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翻訳【17】

第一の無明の捨棄の経

そこで、まさに、或るひとりの比丘が、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。……略……。一方に坐った、まさに、その比丘は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、いったい、まさに、一つの法(性質)が存在しますか。それの捨棄あることから、比丘の、無明は捨棄され、明知が生起します」と。

「比丘よ、まさに、一つの法(性質)が存在します。それの捨棄あることから、比丘の、無明は捨棄され、明知が生起します」と。

「尊き方よ、また、どのようなものが、一つの法(性質)なのですか。それの捨棄あることから、比丘の、無明は捨棄され、明知が生起します」と。

「比丘よ、まさに、無明が、一つの法(性質)です。それの捨棄あることから、比丘の、無明は捨棄され、明知が生起します」と。

「尊き方よ、また、どのように知っていると、どのように見ていると、比丘の、無明は捨棄され、明知が生起するのですか」と。

「比丘よ、まさに、眼を、無常〔の観点〕から、知っていると、見ていると、比丘の、無明は捨棄され、明知が生起します。諸々の形態を……。眼の識知〔作用〕を……。眼の接触を……。すなわち、また、この、眼の接触という縁あることから生起する、感受されたものであるなら、あるいは、安楽も、あるいは、苦痛も、あるいは、苦でもなく楽でもないものも、それをもまた、無常〔の観点〕から、知っていると、見ていると、比丘の、無明は捨棄され、明知が生起します。……略……。意を、無常〔の観点〕から、知っていると、見ていると、比丘の、無明は捨棄され、明知が生起します。諸々の法(意の対象)を……。意の識知〔作用〕を……。意の接触を……。すなわち、また、この、意の接触という縁あることから生起する、感受されたものであるなら、あるいは、安楽も、あるいは、苦痛も、あるいは、苦でもなく楽でもないものも、それをもまた、無常〔の観点〕から、知っていると、見ていると、比丘の、無明は捨棄され、明知が生起します。比丘よ、まさに、このように知っていると、このように見ていると、比丘の、無明は捨棄され、明知が生起します」と。〔以上が〕第六となる。

注釈【1】