すなわち、ここに集いあつまった精霊たちであるなら、あるいは、地上にあるものたちも、あるいは、それらの空中にあるものたちも、まさしく、一切の精霊たちが、悦意の者たちと成れ。そこで、また、〔わたしの〕語るところを、謹んで聞きたまえ。
一切の精霊たちよ、まさに、それゆえに、こころして聞け。人間たる〔世の〕人々に、慈愛〔の心〕を作り為せ。そして、昼に、さらに、夜に、〔あなたたちに〕供物を運ぶ、彼らである。まさに、それゆえに、怠ることなくなく、彼らを守れ。
あるいは、この〔世において〕、あるいは、あの〔世において〕、それが何であれ、富としてあるもので⸺あるいは、すなわち、諸々の天上における精妙なる宝であるとして⸺如来と等しいものは、けっして、存在しない。これもまた、覚者(仏:ブッダ)における、精妙なる宝である。この真理(諦:真実)によって、安穏有れ。
〔心が〕定められた釈迦〔族〕の牟尼が到達した、〔まさに〕その、不死にして精妙なる、滅尽と離貪⸺その法(教え)と等しいものは、何であれ、存在しない。これもまた、法(法:ダンマ)における、精妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。
最勝の覚者が遍く褒め称えた、〔まさに〕その、清らかなる〔境地〕⸺それを、〔賢者たちは〕「直後なる禅定(無間定:時を要さず即座に結果が出る禅定)」と言う。その禅定(定・三昧)と等しいものは、〔どこにも〕見出されない。これもまた、法(教え)における、精妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。
すなわち、正しくある者たちに賞賛された、八者の人(八輩:預流・一来・不還・阿羅漢の各々における道にある者と果にある者の計八人)が⸺これらの四つ組(四双:預流・一来・不還・阿羅漢の各々における道にある者と果にある者の計四組)が⸺〔世に〕有る。彼ら、善き至達者(ブッダ)の弟子たちは、施与されるべき者たちであり、これらの者たちにおいて、諸々の施されたものは、大いなる果となる。これもまた、僧団(僧:サンガ)における、精妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。
すなわち、堅固なる意をもって〔瞑想の境地に〕しっかりと結び付き、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて〔欲望の対象に〕無欲なる者たち⸺彼らは、至り得るものに至り得た者たちであり、不死〔の境処〕に入って、寂滅〔の境処〕を空手で得て、受益している。これもまた、僧団における、精妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。
8. すなわち、地に依拠したインダの杭(城門に立てられた標柱)が、四〔方〕の風に揺らぐことなく存するように、その喩えのような者を、〔わたしは〕「正なる人士」と説く。彼は、〔四つの〕聖なる真理(四聖諦)を的確に見る。これもまた、僧団における、精妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。
彼らは、深遠なる智慧ある〔覚者〕によって見事に説示された〔四つの〕聖なる真理を分明する。たとえ、何であれ、彼らが、多く怠る者たちと成るとして、彼らは、第八の生存(有)を取らない(最高で七回までの輪廻のうちに解脱する)。これもまた、僧団における、精妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。
彼の、〔あるがままの〕見の成就と、まさしく、共に、まさに、三つの法(性質)が、捨棄されたものと成る⸺身体を有するという見解(有身見:実体として自己が存在するという見解)が、さらに、疑惑〔の思い〕(疑)が、あるいは、また、それが何であれ、〔執着の対象として〕存する、戒や掟(戒禁)が。
そして、四つの悪所(地獄・畜生・餓鬼・阿修羅)から解脱し、さらに、六つの極罪を為すこと(母を殺すこと・父を殺すこと・阿羅漢を殺すこと・覚者を傷つけること・僧団を分裂させること・異教の者を師とすること)が不可能となる。これもまた、僧団における、精妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。
たとえ、何であれ、彼が、身体によって、言葉によって、あるいは、また、心によって、悪しき行為(悪業)を為すとして、彼は、それを隠蔽することが不可能となる。〔涅槃の〕境処を見た者にとって、〔それは〕有りえないことと説かれた。これもまた、僧団における、精妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。
すなわち、〔四つの〕夏〔の月〕の最初の夏の月(春先)に、先端が〔一斉に〕開花した林の茂みのように、その喩えのように、涅槃に至る優れた法(教え)を、最高の利益のために、〔覚者は、他に先駆けて〕説示した。これもまた、覚者における、精妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。
優れた者であり、優れたものを知る者であり、優れたものを与える者であり、優れたものを運び来る者である、無上なる者が、優れた法(教え)を説示した。これもまた、覚者における、精妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。
古きもの(過去の業)が滅尽し、新たな発生が存在せず、未来の生存にたいし心が離貪した者たち⸺彼らは、〔再生の〕種子が滅尽した者たちであり、欲〔の思い〕が成長しない者たちであり、慧者たちは、あたかも、この灯明のように、消え行く(涅槃に到達する)。これもまた、僧団における、精妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。
すなわち、ここに集いあつまった精霊たちであるなら、あるいは、地上にあるものたちも、あるいは、それらの空中にあるものたちも⸺天〔の神々〕と人間たちに供養される如来を、覚者(仏:ブッダ)を、〔わたしたちは〕礼拝する⸺安穏有れ。
すなわち、ここに集いあつまった精霊たちであるなら、あるいは、地上にあるものたちも、あるいは、それらの空中にあるものたちも⸺天〔の神々〕と人間たちに供養される如来を、法(法:ダンマ)を、〔わたしたちは〕礼拝する⸺安穏有れ。
すなわち、ここに集いあつまった精霊たちであるなら、あるいは、地上にあるものたちも、あるいは、それらの空中にあるものたちも⸺天〔の神々〕と人間たちに供養される如来を、僧団(僧:サンガ)を、〔わたしたちは〕礼拝する⸺安穏有れ。ということで⸺
ラタナ・スッタは〔以上で〕終了となる。
注釈【0】