちとして、〔世に〕有り、長きにわたり、長時のあいだ、〔世に〕止住します。

ヴァーセッタよ、すなわち、いつであれ、いつかは、長時が経過して、この世が還転する、まさに、その時と成ります(世界が収縮し再生する時がくる)。世が還転しているとき、多くのところとして、有情たちは、光音〔天〕の身体から死滅して、この場に帰還します。彼らは、ここに、意によって作られる者たちとして、喜悦を食物とする者たちとして、自ら光輝ある者たちとして、空中を歩む者たちとして、浄美なる境位ある者たちとして、〔世に〕有り、長きにわたり、長時のあいだ、〔世に〕止住します。

味ある地の出現

ヴァーセッタよ、また、まさに、その時点にあって、一水の状態となった暗黒と漆黒の闇が有り(水だけが存在する闇の世界となる)、月と日は覚知されず、諸々の星宿と諸々の星座の形態は覚知されず、夜と昼は覚知されず、ひと月と半月は覚知されず、季節と年月は覚知されず、女と男は覚知されず、有情たちは、まさしく、『有情』という名称に至ります(種差がなく単に有情としてある)。ヴァーセッタよ、そこで、まさに、それらの有情たちに、いつであれ、いつかは、長時が経過して、味ある地が、水のうえに等しく広がりました。それは、たとえば、また、まさに、熱せられた牛乳が冷やされつつあると、上に等しく広がるもの(膜)が有るように、まさしく、このように、〔味ある地が〕出現しました。それは、色艶に満ち、香りに満ち、味に満ちたものとして有りました。それは、たとえば、また、まさに、あるいは、上出来の酥のような、あるいは、上出来の生酥のような、このような色艶が有りました。それは、たとえば、また、まさに、純粋な小蜂の蜜のような、このような美味が有りました。ヴァーセッタよ、そこで、まさに、或るひとりの有情で、妄動の類の者が、『はてさて、これは、まさしく、何が有るのだろう』と、味ある地を指で味わいました。彼が、味ある地を指で味わっていると、〔快感が〕覆い包み、そして、渇愛が、彼に入り込みました。ヴァーセッタよ、まさに、他の有情たちもまた、その有情に随従する見解を惹起させながら、味ある地を指で味わいました。彼らが、味ある地を指で味わっていると、〔快感が〕覆い包み、そして、渇愛が、彼らに入り込みました。

月や日等の出現

ヴァーセッタよ、そこで、まさに、それらの有情たちは、味ある地を〔両の〕手でひと固まりと為し、遍く受益することに従事しました。ヴァーセッタよ、すなわち、まさに、それらの有情たちが、味ある地を〔両の〕手でひと固まりと為し、遍く受益することに従事したことから、そこで、それらの有情たちの、自らの光輝は消没しました。自らの光輝が消没したとき、月と日が出現しました。月と日が出現したとき、諸々の星宿と諸々の星座の形態が出現しました。諸々の星宿と諸々の星座の形態が出現したとき、夜と昼が覚知されました。夜と昼が覚知されているとき、ひと月と半月が覚知されました。ひと月と半月が覚知されているとき、季節と年月が覚知されました。ヴァーセッタよ、このことから、まさに、この世は、ふたたび還転されたものと成ります。

ヴァーセッタよ、そこで、まさに、それらの有情たちは、味ある地を遍く受益しながら、それを食物とし、それを食する者たちとして、長きにわたり、長時のあいだ、〔世に〕止住しました。ヴァーセッタよ、そのとおり、そのとおりに、まさに、それらの有情たちが、味ある地を遍く受益しながら、それを食物とし、それを食する者たちとして、長きにわたり、長時のあいだ、〔世に〕止住したなら、そのとおり、そのとおりに、味ある地を遍く受益している、それらの有情たちに、まさしく、そして、荒々しさが身体のなかに入り込み、さらに、色艶に色艶の衰えが覚知されました。ここに、或る有情たちは、色艶ある者たちと成り、ここに、或る有情たちは、醜き色艶の者たちと〔成ります〕。そこにおいて、すなわち、それらの有情たちで、色艶ある者たちは、彼らは、醜き色艶の有情たちを軽んじます。『わたしたちは、これらの者たちよりも、より色艶ある者たちである。わたしたちよりも、これらの者たちは、より醜き色艶の者たちである』と。彼らが、色艶における高慢という縁あることから、思量()と高慢の類の者たちとなると、味ある地は消没しました。味ある地が消没したとき、〔彼らは〕集まりました。集まって、泣き悲しみました。『ああ、味が、ああ、味が』と。それで、今現在もまた、人間たちは、何らかの或る善き味のものを得て、このように言います。『ああ、味が、ああ、味が』と。まさしく、その、過去を始源とする語を隨念するも、まさしく、しかし、その〔語〕の義(意味)を了知しません。

地の餅の出現

ヴァーセッタよ、そこで、まさに、それらの有情たちに、味ある地が消没したとき、地の餅が出現しました。それは、たとえば、また、まさに、蛇の傘(茸)のように、まさしく、このように出現しました。それは、色艶に満ち、香りに満ち、味に満ちたものとして有りました。それは、たとえば、また、まさに、あるいは、上出来の酥のような、あるいは、上出来の生酥のような、このような色艶が有りました。それは、たとえば、また、まさに、純粋な小蜂の蜜のような、このような美味が有りました。

ヴァーセッタよ、そこで、まさに、それらの有情たちは、地の餅を遍く受益することに従事しました。彼らは、それを遍く受益しながら、それを食物とし、それを食する者たちとして、長きにわたり、長時のあいだ、〔世に〕止住しました。ヴァーセッタよ、そのとおり、そのとおりに、まさに、それらの有情たちが、地の餅を遍く受益しながら、それを食物とし、それを食する者たちとして、長きにわたり、長時のあいだ、〔世に〕止住したなら、そのとおり、そのとおりに、それらの有情たちに、より一層しっかりと、まさしく、そして、荒々しさが身体のなかに入り込み、さらに、色艶に色艶の衰えが覚知されました。ここに、或る有情たちは、色艶ある者たちと成り、ここに、或る有情たちは、醜き色艶の者たちと〔成ります〕。そこにおいて、すなわち、それらの有情たちで、色艶ある者たちは、彼らは、醜き色艶の有情たちを軽んじます。『わたしたちは、これらの者たちよりも、より色艶ある者たちである。わたしたちよりも、これらの者たちは、より醜き色艶の者たちである』と。彼らが、色艶における高慢という縁あることから、思量と高慢の類の者たちとなると、地の餅は消没しました。

甘美なる蔓の出現

地の餅が消没したとき、甘美なる蔓が出現しました。それは、たとえば、また、まさに、蔓草のように、まさしく、このように出現しました。それは、色艶に満ち、香りに満ち、味に満ちたものとして有りました。それは、たとえば、また、まさに、あるいは、上出来の酥のような、あるいは、上出来の生酥のような、このような色艶が有りました。それは、たとえば、また、まさに、純粋な小蜂の蜜のような、このような美味が有りました。

ヴァーセッタよ、そこで、まさに、それらの有情たちは、甘美なる蔓を遍く受益することに従事しました。彼らは、それを遍く受益しながら、それを食物とし、それを食する者たちとして、長きにわたり、長時のあいだ、〔世に〕止住しました。ヴァーセッタよ、そのとおり、そのとおりに、まさに、それらの有情たちが、甘美なる蔓を遍く受益しながら、それを食物とし、それを食する者たちとして、長きにわたり、長時のあいだ、〔世に〕止住したなら、そのとおり、そのとおりに、甘美なる蔓を遍く受益している、それらの有情たちに、より一層しっかりと、まさしく、そして、荒々しさが身体のなかに入り込み、さらに、色艶に色艶の衰えが覚知されました。ここに、或る有情たちは、色艶ある者たちと成り、ここに、或る有情たちは、醜き色艶の者たちと〔成ります〕。そこにおいて、すなわち、それらの有情たちで、色艶ある者たちは、彼らは、醜き色艶の有情たちを軽んじます。『わたしたちは、これらの者たちよりも、より色艶ある者たちである。わたしたちよりも、これらの者たちは、より醜き色艶の者たちである』と。彼らが、色艶における高慢という縁あることから、思量と高慢の類の者たちとなると、甘美なる蔓は消没しました。

甘美なる蔓が消没したとき、〔彼らは〕集まりました。集まって、泣き悲しみました。『まさに、わたしたちに有ったが、まさに、わたしたちから失われた──甘美なる蔓が』と。それで、今現在もまた、人間たちは、何であれ、苦痛の法(性質)に触れられたなら、このように言います。『まさに、わたしたちに有ったが、まさに、わたしたちから失われた』と。まさしく、その、過去を始源とする語を隨念するも、まさしく、しかし、その〔語〕の義(意味)を了知しません。

耕さずに成熟する米の出現

ヴァーセッタよ、そこで、まさに、それらの有情たちに、甘美なる蔓が消没したとき、耕さずに成熟する米が出現しました──籾糠がなく、籾殻がなく、清浄で、善き香りの、米の果が。すなわち、それを、夕に、夕食のために運ぶと、朝に、それは、成熟し再成したものと成り、すなわち、それを、朝に、朝食のために運ぶと、夕に、それは、成熟し再成したものと成り、欠損は覚知されませんでした。ヴァーセッタよ、そこで、まさに、それらの有情たちは、耕さずに成熟する米を遍く受益しながら、それを食物とし、それを食する者たちとして、長きにわたり、長時のあいだ、〔世に〕止住しました。

女と男の徴表の出現

ヴァーセッタよ、そのとおり、そのとおりに、まさに、それらの有情たちが、耕さずに成熟する米を遍く受益しながら、それを食物とし、それを食する者たちとして、長きにわたり、長時のあいだ、〔世に〕止住したなら、そのとおり、そのとおりに、それらの有情たちに、より一層しっかりと、まさしく、そして、荒々しさが身体のなかに入り込み、さらに、色艶に色艶の衰えが覚知され、そして、女には、女の徴表が、さらに、男には、男の徴表が、出現しました。そして、女は、男を、さらに、男は、女を、限度を超えて思慮します。彼らが、互いに他を、限度を超えて思慮していると、貪染が生起し、苦悶が身体のなかに入り込みました。彼らは、苦悶という縁あることから、淫事の法(性質)を受用しました。

ヴァーセッタよ、また、まさに、その時点にあって、すなわち、それらの有情たちが、淫事の法(性質)を受用している者たちを見るなら、或る者たちは、砂塵を投げ、或る者たちは、屑物を投げ、或る者たちは、牛糞を投げます。『不浄は消え去れ、不浄は消え去れ』と。『まさに、どうして、まさに、有情が、有情に、このような形態のことを為すというのだろう』と。それで、今現在もまた、人間たちは、諸々の一部の地方において、嫁が運び去られつつあると、或る者たちは、砂塵を投げ、或る者たちは、屑物を投げ、或る者たちは、牛糞を投げます。まさしく、その、過去を始源とする語を隨念するも、まさしく、しかし、その〔語〕の義(意味)を了知しません。

淫事の法の励行

ヴァーセッタよ、また、まさに、その時点にあって、法(正義)ならざるものと等しく思認され、〔世に〕有るも、それは、今現在、法(正義)と等しく思認されています。ヴァーセッタよ、また、すなわち、有情たちが、淫事の法(性質)を受用するなら、彼らは、ひと月のあいだであろうが、二月のあいだであろうが、あるいは、村に、あるいは、町に、入ることを得ません。ヴァーセッタよ、すなわち、まさに、それらの有情たちが、その法(正義)ならざるものにたいし、限度を超えて落ち行くことを惹起したことから、そこで、諸々の家を作ることに従事しました──まさしく、その法(正義)ならざるものの隠蔽を義(目的)として。ヴァーセッタよ、そこで、まさに、或るひとりの有情で、怠け者の類の者に、この〔思い〕が有りました。『はてさて、まさしく、どうして、わたしは打ちのめされるのだろう──夕に、夕食のために、朝に、朝食のために、米を運びながら。それなら、さあ、わたしは、夕食と朝食のために、一度だけ、米を運ぶのだ(朝夕の作業は疲れるので一度で済ます)』と。

ヴァーセッタよ、そこで、まさに、その有情は、夕食と朝食のために、一度だけ、米を運びました。ヴァーセッタよ、そこで、まさに、或るひとりの有情が、その有情のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、その有情に、こう言いました。『君よ、有情よ、さあ、〔わたしたちは〕米運びに赴くのだ』と。『君よ、有情よ、十分です。わたしは、夕食と朝食のために、一度だけ、米を運んでいます』と。ヴァーセッタよ、そこで、まさに、その有情は、その有情に随従する見解を惹起させながら、二日に一度だけ、米を運びました。『ああ、まさに、このように〔為す〕もまた、善きことかな』と。

ヴァーセッタよ、そこで、まさに、或るひとりの有情が、その有情のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、その有情に、こう言いました。『君よ、有情よ、さあ、〔わたしたちは〕米運びに赴くのだ』と。『君よ、有情よ、十分です。わたしは、二日に一度だけ、米を運んでいます』と。ヴァーセッタよ、そこで、まさに、その有情は、その有情に随従する見解を惹起させながら、四日に一度だけ、米を運びました。『ああ、まさに、このように〔為す〕もまた、善きことかな』と。

ヴァーセッタよ、そこで、まさに、或るひとりの有情が、その有情のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、その有情に、こう言いました。『君よ、有情よ、さあ、〔わたしたちは〕米運びに赴くのだ』と。『君よ、有情よ、十分です。わたしは、四日に一度だけ、米を運んでいます』と。ヴァーセッタよ、そこで、まさに、その有情は、その有情に随従する見解を惹起させながら、八日に一度だけ、米を運びました。『ああ、まさに、このように〔為す〕もまた、善きことかな』と。

ヴァーセッタよ、すなわち、まさに、それらの有情たちが、蓄積物として米を遍く受益することに従事したことから、そこで、籾糠もまた、米粒を遍く覆い包み、籾殻もまた、米粒を遍く覆い包み、刈り取られたものもまた再成せず、欠損が覚知され、諸々の米は、それぞれが茂みとなり、止住しました。

米の区分

ヴァーセッタよ、そこで、まさに、それらの有情たちは集まりました。集まって、泣き悲しみました。『君よ、まさに、諸々の悪しき法(性質)が、有情たちにおいて出現したのだ。まさに、わたしたちは、過去においては、意によって作られる者たちとして、喜悦を食物とする者たちとして、自ら光輝ある者たちとして、空中を歩む者たちとして、浄美なる境位ある者たちとして、〔世に〕有り、長きにわたり、長時のあいだ、〔世に〕止住した。それで、まさに、わたしたちに、いつであれ、いつかは、長時が経過して、味ある地が、水のうえに等しく広がった。それは、色艶に満ち、香りに満ち、味に満ちたものとして有った。〔まさに〕その、わたしたちは、味ある地を〔両の〕手でひと固まりと為し、遍く受益することに従事した。〔まさに〕その、わたしたちが、味ある地を〔両の〕手でひと固まりと為し、遍く受益することに従事していると、自らの光輝は消没した。自らの光輝が消没したとき、月と日が出現した。月と日が出現したとき、諸々の星宿と諸々の星座の形態が出現した。諸々の星宿と諸々の星座の形態が出現したとき、夜と昼が覚知された。夜と昼が覚知されているとき、ひと月と半月が覚知された。ひと月と半月が覚知されているとき、季節と年月が覚知された。〔まさに〕その、わたしたちは、味ある地を遍く受益しながら、それを食物とし、それを食する者たちとして、長きにわたり、長時のあいだ、〔世に〕止住した。〔まさに〕その、わたしたちに、まさしく、諸々の悪しき善ならざる法(性質)の出現あることから、味ある地は消没した。味ある地が消没したとき、地の餅が出現した。それは、色艶に満ち、香りに満ち、味に満ちたものとして有った。〔まさに〕その、わたしたちは、地の餅を遍く受益することに従事した。〔まさに〕その、わたしたちは、それを遍く受益しながら、それを食物とし、それを食する者たちとして、長きにわたり、長時のあいだ、〔世に〕止住した。〔まさに〕その、わたしたちに、まさしく、諸々の悪しき善ならざる法(性質)の出現あることから、地の餅は消没した。地の餅が消没したとき、甘美なる蔓が出現した。それは、色艶に満ち、香りに満ち、味に満ちたものとして有った。〔まさに〕その、わたしたちは、甘美なる蔓を遍く受益することに従事した。〔まさに〕その、わたしたちは、それを遍く受益しながら、それを食物とし、それを食する者たちとして、長きにわたり、長時のあいだ、〔世に〕止住した。〔まさに〕その、わたしたちに、まさしく、諸々の悪しき善ならざる法(性質)の出現あることから、甘美なる蔓は消没した。甘美なる蔓が消没したとき、耕さずに成熟する米が出現した──籾糠がなく、籾殻がなく、清浄で、善き香りの、米の果が。すなわち、それを、夕に、夕食のために運ぶと、朝に、それは、成熟し再成したものと成り、すなわち、それを、朝に、朝食のために運ぶと、夕に、それは、成熟し再成したものと成り、欠損は覚知されなかった。〔まさに〕その、わたしたちは、耕さずに成熟する米を遍く受益しながら、それを食物とし、それを食する者たちとして、長きにわたり、長時のあいだ、〔世に〕止住した。〔まさに〕その、わたしたちに、まさしく、諸々の悪しき善ならざる法(性質)の出現あることから、籾糠もまた、米粒を遍く覆い包み、籾殻もまた、米粒を遍く覆い包み、刈り取られたものもまた再成せず、欠損が覚知され、諸々の米は、それぞれが茂みとなり、止住したのだ。それなら、さあ、わたしたちは、米〔の生育地〕を区分し、畔を据え置くのだ』と。ヴァーセッタよ、そこで、まさに、それらの有情たちは、米〔の生育地〕を区分し、畔を据え置きました。

ヴァーセッタよ、そこで、まさに、或るひとりの有情で、妄動の類の者が、自らの区分を遍く守りながら、或るひとつの区分で、与えられていないものを取って、遍く受益しました。〔まさに〕その、この者を、〔人々は〕捕捉しました。補足して、こう言いました。『君よ、有情よ、まさに、〔あなたは〕悪しきことを為す。なぜなら、そこで、まさに、自らの区分を遍く守りながら、或るひとつの区分で、与えられていないものを取って、遍く受益するからだ。君よ、有情よ、まさに、ふたたびまた、このような形態のことを為してはならない』と。ヴァーセッタよ、『君よ、わかりました』と、まさに、その有情は、それらの有情たちに答えました。ヴァーセッタよ、再度また、まさに、その有情は……略……ヴァーセッタよ、三度また、まさに、その有情は、自らの区分を遍く守りながら、或るひとつの区分で、与えられていないものを取って、遍く受益しました。〔まさに〕その、この者を、〔人々は〕捕捉しました。補足して、こう言いました。『君よ、有情よ、まさに、〔あなたは〕悪しきことを為す。なぜなら、そこで、まさに、自らの区分を遍く守りながら、或るひとつの区分で、与えられていないものを取って、遍く受益するからだ。君よ、有情よ、まさに、ふたたびまた、このような形態のことを為してはならない』と。或る者たちは、手で打ち、或る者たちは、石で打ち、或る者たちは、棒で打ちました。ヴァーセッタよ、それ以後、まさに、与えられていないものを取ることが覚知され、難詰が覚知され、虚偽を説くことが覚知され、棒を取ることが覚知されました。

マハー・サンマタ王

ヴァーセッタよ、そこで、まさに、それらの有情たちは集まりました。集まって、泣き悲しみました。『君よ、まさに、諸々の悪しき法(性質)が、有情たちにおいて出現したのだ。なぜなら、そこで、まさに、与えられていないものを取ることが覚知され、難詰が覚知され、虚偽を説くことが覚知され、棒を取ることが覚知されるからだ。それなら、さあ、わたしたちは、一者の有情を選ぶのだ。すなわち、わたしたちのなかで、正しく憤慨されるべき者に憤慨し、正しく難詰されるべき者を難詰し、正しく追放されるべき者を追放するであろう、〔そのような者を〕。いっぽう、わたしたちは、彼に、諸々の米のなかの〔しかるべき〕部分を供与するのだ』と。

ヴァーセッタよ、そこで、まさに、それらの有情たちは、すなわち、彼らのなかで、〔その〕有情が、かつまた、より形姿麗しく、かつまた、より美しく、かつまた、より清らかで、かつまた、より大いなる権能ある者であるなら、近づいて行って、その有情に、こう言いました。『君よ、有情よ、さあ、正しく憤慨されるべき者に憤慨し、正しく難詰されるべき者を難詰し、正しく追放されるべき者を追放したまえ。いっぽう、わたしたちは、あなたに、諸々の米のなかの〔しかるべき〕部分を供与するでしょう』と。ヴァーセッタよ、『君よ、わかりました』と、まさに、その有情は、それらの有情たちに答えて、正しく憤慨されるべき者に憤慨し、正しく難詰されるべき者を難詰し、正しく追放されるべき者を追放しました。いっぽう、彼らは、彼に、諸々の米のなかの〔しかるべき〕部分を供与しました。

ヴァーセッタよ、まさに、大勢(マハー)の人々によって選ばれた者(サンマタ)、ということで、まさしく、『大いに敬われる者(マハー・サンマタ)』『大いに敬われる者』という、第一の語が発現したのです。ヴァーセッタよ、まさに、諸々の国土(ケッタ)の君主(アディパティ)、ということで、まさしく、『士族(カッティヤ)』『士族』という、第二の語が発現したのです。ヴァーセッタよ、まさに、法(正義)によって他者たちを喜ばす(ランジェーティ)、ということで、まさしく、『王(ラージャン)』『王』という、第三の語が発現したのです。ヴァーセッタよ、かくのごとく、まさに、このように、この士族の集団の発現が有りました──過去を始源とする語によって──まさしく、それらの有情たちに──他の者たちに、ではなく──まさしく、同等の者たちに──同等ならざる者たちに、ではなく──まさしく、法(正義)によって──法(正義)ならざることによって、ではなく。ヴァーセッタよ、まさに、法(正義)は、この人々において、最勝のものとしてあります──まさしく、そして、所見の法(現世)において、さらに、未来の運命としても。

婆羅門の集団

ヴァーセッタよ、そこで、まさに、まさしく、それらの有情たちのなかの一部の者たちに、この〔思い〕が有りました。『君よ、まさに、諸々の悪しき法(性質)が、有情たちにおいて出現したのだ。なぜなら、そこで、まさに、与えられていないものを取ることが覚知され、難詰が覚知され、虚偽を説くことが覚知され、棒を取ることが覚知され、〔人を〕追放することが覚知されるからだ。それなら、さあ、わたしたちは、諸々の悪しき善ならざる法(性質)を除き取るのだ』と。彼らは、諸々の悪しき善ならざる法(性質)を除き取りました。ヴァーセッタよ、まさに、諸々の悪しき善ならざる法(性質)を除き取る(ヴァーヘンティ)、ということで、まさしく、『婆羅門(ブラーフマナ)』『婆羅門』という、第一の語が発現したのです。彼らは、林所において、諸々の柴小屋を作って、諸々の柴小屋において瞑想し、炭火を離れ、煙を離れ、杵を倒し、夕に、夕食のために、朝に、朝食のために、村や町や王都に降りて行きます──食糧を探し求めながら。彼らは、食糧を獲得して、まさしく、ふたたび、林所にある諸々の柴小屋において瞑想します。〔まさに〕その、この者のことを、人間たちが見て、このように言いました。『君よ、まさに、これらの有情たちは、林所において、諸々の柴小屋を作って、諸々の柴小屋において瞑想し、炭火を離れ、煙を離れ、杵を倒し、夕に、夕食のために、朝に、朝食のために、村や町や王都に降りて行きます──食糧を探し求めながら。彼らは、食糧を獲得して、まさしく、ふたたび、林所にある諸々の柴小屋において瞑想します』と。ヴァーセッタよ、まさに、瞑想する(ジャーヤンティ)、ということで、まさしく、『瞑想者(ジャーヤカ)』『瞑想者』という、第二の語が発現したのです。ヴァーセッタよ、まさに、まさしく、それらの有情たちのなかの一部の有情たちは、林所にある諸々の柴小屋において、その瞑想をできずにいながら、村の近隣や町の近隣に降りて行って、諸々の書物を作りながら暮らします。〔まさに〕その、この者のことを、人間たちが見て、このように言いました。『君よ、まさに、これらの有情たちは、林所にある諸々の柴小屋において、その瞑想をできずにいながら、村の近隣や町の近隣に降りて行って、諸々の書物を作りながら暮らします。今や、これらの者たちは瞑想しません』と。ヴァーセッタよ、まさに、今や、これらの者たちは瞑想しない(ナ・ジャーヤンティ)、ということで、まさしく、『読誦者(アッジャーヤカ)』『読誦者』という、第三の語が発現したのです。ヴァーセッタよ、また、まさに、その時点にあって、下劣なるものと等しく思認され、〔世に〕有るも、それは、今現在、最勝のものと等しく思認されています。ヴァーセッタよ、かくのごとく、まさに、このように、この婆羅門の集団の発現が有りました──過去を始源とする語によって──まさしく、それらの有情たちに──他の者たちに、ではなく──まさしく、同等の者たちに──同等ならざる者たちに、ではなく──まさしく、法(正義)によって──法(正義)ならざることによって、ではなく。ヴァーセッタよ、まさに、法(正義)は、この人々において、最勝のものとしてあります──まさしく、そして、所見の法(現世)において、さらに、未来の運命としても。

庶民の集団

ヴァーセッタよ、まさに、まさしく、それらの有情たちのなかの一部の有情たちは、淫事の法(性質)を受持して、別個の生業に従事しました。ヴァーセッタよ、まさに、淫事の法(性質)を受持して、別個の(ヴィス)生業に従事する、ということで、まさしく、『庶民(ヴェッサ)』『庶民』という語が発現したのです。ヴァーセッタよ、かくのごとく、まさに、このように、この庶民の集団の発現が有りました──過去を始源とする語によって──まさしく、それらの有情たちに──他の者たちに、ではなく──まさしく、同等の者たちに──同等ならざる者たちに、ではなく──まさしく、法(正義)によって──法(正義)ならざることによって、ではなく。ヴァーセッタよ、まさに、法(正義)は、この人々において、最勝のものとしてあります──まさしく、そして、所見の法(現世)において、さらに、未来の運命としても。

隷民の集団

ヴァーセッタよ、まさに、まさしく、それらの有情たちのなかの、すなわち、それらの残りの有情たちは、彼らは、残忍な行ないある者たちとして、微小な行ないある者たちとして、〔世に〕有りました。ヴァーセッタよ、まさに、残忍な(ルッダ)行ないある者たちであり、微小な(クッダ)行ないある者たちである、ということで、まさしく、『隷民(スッダ)』『隷民』という語が発現したのです。ヴァーセッタよ、かくのごとく、まさに、このように、この隷民の集団の発現が有りました──過去を始源とする語によって──まさしく、それらの有情たちに──他の者たちに、ではなく──まさしく、同等の者たちに──同等ならざる者たちに、ではなく──まさしく、法(正義)によって──法(正義)ならざることによって、ではなく。ヴァーセッタよ、まさに、法(正義)は、この人々において、最勝のものとしてあります──まさしく、そして、所見の法(現世)において、さらに、未来の運命としても。

ヴァーセッタよ、すなわち、士族もまた、自らの法(性質)を難詰しながら、『沙門と成るのだ』と、家から家なきへと出家する、まさに、その時と成りました。ヴァーセッタよ、まさに、婆羅門もまた……略……。ヴァーセッタよ、まさに、庶民もまた……略……。ヴァーセッタよ、まさに、隷民もまた、自らの法(性質)を難詰しながら、『沙門と成るのだ』と、家から家なきへと出家する、〔まさに、その時と成りました〕。ヴァーセッタよ、まさに、これらの四つの集団によって、沙門の集団の発現が有りました──まさしく、それらの有情たちに──他の者たちに、ではなく──まさしく、同等の者たちに──同等ならざる者たちに、ではなく──まさしく、法(正義)によって──法(正義)ならざることによって、ではなく。ヴァーセッタよ、まさに、法(正義)は、この人々において、最勝のものとしてあります──まさしく、そして、所見の法(現世)において、さらに、未来の運命としても。

悪しき行ない等の話

ヴァーセッタよ、まさに、士族もまた、身体による悪しき行ないを行なって、言葉による悪しき行ないを行なって、意による悪しき行ないを行なって、誤った見解ある者となり、誤った見解による行為の受持ある者となり、誤った見解による行為の受持を因として、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生します。ヴァーセッタよ、まさに、婆羅門もまた……略……。ヴァーセッタよ、まさに、庶民もまた……。ヴァーセッタよ、まさに、隷民もまた……。ヴァーセッタよ、まさに、沙門もまた、身体による悪しき行ないを行なって、言葉による悪しき行ないを行なって、意による悪しき行ないを行なって、誤った見解ある者となり、誤った見解による行為の受持ある者となり、誤った見解による行為の受持を因として、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生します。

ヴァーセッタよ、まさに、士族もまた、身体による善き行ないを行なって、言葉による善き行ないを行なって、意による善き行ないを行なって、正しい見解ある者となり、正しい見解による行為の受持ある者となり、正しい見解による行為の受持を因として、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇(善趣)に、天上の世に、再生します。ヴァーセッタよ、まさに、婆羅門もまた……略……。ヴァーセッタよ、まさに、庶民もまた……。ヴァーセッタよ、まさに、隷民もまた……。ヴァーセッタよ、まさに、沙門もまた、身体による善き行ないを行なって、言葉による善き行ないを行なって、意による善き行ないを行なって、正しい見解ある者となり、正しい見解による行為の受持ある者となり、正しい見解による行為の受持を因として、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生します。

ヴァーセッタよ、まさに、士族もまた、身体による〔悪しき行ないと善き行ないの〕両者を為す者として、言葉による〔悪しき行ないと善き行ないの〕両者を為す者として、意による〔悪しき行ないと善き行ないの〕両者を為す者として、混合の見解ある者となり、混合の見解による行為の受持ある者となり、混合の見解による行為の受持を因として、身体の破壊ののち、死後において、安楽と苦痛の得知ある者と成ります。ヴァーセッタよ、まさに、婆羅門もまた……略……。ヴァーセッタよ、まさに、庶民もまた……。ヴァーセッタよ、まさに、隷民もまた……。ヴァーセッタよ、まさに、沙門もまた、身体による〔悪しき行ないと善き行ないの〕両者を為す者として、言葉による〔悪しき行ないと善き行ないの〕両者を為す者として、意による〔悪しき行ないと善き行ないの〕両者を為す者として、混合の見解ある者となり、混合の見解による行為の受持ある者となり、混合の見解による行為の受持を因として、身体の破壊ののち、死後において、安楽と苦痛の得知ある者と成ります。

覚りの項目の修行

ヴァーセッタよ、まさに、士族もまた、身体によって統御された者となり、言葉によって統御された者となり、意によって統御された者となり、七つの覚りの項目の法(菩提分法:四念処・四正勤・四神足・五根・五力・七覚支・八正道の三十七菩提分法)のために修行に従って、まさしく、所見の法(現世)において、完全なる涅槃に到達します。ヴァーセッタよ、まさに、婆羅門もまた……略……。ヴァーセッタよ、まさに、庶民もまた……。ヴァーセッタよ、まさに、隷民もまた……。ヴァーセッタよ、まさに、沙門もまた、身体によって統御された者となり、言葉によって統御された者となり、意によって統御された者となり、七つの覚りの項目の法(性質)の修行に従って、まさしく、所見の法(現世)において、完全なる涅槃に到達します。

ヴァーセッタよ、まさに、これらの四つの階級のなかで、その比丘が、阿羅漢として、煩悩の滅尽者として、〔梵行の〕完成者として、為すべきことを為した者として、〔生の〕重荷を置いた者として、自らの義(目的)に至り得た者として、〔迷いの〕生存に束縛するものの完全なる滅尽者として、正しい了知による解脱者として、〔世に〕有るなら、彼は、それら〔の四つの階級〕のなかの至高の者と告げ知らされます──まさしく、法(正義)によって──法(正義)ならざることによって、ではなく。ヴァーセッタよ、まさに、法(正義)は、この人々において、最勝のものとしてあります──まさしく、そして、所見の法(現世)において、さらに、未来の運命としても。

ヴァーセッタよ、梵〔天〕のサナンクマーラによってもまた、この詩偈が語られました。

〔すなわち〕『彼らが、氏姓を支えとする者たちであるなら、その人々においては、士族(王)が最勝の者となる。天〔の神〕と人間においては、明知と行ないの成就者が、彼が、最勝の者となる』と。

ヴァーセッタよ、また、まさに、梵〔天〕のサナンクマーラによって語られた、〔まさに〕その、この詩偈は、善く歌われたものであり、悪しく歌われたものではなく、善く語られたものであり、悪しく語られたものではなく、義(道理)を伴ったものであり、義(道理)を伴わないものではなく、わたしによって許認されたものです。ヴァーセッタよ、わたしもまた、このように説きます。

〔すなわち〕『彼らが、氏姓を支えとする者たちであるなら、その人々においては、士族(王)が最勝の者となる。天〔の神〕と人間においては、明知と行ないの成就者が、彼が、最勝の者となる』」と。

世尊は、この〔言葉〕を言いました。わが意を得たヴァーセッタとバーラドヴァージャは、世尊の語ったことを大いに喜んだ、ということです。

始源の経は終了となり、〔以上が〕第四となる。

注釈【2】