翻訳【20】
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三つの明知ある者の経
まさに、このことが、世尊によって説かれ、阿羅漢によって説かれ、かくのごとく、わたしは聞きました。
「比丘たちよ、わたしは、法(真理)によって、三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)ある者を、婆羅門と報知します。他の者を、〔それらしい〕虚論を談じたのみで、〔婆羅門と報知し〕ません。
比丘たちよ、では、どのように、わたしは、法(真理)によって、三つの明知ある者を、婆羅門と報知し、他の者を、〔それらしい〕虚論を談じたのみで、〔婆羅門と報知し〕ないのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、無数〔の流儀〕に関した過去における居住を随念します。それは、すなわち、この、一生をもまた、二生をもまた、三生をもまた、四生をもまた、五生をもまた、十生をもまた、二十生をもまた、三十生をもまた、四十生をもまた、五十生をもまた、百生をもまた、千生をもまた、百千生をもまた、無数の展転されたカッパ(壊劫:世界が拡散し崩壊する期間)をもまた、無数の還転されたカッパ(成劫:世界が収縮し再生する期間)をもまた、無数の展転され還転されたカッパをもまた。『〔わたしは〕某所では〔このように〕存していた⸺このような名の者として、このような姓の者として、このような色(色艶・階級)の者として、このような食の者として、このような楽と苦の得知ある者として、このような寿命を極限とする者として。その〔わたし〕は、その〔某所〕から死滅し、某所に生起した。そこでもまた、〔このように〕存していた⸺このような名の者として、このような姓の者として、このような色の者として、このような食の者として、このような楽と苦の得知ある者として、このような寿命を極限とする者として。その〔わたし〕は、その〔某所〕から死滅し、ここ(現世)に再生したのだ』と、かくのごとく、行相を有し、素性を有する、無数〔の流儀〕に関した過去における居住を随念します。彼には、この第一の明知が到達するところと成ります。無明が打破され、明知が生起するところと〔成ります〕。闇が打破され、光明が生起するところと〔成ります〕。すなわち、そのように、〔気づきを〕怠らず、熱情ある者となり、自己を精励する者として〔世に〕住んでいると。
比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、人間を超越した清浄の天眼によって、有情たちが、死滅しつつあるのを、再生しつつあるのを、見ます。下劣なる者たちとして、精妙なる者たちとして、善き色艶の者たちとして、醜き色艶の者たちとして、善き境遇(善趣)の者たちとして、悪しき境遇(悪趣)の者たちとして⸺〔為した〕行為のとおり〔報いに〕近しく赴く者たちとして、有情たちを覚知します。『まさに、これらの尊き有情たちは、身体による悪しき行ないを具備し、言葉による悪しき行ないを具備し、意による悪しき行ないを具備し、聖者たちを批判する者たちであり、誤った見解ある者たちであり、誤った見解と行為を受持する者たちである。彼らは、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生したのだ。また、あるいは、これらの尊き有情たちは、身体による善き行ないを具備し、言葉による善き行ないを具備し、意による善き行ないを具備し、聖者たちを批判しない者たちであり、正しい見解ある者たちであり、正しい見解と行為を受持する者たちである。彼らは、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生したのだ』と、かくのごとく、人間を超越した清浄の天眼によって、有情たちが、死滅しつつあるのを、再生しつつあるのを、見ます。下劣なる者たちとして、精妙なる者たちとして、善き色艶の者たちとして、醜き色艶の者たちとして、善き境遇の者たちとして、悪しき境遇の者たちとして⸺〔為した〕行為のとおり〔報いに〕近しく赴く者たちとして、有情たちを覚知します。彼には、この第二の明知が到達するところと成ります。無明が打破され、明知が生起するところと〔成ります〕。闇が打破され、光明が生起するところと〔成ります〕。すなわち、そのように、〔気づきを〕怠らず、熱情ある者となり、自己を精励する者として〔世に〕住んでいると。
比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、諸々の煩悩の滅尽あることから、煩悩なきものとして、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住みます。彼には、この第三の明知が到達するところと成ります。無明が打破され、明知が生起するところと〔成ります〕。闇が打破され、光明が生起するところと〔成ります〕。すなわち、そのように、〔気づきを〕怠らず、熱情ある者となり、自己を精励する者として〔世に〕住んでいると。比丘たちよ、このように、まさに、わたしは、法(真理)によって、三つの明知ある者を、婆羅門と報知します。他の者を、〔それらしい〕虚論を談じたのみで、〔婆羅門と報知し〕ません」と、この義(道理)を、世尊は説きました。そこにおいて、このことは、かくのごとく説かれます。
「彼が、過去(前世)の居住を知ったなら、かつまた、〔人々が死後に赴く〕天上と悪所を〔あるがままに〕見るなら、そこで、生の滅尽に至り得た者であるなら、〔あるがままの〕証知が完成された牟尼であり⸺
これらの三つの明知によって、三つの明知ある婆羅門と成る。わたしは、彼を『三つの明知ある者』と説く⸺他の、〔それらしい〕虚論を談じている者は、さにあらず」と。
この義(道理)もまた、世尊によって説かれ、かくのごとく、わたしは聞きました。ということで、〔以上が〕第十となる。
第五の章は〔以上で〕終了となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「清信(至高の清信)と生き方と大衣(大衣の端)、火があり、近しき注視とともに、再生(欲望の再生)と欲望(欲望の束縛)と善きもの(善き戒)、布施があり、法(三つの明知ある者)とともに、それらの十がある」と。
三なるものの集まりは〔以上で〕終了となる。
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注釈【0】