このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園において。そこで、まさに、静所に赴き静坐している尊者マールキャプッタに、このような心の思索が浮かびました。「すなわち、これらのものが、悪しき見解として、世尊によって、説き明かされず、据え置かれ、拒絶された。『世〔界〕は、常久である』という〔見解〕もまた、『世〔界〕は、常久ではない』という〔見解〕もまた、『世〔界〕は、終極がある』という〔見解〕もまた、『世〔界〕は、終極がない』という〔見解〕もまた、『そのものとして生命があり、そのものとして肉体がある(生命と肉体は同じものである)』という〔見解〕もまた、『他なるものとして生命があり、他なるものとして肉体がある(生命と肉体は別のものである)』という〔見解〕もまた、『如来は、死後に有る』という〔見解〕もまた、『如来は、死後に有ることがない』という〔見解〕もまた、『如来は、死後に、かつまた、有り、かつまた、有ることがない』という〔見解〕もまた、『如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない』という〔見解〕もまた。それらを、世尊は、わたしに説き明かさない。それらを、世尊が、わたしに説き明かさないのは、それは、わたしにとって好ましくなく、それは、わたしの受認するところにあらず。〔まさに〕その、わたしは、近づいて行って、世尊に、この義(意味)を尋ねるのだ。それで、もし、世尊が、わたしに説き明かすなら、あるいは、『世〔界〕は、常久である』と、あるいは、『世〔界〕は、常久ではない』と……略……あるいは、『如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない』と、このようにあるなら、わたしは、世尊のもと、梵行を歩むのだ。もし、世尊が、わたしに説き明かさないなら、あるいは、『世〔界〕は、常久である』と、あるいは、『世〔界〕は、常久ではない』と……略……あるいは、『如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない』と、このようにあるなら、わたしは、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りするのだ(戒を捨てて還俗する)」と。
そこで、まさに、尊者マールキャプッタは、夕刻時に、静坐から出起し、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、尊者マールキャプッタは、世尊に、こう言いました。
「尊き方よ、ここに、静所に赴き静坐しているわたしに、このような心の思索が浮かびました。『すなわち、これらのものが、悪しき見解として、世尊によって、説き明かされず、据え置かれ、拒絶された。「世〔界〕は、常久である」という〔見解〕もまた、「世〔界〕は、常久ではない」という〔見解〕もまた……略……「如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない」という〔見解〕もまた。それらを、世尊は、わたしに説き明かさない。それらを、世尊が、わたしに説き明かさないのは、それは、わたしにとって好ましくなく、それは、わたしの受認するところにあらず。〔まさに〕その、わたしは、近づいて行って、世尊に、この義(意味)を尋ねるのだ。それで、もし、世尊が、わたしに説き明かすなら、あるいは、「世〔界〕は、常久である」と、あるいは、「世〔界〕は、常久ではない」と……略……あるいは、「如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない」と、このようにあるなら、わたしは、世尊のもと、梵行を歩むのだ。もし、世尊が、わたしに説き明かさないなら、あるいは、「世〔界〕は、常久である」と、あるいは、「世〔界〕は、常久ではない」と……略……あるいは、「如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない」と、このようにあるなら、わたしは、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りするのだ』と。それで、もし、世尊が、『世〔界〕は、常久である』と知っているなら、『世〔界〕は、常久である』と、世尊は、わたしに説き明かしてください。それで、もし、世尊が、『世〔界〕は、常久ではない』と知っているなら、『世〔界〕は、常久ではない』と、世尊は、わたしに説き明かしてください。もし、世尊が、あるいは、『世〔界〕は、常久である』と、あるいは、『世〔界〕は、常久ではない』と、知らないなら、また、まさに、知らずにいる者には、見ずにいる者には、まさしく、これが、真っすぐなことと成ります。すなわち、この、『〔わたしは〕知らない』『〔わたしは〕見ない』という〔言葉が〕。それで、もし、世尊が、『世〔界〕は、終極がある』と知っているなら、『世〔界〕は、終極がある』と、世尊は、わたしに説き明かしてください。それで、もし、世尊が、『世〔界〕は、終極がない』と知っているなら、『世〔界〕は、終極がない』と、世尊は、わたしに説き明かしてください。もし、世尊が、あるいは、『世〔界〕は、終極がある』と、あるいは、『世〔界〕は、終極がない』と、知らないなら、また、まさに、知らずにいる者には、見ずにいる者には、まさしく、これが、真っすぐなことと成ります。すなわち、この、『〔わたしは〕知らない』『〔わたしは〕見ない』という〔言葉が〕。それで、もし、世尊が、『そのものとして生命があり、そのものとして肉体がある』と知っているなら、『そのものとして生命があり、そのものとして肉体がある』と、世尊は、わたしに説き明かしてください。それで、もし、世尊が、『他なるものとして生命があり、他なるものとして肉体がある』と知っているなら、『他なるものとして生命があり、他なるものとして肉体がある』と、世尊は、わたしに説き明かしてください。もし、世尊が、あるいは、『そのものとして生命があり、そのものとして肉体がある』と、あるいは、『他なるものとして生命があり、他なるものとして肉体がある』と、知らないなら、また、まさに、知らずにいる者には、見ずにいる者には、まさしく、これが、真っすぐなことと成ります。すなわち、この、『〔わたしは〕知らない』『〔わたしは〕見ない』という〔言葉が〕。それで、もし、世尊が、『如来は、死後に有る』と知っているなら、『如来は、死後に有る』と、世尊は、わたしに説き明かしてください。それで、もし、世尊が、『如来は、死後に有ることがない』と知っているなら、『如来は、死後に有ることがない』と、世尊は、わたしに説き明かしてください。もし、世尊が、あるいは、『如来は、死後に有る』と、あるいは、『如来は、死後に有ることがない』と、知らないなら、また、まさに、知らずにいる者には、見ずにいる者には、まさしく、これが、真っすぐなことと成ります。すなわち、この、『〔わたしは〕知らない』『〔わたしは〕見ない』という〔言葉が〕。それで、もし、世尊が、『如来は、死後に、かつまた、有り、かつまた、有ることがない』と知っているなら、『如来は、死後に、かつまた、有り、かつまた、有ることがない』と、世尊は、わたしに説き明かしてください。それで、もし、世尊が、『如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない』と知っているなら、『如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない』と、世尊は、わたしに説き明かしてください。もし、世尊が、あるいは、『如来は、死後に、かつまた、有り、かつまた、有ることがない』と、あるいは、『如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない』と、知らないなら、また、まさに、知らずにいる者には、見ずにいる者には、まさしく、これが、真っすぐなことと成ります。すなわち、この、『〔わたしは〕知らない』『〔わたしは〕見ない』という〔言葉が〕」と。
「マールキャプッタよ、いったい、どうなのでしょう、わたしは、あなたに、このように言いましたか。『マールキャプッタよ、さあ、あなたは、わたしのもと、梵行を歩みなさい。わたしは、あなたに、あるいは、「世〔界〕は、常久である」と、あるいは、「世〔界〕は、常久ではない」と、あるいは、「世〔界〕は、終極がある」と、あるいは、「世〔界〕は、終極がない」と、あるいは、「そのものとして生命があり、そのものとして肉体がある」と、あるいは、「他なるものとして生命があり、他なるものとして肉体がある」と、あるいは、「如来は、死後に有る」と、あるいは、「如来は、死後に有ることがない」と、あるいは、「如来は、死後に、かつまた、有り、かつまた、有ることがない」と、あるいは、「如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない」と、説き明かすでしょう』」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「また、あるいは、あなたは、わたしに、このように言いましたか。『尊き方よ、わたしは、世尊のもと、梵行を歩むでしょう。世尊は、わたしに、あるいは、「世〔界〕は、常久である」と、あるいは、「世〔界〕は、常久ではない」と、あるいは、「世〔界〕は、終極がある」と、あるいは、「世〔界〕は、終極がない」と、あるいは、「そのものとして生命があり、そのものとして肉体がある」と、あるいは、「他なるものとして生命があり、他なるものとして肉体がある」と、あるいは、「如来は、死後に有る」と、あるいは、「如来は、死後に有ることがない」と、あるいは、「如来は、死後に、かつまた、有り、かつまた、有ることがない」と、あるいは、「如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない」と、説き明かすでしょう』」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「マールキャプッタよ、かくのごとく、まさに、わたしが、あなたに、このように説くことは、まさしく、ありません。『マールキャプッタよ、さあ、あなたは、わたしのもと、梵行を歩みなさい。わたしは、あなたに、あるいは、「世〔界〕は、常久である」と、あるいは、「世〔界〕は、常久ではない」と……略……あるいは、「如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない」と、説き明かすでしょう』と。まさに、あなたが、わたしに、このように説くこともまた、ありません。『尊き方よ、わたしは、世尊のもと、梵行を歩むでしょう。世尊は、わたしに、あるいは、「世〔界〕は、常久である」と、あるいは、「世〔界〕は、常久ではない」と……略……あるいは、「如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない」と、説き明かすでしょう』と。愚人よ、このように存しているとき、〔あなたは〕何者として存しているのですか、〔あなたは〕何を峻拒するというのですか。
マールキャプッタよ、或る者が、まさに、このように説くとします。『それまでのあいだ、わたしは、世尊のもと、梵行を歩まないでしょう。すなわち、世尊が、わたしに、あるいは、「世〔界〕は、常久である」と、あるいは、「世〔界〕は、常久ではない」と……略……あるいは、「如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない」と、説き明かさないあいだは』と。マールキャプッタよ、それは、まさしく、如来によって説き明かされないもの(無記)として存するでしょう。そこで、その人は、〔虚しく〕命を終えるでしょう。マールキャプッタよ、それは、たとえば、また、毒を有し深く塗装された矢に貫かれた人が存するとします。彼のために、朋友や僚友たちが、親族や血縁たちが、〔毒〕矢の治癒者である医師を奉仕させます。彼が、このように説くとします。『それまでのあいだ、わたしは、この矢を引き抜かないでしょう。すなわち、その〔人〕に貫かれた者として存する〔わたしが〕、その人のことを、「あるいは、士族である、あるいは、婆羅門である、あるいは、庶民である、あるいは、奴隷である」と知らないあいだは』と。彼が、このように説くとします。『それまでのあいだ、わたしは、この矢を引き抜かないでしょう。すなわち、その〔人〕に貫かれた者として存する〔わたしが〕、その人のことを、「このような名の者である、このような姓の者である、あるいは、かくのごとく〔云々〕」と知らないあいだは』と。彼が、このように説くとします。『それまでのあいだ、わたしは、この矢を引き抜かないでしょう。すなわち、その〔人〕に貫かれた者として存する〔わたしが〕、その人のことを、「あるいは、長身の者である、あるいは、短身の者である、あるいは、中身の者である」と知らないあいだは』と。彼が、このように説くとします。『それまでのあいだ、わたしは、この矢を引き抜かないでしょう。すなわち、その〔人〕に貫かれた者として存する〔わたしが〕、その人のことを、「あるいは、黒き者である、あるいは、褐色の者である、あるいは、金色の表皮ある者である」と知らないあいだは』と。彼が、このように説くとします。『それまでのあいだ、わたしは、この矢を引き抜かないでしょう。すなわち、その〔人〕に貫かれた者として存する〔わたしが〕、その人のことを、「何某の、あるいは、村にいる、あるいは、町にいる、あるいは、城市にいる」と知らないあいだは』と。彼が、このように説くとします。『それまでのあいだ、わたしは、この矢を引き抜かないでしょう。すなわち、その〔弓〕に貫かれた者として存する〔わたしが〕、その弓のことを、「もしくは、あるいは、長弓であるのか、もしくは、あるいは、石弓であるのか」と知らないあいだは』と。彼が、このように説くとします。『それまでのあいだ、わたしは、この矢を引き抜かないでしょう。すなわち、その〔弦〕に貫かれた者として存する〔わたしが〕、その弦のことを、「もしくは、あるいは、アッカ〔樹〕のものであるのか、もしくは、あるいは、葦のものであるのか、もしくは、あるいは、腱のものであるのか、もしくは、あるいは、麻のものであるのか、もしくは、あるいは、乳葉樹のものであるのか」と知らないあいだは』と。彼が、このように説くとします。『それまでのあいだ、わたしは、この矢を引き抜かないでしょう。すなわち、その〔矢柄〕に貫かれた者として存する〔わたしが〕、その矢柄のことを、「もしくは、あるいは、藪のものであるのか、もしくは、あるいは、植樹のものであるのか」と知らないあいだは』と。彼が、このように説くとします。『それまでのあいだ、わたしは、この矢を引き抜かないでしょう。すなわち、その〔矢柄〕に貫かれた者として存する〔わたしが〕、その矢柄のことを、「その〔鳥〕の諸々の羽が付けられているとして、もしくは、あるいは、鷲のものであるのか、もしくは、あるいは、鷺のものであるのか、もしくは、あるいは、鷹のものであるのか、もしくは、あるいは、孔雀のものであるのか、もしくは、あるいは、シティラハヌ〔鳥〕のものであるのか」と知らないあいだは』と。彼が、このように説くとします。『それまでのあいだ、わたしは、この矢を引き抜かないでしょう。すなわち、その〔矢柄〕に貫かれた者として存する〔わたしが〕、その矢柄のことを、「その〔獣〕の腱が巻かれているとして、もしくは、あるいは、牛のものであるのか、もしくは、あるいは、水牛のものであるのか、もしくは、あるいは、黒獅子のものであるのか、もしくは、あるいは、猿のものであるのか」と知らないあいだは』と。彼が、このように説くとします。『それまでのあいだ、わたしは、この矢を引き抜かないでしょう。すなわち、その〔矢〕に貫かれた者として存する〔わたしが〕、その矢のことを、「もしくは、あるいは、〔普通の〕矢であるのか、もしくは、あるいは、尖り矢であるのか、もしくは、あるいは、鉤矢であるのか、もしくは、あるいは、鉄矢であるのか、もしくは、あるいは、子牛の歯矢であるのか、もしくは、あるいは、夾竹桃の葉矢であるのか」と知らないあいだは』と。マールキャプッタよ、それは、まさしく、その人によって知られないものとして存するでしょう。そこで、その人は、〔虚しく〕命を終えるでしょう。マールキャプッタよ、まさしく、このように、まさに、或る者が、まさに、このように説くとします。『それまでのあいだ、わたしは、世尊のもと、梵行を歩まないでしょう。すなわち、世尊が、わたしに、あるいは、「世〔界〕は、常久である」と、あるいは、「世〔界〕は、常久ではない」と……略……あるいは、「如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない」と、説き明かさないあいだは』と。マールキャプッタよ、それは、まさしく、如来によって説き明かされないものとして存するでしょう。そこで、その人は、〔虚しく〕命を終えるでしょう。
マールキャプッタよ、『「世〔界〕は、常久である」という見解が存しているとき、梵行の住が有るであろう』という、このようなことはなく、マールキャプッタよ、『「世〔界〕は、常久ではない」という見解が存しているとき、梵行の住が有るであろう』という、このようなこともまたなく、マールキャプッタよ、あるいは、『世〔界〕は、常久である』という見解が存しているとき、あるいは、『世〔界〕は、常久ではない』という見解が存しているとき、まさしく、生が存在し、老が存在し、死が存在し、諸々の憂いと嘆きと苦痛と失意と葛藤が存在します。わたしは、まさしく、所見の法(現世)における、それらの打破を報知します。マールキャプッタよ、『「世〔界〕は、終極がある」という見解が存しているとき、梵行の住が有るであろう』という、このようなことはなく、マールキャプッタよ、『「世〔界〕は、終極がない」という見解が存しているとき、梵行の住が有るであろう』という、このようなこともまたなく、マールキャプッタよ、あるいは、『世〔界〕は、終極がある』という見解が存しているとき、あるいは、『世〔界〕は、終極がない』という見解が存しているとき、まさしく、生が存在し、老が存在し、死が存在し、諸々の憂いと嘆きと苦痛と失意と葛藤が存在します。わたしは、まさしく、所見の法(現世)における、それらの打破を報知します。マールキャプッタよ、『「そのものとして生命があり、そのものとして肉体がある」という見解が存しているとき、梵行の住が有るであろう』という、このようなことはなく、マールキャプッタよ、『「他なるものとして生命があり、他なるものとして肉体がある」という見解が存しているとき、梵行の住が有るであろう』という、このようなこともまたなく、マールキャプッタよ、あるいは、『そのものとして生命があり、そのものとして肉体がある』という見解が存しているとき、あるいは、『他なるものとして生命があり、他なるものとして肉体がある』という見解が存しているとき、まさしく、生が存在し……略……打破を報知します。マールキャプッタよ、『「如来は、死後に有る」という見解が存しているとき、梵行の住が有るであろう』という、このようなことはなく、マールキャプッタよ、『「如来は、死後に有ることがない」という見解が存しているとき、梵行の住が有るであろう』という、このようなこともまたなく、マールキャプッタよ、あるいは、『如来は、死後に有る』という見解が存しているとき、あるいは、『如来は、死後に有ることがない』という見解が存しているとき、まさしく、生が存在し……略……打破を報知します。マールキャプッタよ、『「如来は、死後に、かつまた、有り、かつまた、有ることがない」という見解が存しているとき、梵行の住が有るであろう』という、このようなことはなく、マールキャプッタよ、『「如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない」という見解が存しているとき、梵行の住が有るであろう』という、このようなこともまたなく、マールキャプッタよ、あるいは、『如来は、死後に、かつまた、有り、かつまた、有ることがない』という見解が存しているとき、あるいは、『如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない』という見解が存しているとき、まさしく、生が存在し……略……打破を報知します。
マールキャプッタよ、それゆえに、ここに、そして、わたしによって説き明かされなかったものを、説き明かされなかったものとして、〔あなたたちは〕保持しなさい。さらに、わたしによって説き明かされたものを、説き明かされたものとして、〔あなたたちは〕保持しなさい。マールキャプッタよ、では、何が、わたしによって説き明かされなかったのですか。マールキャプッタよ、『世〔界〕は、常久である』と、わたしによって説き明かされませんでした。『世〔界〕は、常久ではない』と、わたしによって説き明かされませんでした。『世〔界〕は、終極がある』と、わたしによって説き明かされませんでした。『世〔界〕は、終極がない』と、わたしによって説き明かされませんでした。『そのものとして生命があり、そのものとして肉体がある』と、わたしによって説き明かされませんでした。『他なるものとして生命があり、他なるものとして肉体がある』と、わたしによって説き明かされませんでした。『如来は、死後に有る』と、わたしによって説き明かされませんでした。『如来は、死後に有ることがない』と、わたしによって説き明かされませんでした。『如来は、死後に、かつまた、有り、かつまた、有ることがない』と、わたしによって説き明かされませんでした。『如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない』と、わたしによって説き明かされませんでした。マールキャプッタよ、では、何ゆえに、このことは、わたしによって説き明かされなかったのですか。マールキャプッタよ、なぜなら、このことは、義(利益)を伴ったものではなく、初等の梵行たるものではなく、厭離のためではなく、離貪のためではなく、止滅のためではなく、寂止のためではなく、証知のためではなく、正覚のためではなく、涅槃のためではなく、等しく転起するからです。それゆえに、それは、わたしによって説き明かされなかったのです。マールキャプッタよ、では、何が、わたしによって説き明かされたのですか。マールキャプッタよ、『これは、苦しみである』と、わたしによって説き明かされました。『これは、苦しみの集起である』と、わたしによって説き明かされました。『これは、苦しみの止滅である』と、わたしによって説き明かされました。『これは、苦しみの止滅に至る〔実践の〕道である』と、わたしによって説き明かされました。マールキャプッタよ、では、何ゆえに、このことは、わたしによって説き明かされたのですか。マールキャプッタよ、なぜなら、このことは、義(利益)を伴ったものであり、このことは、初等の梵行たるものであり、厭離のために、離貪のために、止滅のために、寂止のために、証知のために、正覚のために、涅槃のために、等しく転起するからです。それゆえに、それは、わたしによって説き明かされたのです。マールキャプッタよ、それゆえに、ここに、そして、わたしによって説き明かされなかったものを、説き明かされなかったものとして、〔あなたたちは〕保持しなさい。さらに、わたしによって説き明かされたものを、説き明かされたものとして、〔あなたたちは〕保持しなさい」と。
世尊は、この〔言葉〕を言いました。わが意を得た尊者マールキャプッタは、世尊の語ったことを大いに喜んだ、ということです。
小なるマールキャプッタの経は終了となり、〔以上が〕第三となる。
注釈【4】
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