そこで、まさに、尊者プンナが、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って……略……。一方に坐った、まさに、尊者プンナは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、世尊は、どうか、わたしに、簡略〔の観点〕によって、法(教え)を説示してください。すなわち、わたしが、世尊の法(教え)を聞いて、独り、〔静所に〕隠棲し、〔気づきを〕怠らず、熱情ある者となり、自己を精励する者として〔世に〕住むべく」と。
「プンナよ、まさに、眼によって識知されるべき諸々の形態で、好ましく愛らしく意に適い、愛しい形態にして欲望を伴った貪るべきものが存在します。もし、比丘が、それに、愉悦し、迎合し、固執して止住するなら、それに、愉悦し、迎合し、固執して止住している、彼には、愉悦が生起します。プンナよ、『愉悦の集起あることから、苦しみの集起がある』と、〔わたしは〕説きます。……略……。プンナよ、まさに、舌によって識知されるべき諸々の味感で、好ましく愛らしく意に適い、愛しい形態にして欲望を伴った貪るべきものが存在します。……略……。プンナよ、まさに、意によって識知されるべき諸々の法(意の対象)で、好ましく愛らしく意に適い、愛しい形態にして欲望を伴った貪るべきものが存在します。もし、比丘が、それに、愉悦し、迎合し、固執して止住するなら、それに、愉悦し、迎合し、固執して止住している、彼には、愉悦が生起します。プンナよ、『愉悦の集起あることから、苦しみの集起がある』と、〔わたしは〕説きます。
プンナよ、まさに、眼によって識知されるべき諸々の形態で、好ましく愛らしく意に適い、愛しい形態にして欲望を伴った貪るべきものが存在します。もし、比丘が、それに、愉悦せず、迎合せず、固執して止住しないなら、それに、愉悦せず、迎合せず、固執して止住していない、彼には、愉悦が止滅します。プンナよ、『愉悦の止滅あることから、苦しみの止滅がある』と、〔わたしは〕説きます。……略……。プンナよ、まさに、意によって識知されるべき諸々の法(意の対象)で、好ましく愛らしく意に適い、愛しい形態にして欲望を伴った貪るべきものが存在します。もし、比丘が、それに、愉悦せず、迎合せず、固執して止住しないなら、それに、愉悦せず、迎合せず、固執して止住していない、彼には、愉悦が止滅します。プンナよ、『愉悦の止滅あることから、苦しみの止滅がある』と、〔わたしは〕説きます。
プンナよ、あなたは、わたしによって、この簡略の教諭によって教え諭され、どのような地方に住むのですか」と。「尊き方よ、スナーパランタという名の地方が存在します。そこにおいて、わたしは住むでしょう」と。
「プンナよ、まさに、スナーパランタの人間たちは、狂暴です。プンナよ、まさに、スナーパランタの人間たちは、粗暴です。プンナよ、それで、もし、スナーパランタの人間たちが、あなたを罵倒し口撃するなら、プンナよ、そこで、あなたに、どのような〔思いが〕有りますか」と。
「尊き方よ、それで、もし、スナーパランタの人間たちが、わたしを罵倒し口撃するなら、そこで、わたしに、このような〔思いが〕有るでしょう。『まさに、これらのスナーパランタの人間たちは、幸いなる者たちである。まさに、これらのスナーパランタの人間たちは、極めて幸いなる者たちである。すなわち、これらの者たちは、わたしに、手で打撃を与えない』と。世尊よ、ここにおいて、このような〔思いが〕有るでしょう。善き至達者たる方よ、ここにおいて、このような〔思いが〕有るでしょう」と。
「プンナよ、また、それで、もし、スナーパランタの人間たちが、あなたに、手で打撃を与えるなら、プンナよ、また、そこで、あなたに、どのような〔思いが〕有りますか」と。
「尊き方よ、それで、もし、スナーパランタの人間たちが、わたしに、手で打撃を与えるなら、そこで、わたしに、このような〔思いが〕有るでしょう。『まさに、これらのスナーパランタの人間たちは、幸いなる者たちである。まさに、これらのスナーパランタの人間たちは、極めて幸いなる者たちである。すなわち、これらの者たちは、わたしに、石で打撃を与えない』と。世尊よ、ここにおいて、このような〔思いが〕有るでしょう。善き至達者たる方よ、ここにおいて、このような〔思いが〕有るでしょう」と。
「プンナよ、また、それで、もし、スナーパランタの人間たちが、あなたに、石で打撃を与えるなら、プンナよ、また、そこで、あなたに、どのような〔思いが〕有りますか」と。
「尊き方よ、それで、もし、スナーパランタの人間たちが、わたしに、石で打撃を与えるなら、そこで、わたしに、このような〔思いが〕有るでしょう。『まさに、これらのスナーパランタの人間たちは、幸いなる者たちである。まさに、これらのスナーパランタの人間たちは、極めて幸いなる者たちである。すなわち、これらの者たちは、わたしに、棒で打撃を与えない』と。世尊よ、ここにおいて、このような〔思いが〕有るでしょう。善き至達者たる方よ、ここにおいて、このような〔思いが〕有るでしょう」と。
「プンナよ、また、それで、もし、スナーパランタの人間たちが、あなたに、棒で打撃を与えるなら、プンナよ、また、そこで、あなたに、どのような〔思いが〕有りますか」と。
「尊き方よ、それで、もし、スナーパランタの人間たちが、わたしに、棒で打撃を与えるなら、そこで、わたしに、このような〔思いが〕有るでしょう。『まさに、これらのスナーパランタの人間たちは、幸いなる者たちである。まさに、これらのスナーパランタの人間たちは、極めて幸いなる者たちである。すなわち、これらの者たちは、わたしに、刃で打撃を与えない』と。世尊よ、ここにおいて、このような〔思いが〕有るでしょう。善き至達者たる方よ、ここにおいて、このような〔思いが〕有るでしょう」と。
「プンナよ、また、それで、もし、スナーパランタの人間たちが、あなたに、刃で打撃を与えるなら、プンナよ、また、そこで、あなたに、どのような〔思いが〕有りますか」と。
「尊き方よ、それで、もし、スナーパランタの人間たちが、わたしに、刃で打撃を与えるなら、そこで、わたしに、このような〔思いが〕有るでしょう。『まさに、これらのスナーパランタの人間たちは、幸いなる者たちである。まさに、これらのスナーパランタの人間たちは、極めて幸いなる者たちである。すなわち、これらの者たちは、わたしの生命を、鋭い刃で奪わない』と。世尊よ、ここにおいて、このような〔思いが〕有るでしょう。善き至達者たる方よ、ここにおいて、このような〔思いが〕有るでしょう」と。
「プンナよ、また、それで、もし、スナーパランタの人間たちが、あなたの生命を、鋭い刃で奪うなら、プンナよ、また、そこで、あなたに、どのような〔思いが〕有りますか」と。
「尊き方よ、それで、もし、スナーパランタの人間たちが、わたしの生命を、鋭い刃で奪うなら、そこで、わたしに、このような〔思いが〕有るでしょう。『まさに、彼の、世尊の弟子たちが存在する。かつまた、身体〔の観点〕によって、かつまた、生命〔の観点〕によって、苦悩し、自責し、忌避しながら、〔彼らは〕刃を持つ者(殺害者)を遍く探し求める。それが、〔まさに〕この、刃を持つ者が、まさしく、遍く探し求めることなく、わたしの得るところとなった』と。世尊よ、ここにおいて、このような〔思いが〕有るでしょう。善き至達者たる方よ、ここにおいて、このような〔思いが〕有るでしょう」と。
「プンナよ、善きかな、善きかな。プンナよ、まさに、あなたは、この調御と寂止を具備した者として、スナーパランタ地方において住することができるでしょう。プンナよ、今が、そのための時と、あなたが思うのなら〔思いのままに〕」と。
そこで、まさに、尊者プンナは、世尊の言葉を大いに喜んで、随喜して、坐から立ち上がって、世尊を敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、臥坐具をたたんで、鉢と衣料を取って、スナーパランタ地方のあるところに、そこへと遊行〔の旅〕に出ました。順次に遊行〔の旅〕を歩みながら、スナーパランタ地方のあるところに、そこへと至り着きました。そこで、まさに、尊者プンナは、スナーパランタ地方に住んでいます。そこで、まさに、尊者プンナは、まさしく、その雨期の間に、五百ばかりの者たちを、在俗信者(優婆塞)たちとして知らしめ、まさしく、その雨期の間に、五百ばかりの者たちを、女性在俗信者(優婆夷)たちとして知らしめ、まさしく、その雨期の間に、三つの明知を実証し、まさしく、その雨期の間に、完全なる涅槃に到達しました。
そこで、まさに、大勢の比丘たちが、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。……略……。一方に坐った、まさに、それらの比丘は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、すなわち、彼が、世尊によって、簡略の教諭によって教え諭された、プンナという名の良家の子息が⸺彼が、命を終えたのです。彼には、どのような〔死後の〕境遇がありますか、どのような未来の運命がありますか」と。
「比丘たちよ、良家の子息であるプンナは、賢者です。法(教え)を法(教え)のままに実践しました。かつまた、法(教え)を事因に、わたしを悩ますことがありませんでした。比丘たちよ、良家の子息であるプンナは、完全なる涅槃に到達したのです」と。〔以上が〕第五となる。
注釈【1】
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