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翻訳【13】

第三の瞑想についての問いの経

……。『「第三の瞑想」「第三の瞑想」と説かれる。いったい、まさに、どのようなものが、第三の瞑想であるのか』と。友よ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『ここに、比丘が、さらに、喜悦の離貪あることから、そして、放捨の者として〔世に〕住み、かつまた、気づきと正知の者として〔世に住み〕、そして、身体による安楽を得知し、すなわち、その者のことを、聖者たちが、「放捨の者であり、気づきある者であり、安楽の住ある者である」と告げ知らせるところの、第三の瞑想を成就して〔世に〕住む。これは、第三の瞑想と説かれる』と。友よ、それで、まさに、わたしは、さらに、喜悦の離貪あることから、そして、放捨の者として〔世に〕住み、かつまた、気づきと正知の者として〔世に住み〕、そして、身体による安楽を得知し、すなわち、その者のことを、聖者たちが、『放捨の者であり、気づきある者であり、安楽の住ある者である』と告げ知らせるところの、第三の瞑想を成就して〔世に〕住みます。友よ、〔まさに〕その、わたしが、この住によって〔世に〕住んでいると、喜悦を共具したものとして、諸々の表象に意を為すことが慣行となります。

友よ、そこで、まさに、世尊は、わたしのもとに、神通によって近づいて行って、こう言いました。『モッガッラーナよ、モッガッラーナよ、婆羅門よ、第三の瞑想に放逸であってはいけません。第三の瞑想において、心を確立させなさい。第三の瞑想において、心を専一に作り為しなさい。第三の瞑想において、心を定めなさい』と。友よ、それで、まさに、わたしは、他時にあって、さらに、喜悦の離貪あることから、そして、放捨の者として〔世に〕住み、かつまた、気づきと正知の者として〔世に住み〕、そして、身体による安楽を得知し、すなわち、その者のことを、聖者たちが、『放捨の者であり、気づきある者であり、安楽の住ある者である』と告げ知らせるところの、第三の瞑想を成就して〔世に〕住みました。友よ、まさに、すなわち、彼のことを……略……大いなる神知たることに至り得た者である』〔と〕、正しく説きつつ説くべきです」と。〔以上が〕第三となる。

注釈【0】