このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園において。また、まさに、その時点にあって、尊者モーリヤ・パッグナが、比丘尼たちを相手に、限度を超えて交わる者として〔世に〕住んでいます(過度な交友を持っていた)。尊者モーリヤ・パッグナは、比丘尼たちを相手に、このように交わる者として〔世に〕住んでいます。それで、もし、誰であれ、比丘が、尊者モーリヤ・パッグナの面前で、それらの比丘尼たちの栄誉ならざることを語るなら、それによって、尊者モーリヤ・パッグナは、激情し、わが意を得ない者となり、問題をもまた作り為します。また、それで、もし、誰であれ、比丘が、それらの比丘尼たちの面前で、尊者モーリヤ・パッグナの栄誉ならざることを語るなら、それによって、それらの比丘尼たちは、激情し、わが意を得ない者たちとなり、問題をもまた作り為します。尊者モーリヤ・パッグナは、比丘尼たちを相手に、このように交わる者として〔世に〕住んでいます。そこで、まさに、或るひとりの比丘が、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、その比丘は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、尊者モーリヤ・パッグナは、比丘尼たちを相手に、限度を超えて交わる者として〔世に〕住んでいます。尊き方よ、尊者モーリヤ・パッグナは、比丘尼たちを相手に、このように交わる者として〔世に〕住んでいます。それで、もし、誰であれ、比丘が、尊者モーリヤ・パッグナの面前で、それらの比丘尼たちの栄誉ならざることを語るなら、それによって、尊者モーリヤ・パッグナは、激情し、わが意を得ない者となり、問題をもまた作り為します。また、それで、もし、誰であれ、比丘が、それらの比丘尼たちの面前で、尊者モーリヤ・パッグナの栄誉ならざることを語るなら、それによって、それらの比丘尼たちは、激情し、わが意を得ない者たちとなり、問題をもまた作り為します。尊き方よ、尊者モーリヤ・パッグナは、比丘尼たちを相手に、このように交わる者として〔世に〕住んでいます」と。
そこで、まさに、世尊は、或るひとりの比丘に告げました。「比丘よ、さあ、あなたは、わたしの言葉でもって、モーリヤ・パッグナに告げなさい。『友よ、パッグナよ、教師が、あなたを呼んでいます』」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、その比丘は、世尊に答えて、尊者モーリヤ・パッグナのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、尊者モーリヤ・パッグナに、こう言いました。「友よ、パッグナよ、教師が、あなたを呼んでいます」と。「友よ、わかりました」と、まさに、尊者モーリヤ・パッグナは、その比丘に答えて、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、モーリヤ・パッグナに、世尊は、こう言いました。
「パッグナよ、本当に、まさに、あなたは、比丘尼たちを相手に、限度を超えて交わる者として〔世に〕住んでいるのですか。パッグナよ、まさに、あなたは、比丘尼たちを相手に、このように交わる者として〔世に〕住んでいるのですか。それで、もし、誰であれ、比丘が、あなたの面前で、それらの比丘尼たちの栄誉ならざることを語るなら、それによって、あなたは、激情し、わが意を得ない者となり、問題をもまた作り為します。また、それで、もし、誰であれ、比丘が、それらの比丘尼たちの面前で、あなたの栄誉ならざることを語るなら、それによって、それらの比丘尼たちは、激情し、わが意を得ない者たちとなり、問題をもまた作り為します。パッグナよ、まさに、あなたは、比丘尼たちを相手に、このように交わる者として〔世に〕住んでいるのですか」と。「尊き方よ、そのとおりです」と。「パッグナよ、まさに、あなたは、信によって家から家なきへと出家した、良家の子息ではないですか」と。「尊き方よ、そのとおりです」と。
「パッグナよ、まさに、このことは、信によって家から家なきへと出家した良家の子息である、あなたにとって、適切なることではありません。すなわち、あなたが、比丘尼たちを相手に、限度を超えて交わる者として〔世に〕住んでいるなら。パッグナよ、それゆえに、ここに、もし、また、誰であれ、あなたの面前で、それらの比丘尼たちの栄誉ならざることを語るなら、パッグナよ、そこで、また、あなたは、それらの欲〔の思い〕(意欲)が家〔の生活〕に依拠したものであり、それらの思考が家〔の生活〕に依拠したものであるなら、それらを捨棄するべきです。パッグナよ、そこで、また、あなたは、このように学ぶべきです。『まさしく、そして、わたしの心は、変化することなく有るのだ。かつまた、悪しき言葉を放たないのだ。さらに、利益と慈しみ〔の思い〕ある者として、慈愛の心ある者として、〔世に〕住むのだ——憤怒を内にする者ではなく』と。パッグナよ、まさに、このように、あなたは学ぶべきです。
パッグナよ、それゆえに、ここに、もし、また、誰であれ、あなたの面前で、それらの比丘尼たちに、手で打撃を与えるなら、石で打撃を与えるなら、棒で打撃を与えるなら、刃で打撃を与えるなら、パッグナよ、そこで、また、あなたは、それらの欲〔の思い〕が家〔の生活〕に依拠したものであり、それらの思考が家〔の生活〕に依拠したものであるなら、それらを捨棄するべきです。パッグナよ、そこで、また、あなたは、このように学ぶべきです。『まさしく、そして、わたしの心は、変化することなく有るのだ。かつまた、悪しき言葉を放たないのだ。さらに、利益と慈しみ〔の思い〕ある者として、慈愛の心ある者として、〔世に〕住むのだ——憤怒を内にする者ではなく』と。パッグナよ、まさに、このように、あなたは学ぶべきです。
パッグナよ、それゆえに、ここに、もし、また、誰であれ、あなたの面前で、栄誉ならざることを語るなら、パッグナよ、そこで、また、あなたは、それらの欲〔の思い〕が家〔の生活〕に依拠したものであり、それらの思考が家〔の生活〕に依拠したものであるなら、それらを捨棄するべきです。パッグナよ、そこで、また、あなたは、このように学ぶべきです。『まさしく、そして、わたしの心は、変化することなく有るのだ。かつまた、悪しき言葉を放たないのだ。さらに、利益と慈しみ〔の思い〕ある者として、慈愛の心ある者として、〔世に〕住むのだ——憤怒を内にする者ではなく』と。パッグナよ、まさに、このように、あなたは学ぶべきです。
パッグナよ、それゆえに、ここに、もし、また、誰であれ、あなたに、手で打撃を与えるなら、石で打撃を与えるなら、棒で打撃を与えるなら、刃で打撃を与えるなら、パッグナよ、そこで、また、あなたは、それらの欲〔の思い〕が家〔の生活〕に依拠したものであり、それらの思考が家〔の生活〕に依拠したものであるなら、それらを捨棄するべきです。パッグナよ、そこで、また、あなたは、このように学ぶべきです。『まさしく、そして、わたしの心は、変化することなく有るのだ。かつまた、悪しき言葉を放たないのだ。さらに、利益と慈しみ〔の思い〕ある者として、慈愛の心ある者として、〔世に〕住むのだ——憤怒を内にする者ではなく』と。パッグナよ、まさに、このように、あなたは学ぶべきです」と。
そこで、まさに、世尊は、比丘たちに告げました。「比丘たちよ、或る時のことです。比丘たちが、わたしの心を喜ばせました。比丘たちよ、ここに、わたしは、比丘たちに告げました。『比丘たちよ、まさに、わたしは、一坐の食を受益します。比丘たちよ、まさに、わたしは、一坐の食を受益しながら、かつまた、病苦少なく、かつまた、病悩少なく、かつまた、軽快の状況にあり、かつまた、活力があり、かつまた、平穏の住あることを了解します。比丘たちよ、さあ、あなたたちもまた、一坐の食を受益しなさい。比丘たちよ、まさに、あなたたちもまた、一坐の食を受益しながら、かつまた、病苦少なく、かつまた、病悩少なく、かつまた、軽快の状況にあり、かつまた、活力があり、かつまた、平穏の住あることを了解するでしょう』と。比丘たちよ、わたしに、それらの比丘たちにたいし、為すべき教示は有りませんでした。比丘たちよ、わたしには、それらの比丘たちにたいし、為すべきこととして気づきの生起だけが有りました。
比丘たちよ、それは、たとえば、また、善き土地の大きな四つ辻において、結び止められて待機する、鞭が置かれた良馬の車が存するとします。〔まさに〕その、この〔馬車〕に、能ある調教師にして調御されるべき馬の馭者たる者が乗って、左手に手綱を掴んで、右手に鞭を掴んで、求めるところ求めるところへと、行かせもまたするでしょうし、戻らせもまたするでしょう。比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、わたしに、それらの比丘たちにたいし、為すべき教示は有りませんでした。比丘たちよ、わたしには、それらの比丘たちにたいし、為すべきこととして気づきの生起だけが有りました。比丘たちよ、それゆえに、ここに、あなたたちもまた、善ならざるものを捨棄しなさい。諸々の善なる法(性質)において専念を為しなさい。まさに、このように、あなたたちもまた、この法(教え)と律において、増大を〔惹起し〕、成長を〔惹起し〕、広大を惹起するでしょう。
比丘たちよ、それは、たとえば、また、あるいは、村の、あるいは、町の、遠く離れていないところに、大いなるサーラ〔樹〕の林があるとします。そして、その〔林〕は、諸々のエーランダ〔の蔓〕に等しく覆われ、存しているとします。その〔林〕の、義(利益)を欲し、利益を欲し、束縛からの平安を欲する、誰かしら或る人が現われるとします。彼は、すなわち、それらが、屈曲し滋養を奪い去るサーラ〔樹〕の枝であるなら、それらを断ち切って、外に運び出し、林の内を善く清められたものに清めます。また、すなわち、それらが、真っすぐで善き生まれのサーラ〔樹〕の枝であるなら、それらを正しく守り抜きます。比丘たちよ、まさに、このように、このサーラ〔樹〕の林は、他時にあって、増大を〔惹起し〕、成長を〔惹起し〕、広大を惹起するでしょう。比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、あなたたちもまた、善ならざるものを捨棄しなさい。諸々の善なる法(性質)において専念を為しなさい。まさに、このように、あなたたちもまた、この法(教え)と律において、増大を〔惹起し〕、成長を〔惹起し〕、広大を惹起するでしょう。
比丘たちよ、過去の事ですが、まさしく、このサーヴァッティーにおいて、ヴェーデーヒカーという名の主婦が〔世に〕有りました。比丘たちよ、ヴェーデーヒカー主婦には、このように、善き評価の声が上がっています。『ヴェーデーヒカー主婦は、温和なる者である。ヴェーデーヒカー主婦は、謙譲なる者である。ヴェーデーヒカー主婦は、寂静なる者である』と。比丘たちよ、また、まさに、ヴェーデーヒカー主婦には、カーリーという名の奴婢が〔世に〕有りました——能ある者であり、怠けない者であり、善く差配された生業ある者として。
比丘たちよ、そこで、まさに、カーリー奴婢に、この〔思い〕が有りました。『まさに、わたしの尊貴なる方には、このように、善き評価の声が上がっている。「ヴェーデーヒカー主婦は、温和なる者である。ヴェーデーヒカー主婦は、謙譲なる者である。ヴェーデーヒカー主婦は、寂静なる者である」と。いったい、まさに、どうなのだろう。わたしの尊貴なる方は、いったい、まさに、まさしく、内に怒りが存していながら、明らかと為さないのだろうか、それとも、存していないのだろうか、それとも、まさしく、わたしの、これらの生業が善く差配され、それによって、わたしの尊貴なる方は、まさしく、内に怒りが存していながら、明らかと為さないのだろうか——存していないのではなく。それなら、さあ、わたしは、尊貴なる方を審査するのだ』と。比丘たちよ、そこで、まさに、カーリー奴婢は、昼に起きました。比丘たちよ、そこで、まさに、ヴェーデーヒカー主婦は、カーリー奴婢に、こう言いました。『おや、まあ、カーリーよ』と。『尊貴なる方よ、何でしょうか』と。『さて、どうして、昼に起きたのですか』と。『尊貴なる方よ、まさに、何でもありません』と。『悪しき奴婢よ、まさに、まあ、何でもないのに、昼に起きたとは』と、激情し、わが意を得ない者となり、渋面を為しました。比丘たちよ、そこで、まさに、カーリー奴婢に、この〔思い〕が有りました。『まさに、わたしの尊貴なる方は、まさしく、内に怒りが存していながら、明らかと為さない——存していないのではなく。まさしく、わたしの、これらの生業が善く差配され、それによって、わたしの尊貴なる方は、まさしく、内に怒りが存していながら、明らかと為さない——存していないのではなく。それなら、さあ、わたしは、より一層しっかりと、尊貴なる方を審査するのだ』と。
比丘たちよ、そこで、まさに、カーリー奴婢は、まさしく、さらに遅く昼に起きました。比丘たちよ、そこで、まさに、ヴェーデーヒカー主婦は、カーリー奴婢に、こう言いました。比丘たちよ、そこで、まさに、ヴェーデーヒカー主婦は、カーリー奴婢に、こう言いました。『おや、まあ、カーリーよ』と。『尊貴なる方よ、何でしょうか』と。『さて、どうして、さらに遅く昼に起きたのですか』と。『尊貴なる方よ、まさに、何でもありません』と。『悪しき奴婢よ、まさに、まあ、何でもないのに、さらに遅く昼に起きたとは』と、激情し、わが意を得ない者となり、わが意を得ない言葉を放ちました。比丘たちよ、そこで、まさに、カーリー奴婢に、この〔思い〕が有りました。『まさに、わたしの尊貴なる方は、まさしく、内に怒りが存していながら、明らかと為さない——存していないのではなく。まさしく、わたしの、これらの生業が善く差配され、それによって、わたしの尊貴なる方は、まさしく、内に怒りが存していながら、明らかと為さない——存していないのではなく。それなら、さあ、わたしは、より一層しっかりと、尊貴なる方を審査するのだ』と。
比丘たちよ、そこで、まさに、カーリー奴婢は、まさしく、さらに遅く昼に起きました。比丘たちよ、そこで、まさに、ヴェーデーヒカー主婦は、カーリー奴婢に、こう言いました。『おや、まあ、カーリーよ』と。『尊貴なる方よ、何でしょうか』と。『さて、どうして、さらに遅く昼に起きたのですか』と。『尊貴なる方よ、まさに、何でもありません』と。『悪しき奴婢よ、まさに、まあ、何でもないのに、さらに遅く昼に起きたとは』と、激情し、わが意を得ない者となり、閂の楔を掴んで、頭に打撃を与え、頭を破り裂きました。比丘たちよ、そこで、まさに、カーリー奴婢は、破断し血が滴り出る頭で、近所の者たちに、不平を言いました。『尊貴なる方よ、見てください、温和なる方の行為を。尊貴なる方よ、見てください、謙譲なる方の行為を。尊貴なる方よ、見てください、寂静なる方の行為を。なぜなら、どうして、まさに、一者の奴婢が昼に起きた、ということで、激情し、わが意を得ない者となり、閂の楔を掴んで、頭に打撃を与え、頭を破り裂くというのでしょう』と。
比丘たちよ、そこで、まさに、ヴェーデーヒカー主婦には、他時にあって、このように、悪しき評価の声が上がりました。『ヴェーデーヒカー主婦は、狂暴なる者である。ヴェーデーヒカー主婦は、謙譲ならざる者である。ヴェーデーヒカー主婦は、寂静ならざる者である』と。
比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、ここに、一部の比丘は、すなわち、諸々の意に適わない言葉の道が触れないかぎり、まさしく、それまでのあいだは、温和なるうえにも温和なる者として〔世に〕有り、謙譲なるうえにも謙譲なる者として〔世に〕有り、寂静なるうえにも寂静なる者として〔世に〕有ります。比丘たちよ、しかしながら、すなわち、比丘に、諸々の意に適わない言葉の道が触れることから、そこで〔はじめて〕、比丘は、『温和なる者』と知られるべきであり、『謙譲なる者』と知られるべきであり、『寂静なる者』と知られるべきです。比丘たちよ、その〔比丘〕が、衣料や〔行乞の〕施食や臥坐具や病のための日用品たる薬の必需品(常備薬)を因として、素直な者と成り、素直であることを惹起するなら、わたしは、その比丘を、『素直な者』と説きません。それは、何を因とするのですか。比丘たちよ、なぜなら、その比丘は、その衣料や〔行乞の〕施食や臥坐具や病のための日用品たる薬の必需品を得ずにいるなら、素直な者と成らず、素直であることを惹起しないからです。比丘たちよ、しかしながら、まさに、その比丘が、まさしく、法(教え)を尊敬しながら、法(教え)を尊重しながら、法(教え)を思慕しながら、法(教え)を供養しながら、法(教え)を敬恭しながら、素直な者と成るなら、素直であることを惹起するなら、わたしは、その比丘を、『素直な者』と説きます。比丘たちよ、それゆえに、ここに、『まさしく、〔わたしたちは〕法(教え)を尊敬しながら、法(教え)を尊重しながら、法(教え)を思慕しながら、法(教え)を供養しながら、法(教え)を敬恭しながら、素直な者たちと成るのだ、素直であることを惹起するのだ』と、比丘たちよ、まさに、このように、あなたたちは学ぶべきです。
比丘たちよ、五つのものがあります。これらの言葉の道です。それらによって、他者たちは、あなたたちに説きつつ説くでしょう——(1)あるいは、〔しかるべき〕時によって、あるいは、〔しかるべき〕時ならざるによって——(2)あるいは、事実によって、あるいは、事実ならざるによって——(3)あるいは、優しい〔言葉〕によって、あるいは、粗暴な〔言葉〕によって——(4)あるいは、義(利益)を伴った〔言葉〕によって、あるいは、義(利益)を伴わない〔言葉〕によって——(5)あるいは、慈愛の心から、あるいは、憤怒を内にすることから。比丘たちよ、あるいは、〔しかるべき〕時によって、他者たちは説きつつ説くでしょう——あるいは、〔しかるべき〕時ならざるによって。比丘たちよ、あるいは、事実によって、他者たちは説きつつ説くでしょう——あるいは、事実ならざるによって。比丘たちよ、あるいは、優しい〔言葉〕によって、他者たちは説きつつ説くでしょう——あるいは、粗暴な〔言葉〕によって。比丘たちよ、あるいは、義(利益)を伴った〔言葉〕によって、他者たちは説きつつ説くでしょう——あるいは、義(利益)を伴わない〔言葉〕によって。比丘たちよ、あるいは、慈愛の心から、他者たちは説きつつ説くでしょう——あるいは、憤怒を内にすることから。比丘たちよ、そこで、また、あなたたちは、このように学ぶべきです。『まさしく、そして、わたしの心は、変化することなく有るのだ。かつまた、悪しき言葉を放たないのだ。さらに、利益と慈しみ〔の思い〕ある者として、慈愛の心ある者として、〔世に〕住むのだ——憤怒を内にする者ではなく。そして、その人を、慈愛〔の思い〕を共具した心で充満して、〔世に〕住むのだ。さらに、彼を対象(所縁)として、一切すべての世を、広大で莫大で無量にして怨念〔の思い〕なく加害〔の思い〕なく慈愛〔の思い〕を共具した心で充満して、〔世に〕住むのだ』と。比丘たちよ、まさに、このように、あなたたちは学ぶべきです。
比丘たちよ、それは、たとえば、また、人が、鋤と籠を携えて、やってくるとします。彼が、このように説くとします。『わたしは、この大いなる地を、地ならざるものと為すのだ』と。彼は、そこかしこを掘り崩し、そこかしこに撒き散らし、そこかしこに唾を吐き、そこかしこに小便をします。『〔おまえは〕地ならざるものと成る。〔おまえは〕地ならざるものと成る』と。比丘たちよ、それを、どう思いますか。さて、いったい、まさに、その人は、この大いなる地を、地ならざるものと為すでしょうか」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「それは、何を因とするのですか」〔と〕。「尊き方よ、なぜなら、この大いなる地は、深遠で、量りようがないからです。それは、地ならざるものと為すに為し易くはなく、また、そして、まさしく、そのかぎりにおいて、その人は、疲弊と悩苦の分有者として存するでしょう」と。「比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、五つのものがあります。これらの言葉の道です。それらによって、他者たちは、あなたたちに説きつつ説くでしょう——あるいは、〔しかるべき〕時によって、あるいは、〔しかるべき〕時ならざるによって——あるいは、事実によって、あるいは、事実ならざるによって——あるいは、優しい〔言葉〕によって、あるいは、粗暴な〔言葉〕によって——あるいは、義(利益)を伴った〔言葉〕によって、あるいは、義(利益)を伴わない〔言葉〕によって——あるいは、慈愛の心から、あるいは、憤怒を内にすることから。比丘たちよ、あるいは、〔しかるべき〕時によって、他者たちは説きつつ説くでしょう——あるいは、〔しかるべき〕時ならざるによって。比丘たちよ、あるいは、事実によって、他者たちは説きつつ説くでしょう——あるいは、事実ならざるによって。比丘たちよ、あるいは、優しい〔言葉〕によって、他者たちは説きつつ説くでしょう——あるいは、粗暴な〔言葉〕によって。比丘たちよ、あるいは、義(利益)を伴った〔言葉〕によって、他者たちは説きつつ説くでしょう——あるいは、義(利益)を伴わない〔言葉〕によって。比丘たちよ、あるいは、慈愛の心から、他者たちは説きつつ説くでしょう——あるいは、憤怒を内にすることから。比丘たちよ、そこで、また、あなたたちは、このように学ぶべきです。『まさしく、そして、わたしの心は、変化することなく有るのだ。かつまた、悪しき言葉を放たないのだ。さらに、利益と慈しみ〔の思い〕ある者として、慈愛の心ある者として、〔世に〕住むのだ——憤怒を内にする者ではなく。そして、その人を、慈愛〔の思い〕を共具した心で充満して、〔世に〕住むのだ。さらに、彼を対象として、一切すべての世を、広大で莫大で無量にして怨念〔の思い〕なく加害〔の思い〕なく地に等しき心で充満して、〔世に〕住むのだ』と。比丘たちよ、まさに、このように、あなたたちは学ぶべきです。
比丘たちよ、それは、たとえば、また、人が、あるいは、塗料を、あるいは、鬱金を、あるいは、青〔の染料〕を、あるいは、深紅〔の染料〕を、携えて、やってくるとします。彼が、このように説くとします。『わたしは、この虚空において、形態を加工し、形態の出現あるものと為すのだ』と。比丘たちよ、それを、どう思いますか。さて、いったい、まさに、その人は、この虚空において、形態を加工し、形態の出現あるものと為すでしょうか」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「それは、何を因とするのですか」〔と〕。「尊き方よ、なぜなら、この虚空は、形態なく、外見なくあるからです。そこにおいて、形態を加工し、形態の出現あるものと為すに為し易くはなく、また、そして、まさしく、そのかぎりにおいて、その人は、疲弊と悩苦の分有者として存するでしょう」と。「比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、五つのものがあります。これらの言葉の道です。それらによって、他者たちは、あなたたちに説きつつ説くでしょう——あるいは、〔しかるべき〕時によって、あるいは、〔しかるべき〕時ならざるによって……略……。『まさしく、そして……。さらに、彼を対象として、一切すべての世を、広大で莫大で無量にして怨念〔の思い〕なく加害〔の思い〕なく虚空に等しき心で充満して、〔世に〕住むのだ』と。比丘たちよ、まさに、このように、あなたたちは学ぶべきです。
比丘たちよ、それは、たとえば、また、人が、燃え盛る草の松明を携えて、やってくるとします。彼が、このように説くとします。『わたしは、この燃え盛る草の松明で、ガンガー川を等しく熱し、等しく遍く熱するのだ』と。比丘たちよ、それを、どう思いますか。さて、いったい、まさに、その人は、燃え盛る草の松明で、ガンガー川を等しく熱し、等しく遍く熱するでしょうか」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「それは、何を因とするのですか」〔と〕。「尊き方よ、なぜなら、ガンガー川は、深遠で、量りようがないからです。それは、燃え盛る草の松明で、ガンガー川を等しく熱し、等しく遍く熱するに為し易くはなく、また、そして、まさしく、そのかぎりにおいて、その人は、疲弊と悩苦の分有者として存するでしょう」と。「比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、五つのものがあります。これらの言葉の道です。それらによって、他者たちは、あなたたちに説きつつ説くでしょう——あるいは、〔しかるべき〕時によって、あるいは、〔しかるべき〕時ならざるによって……略……。『まさしく、そして……。さらに、彼を対象として、一切すべての世を、広大で莫大で無量にして怨念〔の思い〕なく加害〔の思い〕なくガンガー川に等しき心で充満して、〔世に〕住むのだ』と。比丘たちよ、まさに、このように、あなたたちは学ぶべきです。
比丘たちよ、それは、たとえば、また、鞣されたうえにも善く鞣され善く完全に鞣され、柔和で綿のようで、サラサラと音のしない、バラバラと音のしない、猫皮があるとします。そこで、人が、あるいは、小枝を、あるいは、小石を、携えて、やってくるとします。彼が、このように説くとします。『わたしは、この、鞣されたうえにも善く鞣され善く完全に鞣され、柔和で綿のようで、サラサラと音のしない、バラバラと音のしない、猫皮を、あるいは、小枝で、あるいは、小石で、サラサラと〔音を〕為し、バラバラと〔音を〕為すのだ』と。比丘たちよ、それを、どう思いますか。さて、いったい、まさに、その人は、この、鞣されたうえにも善く鞣され善く完全に鞣され、柔和で綿のようで、サラサラと音のしない、バラバラと音のしない、猫皮を、あるいは、小枝で、あるいは、小石で、サラサラと〔音を〕為し、バラバラと〔音を〕為すでしょうか」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「それは、何を因とするのですか」〔と〕。「尊き方よ、なぜなら、これは、鞣されたうえにも善く鞣され善く完全に鞣され、柔和で綿のようで、サラサラと音のしない、バラバラと音のしない、猫皮であるからです。それは、あるいは、小枝で、あるいは、小石で、サラサラと〔音を〕為し、バラバラと〔音を〕為すに為し易くはなく、また、そして、まさしく、そのかぎりにおいて、その人は、疲弊と悩苦の分有者として存するでしょう」と。「比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、五つのものがあります。これらの言葉の道です。それらによって、他者たちは、あなたたちに説きつつ説くでしょう——あるいは、〔しかるべき〕時によって、あるいは、〔しかるべき〕時ならざるによって——あるいは、事実によって、あるいは、事実ならざるによって——あるいは、優しい〔言葉〕によって、あるいは、粗暴な〔言葉〕によって——あるいは、義(利益)を伴った〔言葉〕によって、あるいは、義(利益)を伴わない〔言葉〕によって——あるいは、慈愛の心から、あるいは、憤怒を内にすることから。比丘たちよ、あるいは、〔しかるべき〕時によって、他者たちは説きつつ説くでしょう——あるいは、〔しかるべき〕時ならざるによって。比丘たちよ、あるいは、事実によって、他者たちは説きつつ説くでしょう——あるいは、事実ならざるによって。比丘たちよ、あるいは、優しい〔言葉〕によって、他者たちは説きつつ説くでしょう——あるいは、粗暴な〔言葉〕によって。比丘たちよ、あるいは、義(利益)を伴った〔言葉〕によって、他者たちは説きつつ説くでしょう——あるいは、義(利益)を伴わない〔言葉〕によって。比丘たちよ、あるいは、慈愛の心から、他者たちは説きつつ説くでしょう——あるいは、憤怒を内にすることから。比丘たちよ、そこで、また、あなたたちは、このように学ぶべきです。『まさしく、そして、わたしの心は、変化することなく有るのだ。かつまた、悪しき言葉を放たないのだ。さらに、利益と慈しみ〔の思い〕ある者として、慈愛の心ある者として、〔世に〕住むのだ——憤怒を内にする者ではなく。そして、その人を、慈愛〔の思い〕を共具した心で充満して、〔世に〕住むのだ。さらに、彼を対象として、一切すべての世を、広大で莫大で無量にして怨念〔の思い〕なく加害〔の思い〕なく猫皮に等しき心で充満して、〔世に〕住むのだ』と。比丘たちよ、まさに、このように、あなたたちは学ぶべきです。
比丘たちよ、たとえ、もし、卑しい盗賊たちが、両側に棒のある鋸で、それぞれの手足を切り裂くも、そこで、また、その〔比丘〕が、意を汚すなら(怒りを起こすなら)、それによって、彼は、わたしの教えを為す者ではありません。比丘たちよ、そこで、また、あなたたちは、このように学ぶべきです。『まさしく、そして、わたしの心は、変化することなく有るのだ。かつまた、悪しき言葉を放たないのだ。さらに、利益と慈しみ〔の思い〕ある者として、慈愛の心ある者として、〔世に〕住むのだ——憤怒を内にする者ではなく。そして、その人を、慈愛〔の思い〕を共具した心で充満して、〔世に〕住むのだ。さらに、彼を対象として、一切すべての世を、広大で莫大で無量にして怨念〔の思い〕なく加害〔の思い〕なく慈愛〔の思い〕を共具した心で充満して、〔世に〕住むのだ』と。比丘たちよ、まさに、このように、あなたたちは学ぶべきです。
比丘たちよ、そして、この鋸の喩えの教諭に、あなたたちが、幾度となく、意を為すなら、比丘たちよ、すなわち、あなたたちが甘受できない、〔まさに〕その、言葉の道を、あるいは、微細なものであれ、あるいは、粗大なものであれ、まさに、あなたたちは見ますか」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず(見ません)」〔と〕。「比丘たちよ、それゆえに、ここに、この鋸の喩えの教諭に、幾度となく、意を為しなさい。それは、あなたたちにとって、長夜にわたり、利益のために〔成り〕、安楽のために成るでしょう」と。
世尊は、この〔言葉〕を言いました。わが意を得たそれらの比丘たちは、世尊の語ったことを大いに喜んだ、ということです。
鋸の喩えの経は終了となり、〔以上が〕第一となる。
注釈【4】
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