「比丘たちよ、正覚より、まさしく、過去において、〔いまだ〕現正覚していない、まさしく、菩薩として存しているわたしに、この〔思い〕が有りました。『すなわち、わたしにとって、五つの欲望の属性(五妙欲:色・声・香・味・触)が、心と過去に接触したものであり、過去のものであり、止滅したものであり、変化したものであるなら、そこで、わたしの心は、あるいは、多くが、諸々の現在のものにたいし、赴きつつ赴くであろう⸺あるいは、少なくが、諸々の未来のものにたいし』と。比丘たちよ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『すなわち、わたしにとって、五つの欲望の属性が、心と過去に接触したものであり、過去のものであり、止滅したものであり、変化したものであるなら、そこで、わたしの自己の〔至当なる〕形態によって、不放逸が〔為されるべきであり〕、気づきが〔為されるべきであり〕、心の守護が為されるべきである』と。比丘たちよ、それゆえに、ここに、あなたたちにとってもまた、すなわち、それらの五つの欲望の属性が、心と過去に接触したものであり、過去のものであり、止滅したものであり、変化したものであるなら、そこで、あなたたちの心は、あるいは、多くが、諸々の現在のものにたいし、赴きつつ赴くでしょう⸺あるいは、少なくが、諸々の未来のものにたいし。比丘たちよ、それゆえに、ここに、あなたたちにとってもまた、すなわち、それらの五つの欲望の属性が、心と過去に接触したものであり、過去のものであり、止滅したものであり、変化したものであるなら、そこで、あなたたちの自己の〔至当なる〕形態によって、不放逸が〔為されるべきであり〕、気づきが〔為されるべきであり〕、心の守護が為されるべきです。比丘たちよ、それゆえに、ここに、その〔認識の〕場所が知られるべきとき、そこにおいて、そして、眼が止滅するなら、さらに、形態の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに。……略……そこにおいて、そして、舌が止滅するなら、さらに、味感の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに。……略……そこにおいて、そして、意が止滅するなら、さらに、法(意の対象)の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに」と。この〔言葉〕を言って、世尊は、坐から立ち上がって、精舎に入りました。
そこで、まさに、それらの比丘たちに、世尊が立ち去ったすぐあと、この〔思い〕が有りました。「友よ、まさに、世尊は、この誦説を、簡略〔の観点〕によって、わたしたちに誦説して、詳細〔の観点〕によって義(意味)を区分せずして、坐から立ち上がって、精舎に入ったのだ。『比丘たちよ、それゆえに、ここに、その〔認識の〕場所が知られるべきとき、そこにおいて、そして、眼が止滅するなら、さらに、形態の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに。……略……そこにおいて、そして、舌が止滅するなら、さらに、味感の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに。……略……そこにおいて、そして、意が止滅するなら、さらに、法(意の対象)の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに』と。いったい、まさに、誰が、世尊によって、簡略〔の観点〕によって誦説され、詳細〔の観点〕によって義(意味)が区分されていない、この誦説の義(意味)を、詳細〔の観点〕によって区分するべきなのか」と。
そこで、まさに、それらの比丘たちに、この〔思い〕が有りました。「この者は、まさに、尊者アーナンダは、まさしく、そして、世尊の褒め称えるところであり、さらに、梵行を共にする識者たちの敬愛するところである。そして、尊者アーナンダは、世尊によって、簡略〔の観点〕によって誦説され、詳細〔の観点〕によって義(意味)が区分されていない、この誦説の義(意味)を、詳細〔の観点〕によって区分することができる。それなら、さあ、わたしたちは、尊者アーナンダのいるところに、そこへと近づいて行くのだ。近づいて行って、尊者アーナンダに、この義(意味)を質問するのだ」と。
そこで、まさに、それらの比丘たちは、尊者アーナンダのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、尊者アーナンダを相手に共に挨拶しました。共に挨拶し記憶されるべき話を交わして、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、それらの比丘たちは、尊者アーナンダに、こう言いました。
「友よ、アーナンダよ、まさに、世尊は、この誦説を、簡略〔の観点〕によって、わたしたちに誦説して、詳細〔の観点〕によって義(意味)を区分せずして、坐から立ち上がって、精舎に入ったのです。『比丘たちよ、それゆえに、ここに、その〔認識の〕場所が知られるべきとき、そこにおいて、そして、眼が止滅するなら、さらに、形態の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに。……略……そこにおいて、そして、舌が止滅するなら、さらに、味感の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに。……略……そこにおいて、そして、意が止滅するなら、さらに、法(意の対象)の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに』と。友よ、〔まさに〕その、わたしたちに、世尊が立ち去ったすぐあと、まさに、この〔思いが〕有りました。『友よ、まさに、世尊は、この誦説を、簡略〔の観点〕によって、わたしたちに誦説して、詳細〔の観点〕によって義(意味)を区分せずして、坐から立ち上がって、精舎に入ったのだ。「比丘たちよ、それゆえに、ここに、その〔認識の〕場所が知られるべきとき、そこにおいて、そして、眼が止滅するなら、さらに、形態の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに。……略……そこにおいて、そして、舌が止滅するなら、さらに、味感の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに。……略……そこにおいて、そして、意が止滅するなら、さらに、法(意の対象)の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに」と。いったい、まさに、誰が、世尊によって、簡略〔の観点〕によって誦説され、詳細〔の観点〕によって義(意味)が区分されていない、この誦説の義(意味)を、詳細〔の観点〕によって区分するべきなのか』と。友よ、〔まさに〕その、わたしたちに、この〔思い〕が有りました。『この者は、まさに、尊者アーナンダは、まさしく、そして、世尊の褒め称えるところであり、さらに、梵行を共にする識者たちの敬愛するところである。そして、尊者アーナンダは、世尊によって、簡略〔の観点〕によって誦説され、詳細〔の観点〕によって義(意味)が区分されていない、この誦説の義(意味)を、詳細〔の観点〕によって区分することができる。それなら、さあ、わたしたちは、尊者アーナンダのいるところに、そこへと近づいて行くのだ。近づいて行って、尊者アーナンダに、この義(意味)を質問するのだ』と。尊者アーナンダは、区分したまえ」と。
「友よ、それは、たとえば、また、硬材を義(目的)として硬材を探し求める人が、硬材を遍く探し求めるために歩みながら、〔そこに〕立っている硬材ある大木の……略……。尊者アーナンダは、区分したまえ⸺重からざるものと為して」と。
「友よ、まさに、それでは、聞きなさい。善くしっかりと、意を為しなさい。〔では〕語ります」と。「友よ、わかりました」と、それらの比丘たちは、尊者アーナンダに答えました。そこで、尊者アーナンダは、こう言いました。
「友よ、すなわち、まさに、世尊は、誦説を、簡略〔の観点〕によって、あなたたちに誦説して、詳細〔の観点〕によって義(意味)を区分せずして、坐から立ち上がって、精舎に入ったのです。『比丘たちよ、それゆえに、ここに、その〔認識の〕場所が知られるべきとき、そこにおいて、そして、眼が止滅するなら、さらに、形態の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに。……略……そこにおいて、そして、意が止滅するなら、さらに、法(意の対象)の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに』と。友よ、まさに、わたしは、世尊によって、簡略〔の観点〕によって誦説され、詳細〔の観点〕によって義(意味)が区分されていない、この誦説の義(意味)を、詳細〔の観点〕によって、義(意味)を了知します。友よ、六つの〔認識の〕場所の止滅に関して、まさに、この〔言葉〕が、世尊によって語られました。『比丘たちよ、それゆえに、ここに、その〔認識の〕場所が知られるべきとき、そこにおいて、そして、眼が止滅するなら、さらに、形態の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに。……略……そこにおいて、そして、意が止滅するなら、さらに、法(意の対象)の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに』と。友よ、まさに、世尊は、この誦説を、簡略〔の観点〕によって、あなたたちに誦説して、詳細〔の観点〕によって義(意味)を区分せずして、坐から立ち上がって、精舎に入ったのです。『比丘たちよ、それゆえに、ここに、その〔認識の〕場所が知られるべきとき、そこにおいて、そして、眼が止滅するなら、さらに、形態の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに。……略……そこにおいて、そして、意が止滅するなら、さらに、法(意の対象)の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに』と。友よ、まさに、わたしは、世尊によって、簡略〔の観点〕によって誦説され、詳細〔の観点〕によって義(意味)が区分されていない、この誦説の義(意味)を、詳細〔の観点〕によって、このように、義(意味)を了知します。尊者たちよ、また、そして、望んでいるなら、あなたたちは、近づいて行って、まさしく、世尊に、この義(意味)を質問するべきです。すなわち、世尊が、あなたたちに説き明かすとおり、そのとおりに、それを保持するべきです」と。
「友よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、尊者アーナンダに答えて、坐から立ち上がって、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、それらの比丘たちは、世尊に、こう言いました。
「尊き方よ、すなわち、まさに、世尊は、誦説を、簡略〔の観点〕によって、わたしたちに誦説して、詳細〔の観点〕によって義(意味)を区分せずして、坐から立ち上がって、精舎に入ったのです。『比丘たちよ、それゆえに、ここに、その〔認識の〕場所が知られるべきとき、そこにおいて、そして、眼が止滅するなら、さらに、形態の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに。……略……そこにおいて、そして、舌が止滅するなら、さらに、味感の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに。……略……そこにおいて、そして、意が止滅するなら、さらに、法(意の対象)の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに』と。尊き方よ、〔まさに〕その、わたしたちに、世尊が立ち去ったすぐあと、まさに、この〔思いが〕有りました。『友よ、まさに、世尊は、この誦説を、簡略〔の観点〕によって、わたしたちに誦説して、詳細〔の観点〕によって義(意味)を区分せずして、坐から立ち上がって、精舎に入ったのだ。「比丘たちよ、それゆえに、ここに、その〔認識の〕場所が知られるべきとき、そこにおいて、そして、眼が止滅するなら、さらに、形態の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに。……略……そこにおいて、そして、意が止滅するなら、さらに、法(意の対象)の表象も止滅します⸺その〔認識の〕場所が知られるべきときに」と。いったい、まさに、誰が、世尊によって、簡略〔の観点〕によって誦説され、詳細〔の観点〕によって義(意味)が区分されていない、この誦説の義(意味)を、詳細〔の観点〕によって区分するべきなのか』と。尊き方よ、〔まさに〕その、わたしたちに、まさに、この〔思い〕が有りました。『この者は、まさに、尊者アーナンダは、まさしく、そして、世尊の褒め称えるところであり、さらに、梵行を共にする識者たちの敬愛するところである。そして、尊者アーナンダは、世尊によって、簡略〔の観点〕によって誦説され、詳細〔の観点〕によって義(意味)が区分されていない、この誦説の義(意味)を、詳細〔の観点〕によって区分することができる。それなら、さあ、わたしたちは、尊者アーナンダのいるところに、そこへと近づいて行くのだ。近づいて行って、尊者アーナンダに、この義(意味)を質問するのだ』と。尊き方よ、そこで、まさに、わたしたちは、尊者アーナンダのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、尊者アーナンダに、この義(意味)を質問しました。尊き方よ、〔まさに〕その、わたしたちのために、義(意味)は、尊者アーナンダによって、これらの行相によって、これらの句によって、これらの文によって、〔見事に〕区分されました」と。
「比丘たちよ、アーナンダは、賢者です。比丘たちよ、アーナンダは、大いなる智慧ある者です。比丘たちよ、もし、また、あなたたちが、わたしに、この義(意味)を質問するなら、わたしもまた、それを、まさしく、このように説き明かすでしょう。すなわち、アーナンダによって説き明かされた、そのとおりに。まさしく、そして、これが、この〔言葉〕の義(意味)であり、さらに、このように、それを保持しなさい」と。〔以上が〕第四となる。
注釈【1】
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