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翻訳【16】

身体を有することの経

サーヴァッティーの因縁となります。「比丘たちよ、では、身体を有することを、そして、身体を有することの集起を、かつまた、身体を有することの止滅を、さらに、身体を有することの止滅に至る〔実践の〕道を、あなたたちに説示しましょう。それを聞きなさい。比丘たちよ、では、どのようなものが、身体を有することなのですか。『五つの〔心身を構成する〕執取の範疇』と説かれるべきものが存在します。どのようなものが、五つのものなのですか。それは、すなわち、この、形態という〔心身を構成する〕執取の範疇であり、感受〔作用〕という〔心身を構成する〕執取の範疇であり、表象〔作用〕という〔心身を構成する〕執取の範疇であり、諸々の形成〔作用〕という〔心身を構成する〕執取の範疇であり、識知〔作用〕という〔心身を構成する〕執取の範疇です。比丘たちよ、これは、身体を有することと説かれます。比丘たちよ、では、どのようなものが、身体を有することの集起なのですか。すなわち、この、さらなる生存あるものであり……略……欲望の渇愛であり、生存の渇愛であり、非生存の渇愛です。比丘たちよ、これは、身体を有することの集起と説かれます。比丘たちよ、では、どのようなものが、身体を有することの止滅なのですか。すなわち、まさしく、その渇愛の……略……。比丘たちよ、これは、身体を有することの止滅と説かれます。比丘たちよ、では、どのようなものが、身体を有することの止滅に至る〔実践の〕道なのですか。まさしく、この、聖なる八つの支分ある道です。それは、すなわち、この、正しい見解であり……略……正しい禅定です。比丘たちよ、これは、身体を有することの止滅に至る〔実践の〕道と説かれます」と。〔以上が〕第三となる。

注釈【2】