「比丘たちよ、二つのものを縁として、識知〔作用〕が発生します。比丘たちよ、では、どのように、二つのものを縁として、識知〔作用〕が発生するのですか。かつまた、眼を縁として、かつまた、諸々の形態を〔縁として〕、眼の識知〔作用〕が生起します。眼は、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。諸々の形態は、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。ここにおいて、この二つのものは、まさしく、そして、揺れ動くものであり、さらに、動揺しているものであり、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。眼の識知〔作用〕は、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。眼の識知〔作用〕の生起のための、すなわち、また、因は、すなわち、また、縁は⸺その因もまた、その縁もまた、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。比丘たちよ、また、まさに、無常である縁を縁として生起した眼の識知〔作用〕が、どうして、常住として有るというのでしょう。比丘たちよ、すなわち、まさに、これらの三つの法(性質)の、接合と集合と会合は、これは、眼の接触と説かれます。眼の接触もまた、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。眼の接触の生起のための、すなわち、また、因は、すなわち、また、縁は⸺その因もまた、その縁もまた、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。比丘たちよ、また、まさに、無常である縁を縁として生起した眼の接触が、どうして、常住として有るというのでしょう。比丘たちよ、接触された者は、感受します。接触された者は、思弁します。接触された者は、表象します。ここにおいて、これらの法(性質)もまた、まさしく、そして、揺れ動くものであり、さらに、動揺しているものであり、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。かつまた、耳を……略……。
かつまた、舌を縁として、かつまた、諸々の味感を〔縁として〕、舌の識知〔作用〕が生起します。舌は、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。諸々の味感は、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。ここにおいて、この二つのものは、まさしく、そして、揺れ動くものであり、さらに、動揺しているものであり、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。舌の識知〔作用〕は、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。舌の識知〔作用〕の生起のための、すなわち、また、因は、すなわち、また、縁は⸺その因もまた、その縁もまた、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。比丘たちよ、また、まさに、無常である縁を縁として生起した舌の識知〔作用〕が、どうして、常住として有るというのでしょう。比丘たちよ、すなわち、まさに、これらの三つの法(性質)の、接合と集合と会合は、これは、舌の接触と説かれます。舌の接触もまた、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。舌の接触の生起のための、すなわち、また、因は、すなわち、また、縁は⸺その因もまた、その縁もまた、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。比丘たちよ、また、まさに、無常である縁を縁として生起した舌の接触が、どうして、常住として有るというのでしょう。比丘たちよ、接触された者は、感受します。接触された者は、思弁します。接触された者は、表象します。ここにおいて、これらの法(性質)もまた、まさしく、そして、揺れ動くものであり、さらに、動揺しているものであり、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。かつまた、身を……略……。
かつまた、意を縁として、かつまた、諸々の法(意の対象)を〔縁として〕、意の識知〔作用〕が生起します。意は、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。諸々の法(意の対象)は、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。ここにおいて、この二つのものは、まさしく、そして、揺れ動くものであり、さらに、動揺しているものであり、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。意の識知〔作用〕は、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。意の識知〔作用〕の生起のための、すなわち、また、因は、すなわち、また、縁は⸺その因もまた、その縁もまた、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。比丘たちよ、また、まさに、無常である縁を縁として生起した意の識知〔作用〕が、どうして、常住として有るというのでしょう。比丘たちよ、すなわち、まさに、これらの三つの法(性質)の、接合と集合と会合は、これは、意の接触と説かれます。意の接触もまた、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。意の接触の生起のための、すなわち、また、因は、すなわち、また、縁は⸺その因もまた、その縁もまた、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。比丘たちよ、また、まさに、無常である縁を縁として生起した意の接触が、どうして、常住として有るというのでしょう。比丘たちよ、接触された者は、感受します。接触された者は、思弁します。接触された者は、表象します。ここにおいて、これらの法(性質)もまた、まさしく、そして、揺れ動くものであり、さらに、動揺しているものであり、無常であり、変化あるものであり、他なる状態あるものです。比丘たちよ、このように、まさに、二つのものを縁として、識知〔作用〕が発生します」と。〔以上が〕第十となる。
チャンナの章が第九となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「崩壊と空、簡略、チャンナ、そして、プンナ、バーヒヤ、そして、〔心の〕動揺によって、二つのものが説かれ、二つのものによって、他に、二つのものが〔説かれ、章となる〕」と。
注釈【1】
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