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翻訳【17】

第一の六つの接触ある〔認識の〕場所の経

「比丘たちよ、まさに、彼が誰であれ、比丘が、六つの接触ある〔認識の〕場所六触処:眼触処・耳触処・鼻触処・舌触処・身触処・意触処)の、そして、集起を、さらに、滅至を、そして、悦楽を、かつまた、危険を、さらに、出離を、事実のとおりに覚知しないなら、彼によって、梵行は完成されず、彼は、この法(教え)と律から遠く離れています」と。

このように説かれたとき、或るひとりの比丘が、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、ここにおいて、わたしは消え行きました。まさに、わたしは、六つの接触ある〔認識の〕場所の、そして、集起を、さらに、滅至を、そして、悦楽を、かつまた、危険を、さらに、出離を、事実のとおりに覚知しません」と。

「比丘よ、それを、どう思いますか。眼を、『これは、わたしのものである。これは、わたしとして存在する。これは、わたしの自己である』と等しく随観しますか」と。

「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕

「比丘よ、善きかな。比丘よ、そして、ここにおいて、あなたにとって、眼は、『これは、わたしのものではない。これは、わたしとして存在しない。これは、わたしの自己ではない』と、このように、このことは、事実のとおりに、正しい智慧によって善く見られたものと成るでしょう。まさしく、これは、苦しみの終極です。……略……。舌を、『これは、わたしのものである。これは、わたしとして存在する。これは、わたしの自己である』と等しく随観しますか」と。

「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕

「比丘よ、善きかな。比丘よ、そして、ここにおいて、あなたにとって、舌は、『これは、わたしのものではない。これは、わたしとして存在しない。これは、わたしの自己ではない』と、このように、このことは、事実のとおりに、正しい智慧によって善く見られたものと成るでしょう。まさしく、これは、苦しみの終極です。……略……。意を、『これは、わたしのものである。これは、わたしとして存在する。これは、わたしの自己である』と等しく随観しますか」と。

「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕

「比丘よ、善きかな。比丘よ、そして、ここにおいて、あなたにとって、意は、『これは、わたしのものではない。これは、わたしとして存在しない。これは、わたしの自己ではない』と、このように、このことは、事実のとおりに、正しい智慧によって善く見られたものと成るでしょう。まさしく、これは、苦しみの終極です」と。〔以上が〕第九となる。

注釈【1】