読み込み中

翻訳【17】

第二の革紐の結縛の経

サーヴァッティーの因縁となります。「比丘たちよ、この輪廻は、始源が思い考えられないものとしてあります。無明の妨害ある有情たちの、渇愛の束縛ある〔有情たちの〕、流転し輪廻している〔有情たちの〕、過去の突端は覚知されません。比丘たちよ、それは、たとえば、また、革紐によって結縛された犬が、堅固な、あるいは、杭に、あるいは、柱に、連結されたようなものです。彼は、もし、また、赴くも、まさしく、その、あるいは、杭に、あるいは、柱に、近しく赴き、もし、また、立つも、まさしく、その、あるいは、杭に、あるいは、柱に、近しく立ち、もし、また、坐るも、まさしく、その、あるいは、杭に、あるいは、柱に、近しく坐り、もし、また、横たわるも、まさしく、その、あるいは、杭に、あるいは、柱に、近しく横たわります。比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、無聞の凡夫は、聖者たちと会見しない者であり……略……正なる人士たちの法(教え)において教導されず、形態を、『これは、わたしのものである。これは、わたしとして存在する。これは、わたしの自己である』と等しく随観します。感受〔作用〕を……。表象〔作用〕を……。諸々の形成〔作用〕を……。識知〔作用〕を、『これは、わたしのものである。これは、わたしとして存在する。これは、わたしの自己である』と等しく随観します。彼は、もし、また、赴くも、これらの五つの〔心身を構成する〕執取の範疇に近しく赴き、もし、また、立つも、これらの五つの〔心身を構成する〕執取の範疇に近しく立ち、もし、また、坐るも、これらの五つの〔心身を構成する〕執取の範疇に近しく坐り、もし、また、横たわるも、これらの五つの〔心身を構成する〕執取の範疇に近しく横たわります。比丘たちよ、それゆえに、ここに、幾度となく、自らの心が注視されるべきです。『長夜にわたり、この心は汚染されてきた⸺貪欲によって、憤怒によって、迷妄によって』と。比丘たちよ、心の汚染あることから、有情たちは汚染され、心の浄化あることから、有情たちは清浄となります。

比丘たちよ、あなたたちは、『行ない』という名の絵を見たことがありますか」と。「尊き方よ、そのとおりです(見ました)〔と〕。「比丘たちよ、まさに、その『行ない』という名の絵もまた、まさしく、心によって、彩られたのです。比丘たちよ、まさに、その『行ない』の絵よりもまた、まさしく、心は、より彩りあざやかなのです。比丘たちよ、それゆえに、ここに、幾度となく、自らの心が注視されるべきです。『長夜にわたり、この心は汚染されてきた⸺貪欲によって、憤怒によって、迷妄によって』と。比丘たちよ、心の汚染あることから、有情たちは汚染され、心の浄化あることから、有情たちは清浄となります。

比丘たちよ、わたしは、このように彩りあざやかなものとして、〔これより〕他に、一つの部類でさえも、等しく随観することがありません。比丘たちよ、すなわち、この、畜生の在り方をした命あるものたちのようには。比丘たちよ、まさに、それらの畜生の在り方をした命あるものたちよりもまた、まさしく、心は、より彩りあざやかなのです。比丘たちよ、それゆえに、ここに、幾度となく、自らの心が注視されるべきです。『長夜にわたり、この心は汚染されてきた⸺貪欲によって、憤怒によって、迷妄によって』と。比丘たちよ、心の汚染あることから、有情たちは汚染され、心の浄化あることから、有情たちは清浄となります。

比丘たちよ、それは、たとえば、また、あるいは、染色師が、あるいは、絵師が、あるいは、染料があるとき、あるいは、塗料があるとき、あるいは、鬱金があるとき、あるいは、藍があるとき、あるいは、緋があるとき、あるいは、完全無欠に磨かれた延べ板のうえに、あるいは、壁のうえに、あるいは、布板のうえに、全ての手足と肢体ある、あるいは、女の形姿を、あるいは、男の形姿を、化作するように、比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、無聞の凡夫は、まさしく、形態を、発現させつつ発現させます。まさしく、感受〔作用〕を……略……。まさしく、表象〔作用〕を……。まさしく、諸々の形成〔作用〕を……。まさしく、識知〔作用〕を、発現させつつ発現させます。比丘たちよ、それを、どう思いますか。形態は、あるいは、常住ですか、あるいは、無常ですか」と。「尊き方よ、無常です」〔と〕。「感受〔作用〕は……。「表象〔作用〕は……。「諸々の形成〔作用〕は……。「識知〔作用〕は……略……。「比丘たちよ、それゆえに、ここに……略……。比丘たちよ、このように見ながら……略……。〔もはや〕他に、この場へと〔赴くことは〕ない』と覚知します」と。〔以上が〕第八となる。

注釈【1】