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翻訳【19】

無常の表象の経

サーヴァッティーの因縁となります。「比丘たちよ、無常の表象が、修められ、多く為されたなら、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕の全てを完全に取り払い、形態にたいする貪り〔の思い〕の全てを完全に取り払い、生存にたいする貪り〔の思い〕の全てを完全に取り払い、無明の全てを完全に取り払い、『〔わたしは〕存在する』という思量我慢:自我意識)の全てを完破します。

比丘たちよ、それは、たとえば、また、秋の時分に、大鋤で耕している耕作者が、諸々の根の広がりの全てを砕破しながら耕すように、まさしく、このように、まさに、無常の表象が、修められ、多く為されたなら、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕の全てを完全に取り払い、形態にたいする貪り〔の思い〕の全てを完全に取り払い、生存にたいする貪り〔の思い〕の全てを完全に取り払い、無明の全てを完全に取り払い、『〔わたしは〕存在する』という思量の全てを完破します。

比丘たちよ、それは、たとえば、また、葦の刈り手が、葦を刈って、先端を収め取って、振り落とし、振り払い、振り捨てるように、まさしく、このように、まさに、無常の表象が、修められ、多く為されたなら、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕の全てを完全に取り払い……略……『〔わたしは〕存在する』という思量の全てを完破します。

比丘たちよ、それは、たとえば、また、アンバ〔果〕(マンゴー)の房ある茎が切断されたなら、すなわち、そこにおいて、茎と連結している諸々のアンバ〔果〕は、それらの全てが、その〔茎〕に付属するものとして有るように、まさしく、このように、まさに、無常の表象が、修められ、多く為されたなら、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕の全てを完全に取り払い……略……『〔わたしは〕存在する』という思量の全てを完破します。

比丘たちよ、それは、たとえば、また、屋頂ある家の、それらが何であれ、諸々の垂木は、それらの全てが、屋頂に至るものであり、屋頂に向かい行くものであり、屋頂に集結するものであり、屋頂が、それらのなかの至高のものと告げ知らされるように、まさしく、このように、まさに、無常の表象が、修められ、多く為されたなら、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕の全てを完全に取り払い……略……『〔わたしは〕存在する』という思量の全てを完破します。

比丘たちよ、それは、たとえば、また、それらが何であれ、根の香りであるなら、黒の栴檀が、それらのなかの至高のものと告げ知らされるように、まさしく、このように、まさに、無常の表象が……略……『〔わたしは〕存在する』という思量の全てを完破します。

比丘たちよ、それは、たとえば、また、それらが何であれ、芯の香りであるなら、赤の栴檀が、それらのなかの至高のものと告げ知らされるように、まさしく、このように、まさに、無常の表象が……略……『〔わたしは〕存在する』という思量の全てを完破します。

比丘たちよ、それは、たとえば、また、それらが何であれ、花の香りであるなら、ヴァッシカ(ジャスミン)が、それらのなかの至高のものと告げ知らされるように、まさしく、このように、まさに、無常の表象が……略……『〔わたしは〕存在する』という思量の全てを完破します。

比丘たちよ、それは、たとえば、また、彼らが誰であれ、小なる王たちは、彼らの全てが、転輪王に従い行く者たちと成り、転輪王が、彼らのなかの至高のものと告げ知らされるように、まさしく、このように、まさに、無常の表象が……略……『〔わたしは〕存在する』という思量の全てを完破します。

比丘たちよ、それは、たとえば、また、それらが何であれ、諸々の星の形態あるものの光は、それらの全てが、月の光の十六分の一にも値せず、月の光が、それらのなかの至高のものと告げ知らされるように、まさしく、このように、まさに、無常の表象が……略……『〔わたしは〕存在する』という思量の全てを完破します。

比丘たちよ、それは、たとえば、また、秋の時分の、晴朗にして黒雲が離れ去った天において、太陽が、天空高く昇りつつあると、虚空に在るものと闇に在るものの全てを打破して、そして、光り輝き、かつまた、照り輝き、さらに、遍照するように、まさしく、このように、まさに、無常の表象が、修められ、多く為されたなら、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕の全てを完全に取り払い、形態にたいする貪り〔の思い〕の全てを完全に取り払い、生存にたいする貪り〔の思い〕の全てを完全に取り払い、無明の全てを完全に取り払い、『〔わたしは〕存在する』という思量の全てを完破します。

比丘たちよ、では、どのように、無常の表象が修められ、どのように多く為されたなら、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕の全てを完全に取り払い、形態にたいする貪り〔の思い〕の全てを完全に取り払い、生存にたいする貪り〔の思い〕の全てを完全に取り払い、無明の全てを完全に取り払い、『〔わたしは〕存在する』という思量の全てを完破するのですか。『かくのごとく、形態があり、かくのごとく、形態の集起があり、かくのごとく、形態の滅至がある』『かくのごとく、感受〔作用〕があり……略……』『かくのごとく、表象〔作用〕があり……略……』『かくのごとく、諸々の形成〔作用〕があり……略……』『かくのごとく、識知〔作用〕があり、かくのごとく、識知〔作用〕の集起があり、かくのごとく、識知〔作用〕の滅至がある』と、比丘たちよ、このように、まさに、無常の表象が修められ、このように多く為されたなら、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕の全てを完全に取り払い、形態にたいする貪り〔の思い〕の全てを完全に取り払い、生存にたいする貪り〔の思い〕の全てを完全に取り払い、無明の全てを完全に取り払い、『〔わたしは〕存在する』という思量の全てを完破します」と。〔以上が〕第十となる。

花の章が第十となる。

その〔章〕のための摂頌となる。

〔そこで、詩偈に言う〕「川、そして、花、そして、泡沫、そして、牛糞、爪先、単純なるもの、そして、二つの革紐、鉈の柄、無常なることがあり、〔章となる〕」と。

中間の五十なるものは〔以上で〕完結となる。

その中間の五十なるもののための章の摂頌となる。

〔そこで、詩偈に言う〕「接近、そして、阿羅漢、喰われるべきもの、長老という呼び名を有するものがあり、花の章とともに、それによって、第二の五十〔の経〕と呼ばれる」と。

注釈【1】