翻訳【20】
English
- Bhikkhu Bodhi (2000)
- Bhikkhu Sujato
繁體字
- 莊春江
日本語
- 関西パーリ語実習会 (2023)
Deutsch
- Dr. Hellmuth Hecker (1993)
- Sabbamitta (2019)
Italiano
- Enzo Alfano
Español
- Isidatta (2008)
Português
- Michael Beisert (2004)
Русский
- SV theravada.ru (2012)
Norsk
- Kåre A. Lie (2018)
Magyar
- Fenyvesi Róbert (2009)
Slovenščina
- Ajahn Hiriko
বাংলা
- জ্ঞানেন্দ্রিয় ভিক্ষু (2018)
Việt Ngữ
- Thích Minh Châu
Bahasa Indonesia
- Indra Anggara
සිංහල
- A.P. de Zoysa
ပြန်သွားရန်
- Pitaka Myanmar Translation
ภาษาไทย
- Siam Rath
पाळिभासा (Pāli)
- Mahāsaṅgīti Tipiṭaka
参照
- Sutta Central
空である世の経
そこで、まさに、尊者アーナンダが……略……世尊に、こう言いました。「尊き方よ、『空である世』『空である世』と説かれます。尊き方よ、いったい、まさに、どのようなことから、『空である世』と説かれるのですか」と。「アーナンダよ、そして、すなわち、まさに、空であることから⸺あるいは、自己〔の観点〕によって、あるいは、自己に属するもの〔の観点〕によって⸺それゆえに、『空である世』と説かれます。アーナンダよ、では、何が、空なのですか⸺あるいは、自己〔の観点〕によって、あるいは、自己に属するもの〔の観点〕によって。アーナンダよ、まさに、眼は、空です⸺あるいは、自己〔の観点〕によって、あるいは、自己に属するもの〔の観点〕によって。諸々の形態は、空です⸺あるいは、自己〔の観点〕によって、あるいは、自己に属するもの〔の観点〕によって。眼の識知〔作用〕は、空です⸺あるいは、自己〔の観点〕によって、あるいは、自己に属するもの〔の観点〕によって。眼の接触は、空です⸺あるいは、自己〔の観点〕によって、あるいは、自己に属するもの〔の観点〕によって。……略……。すなわち、また、この、意の接触という縁あることから生起する、感受されたものであるなら、あるいは、安楽も、あるいは、苦痛も、あるいは、苦でもなく楽でもないものも、それもまた、空です⸺あるいは、自己〔の観点〕によって、あるいは、自己に属するもの〔の観点〕によって。アーナンダよ、そして、すなわち、まさに、空であることから⸺あるいは、自己〔の観点〕によって、あるいは、自己に属するもの〔の観点〕によって⸺それゆえに、『空である世』と説かれます」と。〔以上が〕第二となる。
翻訳【20】
English
- Bhikkhu Bodhi (2000)
- Bhikkhu Sujato
繁體字
- 莊春江
日本語
- 関西パーリ語実習会 (2023)
Deutsch
- Dr. Hellmuth Hecker (1993)
- Sabbamitta (2019)
Italiano
- Enzo Alfano
Español
- Isidatta (2008)
Português
- Michael Beisert (2004)
Русский
- SV theravada.ru (2012)
Norsk
- Kåre A. Lie (2018)
Magyar
- Fenyvesi Róbert (2009)
Slovenščina
- Ajahn Hiriko
বাংলা
- জ্ঞানেন্দ্রিয় ভিক্ষু (2018)
Việt Ngữ
- Thích Minh Châu
Bahasa Indonesia
- Indra Anggara
සිංහල
- A.P. de Zoysa
ပြန်သွားရန်
- Pitaka Myanmar Translation
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पाळिभासा (Pāli)
- Mahāsaṅgīti Tipiṭaka
参照
- Sutta Central
空である世の経
注釈【1】
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