読み込み中

翻訳【25】

チャートゥマーの経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、チャートゥマーに住んでおられます。アーマラキー林において。また、まさに、その時点にあって、サーリプッタとモッガッラーナを筆頭とする五百ばかりの比丘たちが、世尊と会見するために、チャートゥマーに到着するところと成ります。そして、それらの来客の比丘たちは、在住の比丘たちを相手に共に挨拶しながら、諸々の臥坐具を設置しながら、諸々の鉢と衣料を処理しながら、〔むやみやたらと〕高い声をあげ大きな音をたてる者たちと成りました。そこで、まさに、世尊は、尊者アーナンダに告げました。「アーナンダよ、また、これらの者たちは、誰なのですか。漁師たちが魚を獲っているかと思うような、高い声をあげ大きな音をたてるのは」と。「尊き方よ、これらの者たちは、サーリプッタとモッガッラーナを筆頭とする五百ばかりの比丘たちです。世尊と会見するために、チャートゥマーに到着したのです。それらの来客の比丘たちは、在住の比丘たちを相手に共に挨拶しながら、諸々の臥坐具を設置しながら、諸々の鉢と衣料を処理しながら、〔むやみやたらと〕高い声をあげ大きな音をたてます」と。「アーナンダよ、まさに、それでは、わたしの言葉でもって、それらの比丘たちに告げなさい。『教師が、尊者たちを呼んでいます』」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、尊者アーナンダは、世尊に答えて、それらの比丘たちのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、それらの比丘たちに、こう言いました。「教師が、尊者たちを呼んでいます」と。「友よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、尊者アーナンダに答えて、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、それらの比丘たちに、世尊は、こう言いました。「比丘たちよ、いったい、どうして、あなたたちは、漁師たちが魚を獲っているかと思うような、高い声をあげ大きな音をたてるのですか」と。「尊き方よ、これらの者たちは、サーリプッタとモッガッラーナを筆頭とする五百ばかりの比丘たちです。世尊と会見するために、チャートゥマーに到着したのです。それで、これらの来客の比丘たちは、在住の比丘たちを相手に共に挨拶しながら、諸々の臥坐具を設置しながら、諸々の鉢と衣料を処理しながら、〔むやみやたらと〕高い声をあげ大きな音をたてます」と。「比丘たちよ、去りなさい。あなたたちを追い出します。あなたたちは、わたしの現前に住するべきではありません」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、世尊に答えて、坐から立ち上がって、世尊を敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、臥坐具をたたんで、鉢と衣料を取って、立ち去りました。

また、まさに、その時点にあって、チャートゥマー〔の住者〕たる釈迦〔族〕の者たちが、公会堂において、参集した状態でいます——何らかの或る用事があって。まさに、チャートゥマー〔の住者〕たる釈迦〔族〕の者たちは、それらの比丘たちが、はるか遠くから、やってくるのを見ました。見て、それらの比丘たちのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、それらの比丘たちに、こう言いました。「尊者たちよ、はてさて、また、あなたたちは、どこに赴くのですか」と。「友よ、まさに、世尊によって追い出された、比丘の僧団です」と。「尊者たちよ、まさに、それでは、しばらくお坐りください。まさしく、おそらく、まさに、わたしたちは、世尊を清信させることができるでしょう」と。「友よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、チャートゥマー〔の住者〕たる釈迦〔族〕の者たちに答えました。そこで、まさに、チャートゥマー〔の住者〕たる釈迦〔族〕の者たちは、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、チャートゥマー〔の住者〕たる釈迦〔族〕の者たちは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、世尊は、比丘の僧団を喜びたまえ。尊き方よ、世尊は、比丘の僧団を迎え取りたまえ。尊き方よ、それは、たとえば、また、過去において、世尊によって、比丘の僧団が資助されたとおりに、まさしく、このように、今現在も、世尊は、比丘の僧団を資助したまえ。尊き方よ、ここにおいて、新参者たちであり、出家したばかりであり、この法(教え)と律の入門者たちである、比丘たちが存在し、彼らが世尊との会見を得ずにいると、〔彼らに〕他化が存在し、変化が存在するでしょう。尊き方よ、それは、たとえば、まさに、諸々の幼い種が水を得ずにいると、〔それらの種に〕他化が存在し、変化が存在するであろうように、尊き方よ、まさしく、このように、まさに、ここにおいて、新参者たちであり、出家したばかりであり、この法(教え)と律の入門者たちである、比丘たちが存在し、彼らが世尊との会見を得ずにいると、〔彼らに〕他化が存在し、変化が存在するでしょう。尊き方よ、それは、たとえば、また、幼い子牛が母を見ずにいると、〔その子牛に〕他化が存在し、変化が存在するであろうように、尊き方よ、まさしく、このように、まさに、ここにおいて、新参者たちであり、出家したばかりであり、この法(教え)と律の入門者たちである、比丘たちが存在し、彼らが世尊との会見を得ずにいると、〔彼らに〕他化が存在し、変化が存在するでしょう。尊き方よ、世尊は、比丘の僧団を喜びたまえ。尊き方よ、世尊は、比丘の僧団を迎え取りたまえ。尊き方よ、それは、たとえば、また、過去において、世尊によって、比丘の僧団が資助されたとおりに、まさしく、このように、今現在も、世尊は、比丘の僧団を資助したまえ」と。

そこで、まさに、梵〔天〕のサハンパティは、〔自らの〕心をとおして、世尊の心の思索を了知して、それは、たとえば、また、まさに、力ある人が、あるいは、曲げた腕を伸ばすかのように、あるいは、伸ばした腕を曲げるかのように、まさしく、このように、梵の世において消没し、世尊の前に出現しました。そこで、まさに、梵〔天〕のサハンパティは、一つの肩に上衣を掛けて、世尊のおられるところに、そこへと合掌を手向けて、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、世尊は、比丘の僧団を喜びたまえ。尊き方よ、世尊は、比丘の僧団を迎え取りたまえ。尊き方よ、それは、たとえば、また、過去において、世尊によって、比丘の僧団が資助されたとおりに、まさしく、このように、今現在も、世尊は、比丘の僧団を資助したまえ。尊き方よ、ここにおいて、新参者たちであり、出家したばかりであり、この法(教え)と律の入門者たちである、比丘たちが存在し、彼らが世尊との会見を得ずにいると、〔彼らに〕他化が存在し、変化が存在するでしょう。尊き方よ、それは、たとえば、まさに、諸々の幼い種が水を得ずにいると、〔それらの種に〕他化が存在し、変化が存在するであろうように、尊き方よ、まさしく、このように、まさに、ここにおいて、新参者たちであり、出家したばかりであり、この法(教え)と律の入門者たちである、比丘たちが存在し、彼らが世尊との会見を得ずにいると、〔彼らに〕他化が存在し、変化が存在するでしょう。尊き方よ、それは、たとえば、また、幼い子牛が母を見ずにいると、〔その子牛に〕他化が存在し、変化が存在するであろうように、尊き方よ、まさしく、このように、まさに、ここにおいて、新参者たちであり、出家したばかりであり、この法(教え)と律の入門者たちである、比丘たちが存在し、彼らが世尊との会見を得ずにいると、〔彼らに〕他化が存在し、変化が存在するでしょう。尊き方よ、世尊は、比丘の僧団を喜びたまえ。尊き方よ、世尊は、比丘の僧団を迎え取りたまえ。尊き方よ、それは、たとえば、また、過去において、世尊によって、比丘の僧団が資助されたとおりに、まさしく、このように、今現在も、世尊は、比丘の僧団を資助したまえ」と。

まさに、そして、チャートゥマー〔の住者〕たる釈迦〔族〕の者たちは、さらに、梵〔天〕のサハンパティは、世尊を清信させることができました——そして、種の喩えによって、さらに、幼い〔子牛〕の喩えによって。そこで、まさに、尊者マハー・モッガッラーナは、比丘たちに告げました。「友よ、立ち上がりなさい。鉢と衣料を収め取りなさい。世尊は清信するところとなりました——そして、チャートゥマー〔の住者〕たる釈迦〔族〕の者たちによって、さらに、梵〔天〕のサハンパティによって——そして、種の喩えによって、さらに、幼い〔子牛〕の喩えによって」と。「友よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、尊者マハー・モッガッラーナに答えて、坐から立ち上がって、鉢と衣料を取って、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、尊者サーリプッタに、世尊は、こう言いました。「サーリプッタよ、わたしによって、比丘の僧団が追い出されたとき、あなたに、どのような〔思いが〕有りましたか」と。「尊き方よ、まさに、わたしに、このような〔思いが〕有りました。『世尊によって、比丘の僧団が追い出された。今や、世尊は、思い入れ少なき者となり、所見の法(現世)における安楽の住(現法楽住)に専念する者として〔世に〕住むであろう。今や、わたしたちもまた、思い入れ少なき者たちとなり、所見の法(現世)における安楽の住に専念する者たちとして〔世に〕住むのだ』」と。「サーリプッタよ、あなたは待ちなさい。サーリプッタよ、あなたは待ちなさい。所見の法(現世)における安楽の住を」と。そこで、まさに、世尊は、尊者マハー・モッガッラーナに告げました。「モッガッラーナよ、わたしによって、比丘の僧団が追い出されたとき、あなたに、どのような〔思いが〕有りましたか」と。「尊き方よ、まさに、わたしに、このような〔思いが〕有りました。『世尊によって、比丘の僧団が追い出された。今や、世尊は、思い入れ少なき者となり、所見の法(現世)における安楽の住に専念する者として〔世に〕住むであろう。今や、そして、わたしは、さらに、尊者サーリプッタは、比丘の僧団を維持するのだ』」と。「モッガッラーナよ、善きかな、善きかな。モッガッラーナよ、なぜなら、あるいは、わたしが、あるいは、サーリプッタとモッガッラーナが、比丘の僧団を維持するべきであるからです」と。

そこで、まさに、世尊は、比丘たちに告げました。「比丘たちよ、四つのものがあります。これらの、水に入り行くときに待っているべき恐怖です。どのようなものが、四つのものなのですか。波の恐怖であり、鰐の恐怖であり、渦の恐怖であり、鮫の恐怖です。比丘たちよ、これらの四つの、水に入り行くときに待っているべき恐怖があります。比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、四つのものがあります。これらの、ここに、一部の人が、この法(教え)と律において、家から家なきへと出家したときに待っているべき恐怖です。どのようなものが、四つのものなのですか。波の恐怖であり、鰐の恐怖であり、渦の恐怖であり、鮫の恐怖です。

比丘たちよ、では、どのようなものが、波の恐怖なのですか。比丘たちよ、ここに、一部の良家の子息は、信によって家から家なきへと出家した者として〔世に〕有ります。『生に、老に、死に、諸々の憂いに、諸々の嘆きに、諸々の苦痛に、諸々の失意に、諸々の葛藤に、〔それらに〕沈んだ者として、〔わたしは〕存している。苦しみに沈んだ者であり、苦しみに打ち負かされた者であるも、まさしく、また、まさに、この全部の苦しみの範疇の終極を為すことが、覚知されるはずなのだ』と。そのように出家者として存している、〔まさに〕その、この者に、梵行を共にする者たちは、教諭し教示します。『このように、あなたは前進するべきです』『このように、あなたは後進するべきです』『このように、あなたは前視するべきです』『このように、あなたは後視するべきです』『このように、あなたは屈曲するべきです』『このように、あなたは伸直するべきです』『このように、あなたは大衣と鉢と衣料を保持するべきです』と。彼に、このような〔思いが〕有ります。『わたしたちは、まさに、過去において、在家者たちとして有り、〔そのように〕存しつつ、他者たちに、教諭し教示する。いっぽう、これらの、思うに、子ほど〔の年齢〕の者たちが、思うに、孫ほど〔の年齢〕の者たちが、わたしたちのことを、教諭し教示するべきと思い考える』と。彼は、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします(戒を捨てて還俗する)。比丘たちよ、この者は、『波の恐怖に恐怖した者であり、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りした者である』〔と〕説かれます。比丘たちよ、『波の恐怖』とは、まさに、これは、忿激と葛藤の同義語です。

比丘たちよ、では、どのようなものが、鰐の恐怖なのですか。比丘たちよ、ここに、一部の良家の子息は、信によって家から家なきへと出家した者として〔世に〕有ります。『生に、老に、死に、諸々の憂いに、諸々の嘆きに、諸々の苦痛に、諸々の失意に、諸々の葛藤に、〔それらに〕沈んだ者として、〔わたしは〕存している。苦しみに沈んだ者であり、苦しみに打ち負かされた者であるも、まさしく、また、まさに、この全部の苦しみの範疇の終極を為すことが、覚知されるはずなのだ』と。そのように出家者として存している、〔まさに〕その、この者に、梵行を共にする者たちは、教諭し教示します。『これを、あなたは咀嚼するべきです』『これを、あなたは咀嚼するべきではありません』『これを、あなたは食べるべきです』『これを、あなたは食べるべきではありません』『これを、あなたは味わうべきです』『これを、あなたは味わうべきではありません』『これを、あなたは飲むべきです』『これを、あなたは飲むべきではありません』『適確なるものを、あなたは咀嚼するべきです』『適確ならざるものを、あなたは咀嚼するべきではありません』『適確なるものを、あなたは食べるべきです』『適確ならざるものを、あなたは食べるべきではありません』『適確なるものを、あなたは味わうべきです』『適確ならざるものを、あなたは味わうべきではありません』『適確なるものを、あなたは飲むべきです』『適確ならざるものを、あなたは飲むべきではありません』『〔正しい〕時に、あなたは咀嚼するべきです』『非時に、あなたは咀嚼するべきではありません』『〔正しい〕時に、あなたは食べるべきです』『非時に、あなたは食べるべきではありません』『〔正しい〕時に、あなたは味わうべきです』『非時に、あなたは味わうべきではありません』『〔正しい〕時に、あなたは飲むべきです』『非時に、あなたは飲むべきではありません』と。彼に、このような〔思いが〕有ります。『わたしたちは、まさに、過去において、在家者たちとして有り、〔そのように〕存しつつ、それを求めるなら、それを咀嚼し、それを求めないなら、それを咀嚼せず、それを求めるなら、それを食べ、それを求めないなら、それを食べず、それを求めるなら、それを味わい、それを求めないなら、それを味わわず、それを求めるなら、それを飲み、それを求めないなら、それを飲まない。適確なるものをもまた咀嚼し、適確ならざるものをもまた咀嚼し、適確なるものをもまた食べ、適確ならざるものをもまた食べ、適確なるものをもまた味わい、適確ならざるものをもまた味わい、適確なるものをもまた飲み、適確ならざるものをもまた飲む。〔正しい〕時にもまた咀嚼し、非時にもまた咀嚼し、〔正しい〕時にもまた食べ、非時にもまた食べ、〔正しい〕時にもまた味わい、非時にもまた味わい、〔正しい〕時にもまた飲み、非時にもまた飲む。すなわち、また、わたしたちに、信ある家長たちが、昼に、非時に、精妙なる固形の食料や軟らかい食料を施すとして、そこで、また、これらの者たちは、思うに、口に蓋をすることを為すのだ』と。彼は、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします。比丘たちよ、この者は、『鰐の恐怖に恐怖した者であり、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りした者である』〔と〕説かれます。比丘たちよ、『鰐の恐怖』とは、まさに、これは、飽食の同義語です。

比丘たちよ、では、どのようなものが、渦の恐怖なのですか。比丘たちよ、ここに、一部の良家の子息は、信によって家から家なきへと出家した者として〔世に〕有ります。『生に、老に、死に、諸々の憂いに、諸々の嘆きに、諸々の苦痛に、諸々の失意に、諸々の葛藤に、〔それらに〕沈んだ者として、〔わたしは〕存している。苦しみに沈んだ者であり、苦しみに打ち負かされた者であるも、まさしく、また、まさに、この全部の苦しみの範疇の終極を為すことが、覚知されるはずなのだ』と。彼は、このように出家者として〔世に〕存しながら、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、あるいは、村に、あるいは、町に、〔行乞の〕食のために入ります——まさしく、守られていない身体によって、守られていない言葉によって、守られていない心によって、現起されていない気づきによって、諸々の統御されていない〔感官の〕機能によって。彼は、そこにおいて、あるいは、家長が、あるいは、家長の子が、五つの欲望の属性(五妙欲:色・声・香・味・触)を供与され、保有する者と成り、〔それらを〕楽しんでいるのを見ます。彼に、このような〔思いが〕有ります。『わたしたちは、まさに、過去において、在家者たちとして有り、〔そのように〕存しつつ、五つの欲望の属性を供与され、保有する者と成り、〔それらを〕楽しんだ。また、まさに、わたしの家においては、諸々の財物が等しく見出される。そして、諸々の財物を享受することも、さらに、諸々の功徳を作り為すことも、〔両者ともに〕できる』と。彼は、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします。比丘たちよ、この者は、『渦の恐怖に恐怖した者であり、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りした者である』〔と〕説かれます。比丘たちよ、『渦の恐怖』とは、まさに、これは、五つの欲望の属性の同義語です。

比丘たちよ、では、どのようなものが、鮫の恐怖なのですか。比丘たちよ、ここに、一部の良家の子息は、信によって家から家なきへと出家した者として〔世に〕有ります。『生に、老に、死に、諸々の憂いに、諸々の嘆きに、諸々の苦痛に、諸々の失意に、諸々の葛藤に、〔それらに〕沈んだ者として、〔わたしは〕存している。苦しみに沈んだ者であり、苦しみに打ち負かされた者であるも、まさしく、また、まさに、この全部の苦しみの範疇の終極を為すことが、覚知されるはずなのだ』と。彼は、このように出家者として〔世に〕存しながら、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、あるいは、村に、あるいは、町に、〔行乞の〕食のために入ります——まさしく、守られていない身体によって、守られていない言葉によって、守られていない心によって、現起されていない気づきによって、諸々の統御されていない〔感官の〕機能によって。彼は、そこにおいて、女性を、あるいは、だらしなく着衣した者を、あるいは、だらしなく着込んだ者を、見ます。女性を、あるいは、だらしなく着衣した者を、あるいは、だらしなく着込んだ者を、見て、貪欲〔の思い〕が、彼の心を転落させます。彼は、貪欲〔の思い〕で転落した心によって、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします。比丘たちよ、この者は、『鮫の恐怖に恐怖した者であり、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りした者である』〔と〕説かれます。比丘たちよ、『鮫の恐怖』とは、まさに、これは、女性の同義語です。比丘たちよ、まさに、これらの四つの、ここに、一部の人が、この法(教え)と律において、家から家なきへと出家したときに待っているべき恐怖があります」と。

世尊は、この〔言葉〕を言いました。わが意を得たそれらの比丘たちは、世尊の語ったことを大いに喜んだ、ということです。

チャートゥマーの経は終了となり、〔以上が〕第七となる。

注釈【4】