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翻訳【20】

ゴータマの経

「比丘たちよ、正覚より、まさしく、過去において、〔いまだ〕現正覚していない、まさしく、菩薩として存している、わたしに、この〔思い〕が有りました。『まさに、この世〔の人々〕は、苦難を惹起している。そして、生まれ、そして、老い、そして、死に、そして、死滅し、そして、再生する。そこで、また、さらに、この苦しみの、老と死の、出離を覚知しない。いったい、いつ、まさに、この、苦しみの、老と死の、出離が覚知されるのだろう』と。

比丘たちよ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『いったい、まさに、何が存しているとき、老と死が有るのか。どのような縁あることから、老と死があるのか』と。比丘たちよ、〔まさに〕その、わたしに、根源のままに意を為すことから、智慧による知悉が有りました。『まさに、生が存しているとき、老と死が有る。生という縁あることから、老と死がある』と。

比丘たちよ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『いったい、まさに、何が存しているとき、生が有るのか。……略……生存が……執取が……渇愛が……感受が……接触が……六つの〔認識の〕場所が……名前と形態が……識知〔作用〕が……諸々の形成〔作用〕が有るのか。どのような縁あることから、諸々の形成〔作用〕があるのか』と。比丘たちよ、〔まさに〕その、わたしに、根源のままに意を為すことから、智慧による知悉が有りました。『まさに、無明が存しているとき、諸々の形成〔作用〕が有る。無明という縁あることから、諸々の形成〔作用〕がある』と。

まさに、かくのごとく、このことはあります。無明という縁あることから、諸々の形成〔作用〕があります。諸々の形成〔作用〕という縁あることから、識知〔作用〕があります。……略……。このように、この全部の苦しみの範疇の集起が有ります。比丘たちよ、『集起』『集起』と、まさに、わたしに、過去に聞かれたことなき諸々の法(教え)について、眼が生起し、知恵が生起し、智慧が生起し、明知が生起し、光明が生起しました。

比丘たちよ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『いったい、まさに、何が存していないとき、老と死が有ることはないのか。何の止滅あることから、老と死の止滅があるのか』と。比丘たちよ、〔まさに〕その、わたしに、根源のままに意を為すことから、智慧による知悉が有りました。『まさに、生が存していないとき、老と死が有ることはない。生の止滅あることから、老と死の止滅がある』と。

比丘たちよ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『いったい、まさに、何が存していないとき、生が……略……生存が……執取が……渇愛が……感受が……接触が……六つの〔認識の〕場所が……名前と形態が……識知〔作用〕が……諸々の形成〔作用〕が有ることはないのか。何の止滅あることから、諸々の形成〔作用〕の止滅があるのか』と。比丘たちよ、〔まさに〕その、わたしに、根源のままに意を為すことから、智慧による知悉が有りました。『まさに、無明が存していないとき、諸々の形成〔作用〕が有ることはない。無明の止滅あることから、諸々の形成〔作用〕の止滅がある』と。

まさに、かくのごとく、このことはあります。無明の残りなき離貪と止滅あることから、諸々の形成〔作用〕の止滅があります。諸々の形成〔作用〕の止滅あることから、識知〔作用〕の止滅があります。……略……。このように、この全部の苦しみの範疇の止滅が有ります。比丘たちよ、『止滅』『止滅』と、まさに、わたしに、過去に聞かれたことなき諸々の法(教え)について、眼が生起し、知恵が生起し、智慧が生起し、明知が生起し、光明が生起しました」と。〔以上が〕第十となる。

覚者の章が第一となる。

その〔章〕のための摂頌となる。

〔そこで、詩偈に言う〕「説示、そして、区分と〔実践の〕道、ヴィパッシン、そして、シキン、ヴェッサブー、カクサンダ、コーナーガマナ、カッサパ、そして、偉大なる釈迦〔族〕の牟尼たるゴータマがあり、〔章となる〕」と。

注釈【2】