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中部経典

MN131. 賢く幸いなる一夜ある者の経

翻訳【33】

賢く幸いなる一夜ある者の経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園において。そこで、まさに、世尊は、比丘たちに告げました。「比丘たちよ」と。「幸甚なる方よ」と、それらの比丘たちは、世尊に答えました。世尊は、こう言いました。「比丘たちよ、賢く幸いなる一夜ある者の、そして、誦説(概説)を、さらに、区分を、あなたたちに説示しましょう。それを聞きなさい。善くしっかりと、意を為しなさい。〔では〕語ります」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、世尊に答えました。世尊は、こう言いました。

〔そこで、詩偈に言う〕「過去を追い求めないように。未来を待ち望まないように。すなわち、過去なるものは、それは、〔すでに〕捨棄されたもの。そして、未来は、〔いまだ〕至り得ざるもの。

そして、彼が、現在の法(事象)を、〔時々刻々に〕その場その場において、〔あるがままに〕観察するなら(その時その時、その場その場において、自己と世界のあるがままをあるがままに知り見るなら)、翻弄されず激情しない〔心のあり方〕を、それを、知ある者は、〔時々刻々に〕増進するであろう。

まさしく、今日、為すべきことを、熱く〔為せ〕。誰が、明日の死を知るであろう。なぜなら、大いなる軍団ある死魔と、彼と、わたしたちとに、〔期日の〕約束はないからである(死に期日の指定はなく、いつ死ぬかわからない)。

昼に、夜に、休みなく、このように〔世に〕住む熱情ある者を、彼のことを、まさに、『賢く幸いなる一夜ある者』と、寂静者たる牟尼は告げ知らせる」と。

「比丘たちよ、では、どのように、過去を追い求めるのですか。『このような形態の者として、〔わたしは〕有った——過去の時(過去世)に』と、そこにおいて、愉悦を喚起します。『このような感受〔作用〕の者として、〔わたしは〕有った——過去の時に』と、そこにおいて、愉悦を喚起します。『このような表象〔作用〕の者として、〔わたしは〕有った——過去の時に』と、そこにおいて、愉悦を喚起します。『このような諸々の形成〔作用〕の者として、〔わたしは〕有った——過去の時に』と、そこにおいて、愉悦を喚起します。『このような識知〔作用〕の者として、〔わたしは〕有った——過去の時に』と、そこにおいて、愉悦を喚起します。比丘たちよ、このように、まさに、過去を追い求めます。

比丘たちよ、では、どのように、過去を追い求めないのですか。『このような形態の者として、〔わたしは〕有った——過去の時(過去世)に』と、そこにおいて、愉悦を喚起しません。『このような感受〔作用〕の者として、〔わたしは〕有った——過去の時に』と、そこにおいて、愉悦を喚起しません。『このような表象〔作用〕の者として、〔わたしは〕有った——過去の時に』と、そこにおいて、愉悦を喚起しません。『このような諸々の形成〔作用〕の者として、〔わたしは〕有った——過去の時に』と、そこにおいて、愉悦を喚起しません。『このような識知〔作用〕の者として、〔わたしは〕有った——過去の時に』と、そこにおいて、愉悦を喚起しません。比丘たちよ、このように、まさに、過去を追い求めません。

比丘たちよ、では、どのように、未来を待ち望むのですか。『このような形態の者として、〔わたしは〕存するであろう——未来の時(未来世)に』と、そこにおいて、愉悦を喚起します。『このような感受〔作用〕の者として、〔わたしは〕存するであろう……略……。『このような表象〔作用〕の者として、〔わたしは〕存するであろう……。『このような諸々の形成〔作用〕の者として、〔わたしは〕存するであろう……。『このような識知〔作用〕の者として、〔わたしは〕存するであろう——未来の時に』と、そこにおいて、愉悦を喚起します。比丘たちよ、このように、まさに、未来を待ち望みます。

比丘たちよ、では、どのように、未来を待ち望まないのですか。『このような形態の者として、〔わたしは〕存するであろう——未来の時(未来世)に』と、そこにおいて、愉悦を喚起しません。『このような感受〔作用〕の者として、〔わたしは〕存するであろう……。『このような表象〔作用〕の者として、〔わたしは〕存するであろう……。『このような諸々の形成〔作用〕の者として、〔わたしは〕存するであろう……。『このような識知〔作用〕の者として、〔わたしは〕存するであろう——未来の時に』と、そこにおいて、愉悦を喚起しません。比丘たちよ、このように、まさに、未来を待ち望みません。

比丘たちよ、では、どのように、諸々の現在の法(事象)において翻弄されるのですか。比丘たちよ、ここに、無聞の凡夫が、聖者たちと会見しない者であり、聖者たちの法(教え)を熟知しない者であり、聖者たちの法(教え)において教導されず、正なる人士たちと会見しない者であり、正なる人士たちの法(教え)を熟知しない者であり、正なる人士たちの法(教え)において教導されず、形態を、自己〔の観点〕から等しく随観し、あるいは、形態あるものを、自己と〔等しく随観し〕、あるいは、自己のうちに、形態を〔等しく随観し〕、あるいは、形態のうちに、自己を〔等しく随観します〕。感受〔作用〕を……略……。表象〔作用〕を……。諸々の形成〔作用〕を……。識知〔作用〕を、自己〔の観点〕から等しく随観し、あるいは、識知〔作用〕あるものを、自己と〔等しく随観し〕、あるいは、自己のうちに、識知〔作用〕〔等しく随観し〕、あるいは、識知〔作用〕のうちに、自己を〔等しく随観します〕。比丘たちよ、このように、まさに、諸々の現在の法(事象)において翻弄されます。

比丘たちよ、では、どのように、諸々の現在の法(事象)において翻弄されないのですか。比丘たちよ、ここに、有聞の聖なる弟子が、聖者たちと会見する者であり、聖者たちの法(教え)を熟知する者であり、聖者たちの法(教え)において善く教導され、正なる人士たちと会見する者であり、正なる人士たちの法(教え)を熟知する者であり、正なる人士たちの法(教え)において善く教導され、形態を、自己〔の観点〕から等しく随観せず、あるいは、形態あるものを、自己と〔等しく随観せ〕ず、あるいは、自己のうちに、形態を〔等しく随観せ〕ず、あるいは、形態のうちに、自己を〔等しく随観し〕ません。感受〔作用〕を、自己〔の観点〕から……。表象〔作用〕を……。諸々の形成〔作用〕を……。識知〔作用〕を、自己〔の観点〕から等しく随観せず、あるいは、識知〔作用〕あるものを、自己と〔等しく随観せ〕ず、あるいは、自己のうちに、識知〔作用〕〔等しく随観せ〕ず、あるいは、識知〔作用〕のうちに、自己を〔等しく随観し〕ません。比丘たちよ、このように、まさに、諸々の現在の法(事象)において翻弄されません。

〔すなわち〕『過去を追い求めないように。未来を待ち望まないように。すなわち、過去なるものは、それは、〔すでに〕捨棄されたもの。そして、未来は、〔いまだ〕至り得ざるもの。

そして、彼が、現在の法(事象)を、〔時々刻々に〕その場その場において、〔あるがままに〕観察するなら、翻弄されず激情しない〔心のあり方〕を、それを、知ある者は、〔時々刻々に〕増進するであろう。

まさしく、今日、為すべきことを、熱く〔為せ〕。誰が、明日の死を知るであろう。なぜなら、大いなる軍団ある死魔と、彼と、わたしたちとに、〔期日の〕約束はないからである。

昼に、夜に、休みなく、このように〔世に〕住む熱情ある者を、彼のことを、まさに、「賢く幸いなる一夜ある者」と、寂静者たる牟尼は告げ知らせる』と。

『比丘たちよ、賢く幸いなる一夜ある者の、そして、誦説を、さらに、区分を、あなたたちに説示しましょう』と、かくのごとく、〔わたしによって〕説かれた、すなわち、その〔言葉〕ですが、この〔言葉〕は、これを縁として説かれました」と。

世尊は、この〔言葉〕を言いました。わが意を得たそれらの比丘たちは、世尊の語ったことを大いに喜んだ、ということです。

賢く幸いなる一夜ある者の経は終了となり、〔以上が〕第一となる。

注釈【3】