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翻訳【21】

ローヒタッサの経

サーヴァッティーの因縁となります。一方に立った、まさに、ローヒタッサ天子は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、さてまた、まさに、そこ(世の終極)においては、〔何も〕生まれず、老いず、死なず、死滅せず、再生しないとして、尊き方よ、いったい、まさに、その、世の終極は、赴くことによって、あるいは、知ることが、あるいは、見ることが、あるいは、至り得ることが、できるのでしょうか」と。「友よ、まさに、そこにおいては、〔何も〕生まれず、老いず、死なず、死滅せず、再生しない、〔まさに〕その、世の終極を、『赴くことによって、知るべきであり、見るべきであり、至り得るべきである』と、わたしは説きません」と。

「尊き方よ、めったにないことです。尊き方よ、はじめてのことです。尊き方よ、すなわち、世尊によって、これほどまでに、見事に語られたのは。『友よ、まさに、そこにおいては、〔何も〕生まれず、老いず、死なず、死滅せず、再生しない、〔まさに〕その、世の終極を、「赴くことによって、知るべきであり、見るべきであり、至り得るべきである」と、わたしは説きません』と。

尊き方よ、過去の事ですが、〔わたしは〕ローヒタッサという名の聖賢として〔世に〕有りました⸺ボージャ族の宙を赴く神通者として。尊き方よ、〔まさに〕その、わたしには、このような形態の速さが有りました。それは、たとえば、また、まさに、強弓をもつ弓の使い手として習練し鍛練し訓練した弓術の達人が、矢で軽々と、まさしく、難少なく、ターラ〔樹〕の影を横切り、射通すほどに。尊き方よ、〔まさに〕その、わたしには、このような形態の歩幅が有りました。それは、たとえば、また、東の海から西の海ほどに。尊き方よ、〔まさに〕その、わたしに、このような形態の求める所が生起しました。『赴くことによって、わたしは、世の終極に至り得るのだ』と。尊き方よ、それで、まさに、わたしは、このような形態の速さを具備した者として、そして、このような形態の歩幅によって、まさしく、食べたり飲んだり咀嚼したり臥したりするより他には、大小便の行為より他には、眠気や疲労を除き去るより他には、百年の寿命ある者として、百年の生命ある者として、百年のあいだ赴いて、まさしく、世の終極に至り得ずして、まさしく、中途に、命を終えたのでした。

尊き方よ、めったにないことです。尊き方よ、はじめてのことです。尊き方よ、すなわち、世尊によって、これほどまでに、見事に語られたのは。『友よ、まさに、そこにおいては、〔何も〕生まれず、老いず、死なず、死滅せず、再生しない、〔まさに〕その、世の終極を、「赴くことによって、知るべきであり、見るべきであり、至り得るべきである」と、わたしは説きません』」と。

「友よ、また、まさに、世の終極に至り得ずして、苦しみの終極を為すことを、わたしは説きません。友よ、そして、また、わたしは、まさしく、この、〔一〕ヴヤーマ:長さの単位・一ヴヤーマは約二メートル)ばかりの、表象を有し意を有する死体(肉体)において、そして、世を、かつまた、世の集起を、かつまた、世の止滅を、さらに、世の止滅に至る〔実践の〕道を、〔人々に〕報知します」と。

〔世尊が、詩偈に言う〕「赴くことによって至り得るべきにあらず⸺世の終極は、いついかなる時も。そして、世の終極に至り得ずして、苦しみからの解き放ちは存在しない。

それゆえに、まさに、世〔の一切〕を知る、思慮深き者は⸺世の終極に至る、梵行の完成者は⸺〔心が〕静まった者は、世の終極を知って、この世を、さらに、他〔の世〕を、〔両者ともに〕願い求めない」と。

注釈【1】