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翻訳【19】

生き方の経

まさに、このことが、世尊によって説かれ、阿羅漢によって説かれ、かくのごとく、わたしは聞きました。

「比丘たちよ、これは、諸々の生き方のなかの極たるものです。すなわち、この、食乞いです。比丘たちよ、これは、世における呪いです。『〔おまえは〕食乞いとして、鉢を手にする者として、〔世を〕渡り歩く』という、〔この罵倒の言葉は〕。比丘たちよ、しかしながら、まさに、この〔生き方〕に、それに、良家の子息たちは近づきます⸺義(利益)たる所以ある者たちとして、義(利益)たる所以を縁として。まさしく、王に強制されたからでもなく、盗賊に強制されたからでもなく、借金に苦悩するからでもなく、恐怖に苦悩するからでもなく、生き方として〔生来の〕性向であるからでもなく、そして、また、まさに、『生に、老に、死に、諸々の憂いに、諸々の嘆きに、諸々の苦痛に、諸々の失意に、諸々の葛藤に、〔これらに〕沈んだ者たちとして、〔わたしたちは〕存している。苦しみに沈んだ者たちであり、苦しみに打ち負かされた者たちであるも、まさしく、また、まさに、この全部の苦しみの範疇の終極を為すことが、覚知されるはずなのだ』と。比丘たちよ、そして、この良家の子息は、このように出家者となります。しかしながら、彼は、強欲〔の思い〕ある者として、諸々の欲望〔の対象〕にたいし強烈な貪欲〔の思い〕ある者として、憎悪している心の者として、汚れた意と思惟ある者として、気づきが忘却された者として、正知なき者として、〔心が〕定められていない者として、混迷した心の者として、〔感官の〕機能の現じ顕われるままの者(自制なく節操なき者)として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、それは、たとえば、また、火葬の薪が、両〔側〕から燃やされたとして、中間において糞が行き及んだもの(汚物で燃え残ったもの)は、薪たる義(用途)を、まさしく、村においても充満せず、林においても〔充満し〕ないようなものです(村と林の両所で役に立たない)。比丘たちよ、その喩えのように、わたしは、この人のことを説きます。かつまた、在家の財物から遍く衰退し、かつまた、沙門の資質たる義(目的)を円満成就させません」と、この義(道理)を、世尊は説きました。そこにおいて、このことは、かくのごとく説かれます。

「在家の財物から遍く衰退し、さらに、幸せ薄く、沙門の資質たる義(目的)を打ち捨てる⸺滅び行く者は、火葬の薪のように消え行く。

黄褐色〔の衣〕袈裟を首にしながら、自制なく悪しき法(性質)の者たちが多くいる。悪しき者たちは、彼らは、〔自己の為した〕諸々の悪しき行為悪業によって、地獄に再生する。

すなわち、もし、自制なき劣戒の者が、国人による〔行乞の〕食を受けるなら、熱せられた、火炎の如き鉄の玉を食べたほうが、より勝っている(悪業を作って地獄に落ちるよりはまだましである)」と。

この義(道理)もまた、世尊によって説かれ、かくのごとく、わたしは聞きました。ということで、〔以上が〕第二となる。

注釈【1】