このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、バッガ〔国〕に住んでおられます。ススマーラギラ〔村〕のベーサカラー林の鹿園において。また、まさに、その時点にあって、ボーディ王子に、コーカナダという名の造営されたばかりの高楼が有ります——あるいは、沙門によって、あるいは、婆羅門によって、あるいは、誰であれ、人間たる生類によって、居住されていないものとして。そこで、まさに、ボーディ王子は、サンジカープッタ学徒に告げました。「友よ、サンジカープッタよ、さあ、あなたは、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きなさい。近づいて行って、わたしの言葉でもって、世尊の〔両の〕足に、頭をもって敬拝しなさい。病苦少なく、病悩少なく、軽快の状況にあり、活力があり、平穏の住があるかを尋ねなさい。『尊き方よ、ボーディ王子は、世尊の〔両の〕足に、頭をもって敬拝します。病苦少なく、病悩少なく、軽快の状況にあり、活力があり、平穏の住があるかを尋ねます』と。さらに、このように説きなさい。『尊き方よ、まさに、世尊は、比丘の僧団と共に、明日、ボーディ王子の食事〔の布施〕をお受けください』」と。「君よ、わかりました」と、まさに、サンジカープッタ学徒は、ボーディ王子に答えて、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を相手に共に挨拶しました。共に挨拶し記憶されるべき話を交わして、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、サンジカープッタ学徒は、世尊に、こう言いました。「まさに、ボーディ王子は、貴君ゴータマの〔両の〕足に、頭をもって敬拝します。病苦少なく、病悩少なく、軽快の状況にあり、活力があり、平穏の住があるかを尋ねます。さらに、このように説きます。『まさに、貴君ゴータマは、比丘の僧団と共に、明日、ボーディ王子の食事〔の布施〕をお受けください』」と。世尊は、沈黙の状態をもって承諾しました。そこで、まさに、サンジカープッタ学徒は、世尊の承諾を見出して、坐から立ち上がって、ボーディ王子のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、ボーディ王子に、こう言いました。「貴君の言葉でもって、彼に、貴君ゴータマに言いました。『まさに、ボーディ王子は、貴君ゴータマの〔両の〕足に、頭をもって敬拝します。病苦少なく、病悩少なく、軽快の状況にあり、活力があり、平穏の住があるかを尋ねます。さらに、このように説きます。「まさに、貴君ゴータマは、比丘の僧団と共に、明日、ボーディ王子の食事〔の布施〕をお受けください」』と。また、そして、沙門ゴータマによって、〔それは〕承諾されました」と。
そこで、まさに、ボーディ王子は、その夜が明けると、自らの住居地において、上質の固形の食料や軟らかい食料を準備して、そして、コーカナダ高楼を、すなわち、諸々の階段の最後の段に至るまで、諸々の白い布で敷き詰めさせて、サンジカープッタ学徒に告げました。「友よ、サンジカープッタよ、さあ、あなたは、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きなさい。近づいて行って、世尊に、時を告げなさい。『尊き方よ、時間です。食事ができました』」と。「君よ、わかりました」と、まさに、サンジカープッタ学徒は、ボーディ王子に答えて、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊に、時を告げました。「貴君ゴータマよ、時間です。食事ができました」と。そこで、まさに、世尊は、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、ボーディ王子の住居地のあるところに、そこへと近づいて行きました。また、まさに、その時点にあって、ボーディ王子は、世尊を待ちながら、門小屋の外に立った状態でいます。まさに、ボーディ王子は、世尊が、はるか遠くから、やってくるのを見ました。見て、出迎えて、世尊を敬拝して、〔世尊を〕前にして、コーカナダ高楼のあるところに、そこへと近づいて行きました。そこで、まさに、世尊は、階段の最後の段に依拠して立ちました(歩みを止めた)。そこで、まさに、ボーディ王子は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、世尊は、諸々の布にお登りください。善き至達者たる方は、諸々の布にお登りください。すなわち、わたしにとって、長夜にわたり、利益のために〔存し〕、安楽のために存するでしょう」と。このように説かれたとき、世尊は、沈黙の者と成りました。再度また、まさに……略……。三度また、まさに、ボーディ王子は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、世尊は、諸々の布にお登りください。善き至達者たる方は、諸々の布にお登りください。すなわち、わたしにとって、長夜にわたり、利益のために〔存し〕、安楽のために存するでしょう」と。
そこで、まさに、世尊は、尊者アーナンダを顧みました。そこで、まさに、尊者アーナンダは、ボーディ王子に、こう言いました。「王子よ、諸々の布をたたんでください。世尊は、布や毛布を踏みしめません。如来は、後の人々を慈しみます」と。そこで、まさに、ボーディ王子は、諸々の布をたたませて、コーカナダ高楼の上において、諸々の坐を設けさせました。そこで、まさに、世尊は、コーカナダ高楼に登って、比丘の僧団と共に、設けられた坐に坐りました。そこで、まさに、ボーディ王子は、覚者を筆頭とする比丘の僧団を、上質の固形の食料や軟らかい食料で満足させ、自らの手で給仕しました。そこで、まさに、ボーディ王子は、世尊が食事を終え、鉢から手を離すと、或るどこかの下坐を収め取って、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、ボーディ王子は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、わたしに、まさに、このような〔思いが〕有ります。『まさに、安楽は、安楽によって到達されるべきにあらず。まさに、安楽は、苦痛によって到達されるべきである』」と。
「王子よ、まさに、正覚より、まさしく、過去において、〔いまだ〕現正覚していない、まさしく、菩薩として存しているわたしにもまた、このような〔思いが〕有りました。『まさに、安楽は、安楽によって到達されるべきにあらず。まさに、安楽は、苦痛によって到達されるべきである』と。王子よ、それで、まさに、わたしは、他時にあって、まさしく、年少の者として〔世に〕存しつつ、若き黒髪の者であり、幸いなる若さの初年期(青年期)を具備した者であるも、欲することなき母と父が涙顔で泣き叫んでいるなか、髪と髭を剃り落として、諸々の黄褐色の衣をまとって、家から家なきへと出家しました。その〔わたし〕は、このように出家者として〔世に〕存しながら、何が善であるかを探し求める者となり、優れた寂静の境処という無上なるものを遍く探し求めながら、アーラーラ・カーラーマのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、アーラーラ・カーラーマに、こう言いました。『友よ、カーラーマよ、わたしは、この法(教え)と律において、梵行を歩むことを求めます』と。王子よ、このように説かれたとき、アーラーラ・カーラーマは、わたしに、こう言いました。『尊者よ、住みたまえ。そこにおいては、識者たる人が、まさしく、長からずして、師匠のものを、自らのものとして、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むことになる、そのようなものとして、この法(教え)はあります』と。王子よ、それで、まさに、わたしは、まさしく、長からずして、まさしく、すみやかに、その法(教え)を遍く学得しました。王子よ、それで、まさに、わたしは、唇を打つほどのことで、虚論を談じるほどのことで、まさしく、それだけで、かつまた、知恵の論を説き、かつまた、長老の論を〔説きます〕。そして、『〔わたしは〕知る』『〔わたしは〕見る』と明言します——まさしく、そして、わたしは、さらに、他の者たちも。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『まさに、アーラーラ・カーラーマは、この法(教え)を、単に、信のみによって、「自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住む」と説き知らせるのではない。たしかに、アーラーラ・カーラーマは、この法(教え)を、〔あるがままに〕知っている者として、〔あるがままに〕見ている者として、〔世に〕住むのだ』と。
王子よ、そこで、まさに、わたしは、アーラーラ・カーラーマのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、アーラーラ・カーラーマに、こう言いました。『友よ、カーラーマよ、いったい、どのようなことから、この法(教え)を、「自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住む」と説き知らせるのですか』と。王子よ、このように説かれたとき、アーラーラ・カーラーマは、虚空無辺なる〔認識の〕場所(空無辺処)を説き知らせました。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『まさに、アーラーラ・カーラーマだけに、信が存在するのではない。わたしにもまた、信が存在する。まさに、アーラーラ・カーラーマだけに、精進が……略……気づきが……禅定が……智慧が存在するのではない。わたしにもまた、智慧が存在する。それなら、さあ、わたしは、アーラーラ・カーラーマが、「自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住む」と説き知らせる、その法(教え)であるが、その法(教え)の実証のために精励するのだ』と。王子よ、それで、まさに、わたしは、まさしく、長からずして、まさしく、すみやかに、その法(教え)を、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住みました。王子よ、そこで、まさに、わたしは、アーラーラ・カーラーマのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、アーラーラ・カーラーマに、こう言いました。『友よ、カーラーマよ、さてまた、このことから、この法(教え)を、自ら、証知して、実証して、成就して、説き知らせるのですか』と。『友よ、このことから、まさに、わたしは、この法(教え)を、自ら、証知して、実証して、成就して、説き知らせます』と。『友よ、わたしもまた、まさに、このことから、この法(教え)を、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住みます』と。『友よ、わたしたちには、諸々の利得があります。友よ、わたしたちには、善く得られたものがあります。すなわち、わたしたちは、そのような者である尊者を、梵行を共にする者として見ます。かくのごとく、わたしが、自ら、証知して、実証して、成就して、説き知らせる、その法(教え)ですが、あなたは、その法(教え)を、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住みます。あなたが、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住む、その法(教え)ですが、わたしは、その法(教え)を、自ら、証知して、実証して、成就して、説き知らせます。かくのごとく、わたしが知る、その法(教え)ですが、あなたは、その法(教え)を知ります。あなたが知る、その法(教え)ですが、わたしは、その法(教え)を知ります。かくのごとく、そのような者として、わたしがあるなら、そのような者として、あなたはあります。そのような者として、あなたがあるなら、そのような者として、わたしはあります。友よ、さあ、今や、まさしく、両者ともに存しつつ、この衆徒を維持しましょう』と。王子よ、かくのごとく、まさに、アーラーラ・カーラーマは、わたしの師匠として存しながら、自己の内弟子として存しているわたしを、自己と等しく同等〔の地位〕に据え置きました。そして、わたしを、秀逸なる供養によって供養しました。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『この法(教え)は、厭離のためではなく、離貪のためではなく、止滅のためではなく、寂止のためではなく、証知のためではなく、正覚のためではなく、涅槃のためではなく、虚空無辺なる〔認識の〕場所への再生のために、まさしく、そのかぎりにおいて、等しく転起する』と。王子よ、それで、まさに、わたしは、その法(教え)を十分と為さずして、その法(教え)から厭離して立ち去りました。
王子よ、それで、まさに、わたしは、何が善であるかを探し求める者となり、優れた寂静の境処という無上なるものを遍く探し求めながら、ウダカ・ラーマプッタ(ラーマの子)のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、ウダカ・ラーマプッタに、こう言いました。『友よ、わたしは、この法(教え)と律において、梵行を歩むことを求めます』と。王子よ、このように説かれたとき、ウダカ・ラーマプッタは、わたしに、こう言いました。『尊者よ、住みたまえ。そこにおいては、識者たる人が、まさしく、長からずして、師匠のものを、自らのものとして、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むことになる、そのようなものとして、この法(教え)はあります』と。王子よ、それで、まさに、わたしは、まさしく、長からずして、まさしく、すみやかに、その法(教え)を遍く学得しました。王子よ、それで、まさに、わたしは、唇を打つほどのことで、虚論を談じるほどのことで、まさしく、それだけで、かつまた、知恵の論を説き、かつまた、長老の論を〔説きます〕。そして、『〔わたしは〕知る』『〔わたしは〕見る』と明言します——まさしく、そして、わたしは、さらに、他の者たちも。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『まさに、〔ウダカ・ラーマプッタの父である〕ラーマは、この法(教え)を、単に、信のみによって、「自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住む」と説き知らせたのではない。たしかに、〔ウダカ・ラーマプッタの父である〕ラーマは、この法(教え)を、〔あるがままに〕知っている者として、〔あるがままに〕見ている者として、〔世に〕住んだのだ』と。王子よ、そこで、まさに、わたしは、ウダカ・ラーマプッタのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、ウダカ・ラーマプッタに、こう言いました。『友よ、いったい、どのようなことから、〔あなたの父である〕ラーマは、この法(教え)を、「自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住む」と説き知らせたのですか』と。王子よ、このように説かれたとき、ウダカ・ラーマプッタは、表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所(非想非非想処)を説き知らせました。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『まさに、ラーマだけに、信が存在するのではない。わたしにもまた、信が存在する。まさに、ラーマだけに、精進が……略……気づきが……禅定が……智慧が存在するのではない。わたしにもまた、智慧が存在する。それなら、さあ、わたしは、ラーマが、「自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住む」と説き知らせる、その法(教え)であるが、その法(教え)の実証のために精励するのだ』と。王子よ、それで、まさに、わたしは、まさしく、長からずして、まさしく、すみやかに、その法(教え)を、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住みました。
王子よ、そこで、まさに、わたしは、ウダカ・ラーマプッタのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、ウダカ・ラーマプッタに、こう言いました。『友よ、さてまた、このことから、〔あなたの父である〕ラーマは、この法(教え)を、自ら、証知して、実証して、成就して、説き知らせたのですか』と。『友よ、このことから、まさに、〔わたしの父である〕ラーマは、この法(教え)を、自ら、証知して、実証して、成就して、説き知らせました』と。『友よ、わたしもまた、まさに、このことから、この法(教え)を、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住みます』と。『友よ、わたしたちには、諸々の利得があります。友よ、わたしたちには、善く得られたものがあります。すなわち、わたしたちは、そのような者である尊者を、梵行を共にする者として見ます。かくのごとく、ラーマが、自ら、証知して、実証して、成就して、説き知らせた、その法(教え)ですが、あなたは、その法(教え)を、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住みます。あなたが、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住む、その法(教え)ですが、ラーマは、その法(教え)を、自ら、証知して、実証して、成就して、説き知らせました。かくのごとく、ラーマが証知した、その法(教え)ですが、あなたは、その法(教え)を知ります。あなたが知る、その法(教え)ですが、ラーマは、その法(教え)を証知しました。かくのごとく、そのような者として、ラーマが〔世に〕有ったなら、そのような者として、あなたはあります。そのような者として、あなたがあるなら、そのような者として、ラーマは〔世に〕有りました。友よ、さあ、今や、あなたは、この衆徒を維持したまえ』と。王子よ、かくのごとく、まさに、ウダカ・ラーマプッタは、わたしと梵行を共にする者として存しながら、わたしを、師匠の地位に据え置きました。そして、わたしを、秀逸なる供養によって供養しました。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『この法(教え)は、厭離のためではなく、離貪のためではなく、止滅のためではなく、寂止のためではなく、証知のためではなく、正覚のためではなく、涅槃のためではなく、表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所への再生のために、まさしく、そのかぎりにおいて、等しく転起する』と。王子よ、それで、まさに、わたしは、その法(教え)を十分と為さずして、その法(教え)から厭離して立ち去りました。
王子よ、それで、まさに、わたしは、何が善であるかを探し求める者となり、優れた寂静の境処という無上なるものを遍く探し求めながら、マガダ〔国〕において、順次に遊行〔の旅〕を歩みながら、ウルヴェーラーのセーナー町のあるところに、そこへと至り着きました。そこにおいて、喜ばしき土地の区画を、そして、清らかな密林を、さらに、透明で、美しい岸辺があり、〔快適で〕喜ばしく、〔滔々と〕流れ行く川を、かつまた、遍きにわたり、托鉢する村を、見ました。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『ああ、まさに、喜ばしき土地の区画である。そして、清らかな密林である。さらに、透明で、美しい岸辺があり、〔快適で〕喜ばしく、〔滔々と〕流れ行く川である。かつまた、遍きにわたり、托鉢する村がある。まさに、これは、精励を義(目的)とする良家の子息にとって、精励するに十分なるものがある』と。王子よ、それで、まさに、わたしは、まさしく、そこにおいて、〔瞑想のために〕坐りました。『これは、精励するに十分なるものがある』と。王子よ、さてまた、まさに、わたしに、稀有ならざるものとして、三つの喩えが明白となりました——過去において、過去に聞かれたことなき〔三つの喩え〕が。
王子よ、それは、たとえば、また、樹液を有し水気のある薪が、水のなかに置かれているとします。そこで、人が、擦り木を携えてやってくるとします。『火を起こすのだ。熱を出現させるのだ』と。王子よ、それを、どう思いますか。さて、いったい、その人は、この、水のなかに置かれた、樹液を有し水気のある薪を、擦り木を携えて摩擦しながら、火を起こせるでしょうか、熱を出現させるでしょうか」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「それは、何を因とするのですか」〔と〕。「尊き方よ、なぜなら、これは、樹液を有し水気のある薪であり、また、そして、それは、水のなかに置かれているからです。また、そして、まさしく、そのかぎりにおいて、その人は、疲弊と悩苦の分有者として存するでしょう」と。「王子よ、まさしく、このように、まさに——まさに、彼らが誰であれ、あるいは、沙門たちが、あるいは、婆羅門たちが——まさしく、そして、身体によって、さらに、心によって、諸々の欲望〔の対象〕から隠棲せず、〔世に〕住み、さらに、すなわち、彼らに、諸々の欲望〔の対象〕において、欲望〔の対象〕にたいする欲〔の思い〕が、欲望〔の対象〕にたいする愛執〔の思い〕が、欲望〔の対象〕にたいする耽溺〔の思い〕が、欲望〔の対象〕にたいする涸渇〔の思い〕が、欲望〔の対象〕にたいする苦悶〔の思い〕が、そして、それが、内に、善く捨棄されたものと成らず、善く安息されたものと〔成ら〕ないなら、もし、また、それらの尊き沙門や婆羅門たちが、諸々の突発性の強烈で粗野で辛辣な苦痛の感受を感受するとして、彼らは、〔あるがままの〕知見の、無上なる正覚の、まさしく、可能なき者たちであり、もし、また、それらの尊き沙門や婆羅門たちが、諸々の突発性の強烈で粗野で辛辣な苦痛の感受を感受しないとして、彼らは、〔あるがままの〕知見の、無上なる正覚の、まさしく、可能なき者たちです。王子よ、まさに、わたしに、稀有ならざるものとして、この第一の喩えが明白となりました——過去において、過去に聞かれたことなき〔この第一の喩え〕が。
王子よ、他にもまた、まさに、わたしに、稀有ならざるものとして、第二の喩えが明白となりました——過去において、過去に聞かれたことなき〔第二の喩え〕が。王子よ、それは、たとえば、また、樹液を有し水気のある薪が、水から遠く離れて陸のうえに置かれているとします。そこで、人が、擦り木を携えてやってくるとします。『火を起こすのだ。熱を出現させるのだ』と。王子よ、それを、どう思いますか。さて、いったい、その人は、この、水から遠く離れて陸のうえに置かれた、樹液を有し水気のある薪を、擦り木を携えて摩擦しながら、火を起こせるでしょうか、熱を出現させるでしょうか」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「それは、何を因とするのですか」〔と〕。「尊き方よ、なぜなら、これは、たとえ、何であれ、水から遠く離れて陸のうえに置かれているとして、樹液を有し水気のある薪であるからです。また、そして、まさしく、そのかぎりにおいて、その人は、疲弊と悩苦の分有者として存するでしょう」と。「王子よ、まさしく、このように、まさに——まさに、彼らが誰であれ、あるいは、沙門たちが、あるいは、婆羅門たちが——まさしく、そして、身体によって、さらに、心によって、諸々の欲望〔の対象〕から隠棲し、〔世に〕住むも、しかしながら、すなわち、彼らに、諸々の欲望〔の対象〕において、欲望〔の対象〕にたいする欲〔の思い〕が、欲望〔の対象〕にたいする愛執〔の思い〕が、欲望〔の対象〕にたいする耽溺〔の思い〕が、欲望〔の対象〕にたいする涸渇〔の思い〕が、欲望〔の対象〕にたいする苦悶〔の思い〕が、そして、それが、内に、善く捨棄されたものと成らず、善く安息されたものと〔成ら〕ないなら、もし、また、それらの尊き沙門や婆羅門たちが、諸々の突発性の強烈で粗野で辛辣な苦痛の感受を感受するとして、彼らは、〔あるがままの〕知見の、無上なる正覚の、まさしく、可能なき者たちであり、もし、また、それらの尊き沙門や婆羅門たちが、諸々の突発性の強烈で粗野で辛辣な苦痛の感受を感受しないとして、彼らは、〔あるがままの〕知見の、無上なる正覚の、まさしく、可能なき者たちです。王子よ、まさに、わたしに、稀有ならざるものとして、この第二の喩えが明白となりました——過去において、過去に聞かれたことなき〔この第二の喩え〕が。
王子よ、他にもまた、まさに、わたしに、稀有ならざるものとして、第三の喩えが明白となりました——過去において、過去に聞かれたことなき〔第三の喩え〕が。王子よ、それは、たとえば、また、干涸び乾燥した薪が、水から遠く離れて陸のうえのうえに置かれているとします。そこで、人が、擦り木を携えてやってくるとします。『火を起こすのだ。熱を出現させるのだ』と。王子よ、それを、どう思いますか。さて、いったい、その人は、この、水から遠く離れて陸のうえに置かれた、干涸び乾燥した薪を、擦り木を携えて摩擦しながら、火を起こせるでしょうか、熱を出現させるでしょうか」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕。「それは、何を因とするのですか」〔と〕。「尊き方よ、なぜなら、これは、干涸び乾燥した薪であり、また、そして、それは、水から遠く離れて陸のうえに置かれているからです」と。「王子よ、まさしく、このように、まさに——まさに、彼らが誰であれ、あるいは、沙門たちが、あるいは、婆羅門たちが——まさしく、そして、身体によって、さらに、心によって、諸々の欲望〔の対象〕から隠棲し、〔世に〕住み、さらに、すなわち、彼らに、諸々の欲望〔の対象〕において、欲望〔の対象〕にたいする欲〔の思い〕が、欲望〔の対象〕にたいする愛執〔の思い〕が、欲望〔の対象〕にたいする耽溺〔の思い〕が、欲望〔の対象〕にたいする涸渇〔の思い〕が、欲望〔の対象〕にたいする苦悶〔の思い〕が、そして、それが、内に、善く捨棄されたものと成り、善く安息されたものと〔成るなら〕、もし、また、それらの尊き沙門や婆羅門たちが、諸々の突発性の強烈で粗野で辛辣な苦痛の感受を感受するとして、彼らは、〔あるがままの〕知見の、無上なる正覚の、まさしく、可能ある者たちであり、もし、また、それらの尊き沙門や婆羅門たちが、諸々の突発性の強烈で粗野で辛辣な苦痛の感受を感受しないとして、彼らは、〔あるがままの〕知見の、無上なる正覚の、まさしく、可能ある者たちです。王子よ、まさに、わたしに、稀有ならざるものとして、この第三の喩えが明白となりました——過去において、過去に聞かれたことなき〔この第三の喩え〕が。王子よ、まさに、わたしに、稀有ならざるものとして、これらの三つの喩えが明白となりました——過去において、過去に聞かれたことなき〔これらの三つの喩え〕が。
王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『それなら、さあ、わたしは、歯のうえに歯を置いて、舌で上顎に触れて、心によって、心を、制御し、圧迫し、撃滅するのだ』と。王子よ、それで、まさに、わたしは、歯のうえに歯を置いて、舌で上顎に触れて、心によって、心を、制御し、圧迫し、撃滅します。王子よ、〔まさに〕その、わたしが、歯のうえに歯を置いて、舌で上顎に触れて、心によって、心を、制御し、圧迫し、撃滅していると、〔両の〕腋から、諸々の汗が放たれます。王子よ、それは、たとえば、また、力ある人が、より力の弱い人を、あるいは、頭を掴んで、あるいは、肩を掴んで、制御し、圧迫し、撃滅するように、王子よ、まさしく、このように、まさに、わたしが、歯のうえに歯を置いて、舌で上顎に触れて、心によって、心を、制御し、圧迫し、撃滅していると、〔両の〕腋から、諸々の汗が放たれます。王子よ、また、まさに、わたしの、精進は勉励され、退去なきものと成ります。気づきは現起され、忘却なきものと〔成ります〕。また、しかしながら、わたしの身体は、まさしく、その苦痛の精励によって安息されることはなく、懊悩を有するものと成ります——〔苦痛の〕精励によって制圧された者となり、〔そのように〕存しながら。
王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『それなら、さあ、わたしは、まさしく、無息の瞑想を瞑想するのだ』と。王子よ、それで、まさに、わたしは、そして、口から、さらに、鼻から、出息と入息を止めました。王子よ、〔まさに〕その、わたしの、そして、口から、さらに、鼻から、出息と入息が止められたとき、〔両の〕耳孔から出ている諸々の〔体内の〕風(体調不良を引き起こす体中の風)の音声は、旺盛なるものと成ります。それは、たとえば、また、まさに、鍛冶屋の鞴が鳴っていると、音声が旺盛なるものと成るように、王子よ、まさしく、このように、まさに、わたしの、そして、口から、さらに、鼻から、出息と入息が止められたとき、〔両の〕耳孔から出ている諸々の〔体内の〕風の音声は、旺盛なるものと成ります。王子よ、また、まさに、わたしの、精進は勉励され、退去なきものと成ります。気づきは現起され、忘却なきものと〔成ります〕。また、しかしながら、わたしの身体は、まさしく、その苦痛の精励によって安息されることはなく、懊悩を有するものと成ります——〔苦痛の〕精励によって制圧された者となり、〔そのように〕存しながら。
王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『それなら、さあ、わたしは、まさしく、無息の瞑想を瞑想するのだ』と。王子よ、それで、まさに、わたしは、そして、口から、かつまた、鼻から、さらに、耳から、出息と入息を止めました。王子よ、〔まさに〕その、わたしの、そして、口から、かつまた、鼻から、さらに、耳から、出息と入息が止められたとき、諸々の旺盛なる〔体内の〕風が、頭を撹乱します。王子よ、それは、たとえば、また、まさに、力ある人が、鋭い剣先で頭を打ち砕くように、王子よ、まさしく、このように、まさに、わたしの、そして、口から、かつまた、鼻から、さらに、耳から、出息と入息が止められたとき、諸々の旺盛なる〔体内の〕風が、頭を撹乱します。王子よ、また、まさに、わたしの、精進は勉励され、退去なきものと成ります。気づきは現起され、忘却なきものと〔成ります〕。また、しかしながら、わたしの身体は、まさしく、その苦痛の精励によって安息されることはなく、懊悩を有するものと成ります——〔苦痛の〕精励によって制圧された者となり、〔そのように〕存しながら。
王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『それなら、さあ、わたしは、まさしく、無息の瞑想を瞑想するのだ』と。王子よ、それで、まさに、わたしは、そして、口から、かつまた、鼻から、さらに、耳から、出息と入息を止めました。王子よ、〔まさに〕その、わたしの、そして、口から、かつまた、鼻から、さらに、耳から、出息と入息が止められたとき、頭における諸々の頭痛は、旺盛なるものと成ります。王子よ、それは、たとえば、また、まさに、力ある人が、堅固な革紐で頭に頭巾を施すように、王子よ、まさしく、このように、まさに、わたしの、そして、口から、かつまた、鼻から、さらに、耳から、出息と入息が止められたとき、頭における諸々の頭痛は、旺盛なるものと成ります。王子よ、また、まさに、わたしの、精進は勉励され、退去なきものと成ります。気づきは現起され、忘却なきものと〔成ります〕。また、しかしながら、わたしの身体は、まさしく、その苦痛の精励によって安息されることはなく、懊悩を有するものと成ります——〔苦痛の〕精励によって制圧された者となり、〔そのように〕存しながら。
王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『それなら、さあ、わたしは、まさしく、無息の瞑想を瞑想するのだ』と。王子よ、それで、まさに、わたしは、そして、口から、かつまた、鼻から、さらに、耳から、出息と入息を止めました。王子よ、〔まさに〕その、わたしの、そして、口から、かつまた、鼻から、さらに、耳から、出息と入息が止められたとき、諸々の旺盛なる〔体内の〕風が、腹を切り裂きます。王子よ、それは、たとえば、また、まさに、能ある、あるいは、屠牛者が、あるいは、屠牛者の内弟子が、鋭い牛刀で腹を切り裂くように、王子よ、まさしく、このように、まさに、わたしの、そして、口から、かつまた、鼻から、さらに、耳から、出息と入息が止められたとき、諸々の旺盛なる〔体内の〕風が、腹を切り裂きます。王子よ、また、まさに、わたしの、精進は勉励され、退去なきものと成ります。気づきは現起され、忘却なきものと〔成ります〕。また、しかしながら、わたしの身体は、まさしく、その苦痛の精励によって安息されることはなく、懊悩を有するものと成ります——〔苦痛の〕精励によって制圧された者となり、〔そのように〕存しながら。
王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『それなら、さあ、わたしは、まさしく、無息の瞑想を瞑想するのだ』と。王子よ、それで、まさに、わたしは、そして、口から、かつまた、鼻から、さらに、耳から、出息と入息を止めました。王子よ、〔まさに〕その、わたしの、そして、口から、かつまた、鼻から、さらに、耳から、出息と入息が止められたとき、身体における燃焼は、旺盛なるものと成ります。王子よ、それは、たとえば、また、まさに、二者の力ある人が、より力弱き人を、別々に腕を掴んで、火坑のうえで等しく熱し遍く熱苦させるように、王子よ、まさしく、このように、まさに、わたしの、そして、口から、かつまた、鼻から、さらに、耳から、出息と入息が止められたとき、身体における燃焼は、旺盛なるものと成ります。王子よ、また、まさに、わたしの、精進は勉励され、退去なきものと成ります。気づきは現起され、忘却なきものと〔成ります〕。また、しかしながら、わたしの身体は、まさしく、その苦痛の精励によって安息されることはなく、懊悩を有するものと成ります——〔苦痛の〕精励によって制圧された者となり、〔そのように〕存しながら。
王子よ、さてまた、まさに、天神たちは、わたしを見て、このように言いました。『沙門ゴータマは、命を終えたのだ』と。一部の天神たちは、このように言いました。『沙門ゴータマは、命を終えたのではない。しかしながら、また、〔すぐに〕命を終える』と。一部の天神たちは、このように言いました。『沙門ゴータマは、命を終えたのではない。〔すぐに〕命を終えるのでもまたない。阿羅漢として、沙門ゴータマはある。まさしく、阿羅漢の住ということで、その〔住〕は、このような形態のものと成る』と。
王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『それなら、さあ、わたしは、全てにわたり、食の断絶のために実践するのだ』と。王子よ、そこで、まさに、天神たちが、近づいて行って、わたしに、こう言いました。『敬愛なる方よ、まさに、あなたは、全てにわたり、食の断絶のために実践してはいけません。敬愛なる方よ、それで、もし、まさに、あなたが、全てにわたり、食の断絶のために実践するなら、〔まさに〕その、あなたのために、わたしたちは、天の滋養を、諸々の毛穴から摂取させましょう。それによって、あなたは、〔身を〕保ち行くでしょう』と。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『また、まさに、まさしく、そして、わたしが、全てにわたり、不食を明言し、かつまた、わたしのために、これらの天神たちが、天の滋養を、諸々の毛穴から摂取させ、さらに、それによって、わたしが、〔身を〕保ち行くなら、それは、わたしにとって、虚偽として存するであろう』と。王子よ、それで、まさに、わたしは、それらの天神たちを峻拒し、『まさに、十分です』と説きます。
王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『それなら、さあ、わたしは、少しずつ、食を食するのだ——少量ずつ、もしくは、あるいは、緑豆の汁を、もしくは、あるいは、クラッタ豌豆の汁を、もしくは、あるいは、大豆の汁を、もしくは、あるいは、ハレーヌカ豌豆の汁を』と。王子よ、それで、まさに、わたしは、少しずつ、食を食しました——少量ずつ、もしくは、あるいは、緑豆の汁を、もしくは、あるいは、クラッタ豌豆の汁を、もしくは、あるいは、大豆の汁を、もしくは、あるいは、ハレーヌカ豌豆の汁を。王子よ、〔まさに〕その、わたしが、少しずつ、食を食していると——少量ずつ、もしくは、あるいは、緑豆の汁を、もしくは、あるいは、クラッタ豌豆の汁を、もしくは、あるいは、大豆の汁を、もしくは、あるいは、ハレーヌカ豌豆の汁を——身体は、諸々の極度の痩せ細りに至り得たものと成ります。それは、たとえば、また、まさに、あるいは、諸々のアーシーティカ〔蔓〕の結節のように、あるいは、諸々のカーラ〔蔓〕の結節のように、まさしく、このように、まさに、わたしの手足と肢体は有ります——まさしく、その、食少なきことによって。それは、たとえば、また、まさに、駱駝の足のように、まさしく、このように、まさに、わたしの尻は有ります——まさしく、その、食少なきことによって。それは、たとえば、また、まさに、紡錘の連なりのように、まさしく、このように、まさに、わたしの脊椎は凹凸と成ります——まさしく、その、食少なきことによって。それは、たとえば、また、まさに、老朽家屋の諸々の垂木が破損し倒壊したものと成るように、まさしく、このように、まさに、わたしの諸々の肋骨は破損し倒壊したものと成ります——まさしく、その、食少なきことによって。それは、たとえば、また、まさに、深い井戸のなかの諸々の水のきらめきが深みに至り沈み込んでいるかに見えるように、まさしく、このように、まさに、わたしの〔両の〕眼球のなかの諸々の眼のきらめきは深みに至り沈み込んでいるかに見えます——まさしく、その、食少なきことによって。それは、たとえば、また、まさに、切られた生の苦瓜が熱風によって等しくひび割れ等しく干涸びたものと成るように、まさしく、このように、まさに、わたしの頭の皮は等しくひび割れ等しく干涸びたものと成ります——まさしく、その、食少なきことによって。王子よ、それで、まさに、わたしは、『腹の皮に触れるのだ』と、まさしく、脊椎を掴みます。『脊椎に触れるのだ』と、まさしく、腹の皮を掴みます。王子よ、すなわち、まさに、わたしの腹の皮が脊椎に付着するものと成るまでに——まさしく、その、食少なきことによって。王子よ、それで、まさに、わたしは、『あるいは、便を、あるいは、尿を、為すのだ』と、まさしく、そこにおいて、〔身を〕投げ出し、倒れ落ちます——まさしく、その、食少なきことによって。王子よ、それで、まさに、わたしは、まさしく、この身体を安堵させながら、手で五体を順次に擦ります。王子よ、〔まさに〕その、わたしが、手で五体を順次に擦っていると、根が腐った諸々の毛が身体から落ちます——まさしく、その、食少なきことによって。王子よ、さてまた、まさに、人間たちは、わたしを見て、このように言いました。『沙門ゴータマは、黒い』と。一部の人間たちは、このように言いました。『沙門ゴータマは、黒くない。沙門ゴータマは、褐色である』と。一部の人間たちは、このように言いました。『沙門ゴータマは、黒くなく、褐色でもまたない。沙門ゴータマは、黄土色の表皮をしている』と。王子よ、すなわち、それほどまでに、まさに、わたしの、完全なる清浄にして完全なる清白の表皮の色艶は、打ち砕かれたものと成ります——まさしく、その、食少なきことによって。
王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『まさに、彼らが誰であれ、過去の時に、あるいは、沙門たちが、あるいは、婆羅門たちが、諸々の突発性の強烈で粗野で辛辣な苦痛の感受を感受したとして、これこそは、最高のものであり、これよりも、より一層のものはない。まさに、彼らが誰であれ、未来の時に、あるいは、沙門たちが、あるいは、婆羅門たちが、諸々の突発性の強烈で粗野で辛辣な苦痛の感受を感受することになるとして、これこそは、最高のものであり、これよりも、より一層のものはない。まさに、彼らが誰であれ、今現在、あるいは、沙門たちが、あるいは、婆羅門たちが、諸々の突発性の強烈で粗野で辛辣な苦痛の感受を感受するとして、これこそは、最高のものであり、これよりも、より一層のものはない。また、まさに、わたしは、この辛辣な難行によって、人間の法(性質)を超える、十全にして聖なる知見という殊勝〔の境地〕に到達しない。いったい、まさに、他の、覚りのための道が存するのだろうか』と。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『また、まさに、わたしは証知する(記憶している)——釈迦〔族〕の父の行事があるとき、涼やかなジャンブ〔樹〕の影のもとに坐り、まさしく、諸々の欲望〔の対象〕から離れて、諸々の善ならざる法(性質)から離れて、〔粗雑なる〕思考を有し、〔微細なる〕想念を有し、遠離から生じる喜悦と安楽がある、第一の瞑想を成就して〔世に〕住む者となる、〔そのときのことを〕。いったい、まさに、これは、覚りのための道として存するのだろうか』と。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、気づきに従い行く識知が有りました。『これこそは、覚りのための道である』と。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『いったい、まさに、どうなのだろう、わたしは、その安楽を恐れているのだろうか。すなわち、まさしく、諸々の欲望〔の対象〕より他の、諸々の善ならざる法(性質)より他の、その安楽があるとして』と。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『まさに、わたしは、その安楽を恐れていない。すなわち、まさしく、諸々の欲望〔の対象〕より他の、諸々の善ならざる法(性質)より他の、その安楽があるとして』と。
王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『まさに、その安楽に到達することは、為し易きことにあらず——このように、諸々の極度の痩せ細りに至り得た身体によっては。それなら、さあ、わたしは、粗大なる食を——飯や粥を——食するのだ』と。王子よ、それで、まさに、わたしは、粗大なる食を——飯や粥を——食しました。また、まさに、その時点にあって、五人組の比丘たちが、わたしに奉仕する者たちとして〔世に〕有ります。『すなわち、まさに、沙門ゴータマが、法(真理)に到達するなら、それを、わたしたちに告げるであろう』と。王子よ、すなわち、まさに、わたしが、粗大なる食を——飯や粥を——食したことから、そこで、それらの五人組の比丘たちは、わたしを厭離して、立ち去りました。『沙門ゴータマは、贅沢の者であり、精励から離脱した者であり、贅沢に逆戻りした者である』と。
王子よ、それで、まさに、わたしは、粗大なる食を食して、力をつけて、まさしく、諸々の欲望〔の対象〕から離れて……略……第一の瞑想を成就して〔世に〕住みました。〔粗雑なる〕思考と〔微細なる〕想念の寂止あることから……第二の瞑想を……第三の瞑想を……第四の瞑想を成就して〔世に〕住みました。王子よ、その〔わたし〕は、このように、心が、定められたものとなり、完全なる清浄にして完全なる清白のものとなり、穢れなきものとなり、付随する〔心の〕汚れが離れ去ったものとなり、柔和と成ったものとなり、行為に適するものとなり、安立し不動に至り得たものとなるとき、過去における居住(過去世)の随念の知恵〔の獲得〕のために、心を向かわせました。その〔わたし〕は、無数〔の流儀〕に関した過去における居住を随念します。それは、すなわち、この、一生をもまた……略……かくのごとく、行相を有し、素性を有する、無数〔の流儀〕に関した過去における居住を随念します。王子よ、まさに、わたしには、夜の初更(宵の内)において、この第一の明知が到達するところとなります。無明が打破され、明知が生起するところとなります。闇が打破され、光明が生起するところとなります。すなわち、そのように、〔気づきを〕怠らず、熱情ある者となり、自己を精励する者として〔世に〕住んでいると。
王子よ、その〔わたし〕は、このように、心が、定められたものとなり、完全なる清浄にして完全なる清白のものとなり、穢れなきものとなり、付随する〔心の〕汚れが離れ去ったものとなり、柔和と成ったものとなり、行為に適するものとなり、安立し不動に至り得たものとなるとき、有情たちの死滅と再生の知恵〔の獲得〕のために、心を向かわせました。その〔わたし〕は、人間を超越した清浄の天眼によって、有情たちが、死滅しつつあるのを、再生しつつあるのを、見ます。下劣なる者たちとして、精妙なる者たちとして、善き色艶の者たちとして、醜き色艶の者たちとして、善き境遇の者たちとして、悪しき境遇の者たちとして——〔為した〕行為のとおり〔報いに〕近しく赴く者たちとして、有情たちを覚知します。……略……。王子よ、まさに、わたしには、夜の中更(真夜中)において、この第二の明知が到達するところとなります。無明が打破され、明知が生起するところとなります。闇が打破され、光明が生起するところとなります。すなわち、そのように、〔気づきを〕怠らず、熱情ある者となり、自己を精励する者として〔世に〕住んでいると。
王子よ、その〔わたし〕は、このように、心が、定められたものとなり、完全なる清浄にして完全なる清白のものとなり、穢れなきものとなり、付随する〔心の〕汚れが離れ去ったものとなり、柔和と成ったものとなり、行為に適するものとなり、安立し不動に至り得たものとなるとき、諸々の煩悩の滅尽の知恵〔の獲得〕のために、心を向かわせました。その〔わたし〕は、『これは、苦しみである』と、事実のとおりに証知し……略……『これは、苦しみの止滅に至る〔実践の〕道である』と、事実のとおりに証知しました。『これらは、諸々の煩悩である』と、事実のとおりに証知し……略……『これは、諸々の煩悩の止滅に至る〔実践の〕道である』と、事実のとおりに証知しました。〔まさに〕その、わたしが、このように知っていると、このように見ていると、欲望の煩悩からもまた、心は解脱し、生存の煩悩からもまた、心は解脱し、無明の煩悩からもまた、心は解脱しました。解脱したとき、『解脱したのだ』と、知恵が有りました。『生は滅尽し、梵行は完成された。為すべきことは為された。〔もはや〕他に、この場へと〔赴くことは〕ない』と証知しました。王子よ、まさに、わたしには、夜の後更(明け方)において、この第三の明知が到達するところとなります。無明が打破され、明知が生起するところとなります。闇が打破され、光明が生起するところとなります。すなわち、そのように、〔気づきを〕怠らず、熱情ある者となり、自己を精励する者として〔世に〕住んでいると。
王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『まさに、わたしが到達した、この法(真理)は、深遠にして、見難く、随覚し難く、寂静であり、精妙にして、考慮の行境ならず、精緻にして、賢者によって知られるべきものである。また、まさに、〔生存の〕基底(阿頼耶:執着)を喜びとし、〔生存の〕基底を喜び、〔生存の〕基底に歓喜するのが、この、〔世の〕人々である。また、まさに、〔生存の〕基底を喜びとし、〔生存の〕基底を喜び、〔生存の〕基底に歓喜する、〔世の〕人々にとって、この境位は、見難きものとしてある。すなわち、この、これを縁とすること(此縁性:縁の特異性)であり、縁によって〔物事が〕生起する〔道理〕(縁起:因果の道理)である。まさに、この境位もまた、見難きものとしてある。すなわち、この、一切の形成〔作用〕の止寂であり、一切の依り所の放棄であり、渇愛の滅尽であり、離貪であり、止滅であり、涅槃である。また、まさに、まさしく、そして、わたしが、法(教え)を説示するとして、しかしながら、他者たちは、わたしの〔法を〕了知しないであろう。それは、わたしにとって、疲弊として存するであろう。それは、わたしにとって、悩害として存するであろう』と。王子よ、さてまた、まさに、わたしに、稀有ならざるものとして、これらの詩偈が明白となりました——過去において、過去に聞かれたことなき〔これらの詩偈〕が。
〔すなわち〕『苦難をもって、わたしが到達したものを、〔世に〕明示するべくも、今は、まさに、十分である(その時ではない)。この法(真理)は、貪欲と憤怒に打ち負かされた者たちによって、善く正覚されるものにあらず。
〔世の〕流れに反して赴く精緻なる〔この法〕を、深遠にして見難く微細なる〔この法〕を、貪欲に染まり闇の塊に覆われた者たちは〔あるがままに〕見ない』と。
王子よ、まさに、かくのごとく、わたしが深慮していると、心は、思い入れ少なくあることから、法(教え)の説示に傾きません(説法を躊躇する)。
王子よ、そこで、まさに、梵〔天〕のサハンパティに——〔自らの〕心をとおして、わたしの心の思索を了知して——この〔思い〕が有りました。『ああ、まさに、世が滅びる。ああ、まさに、世が滅び去る。なぜなら、そこで、まさに、阿羅漢にして正等覚者たる如来の心が、思い入れ少なくあることから、法(教え)の説示に傾かないからだ』と。王子よ、そこで、まさに、梵〔天〕のサハンパティは、それは、たとえば、また、まさに、力ある人が、あるいは、曲げた腕を伸ばすかのように、あるいは、伸ばした腕を曲げるかのように、まさしく、このように、梵の世において消没し、わたしの前に出現しました。王子よ、そこで、まさに、梵〔天〕のサハンパティは、一つの肩に上衣を掛けて、わたしのいるところに、そこへと合掌を手向けて、わたしに、こう言いました。『尊き方よ、世尊は、法(教え)を説示してください。善き至達者たる方は、法(教え)を説示してください。塵少なき類の有情たちが存在します。法(教え)の聴聞なきことから遍く衰退しています。〔彼らは〕法(教え)の了知者たちと成るでしょう』と。王子よ、梵〔天〕のサハンパティは、この〔言葉〕を言いました。この〔言葉〕を言って、そこで、他にも、こう言いました。
〔すなわち〕『過去において、マガダ〔国〕に、清浄ならざる法(教え)が出現しました——〔世俗の〕垢を有する者たちによって思弁されたものとして。〔あなたこそは〕開示したまえ——〔まさに〕この、不死の門を。〔世の人々は〕聞け——〔世俗の〕垢を離れる方によって随覚された〔清浄なる〕法(教え)を。
たとえば、山の頂きの巌に立つ者が、あたかも、また、遍きにわたり、人民を見るであろうように、思慮深き方よ、一切に眼ある方よ、その喩えのように、法(真理)で作られている〔智慧の〕高楼に登って、憂いを離れた者となり、憂いに沈んだ人民を、生と老に征服された者を、〔智慧の眼で〕注視したまえ。
勇者よ、戦場の征圧者たる方よ、立ち上がってください。先導者たる方よ、借りなき方よ、世を渡り歩いてください。世尊は、法(教え)を説示してください。〔世の人々は、法の〕了知者たちと成るでしょう』と。
王子よ、そこで、まさに、わたしは、そして、梵〔天〕の要請を知って、さらに、有情たちにたいし慈悲あることを縁として、覚者の眼によって、世を眺めました。王子よ、まさに、わたしは、覚者の眼によって、世を眺めながら、有情たちを見ました——少なき塵の者たちとして、大いなる塵の者たちとして、鋭敏なる機能の者たちとして、柔弱なる機能の者たちとして、善き行相の者たちとして、悪しき行相の者たちとして、識知させるに易き者(教えやすい者)たちとして、識知させるに難き者(教えにくい者)たちとして、一部のまた、他の世の罪過について恐怖を見る者たちとして〔世に〕住んでいる者たちを、一部のまた、他の世の罪過について恐怖を見ない者たちとして〔世に〕住んでいる者たちを。それは、たとえば、また、まさに、あるいは、青蓮の池において、あるいは、赤蓮の池において、あるいは、白蓮の池において、一部のまた、あるいは、諸々の青蓮が、あるいは、諸々の赤蓮が、あるいは、諸々の白蓮が、水のなかに生じ、水のなかで等しく増大し、水から伸び上がらず、内に潜り生育するものとしてあり、一部のまた、あるいは、諸々の青蓮が、あるいは、諸々の赤蓮が、あるいは、諸々の白蓮が、水のなかに生じ、水のなかで等しく増大し、水から伸び上がらず、水面のところで止住するものとしてあり、一部のまた、あるいは、諸々の青蓮が、あるいは、諸々の赤蓮が、あるいは、諸々の白蓮が、水のなかに生じ、水のなかで等しく増大し、水から伸び出て止住し、水に汚されないものとしてあるように、王子よ、まさしく、このように、まさに、わたしは、覚者の眼によって、世を眺めながら、有情たちを見ました——少なき塵の者たちとして、大いなる塵の者たちとして、鋭敏なる機能の者たちとして、柔弱なる機能の者たちとして、善き行相の者たちとして、悪しき行相の者たちとして、識知させるに易き者たちとして、識知させるに難き者たちとして、一部のまた、他の世の罪過について恐怖を見る者たちとして〔世に〕住んでいる者たちを、一部のまた、他の世の罪過について恐怖を見ない者たちとして〔世に〕住んでいる者たちを。王子よ、そこで、まさに、わたしは、梵〔天〕のサハンパティに、詩偈をもって答えました。
〔すなわち〕『彼ら、耳ある者たちは、信を解き放て。不死の諸門は、彼らに開示された。梵〔天〕よ、〔わたしは〕悩害の表象ある者となり、人間たちにたいし、至徳にして精妙なる法(真理)を語らなかった』と。
王子よ、そこで、まさに、梵〔天〕のサハンパティは、『まさに、〔わたしは〕存している——法(教え)を説示するために、世尊が機会を作った者として』と、わたしを敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、まさしく、その場において、消没しました。
王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『いったい、まさに、わたしは、誰に、最初に、法(教え)を説示するべきなのか。誰が、この法(教え)を、まさしく、すみやかに了知するのだろう』と。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『この者は、まさに、アーラーラ・カーラーマは、賢者であり、明敏なる者であり、思慮ある者であり、長夜にわたり、塵少なき類の者としてある。それなら、さあ、わたしは、アーラーラ・カーラーマに、最初に、法(教え)を説示するべきである。彼は、この法(教え)を、まさしく、すみやかに了知するであろう』と。王子よ、そこで、まさに、天神が、近づいて行って、わたしに、こう言いました。『尊き方よ、アーラーラ・カーラーマは、七日前に命を終えたのです』と。また、そして、わたしに、知見が生起しました。『アーラーラ・カーラーマは、七日前に命を終えたのだ』と。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『大いなる損失あるは、まさに、アーラーラ・カーラーマである。なぜなら、それで、もし、彼が、この法(教え)を聞くなら、まさしく、すみやかに了知するであろうからだ』と。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『いったい、まさに、わたしは、誰に、最初に、法(教え)を説示するべきなのか。誰が、この法(教え)を、まさしく、すみやかに了知するのだろう』と。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『この者は、まさに、ウダカ・ラーマプッタは、賢者であり、明敏なる者であり、思慮ある者であり、長夜にわたり、塵少なき類の者としてある。それなら、さあ、わたしは、ウダカ・ラーマプッタに、最初に、法(教え)を説示するべきである。彼は、この法(教え)を、まさしく、すみやかに了知するであろう』と。王子よ、そこで、まさに、天神が、近づいて行って、わたしに、こう言いました。『尊き方よ、ウダカ・ラーマプッタは、前夜に命を終えたのです』と。また、そして、わたしに、知見が生起しました。『ウダカ・ラーマプッタは、前夜に命を終えたのだ』と。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『大いなる損失あるは、まさに、ウダカ・ラーマプッタである。なぜなら、それで、もし、彼が、この法(教え)を聞くなら、まさしく、すみやかに了知するであろうからだ』と。
王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『いったい、まさに、わたしは、誰に、最初に、法(教え)を説示するべきなのか。誰が、この法(教え)を、まさしく、すみやかに了知するのだろう』と。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『五人組の比丘たちは、まさに、わたしのために多く〔の利益〕を作り為す者たちであり、彼らは、精励のために自己を精励するわたしに奉仕してくれた。それなら、さあ、わたしは、五人組の比丘たちに、最初に、法(教え)を説示するべきである』と。王子よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『いったい、まさに、どこに、今現在、五人組の比丘たちは住んでいるのか』と。王子よ、まさに、わたしは、人間を超越した清浄の天眼によって、五人組の比丘たちが、バーラーナシーのイシパタナの鹿園において住んでいるのを見ました。王子よ、そこで、まさに、わたしは、ウルヴェーラーにおいて、喜びのままに住んで〔そののち〕、バーラーナシーのあるところに、そこへと遊行〔の旅〕に出ました。
王子よ、まさに、アージーヴァカ(活命者・邪命外道)のウパカは、かつまた、ガヤーの、かつまた、菩提〔樹〕の、それぞれの中途において、旅の道を行くわたしを見ました。見て、わたしに、こう言いました。『友よ、まさに、あなたの、諸々の〔感官の〕機能は清らかであり、肌の色は完全なる清浄にして完全なる清白です。友よ、誰を、〔師と〕指定して、あなたは、出家者として〔世に〕存しているのですか。あるいは、誰が、あなたの教師なのですか。あるいは、誰の法(教え)を、あなたは喜ぶのですか』と。王子よ、このように説かれたとき、わたしは、アージーヴァカのウパカに、諸々の詩偈をもって語りかけました。
〔世尊が、詩偈に言う〕『わたしは、一切を征服する者として、一切を知る者として、一切の諸法(事象)に汚されない者として、〔世に〕存している。一切を捨棄する者は、渇愛の滅尽(涅槃の境処)において解脱した者は、自ら証知して、誰を、〔師と〕定めよう。
わたしに、師匠は存在しない。わたしに、同等の者は見出されない。天を含む世において、わたしに、対する人は存在しない。
まさに、わたしは、世における阿羅漢である。わたしは、無上なる教師である。独り、正等覚者として、〔わたしは〕存している。〔心が〕清涼と成った者として、涅槃に到達した者として、〔わたしは〕存している。
法(真理)の輪を転起させるために、カーシ〔国〕の都に、〔わたしは〕赴く。暗愚と成った世において、不死の雷鼓を打つであろう』と。
『友よ、すなわち、まさに、あなたが明言するとおりなら、〔あなたは〕無辺の勝者たるに値します』と。
〔世尊が、詩偈に言う〕『わたしのような者たちは、まさに、勝者たちとして〔世に〕有る——彼ら、煩悩の滅尽に至り得た者たちは。わたしは、諸々の悪しき法(性質)に勝利した。ウパカよ、それゆえに、わたしは、勝者である』と。
王子よ、このように説かれたとき、アージーヴァカのウパカは、『友よ、〔そのように〕成るかもしれません』と言って、頭を振って、悪しき道を収め取って、立ち去りました。
王子よ、そこで、まさに、わたしは、順次に遊行〔の旅〕を歩みながら、バーラーナシーのイシパタナの鹿園のあるところに、五人組の比丘たちのいるところに、そこへと近づいて行きました。王子よ、まさに、五人組の比丘たちは、わたしが、遠くから、やってくるのを見ました。見て、互いに他を〔安息させ〕安定させました。『友よ、この者が、まさに、沙門ゴータマが、やってきます。贅沢の者であり、精励から離脱した者であり、贅沢に逆戻りした者です。彼は、まさしく、敬拝されるべきではなく、立礼されるべきではなく、彼の鉢と衣料は納受されるべきではありません。しかしながら、また、まさに、坐は据え置かれるべきです。それで、もし、彼が望むなら、坐るでしょう』と。王子よ、そのとおり、そのとおりに、まさに、わたしが、五人組の比丘たちに近づいて行ったなら、そのとおり、そのとおりに、五人組の比丘たちは、自らの取り決めを守ることができませんでした。一部の者たちはまた、わたしを出迎えて、鉢と衣料を収め取り、一部の者たちはまた、坐を設け、一部の者たちはまた、足用の水を調達しました。しかしながら、また、まさに、わたしを、そして、名前で、さらに、『友よ』という言い方で、呼び慣わします。王子よ、このように説かれたとき、わたしは、五人組の比丘たちに、こう言いました。『比丘たちよ、如来を、そして、名前で、さらに、「友よ」という言い方で、呼び慣わしてはいけません。比丘たちよ、如来は、正等覚者たる阿羅漢です。比丘たちよ、耳を傾けなさい。不死は、到達されました。わたしは、教示します。わたしは、法(教え)を説示します。すなわち、教示されたとおり、そのとおりに実践していると、まさしく、長からずして——その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むでしょう』と。王子よ、このように説かれたとき、五人組の比丘たちは、わたしに、こう言いました。『友よ、ゴータマよ、まさに、あなたは、また、その振る舞いによっても、その〔実践の〕道によっても、その難業によっても、人間の法(性質)を超える、十全にして聖なる知見という殊勝〔の境地〕に到達しませんでした。また、どうして、今現在、贅沢の者であり、精励から離脱した者であり、贅沢に逆戻りした者である、あなたが、人間の法(性質)を超える、十全にして聖なる知見という殊勝〔の境地〕に到達するというのでしょう』と。王子よ、このように説かれたとき、わたしは、五人組の比丘たちに、こう言いました。『比丘たちよ、如来は、贅沢の者ではなく、精励から離脱した者ではなく、贅沢に逆戻りした者ではありません。比丘たちよ、如来は、正等覚者たる阿羅漢です。比丘たちよ、耳を傾けなさい。不死は、到達されました。わたしは、教示します。わたしは、法(教え)を説示します。すなわち、教示されたとおり、そのとおりに実践していると、まさしく、長からずして——その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むでしょう』と。王子よ、再度また、まさに、五人組の比丘たちは、わたしに、こう言いました。『友よ、ゴータマよ、まさに、あなたは、また、その振る舞いによっても、その〔実践の〕道によっても、その難業によっても、人間の法(性質)を超える、十全にして聖なる知見という殊勝〔の境地〕に到達しませんでした。また、どうして、今現在、贅沢の者であり、精励から離脱した者であり、贅沢に逆戻りした者である、あなたが、人間の法(性質)を超える、十全にして聖なる知見という殊勝〔の境地〕に到達するというのでしょう』と。王子よ、再度また、まさに、わたしは、五人組の比丘たちに、こう言いました。『比丘たちよ、如来は、贅沢の者ではなく、精励から離脱した者ではなく、贅沢に逆戻りした者ではありません。比丘たちよ、如来は、正等覚者たる阿羅漢です。比丘たちよ、耳を傾けなさい。不死は、到達されました。わたしは、教示します。わたしは、法(教え)を説示します。すなわち、教示されたとおり、そのとおりに実践していると、まさしく、長からずして——その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むでしょう』と。王子よ、三度また、まさに、五人組の比丘たちは、わたしに、こう言いました。『友よ、ゴータマよ、まさに、あなたは、また、その振る舞いによっても、その〔実践の〕道によっても、その難業によっても、人間の法(性質)を超える、十全にして聖なる知見という殊勝〔の境地〕に到達しませんでした。また、どうして、今現在、贅沢の者であり、精励から離脱した者であり、贅沢に逆戻りした者である、あなたが、人間の法(性質)を超える、十全にして聖なる知見という殊勝〔の境地〕に到達するというのでしょう』と。王子よ、このように説かれたとき、わたしは、五人組の比丘たちに、こう言いました。『比丘たちよ、まさに、あなたたちは証知しますか(記憶していますか)——これより過去において、わたしに、このような形態の、この光り輝きがあることを』と。『尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず』〔と〕。『比丘たちよ、如来は、正等覚者たる阿羅漢です。比丘たちよ、耳を傾けなさい。不死は、到達されました。わたしは、教示します。わたしは、法(教え)を説示します。すなわち、教示されたとおり、そのとおりに実践していると、まさしく、長からずして——その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むでしょう』と。
王子よ、まさに、わたしは、五人組の比丘たちを説得することができました。王子よ、まさに、また、二者の比丘に、〔わたしは〕教諭し、三者の比丘は、〔行乞の〕食のために歩みます。すなわち、三者の比丘が、〔行乞の〕食のために歩んで、〔食を〕運び込み、それによって、六人組の比丘たちは、〔身を〕保ち行きます。王子よ、まさに、また、三者の比丘に、〔わたしは〕教諭し、二者の比丘は、〔行乞の〕食のために歩みます。すなわち、二者の比丘が、〔行乞の〕食のために歩んで、〔食を〕運び込み、それによって、六人組の比丘たちは、〔身を〕保ち行きます。
王子よ、そこで、まさに、五人組の比丘たちは、わたしによって、このように教諭され、このように教示されつつ、まさしく、長からずして——その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住みました」と。このように説かれたとき、ボーディ王子は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、いったい、まさに、どれだけの長さによって、比丘は、如来を導き手として得つつ——その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むことになるのでしょうか」と。「王子よ、まさに、それでは、まさしく、あなたに、ここにおいて問い返しましょう。すなわち、あなたのよろしいように、そのとおりに、それを説き明かしてください。王子よ、それを、どう思いますか。あなたは、象に乗り鉤を把持する技術に巧みな智ある者ですか」と。「尊き方よ、そのとおりです。わたしは、象に乗り鉤を把持する技術に巧みな智ある者です」と。「王子よ、それを、どう思いますか。ここに、人がやってくるとします。『ボーディ王子は、象に乗り鉤を把持する技術を知っている。わたしは、彼の現前において、象に乗り鉤を把持する技術を学ぶのだ』と。そして、彼が、信なき者として〔世に〕存しているなら、すなわち、信ある者が至り得るべきである、そのかぎりのものに、それに得達できないでしょう。そして、彼が、病苦多き者として〔世に〕存しているなら、すなわち、病苦少なき者が至り得るべきである、そのかぎりのものに、それに得達できないでしょう。そして、彼が、狡猾ある者として、幻惑ある者として、〔世に〕存しているなら、すなわち、狡猾なき者が〔至り得るべきであり〕、幻惑なき者が至り得るべきである、そのかぎりのものに、それに得達できないでしょう。そして、彼が、怠惰の者として〔世に〕存しているなら、すなわち、精進に励む者が至り得るべきである、そのかぎりのものに、それに得達できないでしょう。そして、彼が、智慧浅き者として〔世に〕存しているなら、すなわち、智慧ある者が至り得るべきである、そのかぎりのものに、それに得達できないでしょう。王子よ、それを、どう思いますか。さて、いったい、その人は、あなたの現前において、象に乗り鉤を把持する技術を学べるでしょうか」と。「尊き方よ、たとえ、一つ一つの支分であれ、〔それを〕具備しているなら、その人は、わたしの現前において、象に乗り鉤を把持する技術を学べないでしょう。五つの支分を〔具備しているなら〕、また、何の論があるというのでしょう」と。
「王子よ、それを、どう思いますか。ここに、人がやってくるとします。『ボーディ王子は、象に乗り鉤を把持する技術を知っている。わたしは、彼の現前において、象に乗り鉤を把持する技術を学ぶのだ』と。そして、彼が、信ある者として〔世に〕存しているなら、すなわち、信ある者が至り得るべきである、そのかぎりのものに、それに得達できるでしょう。そして、彼が、病苦少なき者として〔世に〕存しているなら、すなわち、病苦少なき者が至り得るべきである、そのかぎりのものに、それに得達できるでしょう。そして、彼が、狡猾なき者として、幻惑なき者として、〔世に〕存しているなら、すなわち、狡猾なき者が〔至り得るべきであり〕、幻惑なき者が至り得るべきである、そのかぎりのものに、それに得達できるでしょう。そして、彼が、精進に励む者として〔世に〕存しているなら、すなわち、精進に励む者が至り得るべきである、そのかぎりのものに、それに得達できるでしょう。そして、彼が、智慧ある者として〔世に〕存しているなら、すなわち、智慧ある者が至り得るべきである、そのかぎりのものに、それに得達できるでしょう。王子よ、それを、どう思いますか。さて、いったい、その人は、あなたの現前において、象に乗り鉤を把持する技術を学べるでしょうか」と。「尊き方よ、たとえ、一つ一つの支分であれ、〔それを〕具備しているなら、その人は、わたしの現前において、象に乗り鉤を把持する技術を学べるでしょう。五つの支分を〔具備しているなら〕、また、何の論があるというのでしょう」と。「王子よ、まさしく、このように、まさに、五つのものがあります。これらの精励の支分です。どのようなものが、五つのものなのですか。王子よ、ここに、比丘が、信ある者として〔世に〕有り、如来の覚りに信を置きます。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は、阿羅漢であり、正等覚者であり、明知と行ないの成就者であり、善き至達者であり、世〔の一切〕を知る者であり、無上なる者であり、調御されるべき人の馭者であり、天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。病苦少なき者として、病悩少なき者として、〔世に〕有ります——寒過ぎず暑過ぎず中なる精励と忍耐ある、正しく消化する消化器官を具備した者として。狡猾なき者として、幻惑なき者として、〔世に〕有ります——あるいは、教師にたいし、あるいは、梵行を共にする識者たちにたいし、自己のことを、事実のとおりに明らかと為す者として。精進に励む者として〔世に〕住みます——諸々の善ならざる法(性質)の捨棄のために、諸々の善なる法(性質)の成就のために、諸々の善なる法(性質)において、強靭なる者となり、断固たる勤勉ある者となり、重荷を捨て置かない者となり。智慧ある者として〔世に〕有ります——聖なる洞察にして、正しく苦しみの滅尽に至るものである、生成と滅至の智慧を具備した者として。王子よ、まさに、これらの五つの精励の支分があります。
王子よ、これらの五つの精励の支分を具備した比丘は、如来を導き手として得つつ——その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むでしょう——七年のあいだに。王子よ、七年は、さておくとしましょう。これらの五つの精励の支分を具備した比丘は、如来を導き手として得つつ——その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むでしょう——六年のあいだに。……五年のあいだに。……四年のあいだに。……三年のあいだに。……二年のあいだに。……一年のあいだに。王子よ、一年は、さておくとしましょう。これらの五つの精励の支分を具備した比丘は、如来を導き手として得つつ——その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むでしょう——七月のあいだに。王子よ、七月は、さておくとしましょう。これらの五つの精励の支分を具備した比丘は、如来を導き手として得つつ——その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むでしょう——六月のあいだに。……五月のあいだに。……四月のあいだに。……三月のあいだに。……二月のあいだに。……一月のあいだに。……半月のあいだに。……。王子よ、半月は、さておくとしましょう。これらの五つの精励の支分を具備した比丘は、如来を導き手として得つつ——その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むでしょう——七つの夜と昼のあいだに。王子よ、七つの夜と昼は、さておくとしましょう。これらの五つの精励の支分を具備した比丘は、如来を導き手として得つつ——その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むでしょう——六つの夜と昼のあいだに。……五つの夜と昼のあいだに。……四つの夜と昼のあいだに。……三つの夜と昼のあいだに。……二つの夜と昼のあいだに。……一つの夜と昼のあいだに。王子よ、一つの夜と昼は、さておくとしましょう。これらの五つの精励の支分を具備した比丘は、如来を導き手として得つつ、夕に教示され、朝に殊勝〔の境地〕に到達するでしょうし、朝に教示され、夕に殊勝〔の境地〕に到達するでしょう」と。このように説かれたとき、ボーディ王子は、世尊に、こう言いました。「ああ、覚者なるかな。ああ、法(教え)なるかな。ああ、法(教え)の見事に告げ知らされたことかな。なぜなら、そこで、まさに、夕に教示され、朝に殊勝〔の境地〕に到達するであろうとは、朝に教示され、夕に殊勝〔の境地〕に到達するであろうとは」と。
このように説かれたとき、サンジカープッタ学徒は、ボーディ王子に、こう言いました。「また、まさしく、このように、そして、この貴君ボーディは、『ああ、覚者なるかな。ああ、法(教え)なるかな。ああ、法(教え)の見事に告げ知らされたことかな』と説くも、そこで、また、しかしながら、彼を、貴君ゴータマを帰依所に赴きません——そして、法(教え)を、さらに、比丘の僧団を」と。「友よ、サンジカープッタよ、まさに、このように言ってはいけません。友よ、サンジカープッタよ、まさに、このように言ってはいけません。友よ、サンジカープッタよ、わたしは、このことを、母上の、面前で聞き、面前で受けました。友よ、サンジカープッタよ、これは、或る時のことです。世尊は、コーサンビーに住んでおられます。ゴーシタの林園において。そこで、まさに、妊婦であるわたしの母上が、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、わたしの母上は、世尊に、こう言いました。『尊き方よ、すなわち、この、わたしのお腹に在している、あるいは、王子は、あるいは、王女は、その〔子〕は、世尊を帰依所に赴きます——そして、法(教え)を、さらに、比丘の僧団を。世尊は、その〔子〕を、在俗信者として認めてください——今日以後、命ある限り、帰依所に赴いた者として』と。友よ、サンジカープッタよ、これは、或る時のことです。世尊は、まさしく、ここに、バッガ〔国〕に住んでおられます。ススマーラギラ〔村〕のベーサカラー林の鹿園において。そこで、まさに、乳母が、わたしを脇にかかえて運んで、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に立ちました。一方に立った、まさに、乳母は、わたしを〔差し出して〕、世尊に、こう言いました。『尊き方よ、このボーディ王子は、世尊を帰依所に赴きます——そして、法(教え)を、さらに、比丘の僧団を。世尊は、彼を、在俗信者として認めてください——今日以後、命ある限り、帰依所に赴いた者として』と。友よ、サンジカープッタよ、〔まさに〕この、わたしは、三度また、世尊を帰依所に赴きます——そして、法(教え)を、さらに、比丘の僧団を。世尊は、彼を、在俗信者として認めてください——今日以後、命ある限り、帰依所に赴いた者として」と。
ボーディ王子の経は終了となり、〔以上が〕第五となる。
注釈【4】
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