翻訳【18】
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- Bhikkhu Bodhi (2000)
- Bhikkhu Sujato
繁體字
- 莊春江
日本語
- 関西パーリ語実習会 (2023)
Deutsch
- Dr. Hellmuth Hecker (1993)
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বাংলা
- জ্ঞানেন্দ্রিয় ভিক্ষু (2018)
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- Thích Minh Châu
Bahasa Indonesia
- Indra Anggara
සිංහල
- A.P. de Zoysa
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- Pitaka Myanmar Translation
ภาษาไทย
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पाळिभासा (Pāli)
- Mahāsaṅgīti Tipiṭaka
参照
- Sutta Central
第一の病者の経
サーヴァッティーの因縁となります。そこで、まさに、或るひとりの比丘が、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。……略……。一方に坐った、まさに、その比丘は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、何某の精舎において、新参で未詳の或るひとりの比丘が、病苦の者であり、苦しみの者であり、激しい病の者です。尊き方よ、どうか、世尊は、その比丘のいるところに、そこへと近づいて行きたまえ⸺慈しみ〔の思い〕を抱いて」と。
そこで、まさに、世尊は、そして、新参の者についての話を聞いて、さらに、病者についての話を〔聞いて〕、「未詳の比丘が〔云々〕」と、かくのごとく見出して、その比丘のいるところに、そこへと近づいて行きました。まさに、その比丘は、世尊が、はるか遠くから、やってくるのを見ました。見て、臥床のなかで〔身体を〕動かしました。そこで、まさに、世尊は、その比丘に、こう言いました。「比丘よ、十分です。あなたは、臥床のなかで〔身体を〕動かしてはいけません。〔他の者たちによって〕設けられた、これらの坐が存します。そこにおいて、わたしは坐りましょう」と。世尊は、設けられた坐に坐りました。坐って、まさに、世尊は、その比丘に、こう言いました。「比丘よ、どうでしょう、あなたは、息災ですか。どうでしょう、順調ですか。どうでしょう、諸々の苦痛の感受は、回復しますか、進行しませんか。それらの回復は、覚知されますか⸺進行ではなく」と。
「尊き方よ、わたしは、息災ではなく、順調ではありません。わたしの、諸々の激しい苦痛の感受は、進行し、回復しません。それらの進行が覚知されます⸺回復ではなく」と。
「比丘よ、どうでしょう、あなたに、何らかの悔恨〔の思い〕はないですか、何らかの後悔〔の思い〕はないですか」と。
「尊き方よ、たしかに、わたしには、少なからざる悔恨〔の思い〕があり、少なからざる後悔〔の思い〕があります」と。
「比丘よ、また、どうでしょう、あなたのことを、自己が、戒〔の観点〕から批判しないですか」と。
「尊き方よ、まさに、わたしのことを、自己が、戒〔の観点〕から批判することはありません」と。
「比丘よ、もし、まさに、あなたのことを、自己が、戒〔の観点〕から批判しないなら、そこで、あなたには、そして、どのような悔恨〔の思い〕があり、さらに、どのような後悔〔の思い〕があるのですか」と。
「尊き方よ、まさに、わたしは、世尊によって説示された法(教え)を、戒の清浄を義(目的)とするものとして了知しません」と。
「比丘よ、もし、まさに、あなたが、わたしによって説示された法(教え)を、戒の清浄を義(目的)とするものとして了知しないなら、比丘よ、そこで、そうしますと、あなたは、わたしによって説示された法(教え)を、何を義(目的)とするものとして了知するのですか」と。
「尊き方よ、まさに、わたしは、世尊によって説示された法(教え)を、貪欲の離貪を義(目的)とするものとして了知します」と。
「比丘よ、善きかな、善きかな。比丘よ、善きかな、まさに、あなたは、わたしによって説示された法(教え)を、貪欲の離貪を義(目的)とするものとして了知します。比丘よ、まさに、わたしによって説示された法(教え)は、貪欲の離貪を義(目的)とするものです。比丘よ、それを、どう思いますか。眼は、あるいは、常住ですか、あるいは、無常ですか」と。
「尊き方よ、無常です」〔と〕。
「また、それが……略……。耳は……。鼻は……。舌は……。身は……。意は、あるいは、常住ですか、あるいは、無常ですか」と。
「尊き方よ、無常です」〔と〕。
「また、それが、無常であるなら、それは、あるいは、苦痛ですか、あるいは、安楽ですか」と。
「尊き方よ、苦痛です」〔と〕。
「また、それが、無常であり、苦痛であり、変化の法(性質)であるなら、いったい、それは、『これは、わたしのものである。これは、わたしとして存在する。これは、わたしの自己である』と等しく随観するに健全なるものがありますか」と。
「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。
「比丘よ、このように見ながら、有聞の聖なる弟子は、眼にたいしてもまた厭離し、耳にたいしてもまた厭離し……略……意にたいしてもまた厭離します。厭離している者は、離貪します。離貪あることから、解脱します。解脱したとき、『解脱したのだ』と、知恵が有ります。『生は滅尽し、梵行は完成された。為すべきことは為された。〔もはや〕他に、この場へと〔赴くことは〕ない』と覚知します」と。
世尊は、この〔言葉〕を言いました。わが意を得たその比丘は、世尊の語ったことを大いに喜びました。また、そして、この説き明かしが話されているとき、その比丘に、〔世俗の〕塵を離れ、〔世俗の〕垢を離れた、法(真理)の眼が生起しました。「それが何であれ、集起の法(性質)であるなら、その全てが、止滅の法(性質)である」と。〔以上が〕第一となる。
翻訳【18】
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第一の病者の経
注釈【1】
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