読み込み中

翻訳【17】

第二の欲〔の思い〕の捨棄の経

サーヴァッティーの因縁となります。「比丘たちよ、形態にたいし、それが、欲〔の思い〕としてあるなら、それが、貪欲〔の思い〕としてあるなら、それが、愉悦〔の思い〕としてあるなら、それが、渇愛〔の思い〕としてあるなら、それらが、接近と執取としてあるなら、心の確立としてあるなら、固着と悪習としてあるなら、それらを捨棄しなさい。このように、その形態は〔すでに〕捨棄され、根が断ち切られ、基盤なきターラ〔樹〕のように作り為され、状態なきものに作り為され、未来に生起なき法(性質)と成るでしょう。感受〔作用〕にたいし……略……。表象〔作用〕にたいし……。諸々の形成〔作用〕にたいし……。識知〔作用〕にたいし、それが、欲〔の思い〕としてあるなら、それが、貪欲〔の思い〕としてあるなら、それが、愉悦〔の思い〕としてあるなら、それが、渇愛〔の思い〕としてあるなら、それらが、接近と執取としてあるなら、心の確立としてあるなら、固着と悪習としてあるなら、それらを捨棄しなさい。このように、その識知〔作用〕〔すでに〕捨棄され、根が断ち切られ、基盤なきターラ〔樹〕のように作り為され、状態なきものに作り為され、未来に生起なき法(性質)と成るでしょう」と。〔以上が〕第十となる。

極の章が第十一となる。

その〔章〕のための摂頌となる。

〔そこで、詩偈に言う〕「極、そして、苦しみ、身体を有すること、遍知されるべきもの、二つの沙門たち、預流たる者、そして、阿羅漢、そして、二つの欲〔の思い〕の捨棄があり、〔章となる〕」と。

注釈【0】