読み込み中

翻訳【17】

月の如き者たちの経

サーヴァッティーに住んでおられます。……略……。「比丘たちよ、〔あなたたちは〕月の如き者たちとして、家々に近づいて行きなさい⸺まさしく、身体を退去して、心を退去して、常に新参の者たちとして、家々においては尊大ならざる者たちとして。比丘たちよ、それは、たとえば、また、人が、身体を退去して、心を退去して、あるいは、古井戸を検分するように、あるいは、山の凹凸を〔検分するように〕、あるいは、川の難所を〔検分するように〕、比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、〔あなたたちは〕月の如き者たちとして、家々に近づいて行きなさい⸺まさしく、身体を退去して、心を退去して、常に新参の者たちとして、家々においては尊大ならざる者たちとして。

比丘たちよ、カッサパは、月の如き者として、家々に近づいて行きます⸺まさしく、身体を退去して、心を退去して、常に新参の者として、家々においては尊大ならざる者として。比丘たちよ、それを、どう思いますか。どのような形態の比丘が、家々に近づいて行くに値するのですか」と。「尊き方よ、わたしたちにとって、諸々の法(教え)は、世尊を根元とするものであり、世尊を導きとするものであり、世尊を帰依所とするものです。尊き方よ、どうか、まさに、まさしく、世尊に、この語られたことの義(意味)が明白となれ(世尊みずから答えてください)。世尊の〔言葉を〕聞いて、比丘たちは、〔それを〕保持するでしょう」と。

そこで、まさに、世尊は、虚空において、手を動かしました。「比丘たちよ、それは、たとえば、また、この手が、虚空において、絡め取られず、捕捉されず、結縛されないように、比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、彼が誰であれ、比丘が家々に近づいて行っていると、〔彼の〕心は、家々において、絡め取られず、捕捉されず、結縛されません。『利得を欲する者たちは、〔利得を〕得よ。功徳を欲する者たちは、諸々の功徳を作り為せ』と。すなわち、自らの利得によって、わが意を得た者と成り、悦意の者と〔成るように〕、このように、他者たちの利得によって、わが意を得た者と成り、悦意の者と〔成ります〕。比丘たちよ、このような形態の比丘は、まさに、家々に近づいて行くに値します。

比丘たちよ、カッサパが家々に近づいて行っていると、〔彼の〕心は、家々において、絡め取られず、捕捉されず、結縛されません。『利得を欲する者たちは、〔利得を〕得よ。功徳を欲する者たちは、諸々の功徳を作り為せ』と。すなわち、自らの利得によって、わが意を得た者と成り、悦意の者と〔成るように〕、このように、他者たちの利得によって、わが意を得た者と成り、悦意の者と〔成ります〕

比丘たちよ、それを、どう思いますか。どのような形態の比丘には、完全なる清浄ならざる法(教え)の説示が有り、どのような形態の比丘には、完全なる清浄の法(教え)の説示が有るのですか」と。「尊き方よ、わたしたちにとって、諸々の法(教え)は、世尊を根元とするものであり、世尊を導きとするものであり、世尊を帰依所とするものです。尊き方よ、どうか、まさに、まさしく、世尊に、この語られたことの義(意味)が明白となれ。世尊の〔言葉を〕聞いて、比丘たちは、〔それを〕保持するでしょう」と。「比丘たちよ、まさに、それでは、聞きなさい。善くしっかりと、意を為しなさい。〔では〕語ります」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、世尊に答えました。世尊は、こう言いました。

「比丘たちよ、まさに、彼が誰であれ、比丘が、このような心の者として、他者たちに、法(教え)を説示するなら、『ああ、まさに、〔彼らは〕わたしの法(教え)を聞くべきである。また、そして、法(教え)を聞いて、清信するべきである。さらに、清信した者たちとして、わたしに、清信の行相を作り為すべきである』と、比丘たちよ、まさに、このような形態の比丘には、完全なる清浄ならざる法(教え)の説示が有ります。

比丘たちよ、しかしながら、すなわち、まさに、比丘が、このような心の者として、他者たちに、法(教え)を説示するなら、『法(教え)は、世尊によって見事に告げ知らされたものであり、現に見られるものであり、時を要さないものであり、来て見るものであり、導くものであり、識者たちによって各自それぞれに知られるべきものである』と、『ああ、まさに、〔彼らは〕わたしの法(教え)を聞くべきである。また、そして、法(教え)を聞いて、了知するべきである。また、さらに、了知して、そのとおりそのままに実践するべきである』と、かくのごとく、法(教え)の善き法(教え)たることを縁として、他者たちに、法(教え)を説示するなら、慈悲〔の思い〕を縁として、憐憫〔の思い〕を縁として、慈しみ〔の思い〕を抱いて、他者たちに、法(教え)を説示するなら、比丘たちよ、まさに、このような形態の比丘には、完全なる清浄の法(教え)の説示が有ります。

比丘たちよ、カッサパは、このような心の者として、他者たちに、法(教え)を説示します。『法(教え)は、世尊によって見事に告げ知らされたものであり、現に見られるものであり、時を要さないものであり、来て見るものであり、導くものであり、識者たちによって各自それぞれに知られるべきものである』と、『ああ、まさに、〔彼らは〕わたしの法(教え)を聞くべきである。また、そして、法(教え)を聞いて、了知するべきである。また、さらに、了知して、そのとおりそのままに実践するべきである』と、かくのごとく、法(教え)の善き法(教え)たることを縁として、他者たちに、法(教え)を説示し、慈悲〔の思い〕を縁として、憐憫〔の思い〕を縁として、慈しみ〔の思い〕を抱いて、他者たちに、法(教え)を説示します。比丘たちよ、まさに、あるいは、カッサパ〔の実例〕によって、あなたたちに、〔わたしは〕教諭します。また、あるいは、すなわち、カッサパと同等の者が存しているなら、〔その者によって〕。また、そして、教諭されたあなたたちは、そのとおりそのままに実践するべきです」と。〔以上が〕第三となる。

注釈【1】