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翻訳【16】

比丘たちの経

「比丘たちよ、二つの感受もまた、わたしによって説かれました⸺教相〔の観点〕によって。三つの感受もまた、わたしによって説かれました⸺教相〔の観点〕によって。五つの感受もまた、わたしによって説かれました⸺教相〔の観点〕によって。六つの感受もまた、わたしによって説かれました⸺教相〔の観点〕によって。十八の感受もまた、わたしによって説かれました⸺教相〔の観点〕によって。三十六の感受もまた、わたしによって説かれました⸺教相〔の観点〕によって。百八の感受もまた、わたしによって説かれました⸺教相〔の観点〕によって。比丘たちよ、このように、まさに、わたしによって、法(教え)が、教相〔の観点〕によって説示されました。比丘たちよ、このように、まさに、わたしによって、法(教え)が、教相〔の観点〕によって説示されたとき、彼らが、互いに他の善く語られ善く談じられたものを、等しく許認せず、等しく承認せず、等しく随喜しないなら、彼らには、このことが待っています。言争を生じ、紛争を生じ、論争を起こし、互いに他を諸々の口の刃で突き刺しながら〔世に〕住むであろう、〔という、このことが〕。比丘たちよ、このように、まさに、わたしによって、法(教え)が、教相〔の観点〕によって説示されたとき、彼らが、互いに他の善く語られ善く談じられたものを、等しく許認し、等しく承認し、等しく随喜するなら、彼らには、このことが待っています。和合の者たちとなり、共に歓喜しながら、論争せず、乳と水のように成り、互いに他を愛ある眼で等しく見ながら、〔世に〕住むであろう、〔という、このことが〕

比丘たちよ、五つのものがあります。これらの欲望の属性です。……略……。比丘たちよ、また、まさに、この状況は見出されます。すなわち、〔教えを〕他にする異教の遍歴遊行者たちが、このように説くことです。『沙門ゴータマは、表象と感覚の止滅を言った。そして、それを、そして、それを、安楽のもとに報知する。〔まさに〕その、この〔言葉〕は、いったい、何なのだ。〔まさに〕その、この〔言葉〕は、いったい、どのようにあるのだ』と。比丘たちよ、このように説く者たちである、〔教えを〕他にする異教の遍歴遊行者たちは、このように説かれるべき者たちとして存するでしょう。『友よ、まさに、世尊は、安楽の感受に関してだけ、安楽のもとに報知することはありません。友よ、そこにおいて、そこにおいて、安楽が認知されるなら、そこにあるもの、そこにあるもので、そのもの、そのものを、如来は、安楽のうちにあると報知します』」と。〔以上が〕第十となる。

静所に赴いた者の章が第二となる。

その〔章〕のための摂頌となる。

〔そこで、詩偈に言う〕「静所に赴いた者、二つの虚空、家屋、そして、二つのアーナンダ、二つの大勢の者たちが説かれ、そして、パンチャカンガがあり、比丘たちとともに、〔章となる〕」と。

注釈【0】