読み込み中

翻訳【17】

バーヒヤの経

そこで、まさに、尊者バーヒヤが、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。……略……。一方に坐った、まさに、尊者バーヒヤは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、世尊は、どうか、わたしに、簡略〔の観点〕によって、法(教え)を説示してください。すなわち、わたしが、世尊の法(教え)を聞いて、独り、〔静所に〕隠棲し、〔気づきを〕怠らず、熱情ある者となり、自己を精励する者として〔世に〕住むべく」と。

「バーヒヤよ、それを、どう思いますか。眼は、あるいは、常住ですか、あるいは、無常ですか」と。

「尊き方よ、無常です」〔と〕

「また、それが、無常であるなら、それは、あるいは、苦痛ですか、あるいは、安楽ですか」と。

「尊き方よ、苦痛です」〔と〕

「また、それが、無常であり、苦痛であり、変化の法(性質)であるなら、いったい、それは、『これは、わたしのものである。これは、わたしとして存在する。これは、わたしの自己である』と等しく随観するに健全なるものがありますか」と。

「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕

「諸々の形態は、あるいは、常住ですか、あるいは、無常ですか」と。

「尊き方よ、無常です」〔と〕。……略……。「眼の識知〔作用〕は……略……。「眼の接触は……略……。「すなわち、また、この、意の接触という縁あることから生起する、感受されたものであるなら、あるいは、安楽も、あるいは、苦痛も、あるいは、苦でもなく楽でもないものも、それもまた、あるいは、常住ですか、あるいは、無常ですか」と。

「尊き方よ、無常です」〔と〕

「また、それが、無常であるなら、それは、あるいは、苦痛ですか、あるいは、安楽ですか」と。

「尊き方よ、苦痛です」〔と〕

「また、それが、無常であり、苦痛であり、変化の法(性質)であるなら、いったい、それは、『これは、わたしのものである。これは、わたしとして存在する。これは、わたしの自己である』と等しく随観するに健全なるものがありますか」と。

「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕

「バーヒヤよ、このように見ながら、有聞の聖なる弟子は、眼にたいしてもまた厭離し、諸々の形態にたいしてもまた厭離し、眼の識知〔作用〕にたいしてもまた厭離し、眼の接触にたいしてもまた厭離し……略……すなわち、また、この、意の接触という縁あることから生起する、感受されたものであるなら、あるいは、安楽も、あるいは、苦痛も、あるいは、苦でもなく楽でもないものも、それにたいしてもまた厭離します。厭離している者は、離貪します。離貪あることから、解脱します。解脱したとき、『解脱したのだ』と、知恵が有ります。『生は滅尽し、梵行は完成された。為すべきことは為された。〔もはや〕他に、この場へと〔赴くことは〕ない』と覚知します」と。

そこで、まさに、尊者バーヒヤは、世尊の言葉を大いに喜んで、随喜して、坐から立ち上がって、世尊を敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、立ち去りました。そこで、まさに、尊者バーヒヤは、独り、〔静所に〕隠棲し、〔気づきを〕怠らず、熱情ある者となり、自己を精励する者として〔世に〕住んでいると、まさしく、長からずして⸺その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住みました。「生は滅尽し、梵行は完成された。為すべきことは為された。〔もはや〕他に、この場へと〔赴くことは〕ない」と証知しました。また、そして、尊者バーヒヤは、阿羅漢たちのなかの或るひとりと成った、ということです。〔以上が〕第六となる。

注釈【1】