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翻訳【20】

荷の経

サーヴァッティーにおいて。そこで、まさに……。「比丘たちよ、では、荷を、そして、荷を運ぶ者を、かつまた、荷を取ることを、さらに、荷を置くことを、あなたたちに説示しましょう。それを聞きなさい。比丘たちよ、では、どのようなものが、荷なのですか。『五つの〔心身を構成する〕執取の範疇五取蘊』と説かれるべきものが存在します。どのようなものが、五つのものなのですか。形態という〔心身を構成する〕執取の範疇色取蘊であり、感受〔作用〕という〔心身を構成する〕執取の範疇受取蘊であり、表象〔作用〕という〔心身を構成する〕執取の範疇想取蘊であり、諸々の形成〔作用〕という〔心身を構成する〕執取の範疇行取蘊であり、識知〔作用〕という〔心身を構成する〕執取の範疇識取蘊です。比丘たちよ、これは、荷と説かれます。

比丘たちよ、では、どのようなものが、荷を運ぶ者なのですか。『人』と説かれるべきものが存在します。すなわち、この、このような名の者としてあり、このような姓の者としてある、尊者です。比丘たちよ、これは、荷を運ぶ者と説かれます。

比丘たちよ、では、どのようなものが、荷を取ることなのですか。すなわち、この、さらなる生存あるものであり、愉悦と貪欲を共具したものであり、そこかしこに愉悦〔の思い〕ある、渇愛です。それは、すなわち、この、欲望の渇愛欲愛であり、生存の渇愛有愛であり、非生存の渇愛非有愛です。比丘たちよ、これは、荷を取ることと説かれます。

比丘たちよ、では、どのようなものが、荷を置くことなのですか。すなわち、まさしく、その渇愛の、残りなき離貪と止滅であり、施捨であり、放棄であり、解放であり、〔生存の〕基底阿頼耶:執着)なき〔状態〕です。比丘たちよ、これは、荷を置くことと説かれます。

世尊は、この〔言葉〕を言いました。善き至達者は、この〔言葉〕を言って、そこで、他にも、教師は、こう言いました。

〔そこで、詩偈に言う〕「荷は、まさに、五つの〔心身を構成する〕範疇であり、そして、荷を運ぶ者は、人である。世において、荷を取ることは、苦痛であり、荷を置くことは、安楽である。

重い荷を置いて、他の荷を取らずして、渇愛を根ごと引き抜いて、無欲の者となり、涅槃に到達した者となる」と。〔以上が〕第一となる。

注釈【2】