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翻訳【30】

小なる法の受持の経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園において。そこで、まさに、世尊は、比丘たちに告げました。「比丘たちよ」と。「幸甚なる方よ」と、それらの比丘たちは、世尊に答えました。世尊は、こう言いました。「比丘たちよ、四つのものがあります。これらの法(教え)の受持です。どのようなものが、四つのものなのですか。比丘たちよ、現在は安楽であり、未来に苦痛の報いがある、法(教え)の受持が存在します。比丘たちよ、まさしく、そして、現在も苦痛であり、さらに、未来にも苦痛の報いがある、法(教え)の受持が存在します。比丘たちよ、現在は苦痛であり、未来に安楽の報いがある、法(教え)の受持が存在します。比丘たちよ、まさしく、そして、現在も安楽であり、さらに、未来にも安楽の報いがある、法(教え)の受持が存在します。

比丘たちよ、では、どのようなものが、現在は安楽であり、未来に苦痛の報いがある、法(教え)の受持なのですか。比丘たちよ、このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。『諸々の欲望〔の対象〕のうちに、汚点は存在しない』と。彼らは、諸々の欲望〔の対象〕のうちに落ち行く〔性向〕を惹起します。彼らは、まさに、髪を結った女性遍歴遊行者たちと楽しみます。彼らは、このように言います。『いったい、まさに、それらの尊き沙門や婆羅門たちは、諸々の欲望〔の対象〕のうちに、どのような未来の恐怖を正しく見ながら、諸々の欲望〔の対象〕の捨棄を言い、諸々の欲望〔の対象〕の遍知を報知するのだろう。安楽なるは、この女性遍歴遊行者の、若く柔らかで毛のある腕に触れること』と。彼らは、諸々の欲望〔の対象〕のうちに落ち行く〔性向〕を惹起します。彼らは、諸々の欲望〔の対象〕のうちに落ち行く〔性向〕を惹起して、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生します。彼らは、そこにおいて、諸々の強烈で粗野で辛辣な苦痛の感受を感受します。彼らは、このように言います。『まさに、それらの尊き沙門や婆羅門たちは、諸々の欲望〔の対象〕のうちに、この未来の恐怖を正しく見ながら、諸々の欲望〔の対象〕の捨棄を言い、諸々の欲望〔の対象〕の遍知を報知する。なぜなら、〔まさに〕この、わたしたちは、欲望〔の対象〕を因として、欲望〔の対象〕を因縁として、諸々の強烈で粗野で辛辣な苦痛の感受を感受するからだ』と。比丘たちよ、それは、たとえば、また、〔四つの〕〔の月〕の最後の月において、蔓草の果皮が裂けるとします。比丘たちよ、そこで、まさに、その蔓草の種が、或るどこかのサーラ〔樹〕の根元に落下するとします。比丘たちよ、そこで、まさに、すなわち、そのサーラ〔樹〕に住している天神がいるとします。その〔天神〕は、恐怖し、畏怖し、恐慌を惹起します。比丘たちよ、そこで、まさに、そのサーラ〔樹〕に住している天神の、朋友や僚友たちであり、親族や血縁たちである、園林の天神たちが、林の天神たちが、木の天神たちが、薬草や草や林の巨樹に住している天神たちが、群集して、集いあつまって、このように安堵させます。『貴君は、恐怖してはいけません。貴君は、恐怖してはいけません。まさしく、おそらく、まさに、この蔓草の種を、あるいは、孔雀が飲み込むでしょうし、あるいは、鹿が喰うでしょうし、あるいは、山火事が焼くでしょうし、あるいは、木こりたちが引き抜くでしょうし、あるいは、白蟻たちが処分するでしょう。また、あるいは、〔発芽する〕種ではなく存するでしょう』と。比丘たちよ、そこで、まさに、その蔓草の種を、まさしく、孔雀が飲み込むこともなく、鹿が喰うこともなく、山火事が焼くこともなく、木こりたちが引き抜くこともなく、白蟻たちが処分することもありません。また、そして、〔発芽する〕種として存し、その〔種〕は、雨期の雨雲によって雨を得たなら、まさしく、正しく成長します。その蔓草の蔦葛は、若く柔らかで毛のある、垂れ下がるものとして存し、それは、そのサーラ〔樹〕に慣れ親しみます。比丘たちよ、そこで、まさに、そのサーラ〔樹〕に住している天神に、このような〔思いが〕存します。『いったい、まさに、それらの尊き、朋友や僚友たちであり、親族や血縁たちである、園林の天神たちは、林の天神たちは、木の天神たちは、薬草や草や林の巨樹に住している天神たちは、蔓草の種のうちに、どのような未来の恐怖を正しく見ながら、群集して、集いあつまって、このように安堵させたのだろう。「貴君は、恐怖してはいけません。貴君は、恐怖してはいけません。まさしく、おそらく、まさに、この蔓草の種を、あるいは、孔雀が飲み込むでしょうし、あるいは、鹿が喰うでしょうし、あるいは、山火事が焼くでしょうし、あるいは、木こりたちが引き抜くでしょうし、あるいは、白蟻たちが処分するでしょう。また、あるいは、〔発芽する〕種ではなく存するでしょう」と。安楽なるは、この蔓草の蔦葛の、若く柔らかで毛のある、垂れ下がるものに触れること』と。その〔蔓草の蔦葛〕は、そのサーラ〔樹〕に行き渡ります。そのサーラ〔樹〕に行き渡って、上に枝を張ります。上に枝を張って、気根を生やします。気根を生やして、それらが、そのサーラ〔樹〕の、大いなるうえにも大いなる幹であるなら、それらを破砕します。比丘たちよ、そこで、まさに、そのサーラ〔樹〕に住している天神に、このような〔思いが〕存します。『まさに、それらの尊き、朋友や僚友たちであり、親族や血縁たちである、園林の天神たちは、林の天神たちは、木の天神たちは、薬草や草や林の巨樹に住している天神たちは、蔓草の種のうちに、この未来の恐怖を正しく見ながら、群集して、集いあつまって、このように安堵させたのだ。「貴君は、恐怖してはいけません。貴君は、恐怖してはいけません。まさしく、おそらく、まさに、この蔓草の種を、あるいは、孔雀が飲み込むでしょうし、あるいは、鹿が喰うでしょうし、あるいは、山火事が焼くでしょうし、あるいは、木こりたちが引き抜くでしょうし、あるいは、白蟻たちが処分するでしょう。また、あるいは、〔発芽する〕種ではなく存するでしょう」と。そして、すなわち、わたしは、蔓草の種を因として、諸々の強烈で粗野で辛辣な苦痛の感受を感受するのだ』と。比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。『諸々の欲望〔の対象〕のうちに、汚点は存在しない』と。彼らは、諸々の欲望〔の対象〕のうちに落ち行く〔性向〕を惹起します。彼らは、髪を結った女性遍歴遊行者たちと楽しみます。彼らは、このように言います。『いったい、まさに、それらの尊き沙門や婆羅門たちは、諸々の欲望〔の対象〕のうちに、どのような未来の恐怖を正しく見ながら、諸々の欲望〔の対象〕の捨棄を言い、諸々の欲望〔の対象〕の遍知を報知するのだろう。安楽なるは、この女性遍歴遊行者の、若く柔らかで毛のある腕に触れること』と。彼らは、諸々の欲望〔の対象〕のうちに落ち行く〔性向〕を惹起します。彼らは、諸々の欲望〔の対象〕のうちに落ち行く〔性向〕を惹起して、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生します。彼らは、そこにおいて、諸々の強烈で粗野で辛辣な苦痛の感受を感受します。彼らは、このように言います。『まさに、それらの尊き沙門や婆羅門たちは、諸々の欲望〔の対象〕のうちに、この未来の恐怖を正しく見ながら、諸々の欲望〔の対象〕の捨棄を言い、諸々の欲望〔の対象〕の遍知を報知する。なぜなら、〔まさに〕この、わたしたちは、欲望〔の対象〕を因として、欲望〔の対象〕を因縁として、諸々の強烈で粗野で辛辣な苦痛の感受を感受するからだ』と。比丘たちよ、これは、現在は安楽であり、未来に苦痛の報いがある、法(教え)の受持と説かれます。

比丘たちよ、では、どのようなものが、まさしく、そして、現在も苦痛であり、さらに、未来にも苦痛の報いがある、法(教え)の受持なのですか。比丘たちよ、ここに、一部の者は、無衣の者と成り、放埒の習行ある者と〔成り〕〔食後に〕手を舐める者と〔成り〕、『幸いなる者よ、来たまえ』〔と言われて従わ〕ない者と〔成り〕、『幸いなる者よ、止まりたまえ』〔と言われて従わ〕ない者と〔成り〕、運ばれてきたものを〔受け〕ず、指定して作られたものを〔受け〕ず、招待を受けません。彼は、瓶の口から納受せず、鍋の口から納受せず、敷居の内で〔納受せ〕ず、棒の内で〔納受せ〕ず、杵の内で〔納受せ〕ず、二者が食べていると〔納受せ〕ず、妊婦から〔納受せ〕ず、授乳者から〔納受せ〕ず、男の内に至った〔女〕から〔納受せ〕ず、諸々の配給があるときは〔納受せ〕ず、そこにおいて、近しく立つ犬が有るなら〔納受せ〕ず、そこにおいて、群れ集い行き交う蝿たちが〔有るなら納受せ〕ず、魚を〔食べ〕ず、肉を〔食べ〕ず、穀物酒を〔飲ま〕ず、果実酒を〔飲ま〕ず、酸粥を飲みません。彼は、あるいは、〔施者を〕一軒とする者と成り、〔施物を〕一口とする者と〔成り〕、あるいは、〔施者を〕二軒とする者と成り、〔施物を〕二口とする者と〔成り〕……略……あるいは、〔施者を〕七軒とする者と成り、〔施物を〕七口とする者と〔成り〕、一つの施鉢によってもまた〔身を〕保ち行き、二つの施鉢によってもまた〔身を〕保ち行き……七つの施鉢によってもまた〔身を〕保ち行き、一日おきの食をもまた食し、二日おきの食をもまた食し……七日おきの食をもまた食し、かくのごとく、このような形態の半月おきの〔食〕をもまた〔食し〕〔このような〕様態の食事を食べることへの専念〔努力〕に専念する者として〔世に〕住みます。彼は、あるいは、野菜を食物とする者と成り、あるいは、粟を食物とする者と成り、あるいは、野生米を食物とする者と成り、あるいは、革屑を食物とする者と成り、あるいは、苔を食物とする者と成り、あるいは、糠を食物とする者と成り、あるいは、飯汁を食物とする者と成り、あるいは、胡麻粉を食物とする者と成り、あるいは、草を食物とする者と成り、あるいは、牛糞を食物とする者と成り、林の根や果を食する者として、落ちた果を受益する者として、〔身を〕保ち行きます。彼は、諸々の麻〔の衣料〕をもまた〔身に〕付け、諸々の麻混〔の衣料〕をもまた〔身に〕付け、諸々の屍衣〔の衣料〕をもまた〔身に〕付け、諸々の糞掃衣〔の衣料〕をもまた〔身に〕付け、諸々のティリータ〔樹の衣料〕をもまた〔身に〕付け、皮衣をもまた〔身に〕付け、網状の皮衣をもまた〔身に〕付け、茅の衣をもまた〔身に〕付け、樹皮の衣をもまた〔身に〕付け、延べ板の衣をもまた〔身に〕付け、髪の毛布をもまた〔身に〕付け、尾の毛布をもまた〔身に〕付け、梟の羽をもまた〔身に〕付け、髪と髭を抜かせることへの専念〔努力〕に専念する抜毛行者ともまた成り、坐を拒絶する常立行者ともまた成り、跪坐の精励に専念する跪坐行者ともまた成り、棘のうえに臥す者ともまた成り、棘のうえに臥す臥所を営み、夕方までに三度の水行をする専念〔努力〕に専念する者としてもまた〔世に〕住みます。彼は、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生します。比丘たちよ、これは、まさしく、そして、現在も苦痛であり、さらに、未来にも苦痛の報いがある、法(教え)の受持と説かれます。

比丘たちよ、では、どのようなものが、現在は苦痛であり、未来に安楽の報いがある、法(教え)の受持なのですか。比丘たちよ、ここに、一部の者は、〔生来の〕性向によってもまた、強き貪欲の類の者として〔世に〕有り、彼は、貪欲から生じる苦痛と失意を幾度となく得知し、〔生来の〕性向によってもまた、強き憤怒の類の者として〔世に〕有り、彼は、憤怒から生じる苦痛と失意を幾度となく得知し、〔生来の〕性向によってもまた、強き迷妄の類の者として〔世に〕有り、彼は、迷妄から生じる苦痛と失意を幾度となく得知します。彼は、苦痛と共にまた、失意と共にまた、涙顔で泣き叫びながら、円満成就した完全なる清浄の梵行を歩みます。彼は、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生します。比丘たちよ、これは、現在は苦痛であり、未来に安楽の報いがある、法(教え)の受持と説かれます。

比丘たちよ、では、どのようなものが、まさしく、そして、現在も安楽であり、さらに、未来にも安楽の報いがある、法(教え)の受持なのですか。比丘たちよ、ここに、一部の者は、〔生来の〕性向によってもまた、強き貪欲の類の者ではなく〔世に〕有り、彼は、貪欲から生じる苦痛と失意を幾度となく得知することがなく、〔生来の〕性向によってもまた、強き憤怒の類の者ではなく〔世に〕有り、彼は、憤怒から生じる苦痛と失意を幾度となく得知することがなく、〔生来の〕性向によってもまた、強き迷妄の類の者ではなく〔世に〕有り、彼は、迷妄から生じる苦痛と失意を幾度となく得知することがありません。彼は、まさしく、諸々の欲望〔の対象〕から離れて、諸々の善ならざる法(性質)から離れて、〔粗雑なる〕思考を有し、〔微細なる〕想念を有し、遠離から生じる喜悦と安楽がある、第一の瞑想を成就して〔世に〕住みます。〔粗雑なる〕思考と〔微細なる〕想念の寂止あることから、内なる清信あり、心の専一なる状態あり、思考なく、想念なく、禅定から生じる喜悦と安楽がある、第二の瞑想を……略……第三の瞑想を……第四の瞑想を成就して〔世に〕住みます。彼は、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生します。比丘たちよ、これは、まさしく、そして、現在も安楽であり、さらに、未来にも安楽の報いがある、法(教え)の受持と説かれます。比丘たちよ、まさに、これらの四つの法(教え)の受持があります」と。

世尊は、この〔言葉〕を言いました。わが意を得たそれらの比丘たちは、世尊の語ったことを大いに喜んだ、ということです。

小なる法(教え)の受持の経は終了となり、〔以上が〕第五となる。

注釈【4】