翻訳【20】
English
- Bhikkhu Sujato
- John D. Ireland (1997)
日本語
- 関西パーリ語実習会 (2023)
Français
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Português
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- Kåre A. Lie
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Čeština
- Bhikkhu Gavésakó, Štěpán Chromovský
Lietuvių Kalba
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Việt Ngữ
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සිංහල
- A.P. de Zoysa
ပြန်သွားရန်
- Pitaka Myanmar Translation
पाळिभासा (Pāli)
- Mahāsaṅgīti Tipiṭaka
参照
- Sutta Central
至高の清信の経
まさに、このことが、世尊によって説かれ、阿羅漢によって説かれ、かくのごとく、わたしは聞きました。
「比丘たちよ、三つのものがあります。これらの至高の清信です。どのようなものが、三つのものなのですか。比丘たちよ、およそ、有情たちとしてあるかぎり、あるいは、無足の者たちも、あるいは、二足の者たちも、あるいは、四足の者たちも、あるいは、多足の者たちも、あるいは、形態ある者たちも、あるいは、形態なき者たちも、あるいは、表象ある者たちも、あるいは、表象なき者たちも、あるいは、表象あるにもあらず表象なきにもあらざる者たちも、阿羅漢にして正等覚者たる如来は、それらのなかの至高のものと告げ知らされます。比丘たちよ、彼らが、覚者にたいし清信した者たちであるなら、彼らは、至高のものにたいし清信した者たちです。また、まさに、至高のものにたいし清信した者たちには、至高の報いが有ります。
比丘たちよ、およそ、諸々の法(教え)としてあるかぎり、あるいは、諸々の形成されたもの(有為)も、あるいは、諸々の形成されたものではないもの(無為)も、離貪〔の法〕は、それらのなかの至高のものと告げ知らされます。すなわち、この、驕慢の削除であり、涸渇の調伏(取り除き)であり、基底(阿頼耶:執着)の根絶であり、転起(輪廻)の断絶であり、渇愛の滅尽であり、離貪であり、止滅であり、涅槃です。比丘たちよ、彼らが、離貪の法(教え)にたいし清信した者たちであるなら、彼らは、至高のものにたいし清信した者たちです。また、まさに、至高のものにたいし清信した者たちには、至高の報いが有ります。
比丘たちよ、およそ、あるいは、諸々の僧団としてあるかぎり、あるいは、諸々の僧集としてあるかぎり、如来の弟子の僧団は、それらのなかの至高のものと告げ知らされます。すなわち、この、四つの人士の組(四双:預流・一来・不還・阿羅漢の各々における道にある者と果にある者の計四組)にして、八者の人士たる人(八輩:預流・一来・不還・阿羅漢の各々における道にある者と果にある者の計八人)であり、〔まさに〕この、世尊の弟子の僧団は、〔供物を〕捧げられるべき者であり、〔供物を〕贈られるべき者であり、〔供物を〕施与されるべき者であり、合掌を為されるべき者であり、世〔の人々〕にとって、無上なる功徳の田畑(福田)です。比丘たちよ、彼らが、僧団にたいし清信した者たちであるなら、彼らは、至高のものにたいし清信した者たちです。また、まさに、至高のものにたいし清信した者たちには、至高の報いが有ります。比丘たちよ、まさに、これらの三つの至高の清信があります」と、この義(道理)を、世尊は説きました。そこにおいて、このことは、かくのごとく説かれます。
「〔信の対象が〕至高なることから、まさに、清信した者たちとなり、至高の法(性質)を〔常に〕識知している者たちには⸺施与されるべき無上にして至高なる者である、至高の覚者(仏:ブッダ)にたいし清信した者たちには⸺
離貪と寂止の安楽である、至高の法(法:ダンマ)にたいし清信した者たちには⸺無上なる功徳の田畑である、至高の僧団(僧:サンガ)にたいし、清信した者たちには⸺
至高のものにたいし、〔常に〕布施を施している者たちには、至高の功徳が増え行く⸺至高のものとして、そして、寿命が、さらに、色艶、盛名、名誉、安楽、活力が。
至高のものに施す者は、思慮ある者であり、至高の法(性質)において〔心が〕定められた者であり、天の生類として、あるいは、人間として、至高のものに至り得た者となり、歓喜する」と。
この義(道理)もまた、世尊によって説かれ、かくのごとく、わたしは聞きました。ということで、〔以上が〕第一となる。
翻訳【20】
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至高の清信の経
注釈【0】