このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、ラージャガハに住んでおられます。ヴェール林のカランダカ・ニヴァーパ(竹林精舎)において。そこで、まさに、アバヤ王子が、ニガンタ・ナータプッタのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、ニガンタ・ナータプッタを敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、アバヤ王子に、ニガンタ・ナータプッタは、こう言いました。「王子よ、さあ、あなたは、沙門ゴータの論を論破しなさい。このように、あなたに、善き評価の声が上がるでしょう。『アバヤ王子によって、このように偉大なる神通があり、このように偉大なる威力がある、沙門ゴータマの論は論破された』」と。「尊き方よ、また、すなわち、どのように、わたしは、このように偉大なる神通があり、このように偉大なる威力がある、沙門ゴータマの論を論破するのですか」と。「王子よ、さあ、あなたは、沙門ゴータマのいるところに、そこへと近づいて行きなさい。近づいて行って、沙門ゴータマに、このように説きなさい。『尊き方よ、いったい、まさに、如来は、すなわち、その言葉が、他者たちにとって、愛しくなく意に適わないものであるとして、その言葉を語ることがありますか』と。それで、もし、このように尋ねられた沙門ゴータマが、あなたに、このように説き明かすなら、『王子よ、如来は、すなわち、その言葉が、他者たちにとって、愛しくなく意に適わないものであるとして、その言葉を語ることがあります』と、まさしく、ただちに、あなたは、このように説くべきです。『尊き方よ、そこで、そうしますと、凡夫とあなたには、どのような多様性(相違点)があるというのでしょう。なぜなら、凡夫もまた、すなわち、その言葉が、他者たちにとって、愛しくなく意に適わないものであるとして、その言葉を語ることがあるからです』と。王子よ、また、それで、もし、このように尋ねられた沙門ゴータマが、あなたに、このように説き明かすなら、『王子よ、如来は、すなわち、その言葉が、他者たちにとって、愛しくなく意に適わないものであるとして、その言葉を語ることがありません』と、まさしく、ただちに、あなたは、このように説くべきです。『尊き方よ、そこで、そうしますと、どうして、デーヴァダッタは、あなたによって説き明かされたのですか。「デーヴァダッタは、悪所にある者です。デーヴァダッタは、地獄にある者です。デーヴァダッタは、カッパ(劫:時間の単位・極めて長い時間)のあいだ〔地獄に〕止住する者です(一劫のあいだ地獄に住む)。デーヴァダッタは、治癒なき者です」と。また、そして、あなたの、その言葉によって、デーヴァダッタは、激情し、わが意を得ない者と成ったのでは』と。王子よ、まさに、あなたによって、この両刀論法の問いを尋ねられた沙門ゴータマは、まさしく、吐き出すこともできないであろうし、まさしく、飲み下すこともできないでしょう。それは、たとえば、また、まさに、人の喉に引っ掛かった鉄鉤を、彼が、まさしく、吐き出すこともできず、飲み下すこともできないように、王子よ、まさしく、このように、まさに、あなたによって、この両刀論法の問いを尋ねられた沙門ゴータマは、まさしく、吐き出すこともできないであろうし、まさしく、飲み下すこともできないでしょう」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、アバヤ王子は、ニガンタ・ナータプッタに答えて、坐から立ち上がって、ニガンタ・ナータプッタを敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。
一方に坐った、まさに、アバヤ王子に、太陽を見上げて、この〔思い〕が有りました。「まさに、今日は、世尊の論を論破する時にあらず。今や、わたしは、明日、自らの住居地において、世尊の論を論破するのだ」と。〔アバヤ王子は〕世尊に、こう言いました。「尊き方よ、世尊は、自己を第四の者として、明日、わたしの食事〔の布施〕をお受けください」と。世尊は、沈黙の状態をもって承諾しました。そこで、まさに、アバヤ王子は、世尊の承諾を見出して、坐から立ち上がって、世尊を敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、立ち去りました。そこで、まさに、世尊は、その夜が明けると、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、アバヤ王子の住居地のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、設けられた坐に坐りました。そこで、まさに、アバヤ王子は、世尊を、上質の固形の食料や軟らかい食料で満足させ、自らの手で給仕しました。そこで、まさに、アバヤ王子は、世尊が食事を終え、鉢から手を離すと、或るどこかの下坐を収め取って、一方に坐りました。
一方に坐った、まさに、アバヤ王子は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、いったい、まさに、如来は、すなわち、その言葉が、他者たちにとって、愛しくなく意に適わないものであるとして、その言葉を語ることがありますか」と。「王子よ、まさに、ここにおいて、一定して〔答えることはでき〕ません」と。「尊き方よ、ここにおいて、ニガンタたちは滅びました」と。「王子よ、また、どうして、あなたは、このように説くのですか。『尊き方よ、ここにおいて、ニガンタたちは滅びました』」と。「尊き方よ、ここに、わたしは、ニガンタ・ナータプッタのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、ニガンタ・ナータプッタを敬拝して、一方に坐りました。尊き方よ、一方に坐った、まさに、わたしに、ニガンタ・ナータプッタは、こう言いました。『王子よ、さあ、あなたは、沙門ゴータの論を論破しなさい。このように、あなたに、善き評価の声が上がるでしょう。「アバヤ王子によって、このように偉大なる神通があり、このように偉大なる威力がある、沙門ゴータマの論は論破された」』と。尊き方よ、このように説かれたとき、わたしは、ニガンタ・ナータプッタに、こう言いました。『尊き方よ、また、すなわち、どのように、わたしは、このように偉大なる神通があり、このように偉大なる威力がある、沙門ゴータマの論を論破するのですか』と。『王子よ、さあ、あなたは、沙門ゴータマのいるところに、そこへと近づいて行きなさい。近づいて行って、沙門ゴータマに、このように説きなさい。「尊き方よ、いったい、まさに、如来は、すなわち、その言葉が、他者たちにとって、愛しくなく意に適わないものであるとして、その言葉を語ることがありますか」と。王子よ、それで、もし、このように尋ねられた沙門ゴータマが、あなたに、このように説き明かすなら、「王子よ、如来は、すなわち、その言葉が、他者たちにとって、愛しくなく意に適わないものであるとして、その言葉を語ることがあります」と、まさしく、ただちに、あなたは、このように説くべきです。「尊き方よ、そこで、そうしますと、凡夫とあなたには、どのような多様性があるというのでしょう。なぜなら、凡夫もまた、すなわち、その言葉が、他者たちにとって、愛しくなく意に適わないものであるとして、その言葉を語ることがあるからです」と。王子よ、また、それで、もし、このように尋ねられた沙門ゴータマが、あなたに、このように説き明かすなら、「王子よ、如来は、すなわち、その言葉が、他者たちにとって、愛しくなく意に適わないものであるとして、その言葉を語ることがありません」と、まさしく、ただちに、あなたは、このように説くべきです。「尊き方よ、そこで、そうしますと、どうして、デーヴァダッタは、あなたによって説き明かされたのですか。『デーヴァダッタは、悪所にある者です。デーヴァダッタは、地獄にある者です。デーヴァダッタは、カッパのあいだ〔地獄に〕止住する者です。デーヴァダッタは、治癒なき者です』と。また、そして、あなたの、その言葉によって、デーヴァダッタは、激情し、わが意を得ない者と成ったのでは」と。王子よ、まさに、あなたによって、この両刀論法の問いを尋ねられた沙門ゴータマは、まさしく、吐き出すこともできないであろうし、まさしく、飲み下すこともできないでしょう。それは、たとえば、また、まさに、人の喉に引っ掛かった鉄鉤を、彼が、まさしく、吐き出すこともできず、飲み下すこともできないように、王子よ、まさしく、このように、まさに、あなたによって、この両刀論法の問いを尋ねられた沙門ゴータマは、まさしく、吐き出すこともできないであろうし、まさしく、飲み下すこともできないでしょう』」と。
また、まさに、その時点にあって、愚鈍で上向きに臥す年少の童子が、アバヤ王子の膝のうえで、坐った状態でいます。そこで、まさに、世尊は、アバヤ王子に、こう言いました。「王子よ、それを、どう思いますか。それで、もし、この童子が、あるいは、あなたの放逸に起因して、あるいは、乳母の放逸に起因して、あるいは、小枝を、あるいは、小石を、口に運ぶとします。何をどう、それに為すでしょうか」と。「尊き方よ、わたしは、〔それを〕取り出すでしょう。尊き方よ、それで、もし、まさしく、最初に、取り出すことができないなら、左手で頭を遍く収め取って、右手で指を釣り針と為して、たとえ、出血してでも取り出すでしょう。それは、何を因とするのですか。尊き方よ、わたしには、童子にたいする慈しみ〔の思い〕が存在するからです」と。「王子よ、まさしく、このように、まさに、如来が、その言葉を、事実ならざるものと〔知り〕、真実ならざるものと〔知り〕、義(利益)を伴わないものと知るなら、そして、その〔言葉〕が、他者たちにとって、愛しくなく意に適わないものであるとして、如来は、その言葉を語ることがありません。たとえ、如来が、その言葉を、事実と〔知り〕、真実と〔知るも〕、義(利益)を伴わないものと知るなら、そして、その〔言葉〕が、他者たちにとって、愛しくなく意に適わないものであるとして、如来は、その言葉をもまた語ることがありません。しかしながら、まさに、如来が、その言葉を、事実と〔知り〕、真実と〔知り〕、義(利益)を伴ったものと知るなら、そして、その〔言葉〕が、他者たちにとって、愛しくなく意に適わないものであるとして、そこで、如来は、その言葉を説き明かすための〔正しい〕時を知る者として〔世に〕有ります。如来が、その言葉を、事実ならざるものと〔知り〕、真実ならざるものと〔知り〕、義(利益)を伴わないものと知るなら、そして、その〔言葉〕が、他者たちにとって、愛しく意に適うものであるとして、如来は、その言葉を語ることがありません。たとえ、如来が、その言葉を、事実と〔知り〕、真実と〔知るも〕、義(利益)を伴わないものと知るなら、そして、その〔言葉〕が、他者たちにとって、愛しく意に適うものであるとして、如来は、その言葉をもまた語ることがありません。しかしながら、まさに、如来が、その言葉を、事実と〔知り〕、真実と〔知り〕、義(利益)を伴ったものと知るなら、そして、その〔言葉〕が、他者たちにとって、愛しく意に適うものであるとして、そこにおいて、如来は、その言葉を説き明かすための〔正しい〕時を知る者として〔世に〕有ります。それは、何を因とするのですか。王子よ、如来には、有情たちにたいする慈しみ〔の思い〕が存在するからです」と。
「尊き方よ、すなわち、これらの、士族の賢者たちもまた、婆羅門の賢者たちもまた、家長の賢者たちもまた、沙門の賢者たちもまた。問いを準備して、近づいて行って、如来に尋ねます。尊き方よ、いったい、まさに、世尊に、このことは、まさしく、過去において、心に思索されたものとして有るのですか。『それらの者たちが、近づいて行って、わたしに、このように尋ねるとする。わたしは、このように尋ねられたなら、彼らに、このように説き明かすのだ』と。それとも、まさしく、即座に、如来に、このことが明白となるのですか」と。
「王子よ、まさに、それでは、まさしく、あなたに、ここにおいて問い返しましょう。すなわち、あなたのよろしいように、そのとおりに、それを説き明かしてください。王子よ、それを、どう思いますか。あなたは、車の諸々の大小の部品に巧みな智ある者ですか」と。
「尊き方よ、そのとおりです。わたしは、車の諸々の大小の部品に巧みな智ある者です」と。
「王子よ、それを、どう思いますか。それらの者たちが、近づいて行って、あなたに、このように尋ねるとします。『車のこの大小の部品は、まさに、何なのですか』と。いったい、まさに、あなたに、このことは、まさしく、過去において、心に思索されたものとして有るのですか。『それらの者たちが、近づいて行って、わたしに、このように尋ねるとする。わたしは、このように尋ねられたなら、彼らに、このように説き明かすのだ』と。それとも、まさしく、即座に、あなたに、このことが明白となるのですか」と。
「尊き方よ、まさに、わたしは、車の乗り手として了解され、車の諸々の大小の部品に巧みな智ある者です。車の諸々の大小の部品は、全てが、わたしによって善く知られています。まさしく、即座に、わたしに、このことが明白となります」と。
「王子よ、まさしく、このように、まさに、すなわち、それらの、士族の賢者たちもまた、婆羅門の賢者たちもまた、家長の賢者たちもまた、沙門の賢者たちもまた。問いを準備して、近づいて行って、如来に尋ねるなら、まさしく、即座に、如来に、このことが明白となります。それは、何を因とするのですか。王子よ、なぜなら、如来に、その法(真理)の界域(界)が善く理解されているからです。その法(真理)の界域が善く理解されたことから、まさしく、即座に、如来に、このことが明白となります」と。
このように説かれたとき、アバヤ王子は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、すばらしいことです。尊き方よ、すばらしいことです。……略……今日以後、命ある限り、帰依所に赴いた者として」と。
アバヤ王子の経は終了となり、〔以上が〕第八となる。
注釈【4】
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