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翻訳【27】

審査者の経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園において。そこで、まさに、世尊は、比丘たちに告げました。「比丘たちよ」と。「幸甚なる方よ」と、それらの比丘たちは、世尊に答えました。世尊は、こう言いました。「比丘たちよ、比丘が、〔自らの〕心をとおして、他者の心の思索を知ることなくあるなら、審査者としてあり、如来について、正しい調査が為されるべきです。『あるいは、正等覚者であるのか、あるいは、〔正等覚者では〕ないのか』と、識知するために」と。「尊き方よ、わたしたちにとって、諸々の法(教え)は、世尊を根元とするものであり、世尊を導きとするものであり、世尊を帰依所とするものです。尊き方よ、どうか、まさに、まさしく、世尊に、この語られたことの義(意味)が明白となれ。世尊の〔言葉を〕聞いて、比丘たちは、〔それを〕保持するでしょう」と。「比丘たちよ、まさに、それでは、聞きなさい。善くしっかりと、意を為しなさい。〔では〕語ります」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、世尊に答えました。世尊は、こう言いました。

「比丘たちよ、比丘が、〔自らの〕心をとおして、他者の心の思索を知ることなくあるなら、審査者としてあり、二つの法(性質)について、如来が正しく調査されるべきです。眼と耳によって識知されるべき諸々の法(性質)について、『すなわち、眼と耳によって識知されるべき諸々の汚染の法(性質)は、それらは、如来に、あるいは、等しく見出されるのか、あるいは、〔等しく見出され〕ないのか』と。〔まさに〕その、この者のことを、正しく調査しながら、このように知ります。『すなわち、眼と耳によって識知されるべき諸々の汚染の法(性質)は、それらは、如来に等しく見出されない』と。

すなわち、彼のことを、正しく調査しながら、このように知ることから、『すなわち、眼と耳によって識知されるべき諸々の汚染の法(性質)は、それらは、如来に等しく見出されない』と、そののち、彼のことを、より以上に正しく調査します。『すなわち、眼と耳によって識知されるべき諸々の混合の法(性質)は、それらは、如来に、あるいは、等しく見出されるのか、あるいは、〔等しく見出され〕ないのか』と。〔まさに〕その、この者のことを、正しく調査しながら、このように知ります。『すなわち、眼と耳によって識知されるべき諸々の混合の法(性質)は、それらは、如来に等しく見出されない』と。

すなわち、彼のことを、正しく調査しながら、このように知ることから、『すなわち、眼と耳によって識知されるべき諸々の混合の法(性質)は、それらは、如来に等しく見出されない』と、そののち、彼のことを、より以上に正しく調査します。『すなわち、眼と耳によって識知されるべき諸々の清白の法(性質)は、それらは、如来に、あるいは、等しく見出されるのか、あるいは、〔等しく見出され〕ないのか』と。〔まさに〕その、この者のことを、正しく調査しながら、このように知ります。『すなわち、眼と耳によって識知されるべき諸々の清白の法(性質)は、それらは、如来に等しく見出される』と。

すなわち、彼のことを、正しく調査しながら、このように知ることから、『すなわち、眼と耳によって識知されるべき諸々の清白の法(性質)は、それらは、如来に等しく見出される』と、そののち、彼のことを、より以上に正しく調査します。『この尊者は、この善なる法(性質)に、長夜にわたり入定した者であるのか、それとも、暫しのあいだ入定した者であるのか』と。〔まさに〕その、この者のことを、正しく調査しながら、このように知ります。『この尊者は、この善なる法(性質)に、長夜にわたり入定した者である。この尊者は、暫しのあいだ入定した者ではない』と。

すなわち、彼のことを、正しく調査しながら、このように知ることから、『この尊者は、この善なる法(性質)に、長夜にわたり入定した者である。この尊者は、暫しのあいだ入定した者ではない』と、そののち、彼のことを、より以上に正しく調査します。『この尊者は、知名度が上がり盛名に至り得た比丘であるが、ここに、一部のものとして、諸々の危険が、彼に等しく見出されるのか』と。比丘たちよ、すなわち、知名度が上がり盛名に至り得た者と成らないあいだ、それまでは、ここに、一部のものとして、諸々の危険が、比丘に等しく見出されることはありません。比丘たちよ、しかしながら、すなわち、まさに、比丘が、知名度が上がり盛名に至り得た者と成ることから、そこで、ここに、一部のものとして、諸々の危険が、彼に等しく見出されます。〔まさに〕その、この者のことを、正しく調査しながら、このように知ります。『この尊者は、知名度が上がり盛名に至り得た比丘であるが、ここに、一部のものとして、諸々の危険が、彼に等しく見出されることはない』と。

すなわち、彼のことを、正しく調査しながら、このように知ることから、『この尊者は、知名度が上がり盛名に至り得た比丘であるが、ここに、一部のものとして、諸々の危険が、彼に等しく見出されることはない』と、そののち、彼のことを、より以上に正しく調査します。『この尊者は、恐怖なき〔境地〕によって止息した者であり、この尊者は、恐怖によって止息した者ではなく、貪欲を離れたことから、貪欲の滅尽あることから、諸々の欲望〔の対象〕に慣れ親しまないのか』と。〔まさに〕その、この者のことを、正しく調査しながら、このように知ります。『この尊者は、恐怖なき〔境地〕によって止息した者であり、この尊者は、恐怖によって止息した者ではなく、貪欲を離れたことから、貪欲の滅尽あることから、諸々の欲望〔の対象〕に慣れ親しまない』と。比丘たちよ、もし、その比丘に、他者たちが、このように問うとします。『また、尊者には、どのような諸々の行相があり、どのような諸々の類推があり、それによって、尊者は、このように説くのですか。「この尊者は、恐怖なき〔境地〕によって止息した者であり、この尊者は、恐怖によって止息した者ではなく、貪欲を離れたことから、貪欲の滅尽あることから、諸々の欲望〔の対象〕に慣れ親しみません」』と。比丘たちよ、比丘は、このように、正しく説き明かしつつ説き明かすでしょう。『また、まさに、そのように、この尊者が、あるいは、僧団において住んでいるとして、あるいは、独り、〔世に〕住んでいるとして、そして、すなわち、そこにおいて、善き境遇の者たちがあり、さらに、すなわち、そこにおいて、悪しき境遇の者たちがあり、かつまた、それらの者たちが、そこにおいて、衆に教示し、そして、すなわち、ここに、一部の者たちが、諸々の財貨のうちに現見され、さらに、すなわち、ここに、一部の者たちが、財貨によって汚されずにあるも、この尊者は、彼のことを、それによって見下さないからです。また、まさに、わたしは、このことを、世尊の、面前で聞き、面前で受けました。「わたしは、恐怖なき〔境地〕によって止息した者として〔世に〕存しています。わたしは、恐怖によって止息した者ではなく〔世に〕存しています。貪欲を離れたことから、貪欲の滅尽あることから、諸々の欲望〔の対象〕に慣れ親しみません」』と。

比丘たちよ、そこで、まさしく、如来が、より以上に質問されるべきです。『すなわち、眼と耳によって識知されるべき諸々の汚染の法(性質)は、それらは、如来に、あるいは、等しく見出されるのか、あるいは、〔等しく見出され〕ないのか』と。比丘たちよ、如来は、このように、正しく説き明かしつつ説き明かすでしょう。『すなわち、眼と耳によって識知されるべき諸々の汚染の法(性質)は、それらは、如来に等しく見出されない』と。

『すなわち、眼と耳によって識知されるべき諸々の混合の法(性質)は、それらは、如来に、あるいは、等しく見出されるのか、あるいは、〔等しく見出され〕ないのか』と。比丘たちよ、如来は、このように、正しく説き明かしつつ説き明かすでしょう。『すなわち、眼と耳によって識知されるべき諸々の混合の法(性質)は、それらは、如来に等しく見出されない』と。

『すなわち、眼と耳によって識知されるべき諸々の清白の法(性質)は、それらは、如来に、あるいは、等しく見出されるのか、あるいは、〔等しく見出され〕ないのか』と。比丘たちよ、如来は、このように、正しく説き明かしつつ説き明かすでしょう。『すなわち、眼と耳によって識知されるべき諸々の清白の法(性質)は、それらは、如来に等しく見出される』と。

比丘たちよ、まさに、教師が、このように説く者であるなら、弟子として、法(教え)を聞くために、〔彼に〕近づいて行くに値します。彼に、教師は、より上にもより上に、精妙のうえにも精妙に、黒〔の法〕と白〔の法〕〔黒と白の〕両部分を有する法(教え)を説示します。比丘たちよ、そのとおり、そのとおりに、まさに、比丘に、教師が、より上にもより上に、精妙のうえにも精妙に、黒〔の法〕と白〔の法〕〔黒と白の〕両部分を有する法(教え)を説示するなら、そのとおり、そのとおりに、彼は、その法(教え)について、ここに、一部の法(教え)を証知して、諸々の法(教え)にたいし結論に至り、教師にたいし清信します。『世尊は、正等覚者である。法(教え)は、世尊によって見事に告げ知らされた。僧団は、善き実践者である』と。比丘たちよ、もし、その比丘に、他者たちが、このように問うとします。『また、尊者には、どのような諸々の行相があり、どのような諸々の類推があり、それによって、尊者は、このように説くのですか。「世尊は、正等覚者である。法(教え)は、世尊によって見事に告げ知らされた。僧団は、善き実践者である」』と。比丘たちよ、比丘は、このように、正しく説き明かしつつ説き明かすでしょう。『友よ、ここに、わたしは、法(教え)を聞くために、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。〔まさに〕その、わたしに、教師は、より上にもより上に、精妙のうえにも精妙に、黒〔の法〕と白〔の法〕〔黒と白の〕両部分を有する法(教え)を説示します。友よ、そのとおり、そのとおりに、わたしに、教師が、より上にもより上に、精妙のうえにも精妙に、黒〔の法〕と白〔の法〕〔黒と白の〕両部分を有する法(教え)を説示するなら、そのとおり、そのとおりに、わたしは、その法(教え)について、ここに、一部の法(教え)を証知して、諸々の法(教え)にたいし結論に至り、教師にたいし清信しました。「世尊は、正等覚者である。法(教え)は、世尊によって見事に告げ知らされた。僧団は、善き実践者である」』と。

比丘たちよ、すなわち、誰のものであれ、これらの語によって、これらの句によって、これらの文によって、如来にたいする信が、固着し、根元から生じ、確立したものと成るなら、比丘たちよ、これは、行相があり、見を根元とし、堅固で、あるいは、沙門によって、あるいは、婆羅門によって、あるいは、天〔の神〕によって、あるいは、悪魔によって、あるいは、梵〔天〕によって、あるいは、世において、誰であれ、動かしようがない信と説かれます。比丘たちよ、このように、まさに、如来について、法(真理)の正しい調査が有ります。また、そして、このように、如来は、法(真理)たることによって善く正しく調査された者として〔世に〕有ります」と。

世尊は、この〔言葉〕を言いました。わが意を得たそれらの比丘たちは、世尊の語ったことを大いに喜んだ、ということです。

審査者の経は終了となり、〔以上が〕第七となる。

注釈【4】