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翻訳【14】

第一のカーマブーの経

或る時のことです。尊者カーマブーは、マッチカーサンダに住んでいます。アンバータカ林において。そこで、まさに、チッタ家長は、尊者カーマブーのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、尊者カーマブーを敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、チッタ家長に、尊者カーマブーは、こう言いました。

「家長よ、この〔言葉〕が説かれました。

〔すなわち〕『各部が無欠で、白い覆いをした、一なる輻(スポーク)の車が、転じ来る。見よ⸺〔渇愛の〕流れを断ち、結縛なく、煩悶なき者が至り来るのを』と。

家長よ、いったい、まさに、簡略〔の観点〕によって語られた、このことの義(意味)は、詳細〔の観点〕によって、どのように見られるべきですか」と。「尊き方よ、いったい、まさに、どうなのでしょう、この〔言葉〕は、世尊によって語られたのですか」と。「家長よ、そのとおりです」と。「尊き方よ、まさに、それでは、しばらくのあいだ、すなわち、〔わたしが〕その〔言葉〕の義(意味)を見るあいだ、お待ちください」と。そこで、まさに、チッタ家長は、しばらくのあいだ、沈黙の者と成って〔そののち〕、尊者カーマブーに、こう言いました。

「尊き方よ、『各部が無欠で』とは、まさに、これは、諸戒の同義語です。尊き方よ、『白い覆いをした』とは、まさに、これは、解脱の同義語です。尊き方よ、『一なる輻』とは、まさに、これは、気づきの同義語です。尊き方よ、『転じ来る』とは、まさに、これは、前進と後進の同義語です。尊き方よ、『車』とは、まさに、これは、四つの大いなる元素からなり、母と父を発生とし、飯と粥の蓄積にして、無常と捻転と圧搾と破壊と砕破の法(性質)ある、身体の同義語です。尊き方よ、まさに、貪欲は、煩悶です。憤怒は、煩悶です。迷妄は、煩悶です。煩悩が滅尽した比丘の、それら〔の煩悶〕〔すでに〕捨棄され、根が断ち切られ、基盤なきターラ〔樹〕のように作り為され、状態なきものに作り為され、未来に生起なき法(性質)としてあります。それゆえに、煩悩が滅尽した比丘は、『煩悶なき者』と説かれます。尊き方よ、『やってくる(アーヤント)』とは、まさに、これは、阿羅漢(アラハント)の同義語です。尊き方よ、『流れ』とは、まさに、これは、渇愛の同義語です。煩悩が滅尽した比丘の、その〔渇愛〕〔すでに〕捨棄され、根が断ち切られ、基盤なきターラ〔樹〕のように作り為され、状態なきものに作り為され、未来に生起なき法(性質)としてあります。それゆえに、煩悩が滅尽した比丘は、『〔渇愛の〕流れを断った者』と説かれます。尊き方よ、まさに、貪欲は、結縛です。憤怒は、結縛です。迷妄は、結縛です。煩悩が滅尽した比丘の、それら〔の結縛〕〔すでに〕捨棄され、根が断ち切られ、基盤なきターラ〔樹〕のように作り為され、状態なきものに作り為され、未来に生起なき法(性質)としてあります。それゆえに、煩悩が滅尽した比丘は、『結縛なき者』と説かれます。尊き方よ、かくのごとく、まさに、すなわち、その〔言葉〕が、世尊によって説かれました。

〔すなわち〕『各部が無欠で、白い覆いをした、一なる輻の車が、転じ来る。見よ⸺〔渇愛の〕流れを断ち、結縛なく、煩悶なき者が至り来るのを』と。

尊き方よ、まさに、世尊によって、簡略〔の観点〕によって語られた、このことの義(意味)を、詳細〔の観点〕によって、このように了知します」と。「家長よ、あなたには、諸々の利得があります。家長よ、あなたには、善く得られたものがあります。すなわち、あなたの智慧の眼は、深遠なる覚者の言葉のうちに進み行きます」と。〔以上が〕第五となる。

注釈【1】