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翻訳【18】

ラーフラの経

サーヴァッティーの因絵となります。そこで、まさに、尊者ラーフラが、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って……略……。一方に坐った、まさに、尊者ラーフラは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、いったい、まさに、どのように知っていると、どのように見ていると、かつまた、この、識知〔作用〕を有する身体において、かつまた、外に、一切の形相において、わたしという作り為し我慢とわたしのものという作り為し我所からなる諸々の思量の悪習慢随眠は有ることなくあるのですか」と。

「ラーフラよ、それが何であれ、形態としてあるなら、過去と未来と現在の、あるいは、内なるものも、あるいは、外なるものも、あるいは、粗大なるものも、あるいは、繊細なるものも、あるいは、下劣なるものも、あるいは、精妙なるものも、あるいは、それが、遠方にあるも、現前にあるも、一切の形態を、『これは、わたしのものではない。これは、わたしとして存在しない。これは、わたしの自己ではない』と、このように、このことを、事実のとおりに、正しい智慧によって見ます。それが何であれ、感受〔作用〕としてあるなら……略……。それが何であれ、表象〔作用〕としてあるなら……。それらが何であれ、諸々の形成〔作用〕としてあるなら……。それが何であれ、識知〔作用〕としてあるなら、過去と未来と現在の、あるいは、内なるものも、あるいは、外なるものも、あるいは、粗大なるものも、あるいは、繊細なるものも、あるいは、下劣なるものも、あるいは、精妙なるものも、あるいは、それが、遠方にあるも、現前にあるも、一切の識知〔作用〕を、『これは、わたしのものではない。これは、わたしとして存在しない。これは、わたしの自己ではない』と、このように、このことを、事実のとおりに、正しい智慧によって見ます。ラーフラよ、まさに、このように知っていると、このように見ていると、かつまた、この、識知〔作用〕を有する身体において、かつまた、外に、一切の形相において、わたしという作り為しとわたしのものという作り為しからなる諸々の思量の悪習は有ることなくあります」と。〔以上が〕第九となる。

注釈【1】