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中部経典

MN62. 大いなるラーフラへの教諭の経

翻訳【31】

大いなるラーフラへの教諭の経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園において。そこで、まさに、世尊は、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、サーヴァッティーに〔行乞の〕食のために入りました。まさに、尊者ラーフラもまた、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、背後から背後へと、世尊に付き従いました。そこで、まさに、世尊は、振り返って、尊者ラーフラに告げました。「ラーフラよ、それが何であれ、形態()としてあるなら、過去と未来と現在の、あるいは、内なるものも、あるいは、外なるものも、あるいは、粗大なるものも、あるいは、繊細なるものも、あるいは、下劣なるものも、あるいは、精妙なるものも、あるいは、それが、遠方にあるも、現前にあるも、一切の形態は、『これは、わたしのものではない。これは、わたしとして存在しない。これは、わたしの自己ではない』と、このように、このことが、事実のとおりに、正しい智慧によって見られるべきです」と。「尊き方よ、いったい、まさに、形態だけなのでしょうか。善き至達者たる方よ、いったい、まさに、形態だけなのでしょうか」と。「ラーフラよ、感受〔作用〕)もまた。ラーフラよ、表象〔作用〕)もまた。ラーフラよ、諸々の形成〔作用〕)もまた。ラーフラよ、識知〔作用〕)もまた」と。そこで、まさに、尊者ラーフラは、「いったい、誰が、今日、世尊によって、面前で、教諭によって教え諭されたのに、村に〔行乞の〕食のために入るというのだろう(今や托鉢どころではない)」と、そののち、引き返して、或るどこかの木の根元において坐りました——結跏(両足を交差する坐法)を組んで、身体を真っすぐに立てて、全面に気づきを現起させて。まさに、尊者サーリプッタは、尊者ラーフラが、或るどこかの木の根元において坐っているのを見ました——結跏を組んで、身体を真っすぐに立てて、全面に気づきを現起させて。見て、尊者ラーフラに告げました。「ラーフラよ、呼吸についての気づき(安般念:呼吸の瞑想)の修行を修めなさい。ラーフラよ、呼吸についての気づきの修行が、修められ、多く為されたなら、大いなる果と成り、大いなる福利と〔成ります〕」と。

そこで、まさに、尊者ラーフラは、夕刻時に、静坐から出起し、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、尊者ラーフラは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、いったい、まさに、どのように、呼吸についての気づきが修められ、どのように多く為されたなら、大いなる果と成り、大いなる福利と〔成るのですか〕」と。「ラーフラよ、すなわち、何であれ、内なるもので、各自それぞれに、粗剛にして、粗野な在り方をした、〔『わたしである』『わたしのものである』と〕執取されたものは——それは、すなわち、この、諸々の髪と諸々の毛と諸々の爪と諸々の歯と皮膚と肉と腱と骨と骨髄と腎臓と心臓と肝臓と肋膜と脾臓と肺臓と腸と腸間膜と胃物と糞は——また、あるいは、すなわち、他のまた、何であれ、内なるもので、各自それぞれに、粗剛にして、粗野な在り方をした、〔『わたしである』『わたしのものである』と〕執取されたものは——ラーフラよ、これは、『内なる地の界域』〔と〕説かれます。また、まさに、まさしく、そして、すなわち、内なる地の界域は、さらに、すなわち、外なる地の界域は、これは、まさしく、地の界域です。それを、『これは、わたしのものではない。これは、わたしとして存在しない。これは、わたしの自己ではない』と、このように、このことが、事実のとおりに、正しい智慧によって見られるべきです。このように、このことを、事実のとおりに、正しい智慧によって見て、地の界域にたいし厭離し、地の界域から心を離貪させます。

ラーフラよ、では、どのようなものが、水の界域なのですか。水の界域は、内なるものが存するべきであり、外なるものが存するべきです。ラーフラよ、では、どのようなものが、内なる水の界域なのですか。すなわち、内なるもので、各自それぞれに、水として、水の在り方をした、〔『わたしである』『わたしのものである』と〕執取されたものは——それは、すなわち、この、胆汁と痰と膿と血と汗と脂肪と涙と膏と唾液と鼻水と髄液と尿は——また、あるいは、すなわち、他のまた、何であれ、内なるもので、各自それぞれに、水として、水の在り方をした、〔『わたしである』『わたしのものである』と〕執取されたものは——ラーフラよ、これは、『内なる水の界域』〔と〕説かれます。また、まさに、まさしく、そして、すなわち、内なる水の界域は、さらに、すなわち、外なる水の界域は、これは、まさしく、水の界域です。それを、『これは、わたしのものではない。これは、わたしとして存在しない。これは、わたしの自己ではない』と、このように、このことが、事実のとおりに、正しい智慧によって見られるべきです。このように、このことを、事実のとおりに、正しい智慧によって見て、水の界域にたいし厭離し、水の界域から心を離貪させます。

ラーフラよ、では、どのようなものが、火の界域なのですか。火の界域は、内なるものが存するべきであり、外なるものが存するべきです。ラーフラよ、では、どのようなものが、内なる火の界域なのですか。すなわち、内なるもので、各自それぞれに、火として、火の在り方をした、〔『わたしである』『わたしのものである』と〕執取されたものは——それは、すなわち、この、かつまた、それによって熱せられ、かつまた、それによって老い、かつまた、それによって遍く焼かれ、かつまた、それによって食べたものと飲んだものと咀嚼したものと味わったものが正しく変化に至るなら(消化吸収されるなら)——また、あるいは、すなわち、他のまた、何であれ、内なるもので、各自それぞれに、火として、火の在り方をした、〔『わたしである』『わたしのものである』と〕執取されたものは——ラーフラよ、これは、『内なる火の界域』〔と〕説かれます。また、まさに、まさしく、そして、すなわち、内なる火の界域は、さらに、すなわち、外なる火の界域は、これは、まさしく、火の界域です。それを、『これは、わたしのものではない。これは、わたしとして存在しない。これは、わたしの自己ではない』と、このように、このことが、事実のとおりに、正しい智慧によって見られるべきです。このように、このことを、事実のとおりに、正しい智慧によって見て、火の界域にたいし厭離し、火の界域から心を離貪させます。

ラーフラよ、では、どのようなものが、風の界域なのですか。風の界域は、内なるものが存するべきであり、外なるものが存するべきです。ラーフラよ、では、どのようなものが、内なる風の界域なのですか。すなわち、内なるもので、各自それぞれに、風として、風の在り方をした、〔『わたしである』『わたしのものである』と〕執取されたものは——それは、すなわち、この、諸々の上に赴く風、諸々の下に赴く風、諸々の腹に依拠する風、諸々の〔腸の〕部位に依拠する風、諸々の手足や肢体に従い行く風、出息、入息、かくのごときものは——また、あるいは、すなわち、他のまた、何であれ、内なるもので、各自それぞれに、風として、風の在り方をした、〔『わたしである』『わたしのものである』と〕執取されたものは——ラーフラよ、これは、『内なる風の界域』〔と〕説かれます。また、まさに、まさしく、そして、すなわち、内なる風の界域は、さらに、すなわち、外なる風の界域は、これは、まさしく、風の界域です。それを、『これは、わたしのものではない。これは、わたしとして存在しない。これは、わたしの自己ではない』と、このように、このことが、事実のとおりに、正しい智慧によって見られるべきです。このように、このことを、事実のとおりに、正しい智慧によって見て、風の界域にたいし厭離し、風の界域から心を離貪させます。

ラーフラよ、では、どのようなものが、虚空の界域なのですか。虚空の界域は、内なるものが存するべきであり、外なるものが存するべきです。ラーフラよ、では、どのようなものが、内なる虚空の界域なのですか。すなわち、内なるもので、各自それぞれに、虚空として、虚空の在り方をした、〔『わたしである』『わたしのものである』と〕執取されたものは——それは、すなわち、この、あるいは、耳孔、鼻孔、口腔は——かつまた、それによって食べたものや飲んだものや咀嚼したものや味わったものを飲み下すなら、かつまた、そこにおいて食べたものや飲んだものや咀嚼したものや味わったものが止住するなら、かつまた、それによって食べたものや飲んだものや咀嚼したものや味わったものが下部に出るなら——また、あるいは、すなわち、他のまた、何であれ、内なるもので、各自それぞれに、虚空として、虚空の在り方をした、無蓋として、無蓋の在り方をした、隙間として、隙間の在り方をした、諸々の肉と血によって触れないもので、〔『わたしである』『わたしのものである』と〕執取されたものは——ラーフラよ、これは、『内なる虚空の界域』〔と〕説かれます。また、まさに、まさしく、そして、すなわち、内なる虚空の界域は、さらに、すなわち、外なる虚空の界域は、これは、まさしく、虚空の界域です。それを、『これは、わたしのものではない。これは、わたしとして存在しない。これは、わたしの自己ではない』と、このように、このことが、事実のとおりに、正しい智慧によって見られるべきです。このように、このことを、事実のとおりに、正しい智慧によって見て、虚空の界域にたいし厭離し、虚空の界域から心を離貪させます。

ラーフラよ、地に等しき修行を修めなさい。ラーフラよ、なぜなら、あなたが、地に等しき修行を修めていると、生起した諸々の意に適う〔接触〕と意に適わない接触(:感覚の発生)は、心を完全に奪い去って止住しないからです。ラーフラよ、それは、たとえば、また、〔人々が〕地のうえに、浄美なるものをもまた捨て置き、不浄なるものをもまた捨て置き、糞となるに至ったものをもまた捨て置き、尿となるに至ったものをもまた捨て置き、唾液となるに至ったものをもまた捨て置き、膿となるに至ったものをもまた捨て置き、血となるに至ったものをもまた捨て置くとして、しかしながら、地は、それによって、あるいは、苦悩することも、あるいは、自責することも、あるいは、忌避することもないように、ラーフラよ、まさしく、このように、まさに、地に等しき修行を修めなさい。ラーフラよ、なぜなら、あなたが、地に等しき修行を修めていると、生起した諸々の意に適う〔接触〕と意に適わない接触は、心を完全に奪い去って止住しないからです。

ラーフラよ、水に等しき修行を修めなさい。ラーフラよ、なぜなら、あなたが、水に等しき修行を修めていると、生起した諸々の意に適う〔接触〕と意に適わない接触は、心を完全に奪い去って止住しないからです。ラーフラよ、それは、たとえば、また、〔人々が〕水のなかで、浄美なるものをもまた洗い清め、不浄なるものをもまた洗い清め、糞となるに至ったものをもまた洗い清めるとして、尿となるに至ったものをもまた洗い清めるとして、唾液となるに至ったものをもまた洗い清めるとして、膿となるに至ったものをもまた洗い清めるとして、血となるに至ったものをもまた洗い清めるとして、しかしながら、水は、それによって、あるいは、苦悩することも、あるいは、自責することも、あるいは、忌避することもないように、ラーフラよ、まさしく、このように、まさに、水に等しき修行を修めなさい。ラーフラよ、なぜなら、あなたが、水に等しき修行を修めていると、生起した諸々の意に適う〔接触〕と意に適わない接触は、心を完全に奪い去って止住しないからです。

ラーフラよ、火に等しき修行を修めなさい。ラーフラよ、なぜなら、あなたが、火に等しき修行を修めていると、生起した諸々の意に適う〔接触〕と意に適わない接触は、心を完全に奪い去って止住しないからです。ラーフラよ、それは、たとえば、また、火が、浄美なるものをもまた焼き、不浄なるものをもまた焼き、糞となるに至ったものをもまた焼き、尿となるに至ったものをもまた焼き、唾液となるに至ったものをもまた焼き、膿となるに至ったものをもまた焼き、血となるに至ったものをもまた焼くとして、しかしながら、火は、それによって、あるいは、苦悩することも、あるいは、自責することも、あるいは、忌避することもないように、ラーフラよ、まさしく、このように、まさに、火に等しき修行を修めなさい。ラーフラよ、なぜなら、あなたが、火に等しき修行を修めていると、生起した諸々の意に適う〔接触〕と意に適わない接触は、心を完全に奪い去って止住しないからです。

ラーフラよ、風に等しき修行を修めなさい。ラーフラよ、なぜなら、あなたが、風に等しき修行を修めていると、生起した諸々の意に適う〔接触〕と意に適わない接触は、心を完全に奪い去って止住しないからです。ラーフラよ、それは、たとえば、また、風が、浄美なるものにもまた吹き、不浄なるものにもまた吹き、糞となるに至ったものにもまた吹き、尿となるに至ったものにもまた吹き、唾液となるに至ったものにもまた吹き、膿となるに至ったものにもまた吹き、血となるに至ったものにもまた吹くとして、しかしながら、風は、それによって、あるいは、苦悩することも、あるいは、自責することも、あるいは、忌避することもないように、ラーフラよ、まさしく、このように、まさに、風に等しき修行を修めなさい。ラーフラよ、なぜなら、あなたが、風に等しき修行を修めていると、生起した諸々の意に適う〔接触〕と意に適わない接触は、心を完全に奪い去って止住しないからです。

ラーフラよ、虚空に等しき修行を修めなさい。ラーフラよ、なぜなら、あなたが、虚空に等しき修行を修めていると、生起した諸々の意に適う〔接触〕と意に適わない接触は、心を完全に奪い去って止住しないからです。ラーフラよ、それは、たとえば、また、虚空が、どこにおいてもまた止住することなくあるように、ラーフラよ、まさしく、このように、まさに、虚空に等しき修行を修めなさい。ラーフラよ、なぜなら、あなたが、虚空に等しき修行を修めていると、生起した諸々の意に適う〔接触〕と意に適わない接触は、心を完全に奪い去って止住しないからです。

ラーフラよ、慈愛()の修行を修めなさい。ラーフラよ、なぜなら、あなたが、慈愛の修行を修めていると、すなわち、憎悪〔の思い〕は、それは捨棄されるからです。ラーフラよ、慈悲()の修行を修めなさい。ラーフラよ、なぜなら、あなたが、慈悲の修行を修めていると、すなわち、悩害〔の思い〕は、それは捨棄されるからです。ラーフラよ、歓喜()の修行を修めなさい。ラーフラよ、なぜなら、あなたが、歓喜の修行を修めていると、すなわち、不満〔の思い〕は、それは捨棄されるからです。ラーフラよ、放捨()の修行を修めなさい。ラーフラよ、なぜなら、あなたが、放捨の修行を修めていると、すなわち、敵対〔の思い〕は、それは捨棄されるからです。ラーフラよ、不浄の修行を修めなさい。ラーフラよ、なぜなら、あなたが、不浄の修行を修めていると、すなわち、貪欲〔の思い〕は、それは捨棄されるからです。ラーフラよ、無常の表象の修行を修めなさい。ラーフラよ、なぜなら、あなたが、無常の表象の修行を修めていると、すなわち、『〔わたしは〕存在する』という思量(我慢:自我意識)は、それは捨棄されるからです。

ラーフラよ、呼吸についての気づきの修行を修めなさい。ラーフラよ、なぜなら、あなたによって、呼吸についての気づきが、修められ、多く為されたなら、大いなる果と成り、大いなる福利と〔成るからです〕。ラーフラよ、では、どのように、呼吸についての気づきが修められ、どのように多く為されたなら、大いなる果と成り、大いなる福利と〔成るのですか〕。ラーフラよ、ここに、比丘が、あるいは、林に赴き、あるいは、木の根元に赴き、あるいは、空家に赴き、〔瞑想のために〕坐ります——結跏を組んで、身体を真っすぐに立てて、全面に気づきを現起させて。彼は、まさしく、気づきある者として出息し、まさしく、気づきある者として入息します。

あるいは、長く出息しつつ、『〔わたしは〕長く出息する』と覚知し、あるいは、長く入息しつつ、『〔わたしは〕長く入息する』と覚知します。あるいは、短く出息しつつ、『〔わたしは〕短く出息する』と覚知し、あるいは、短く入息しつつ、『〔わたしは〕短く入息する』と覚知します。『〔わたしは〕一切の身体の得知ある者として、出息するのだ』と学び、『〔わたしは〕一切の身体の得知ある者として、入息するのだ』と学びます。『〔わたしは〕身体の形成〔作用〕身行)を静息させつつ、出息するのだ』と学び、『〔わたしは〕身体の形成〔作用〕を静息させつつ、入息するのだ』と学びます。

〔わたしは〕喜悦の得知ある者として、出息するのだ』と学び、『〔わたしは〕喜悦の得知ある者として、入息するのだ』と学びます。『〔わたしは〕安楽の得知ある者として、出息するのだ』と学び、『〔わたしは〕安楽の得知ある者として、入息するのだ』と学びます。『〔わたしは〕心の形成〔作用〕心行)の得知ある者として、出息するのだ』と学び、『〔わたしは〕心の形成〔作用〕の得知ある者として、入息するのだ』と学びます。『〔わたしは〕心の形成〔作用〕を静息させつつ、出息するのだ』と学び、『〔わたしは〕心の形成〔作用〕を静息させつつ、入息するのだ』と学びます。

〔わたしは〕心の得知ある者として、出息するのだ』と学び、『〔わたしは〕心の得知ある者として、入息するのだ』と学びます。『〔わたしは〕心を大いに歓喜させつつ、出息するのだ』と学び、『〔わたしは〕心を大いに歓喜させつつ、入息するのだ』と学びます。『〔わたしは〕心を定めつつ、出息するのだ』と学び、『〔わたしは〕心を定めつつ、入息するのだ』と学びます。『〔わたしは〕心を解脱させつつ、出息するのだ』と学び、『〔わたしは〕心を解脱させつつ、入息するのだ』と学びます。

〔わたしは〕無常の随観ある者として、出息するのだ』と学び、『〔わたしは〕無常の随観ある者として、入息するのだ』と学びます。『〔わたしは〕離貪の随観ある者として、出息するのだ』と学び、『〔わたしは〕離貪の随観ある者として、入息するのだ』と学びます。『〔わたしは〕止滅の随観ある者として、出息するのだ』と学び、『〔わたしは〕止滅の随観ある者として、入息するのだ』と学びます。『〔わたしは〕放棄の随観ある者として、出息するのだ』と学び、『〔わたしは〕放棄の随観ある者として、入息するのだ』と学びます。

ラーフラよ、まさに、このように修められ、このように多く為されたなら、呼吸についての気づきは、大いなる果と成り、大いなる福利と〔成ります〕。ラーフラよ、このように、呼吸についての気づきが修められ、このように多く為されたことから、すなわち、また、それらの最後の出息も、それらもまた、まさしく、見出されたものとして、止滅します——見出されないものとして、ではなく」と。

世尊は、この〔言葉〕を言いました。わが意を得た尊者ラーフラは、世尊の語ったことを大いに喜んだ、ということです。

大いなるラーフラへの教諭の経は終了となり、〔以上が〕第二となる。

注釈【4】