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「善きかな」の経
サーヴァッティーの因縁となります。そこで、まさに、大勢のサトゥッラパの衆の天神たちが、夜が更けると、見事な色艶となり、全面あまねくジェータ林を照らして、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に立ちました。一方に立った、まさに、或る天神は、世尊の現前において、この感興〔の言葉〕を唱えました。
〔天神が、詩偈に言う〕「敬愛なる方よ、まさに、布施は、善きかな。
そして、物惜あることから、さらに、放逸あることから、このように、布施は施されない。功徳を望んでいる者によって、〔あるがままに〕識知している者によって、施されるべき〔布施〕と成る」と。
そこで、まさに、他の天神は、世尊の現前において、この感興〔の言葉〕を唱えました。
〔他の天神が、詩偈に言う〕「敬愛なる方よ、まさに、布施は、善きかな。さらに、また、少ないなかでの布施もまた、善きかな。
或る者たちは、少ないなかから献じ捧げ、或る者たちは、多いなかから施そうとしない。少ないなかから施された施物は、千に等しきものと量られた」と。
そこで、まさに、他の天神は、世尊の現前において、この感興〔の言葉〕を唱えました。
〔他の天神が、詩偈に言う〕「敬愛なる方よ、まさに、布施は、善きかな。少ないなかでの布施もまた、善きかな。さらに、また、信による布施もまた、善きかな。
そして、布施を、さらに、戦いを、〔両者を〕同等のものと、〔賢者たちは〕言う。正しくある者たちは、たとえ、少なくあるも、多くの者たちに勝利する。たとえ、もし、少なくあるも、信を置きつつ施すなら、まさしく、それによって、彼は、他所(他の世)において、安楽の者と成る」と。
そこで、まさに、他の天神は、世尊の現前において、この感興〔の言葉〕を唱えました。
〔他の天神が、詩偈に言う〕「敬愛なる方よ、まさに、布施は、善きかな。少ないなかでの布施もまた、善きかな。信による布施もまた、善きかな。さらに、また、法(正義)によって得た〔財〕の布施もまた、善きかな。
すなわち、人が、法(正義)によって得た〔財〕の、奮起と精進によって到達した〔財〕の、布施を施すなら、その人は、〔死してのち〕夜魔(閻魔)〔の領域〕のヴェータラニー〔川〕を超え行って、諸々の天なる境位へと近しく至る」と。
そこで、まさに、他の天神は、世尊の現前において、この感興〔の言葉〕を唱えました。
〔他の天神が、詩偈に言う〕「敬愛なる方よ、まさに、布施は、善きかな。少ないなかでの布施もまた、善きかな。信による布施もまた、善きかな。法(正義)によって得た〔財〕の布施もまた、善きかな。さらに、また、〔正しく〕弁別して〔施す〕布施もまた、善きかな。
〔正しく〕弁別して〔施す〕布施は、善き至達者たる方(ブッダ)の賞賛するところとなる。彼らが、ここに、生あるものの世において、施与されるべき者たちであるなら、これらの者たちにおいて、施されたものは、諸々の大いなる果となる⸺あたかも、善き田畑に蒔かれた諸々の種のように」と。
そこで、まさに、他の天神は、世尊の現前において、この感興〔の言葉〕を唱えました。
〔他の天神が、詩偈に言う〕「敬愛なる方よ、まさに、布施は、善きかな。少ないなかでの布施もまた、善きかな。信による布施もまた、善きかな。法(正義)によって得た〔財〕の布施もまた、善きかな。〔正しく〕弁別して〔施す〕布施もまた、善きかな。さらに、また、命あるものたちにたいし自制ある者もまた、善きかな。
彼が、命ある生類たちを傷つけることなく〔世を〕歩み、他者の非難あることから、悪を為さないなら(悪しき評判を恐れて悪行を控えるなら)、〔人々は〕恐怖ある者を賞賛する。まさに、そこにおいて、〔恐怖なき〕勇士を〔賞賛し〕ない。まさに、〔悪しき報いの〕恐怖あることから、正しくある者たちは、悪を為さない」と。
そこで、まさに、他の天神は、世尊に、こう言いました。「世尊よ、いったい、まさに、誰の〔言葉が〕、見事に語られたのですか」と。
「あなたたちの全ての〔言葉が〕、見事に語られました⸺教相〔の観点〕によって。さらに、わたしの〔言葉を〕もまた聞きなさい」と。
〔世尊が、詩偈に言う〕「まさに、信あることから、布施は、多種に賞賛された。しかしながら、布施よりも、まさに、法(真理)の句こそは、より勝っている。なぜなら、かつまた、過去においても、かつまた、より過去においても、正しくある者たちは、智慧を有する者たちとして、まさしく、涅槃〔の境処〕に到達したからである」と。
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注釈【2】
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