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翻訳【16】

法螺貝の吹き手の経

或る時のことです。世尊は、ナーランダーに住んでおられます。パーヴァーリカのアンバ林において。そこで、まさに、ニガンタの弟子である刀師族の村長が、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、刀師族の村長に、世尊は、こう言いました。「村長よ、いったい、まさに、どのように、ニガンタ・ナータプッタは、弟子たちに、法(教え)を説示するのですか」と。「尊き方よ、このように、まさに、ニガンタ・ナータプッタは、弟子たちに、法(教え)を説示します。『彼が誰であれ、命あるものを殺すなら、その全てが、悪所にある者であり、地獄にある者である。彼が誰であれ、与えられていないものを取るなら、その全てが、悪所にある者であり、地獄にある者である。彼が誰であれ、諸々の欲望〔の対象〕にたいし誤って行なうなら、その全てが、悪所にある者であり、地獄にある者である。彼が誰であれ、虚偽を話すなら、その全てが、悪所にある者であり、地獄にある者である。それが多くあるままに〔世に住み〕、それが多くあるままに〔世に〕住むなら、それによって〔導かれ〕、それによって導かれる』と。尊き方よ、このように、まさに、ニガンタ・ナータプッタは、弟子たちに、法(教え)を説示します」と。「村長よ、そして、『それが多くあるままに〔世に住み〕、それが多くあるままに〔世に〕住むなら、それによって〔導かれ〕、それによって導かれる』と、このように存しているなら、誰であれ、悪所にある者と〔成らず〕、地獄にある者と成らないでしょう。すなわち、ニガンタ・ナータプッタの言葉のようには。

村長よ、それを、どう思いますか。すなわち、その人が、命あるものを殺す者であるとして、あるいは、夜の、あるいは、昼の、〔その〕時間〔その〕時間に関して、どちらの時間が、より多くありますか。あるいは、すなわち、彼が、命あるものを殺す、〔その時間ですか〕、あるいは、すなわち、彼が、命あるものを殺さない、〔その時間ですか〕」と。「尊き方よ、すなわち、その人が、命あるものを殺す者であるとして、あるいは、夜の、あるいは、昼の、〔その〕時間〔その〕時間に関して、すなわち、彼が、命あるものを殺す、その時間は、より少なくあり、そこで、まさに、すなわち、彼が、命あるものを殺さない、その時間こそは、より多くあります」と。「村長よ、そして、『それが多くあるままに〔世に住み〕、それが多くあるままに〔世に〕住むなら、それによって〔導かれ〕、それによって導かれる』と、このように存しているなら、誰であれ、悪所にある者と〔成らず〕、地獄にある者と成らないでしょう。すなわち、ニガンタ・ナータプッタの言葉のようには。

村長よ、それを、どう思いますか。すなわち、その人が、与えられていないものを取る者であるとして、あるいは、夜の、あるいは、昼の、〔その〕時間〔その〕時間に関して、どちらの時間が、より多くありますか。あるいは、すなわち、彼が、与えられていないものを取る、〔その時間ですか〕、あるいは、すなわち、彼が、与えられていないものを取らない、〔その時間ですか〕」と。「尊き方よ、すなわち、その人が、与えられていないものを取る者であるとして、あるいは、夜の、あるいは、昼の、〔その〕時間〔その〕時間に関して、すなわち、彼が、与えられていないものを取る、その時間は、より少なくあり、そこで、まさに、すなわち、彼が、与えられていないものを取らない、その時間こそは、より多くあります」と。「村長よ、そして、『それが多くあるままに〔世に住み〕、それが多くあるままに〔世に〕住むなら、それによって〔導かれ〕、それによって導かれる』と、このように存しているなら、誰であれ、悪所にある者と〔成らず〕、地獄にある者と成らないでしょう。すなわち、ニガンタ・ナータプッタの言葉のようには。

村長よ、それを、どう思いますか。すなわち、その人が、諸々の欲望〔の対象〕にたいし誤って行なう者であるとして、あるいは、夜の、あるいは、昼の、〔その〕時間〔その〕時間に関して、どちらの時間が、より多くありますか。あるいは、すなわち、彼が、諸々の欲望〔の対象〕にたいし誤って行なう、〔その時間ですか〕、あるいは、すなわち、彼が、諸々の欲望〔の対象〕にたいし誤って行なわない、〔その時間ですか〕」と。「尊き方よ、すなわち、その人が、諸々の欲望〔の対象〕にたいし誤って行なう者であるとして、あるいは、夜の、あるいは、昼の、〔その〕時間〔その〕時間に関して、すなわち、彼が、諸々の欲望〔の対象〕にたいし誤って行なう、その時間は、より少なくあり、そこで、まさに、すなわち、彼が、諸々の欲望〔の対象〕にたいし誤って行なわない、その時間こそは、より多くあります」と。「村長よ、そして、『それが多くあるままに〔世に住み〕、それが多くあるままに〔世に〕住むなら、それによって〔導かれ〕、それによって導かれる』と、このように存しているなら、誰であれ、悪所にある者と〔成らず〕、地獄にある者と成らないでしょう。すなわち、ニガンタ・ナータプッタの言葉のようには。

村長よ、それを、どう思いますか。すなわち、その人が、虚偽を説く者であるとして、あるいは、夜の、あるいは、昼の、〔その〕時間〔その〕時間に関して、どちらの時間が、より多くありますか。あるいは、すなわち、彼が、虚偽を話す、〔その時間ですか〕、あるいは、すなわち、彼が、虚偽を話さない、〔その時間ですか〕」と。「尊き方よ、すなわち、その人が、虚偽を説く者であるとして、あるいは、夜の、あるいは、昼の、〔その〕時間〔その〕時間に関して、すなわち、彼が、虚偽を話す、その時間は、より少なくあり、そこで、まさに、すなわち、彼が、虚偽を話さない、その時間こそは、より多くあります」と。「村長よ、そして、『それが多くあるままに〔世に住み〕、それが多くあるままに〔世に〕住むなら、それによって〔導かれ〕、それによって導かれる』と、このように存しているなら、誰であれ、悪所にある者と〔成らず〕、地獄にある者と成らないでしょう。すなわち、ニガンタ・ナータプッタの言葉のようには。

村長よ、ここに、一部の教師は、このような論ある者として、このような見解ある者として、〔世に〕有ります。『彼が誰であれ、命あるものを殺すなら、その全てが、悪所にある者であり、地獄にある者である。彼が誰であれ、与えられていないものを取るなら、その全てが、悪所にある者であり、地獄にある者である。彼が誰であれ、諸々の欲望〔の対象〕にたいし誤って行なうなら、その全てが、悪所にある者であり、地獄にある者である。彼が誰であれ、虚偽を話すなら、その全てが、悪所にある者であり、地獄にある者である』と。村長よ、また、まさに、その教師にたいし、弟子は、大いに清信した者と成ります。彼に、このような〔思いが〕有ります。『まさに、わたしの教師は、このような論ある者であり、このような見解ある者である。「彼が誰であれ、命あるものを殺すなら、その全てが、悪所にある者であり、地獄にある者である」と。また、まさに、わたしによる命あるものを殺すことが存在する。わたしもまた、悪所にある者として、地獄にある者として、〔世に〕存している』と。〔彼は、このような〕見解を獲得します。村長よ、その言葉を捨棄せずして、その心を捨棄せずして、その見解を放棄せずして、運ばれるままに、このように、地獄に放ち置かれる者となります。『まさに、わたしの教師は、このような論ある者であり、このような見解ある者である。「彼が誰であれ、与えられていないものを取るなら、その全てが、悪所にある者であり、地獄にある者である」と。また、まさに、わたしによる与えられていないものを取ることが存在する。わたしもまた、悪所にある者として、地獄にある者として、〔世に〕存している』と。〔彼は、このような〕見解を獲得します。村長よ、その言葉を捨棄せずして、その心を捨棄せずして、その見解を放棄せずして、運ばれるままに、このように、地獄に放ち置かれる者となります。『まさに、わたしの教師は、このような論ある者であり、このような見解ある者である。「彼が誰であれ、諸々の欲望〔の対象〕にたいし誤って行なうなら、その全てが、悪所にある者であり、地獄にある者である」と。また、まさに、わたしによる諸々の欲望〔の対象〕にたいし誤って行なうことが存在する。わたしもまた、悪所にある者として、地獄にある者として、〔世に〕存している』と。〔彼は、このような〕見解を獲得します。村長よ、その言葉を捨棄せずして、その心を捨棄せずして、その見解を放棄せずして、運ばれるままに、このように、地獄に放ち置かれる者となります。『まさに、わたしの教師は、このような論ある者であり、このような見解ある者である。「彼が誰であれ、虚偽を話すなら、その全てが、悪所にある者であり、地獄にある者である」と。また、まさに、わたしによる虚偽を話すことが存在する。わたしもまた、悪所にある者として、地獄にある者として、〔世に〕存している』と。〔彼は、このような〕見解を獲得します。村長よ、その言葉を捨棄せずして、その心を捨棄せずして、その見解を放棄せずして、運ばれるままに、このように、地獄に放ち置かれる者となります。

村長よ、また、ここに、如来が、阿羅漢として、正等覚者として、明知と行ないの成就者として、善き至達者として、世〔の一切〕を知る者として、無上なる者として、調御されるべき人の馭者として、天〔の神々〕と人間たちの教師として、覚者として、世尊として、世に生起します。彼は、無数の教相によって、命あるものを殺すことを難詰し非難します。そして、『〔あなたたちは〕命あるものを殺すことから離れなさい』と言います。与えられていないものを取ることを難詰し非難します。そして、『〔あなたたちは〕与えられていないものを取ることから離れなさい』と言います。諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないを難詰し非難します。そして、『〔あなたたちは〕諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないから離れなさい』と言います。虚偽を説くことを難詰し非難します。そして、『〔あなたたちは〕虚偽を説くことから離れなさい』と言います。村長よ、また、まさに、その教師にたいし、弟子は、大いに清信した者と成ります。彼は、かくのごとく深慮します。『まさに、世尊は、無数の教相によって、命あるものを殺すことを難詰し非難する。そして、「〔あなたたちは〕命あるものを殺すことから離れなさい」と言う。また、まさに、わたしによる命あるものを殺すことが存在する⸺あるいは、それだけであろうが、あるいは、それだけのものが。また、まさに、すなわち、わたしによる命あるものを殺すことがあるなら⸺あるいは、それだけであろうが、あるいは、それだけのものが⸺それは、善良なることではなく、それは、善きことではない。また、まさに、まさしく、そして、わたしは、それを縁とすることから、後悔ある者として〔世に〕存するであろう。「わたしのこの悪しき行為は、為されざるものと成ることはないのだ(解消されずに果を結ぶ)」』と。彼は、かくのごとく深慮して、まさしく、そして、その、命あるものを殺すことを捨棄します。さらに、未来に、命あるものを殺すことから離間した者と成ります。このように、この悪しき行為の捨棄と成ります。このように、この悪しき行為の超越と成ります。

『まさに、世尊は、無数の教相によって、与えられていないものを取ることを難詰し非難する。そして、「〔あなたたちは〕与えられていないものを取ることから離れなさい」と言う。また、まさに、わたしによる与えられていないものを取ることが存在する⸺あるいは、それだけであろうが、あるいは、それだけのものが。また、まさに、すなわち、わたしによる与えられていないものを取ることがあるなら⸺あるいは、それだけであろうが、あるいは、それだけのものが⸺それは、善良なることではなく、それは、善きことではない。また、まさに、まさしく、そして、わたしは、それを縁とすることから、後悔ある者として〔世に〕存するであろう。「わたしのこの悪しき行為は、為されざるものと成ることはないのだ」』と。彼は、かくのごとく深慮して、まさしく、そして、その、与えられていないものを取ることを捨棄します。さらに、未来に、与えられていないものを取ることから離間した者と成ります。このように、この悪しき行為の捨棄と成ります。このように、この悪しき行為の超越と成ります。

『また、まさに、世尊は、無数の教相によって、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないを難詰し非難する。そして、「〔あなたたちは〕諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないから離れなさい」と言う。また、まさに、わたしによる諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないが存在する⸺あるいは、それだけであろうが、あるいは、それだけのものが。また、まさに、すなわち、わたしによる諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないがあるなら⸺あるいは、それだけであろうが、あるいは、それだけのものが⸺それは、善良なることではなく、それは、善きことではない。また、まさに、まさしく、そして、わたしは、それを縁とすることから、後悔ある者として〔世に〕存するであろう。「わたしのこの悪しき行為は、為されざるものと成ることはないのだ」』と。彼は、かくのごとく深慮して、まさしく、そして、その、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないを捨棄します。さらに、未来に、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないから離間した者と成ります。このように、この悪しき行為の捨棄と成ります。このように、この悪しき行為の超越と成ります。

『また、まさに、世尊は、無数の教相によって、虚偽を説くことを難詰し非難する。そして、「〔あなたたちは〕虚偽を説くことから離れなさい」と言う。また、まさに、わたしによる虚偽を説くことが存在する⸺あるいは、それだけであろうが、あるいは、それだけのものが。また、まさに、すなわち、わたしによる虚偽を説くことがあるなら⸺あるいは、それだけであろうが、あるいは、それだけのものが⸺それは、善良なることではなく、それは、善きことではない。また、まさに、まさしく、そして、わたしは、それを縁とすることから、後悔ある者として〔世に〕存するであろう。「わたしのこの悪しき行為は、為されざるものと成ることはないのだ」』と。彼は、かくのごとく深慮して、まさしく、そして、その、虚偽を説くことを捨棄します。さらに、未来に、虚偽を説くことから離間した者と成ります。このように、この悪しき行為の捨棄と成ります。このように、この悪しき行為の超越と成ります。

彼は、命あるものを殺すことを捨棄して、命あるものを殺すことから離間した者と成ります。与えられていないものを捨棄して、与えられていないものを取ることから離間した者と成ります。諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないを捨棄して、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないから離間した者と成ります。虚偽を説くことを捨棄して、虚偽を説くことから離間した者と成ります。中傷の言葉を捨棄して、中傷の言葉から離間した者と成ります。粗暴な言葉を捨棄して、粗暴な言葉から離間した者と成ります。雑駁な虚論を捨棄して、雑駁な虚論から離間した者と成ります。強欲〔の思い〕を捨棄して、強欲〔の思い〕なき者と成ります。憎悪〔の思い〕と憤怒〔の思い〕を捨棄して、憎悪していない心の者と成ります。誤った見解を捨棄して、正しい見解ある者と成ります。

村長よ、それで、まさに、その聖なる弟子は、このように、強欲〔の思い〕が離れ去り、憎悪〔の思い〕が離れ去り、等しく迷乱なき者となり、正知と気づきの者となり、慈愛〔の思い〕を共具した心で、一つの方角を充満して、〔世に〕住みます。そのように、第二〔の方角〕〔充満して、世に住みます〕。そのように、第三〔の方角〕〔充満して、世に住みます〕。そのように、第四〔の方角〕〔充満して、世に住みます〕。かくのごとく、上に、下に、横に、一切所に、一切において自己たることから、一切すべての世を、広大で莫大で無量にして怨念〔の思い〕なく憎悪〔の思い〕なく慈愛〔の思い〕を共具した心で充満して、〔世に〕住みます。村長よ、それは、たとえば、また、力ある法螺貝の吹き手が、まさしく、難少なくして、四方に識知させるように、村長よ、まさしく、このように、まさに、慈愛という〔止寂の〕心による解脱が、このように修められ、このように多く為されたとき、すなわち、量あるものとして為された行為は、それは、そこに残存せず、それは、そこに残留しません。

村長よ、それで、まさに、その聖なる弟子は、このように、強欲〔の思い〕が離れ去り、憎悪〔の思い〕が離れ去り、等しく迷乱なき者となり、正知と気づきの者となり、慈悲〔の思い〕を共具した心で……略……。歓喜〔の思い〕を共具した心で……。放捨〔の思い〕を共具した心で、一つの方角を充満して、〔世に〕住みます。そのように、第二〔の方角〕〔充満して、世に住みます〕。そのように、第三〔の方角〕〔充満して、世に住みます〕。そのように、第四〔の方角〕〔充満して、世に住みます〕。かくのごとく、上に、下に、横に、一切所に、一切において自己たることから、一切すべての世を、広大で莫大で無量にして怨念〔の思い〕なく憎悪〔の思い〕なく放捨〔の思い〕を共具した心で充満して、〔世に〕住みます。村長よ、それは、たとえば、また、力ある法螺貝の吹き手が、まさしく、難少なくして、四方に識知させるように、村長よ、まさしく、このように、まさに、放捨という〔止寂の〕心による解脱が、このように修められ、このように多く為されたとき、すなわち、量あるものとして為された行為は、それは、そこに残存せず、それは、そこに残留しません」と。このように説かれたとき、刀師族の村長は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、すばらしいことです。……略……今日以後、命ある限り、帰依所に赴いた者として」と。〔以上が〕第八となる。

注釈【1】