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翻訳【20】

無衣行者のカッサパの経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、ラージャガハ王舎城に住んでおられます。ヴェール林のカランダカ・ニヴァーパ竹林精舎において。そこで、まさに、世尊は、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、ラージャガハに〔行乞の〕食のために入りました。まさに、無衣行者のカッサパは、世尊が、はるか遠くから、やってくるのを見ました。見て、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を相手に共に挨拶しました。共に挨拶し記憶されるべき話を交わして、一方に立ちました。一方に立った、まさに、無衣行者のカッサパは、世尊に、こう言いました。「わたしどもは、貴君ゴータマに、何らかの或る点でお尋ねしたいのです。それで、もし、貴君ゴータマが、わたしどもの問いに、説き明かしのための機会を作ってくれるなら」と。

「カッサパよ、まさに、まだ、問いのための時ではありません。〔わたしたちは〕町中に入ったところですから」と。再度また、まさに、無衣行者のカッサパは、世尊に、こう言いました。「わたしどもは、貴君ゴータマに、何らかの或る点でお尋ねしたいのです。それで、もし、貴君ゴータマが、わたしどもの問いに、説き明かしのための機会を作ってくれるなら」と。「カッサパよ、まさに、まだ、問いのための時ではありません。〔わたしたちは〕町中に入ったところですから」と。三度また、まさに、無衣行者のカッサパは……略……。〔わたしたちは〕町中に入ったところですから」と。このように説かれたとき、世尊に、無衣行者のカッサパは、こう言いました。「また、まさに、わたしどもは、貴君ゴータマに、まさしく、多くを尋ねることを欲する者たちにあらず」と。「カッサパよ、尋ねなさい。それを、〔あなたが〕望むなら」と。

「貴君ゴータマよ、いったい、まさに、どうなのでしょう、自作されたものとして、苦しみはあるのですか」と。「カッサパよ、まさに、このように〔尋ねては〕いけません」と、世尊は言いました。「貴君ゴータマよ、また、どうなのでしょう、まさに、他作されたものとして、苦しみはあるのですか」と。「カッサパよ、まさに、このように〔尋ねては〕いけません」と、世尊は言いました。「貴君ゴータマよ、いったい、まさに、どうなのでしょう、かつまた、自作されたものとして、かつまた、他作されたものとして、苦しみはあるのですか」と。「カッサパよ、まさに、このように〔尋ねては〕いけません」と、世尊は言いました。「貴君ゴータマよ、また、どうなのでしょう、まさに、自作のものではなく、他作のものではなく、偶発生起したものとして、苦しみはあるのですか」と。「カッサパよ、まさに、このように〔尋ねては〕いけません」と、世尊は言いました。「貴君ゴータマよ、いったい、まさに、どうなのでしょう、苦しみは存在しないのですか」と。「カッサパよ、まさに、苦しみは存在しないのではありません。カッサパよ、まさに、苦しみは存在します」と。「まさに、それでは、貴君ゴータマは、苦しみを知らず見ないのですか」と。「カッサパよ、まさに、わたしは、苦しみを知らず見ないのではありません。カッサパよ、まさに、わたしは、苦しみを知ります。カッサパよ、まさに、わたしは、苦しみを見ます」と。

「『貴君ゴータマよ、いったい、まさに、どうなのでしょう、自作されたものとして、苦しみはあるのですか』と、〔問いを〕尋ねられた者として存しつつ、『カッサパよ、まさに、このように〔尋ねては〕いけません』と、〔あなたは〕説きます。『貴君ゴータマよ、また、どうなのでしょう、まさに、他作されたものとして、苦しみはあるのですか』と、〔問いを〕尋ねられた者として存しつつ、『カッサパよ、まさに、このように〔尋ねては〕いけません』と、〔あなたは〕説きます。『貴君ゴータマよ、いったい、まさに、どうなのでしょう、かつまた、自作されたものとして、かつまた、他作されたものとして、苦しみはあるのですか』と、〔問いを〕尋ねられた者として存しつつ、『カッサパよ、まさに、このように〔尋ねては〕いけません』と、〔あなたは〕説きます。『貴君ゴータマよ、また、どうなのでしょう、まさに、自作のものではなく、他作のものではなく、偶発生起したものとして、苦しみはあるのですか』と、〔問いを〕尋ねられた者として存しつつ、『カッサパよ、まさに、このように〔尋ねては〕いけません』と、〔あなたは〕説きます。『貴君ゴータマよ、いったい、まさに、どうなのでしょう、苦しみは存在しないのですか』と、〔問いを〕尋ねられた者として存しつつ、『カッサパよ、まさに、苦しみは存在しないのではありません。カッサパよ、まさに、苦しみは存在します』と、〔あなたは〕説きます。『まさに、それでは、貴君ゴータマは、苦しみを知らず見ないのですか』と、〔問いを〕尋ねられた者として存しつつ、『カッサパよ、まさに、わたしは、苦しみを知らず見ないのではありません。カッサパよ、まさに、わたしは、苦しみを知ります。カッサパよ、まさに、わたしは、苦しみを見ます』と、〔あなたは〕説きます。尊き方よ、では、世尊は、わたしに、苦しみのことを告知したまえ。尊き方よ、では、世尊は、わたしに、苦しみのことを説示したまえ」と。

「カッサパよ、『その者として為し、その者として得知する』と、まさに、最初から〔確定して〕存しているところで、『自作されたものとして、苦しみはある』と、かくのごとく説いている者は、この常久〔の見解〕に陥ります。カッサパよ、『他の者として為し、他の者として得知する』と、まさに、感受が〔最初から隔絶され〕制圧されているところで、『他作されたものとして、苦しみはある』と、かくのごとく説いている者は、この断絶〔の見解〕に陥ります。カッサパよ、如来は、これらの二つの極に、それらに近しく赴かずして、中によって、法(教え)を説示します。『無明という縁あることから、諸々の形成〔作用〕があります。諸々の形成〔作用〕という縁あることから、識知〔作用〕があります。……略……。このように、この全部の苦しみの範疇の集起が有ります。まさしく、しかし、無明の残りなき離貪と止滅あることから、諸々の形成〔作用〕の止滅があります。諸々の形成〔作用〕の止滅あることから、識知〔作用〕の止滅があります。……略……。このように、この全部の苦しみの範疇の止滅が有ります』」と。

このように説かれたとき、無衣行者のカッサパは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、すばらしいことです。尊き方よ、すばらしいことです。尊き方よ、それは、たとえば、また、あるいは、倒れたものを起こすかのように……略……『眼ある者たちは、諸々の形態を見る』と、まさしく、このように、世尊によって、無数の教相によって、法(真理)が明示されました。尊き方よ、〔まさに〕この、わたしは、世尊を帰依所に赴きます⸺そして、法(教え)を、さらに、比丘の僧団を(仏法僧の三宝に帰依する)。尊き方よ、わたしが、世尊の現前において、出家を得られますように⸺〔戒の〕成就を得られますように」と。

「カッサパよ、すなわち、まさに、〔教えを〕他にする異教の過去ある者が、この法(教え)と律において、出家を望み、〔戒の〕成就を望むなら、彼は、四月のあいだ別住します(試験期間を設ける)。四月が経過して、勉励心ある比丘たちが、別住を別住した者を出家させ、比丘の状態となるために、〔戒を〕成就させます。しかしながら、また、人によって相違あることが、わたしによって見出されました(あなたは例外である)」と。

「尊き方よ、それで、もし、〔教えを〕他にする異教の過去ある者が、この法(教え)と律において、出家を望み、〔戒の〕成就を望み、四月のあいだ別住し、四月が経過して、勉励心ある比丘たちが、別住を別住した者を出家させ、比丘の状態となるために、〔戒を〕成就させるなら(そのような決まりがあるなら)、わたしは、四年のあいだ別住します。四年が経過して、勉励心ある比丘たちが、別住を別住した〔わたし〕を出家させたまえ、比丘の状態となるために、〔戒を〕成就させたまえ」と。

まさに、無衣行者のカッサパは、世尊の現前において、出家を得ました⸺〔戒の〕成就を得ました。また、そして、〔戒を〕成就したばかりの尊者カッサパは、独り、〔静所に〕隠棲し、〔気づきを〕怠らず、熱情ある者となり、自己を精励する者として〔世に〕住んでいると、まさしく、長からずして⸺その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住みました。「生は滅尽し、梵行は完成された。為すべきことは為された。〔もはや〕他に、この場へと〔赴くことは〕ない」と証知しました。また、そして、尊者カッサパは、阿羅漢たちのなかの或るひとりと成った、ということです。〔以上が〕第七となる。

注釈【1】