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翻訳【16】

第二の住の経

サーヴァッティーの因縁となります。「比丘たちよ、わたしは求めます⸺三月のあいだ、静坐することを。〔わたしは〕存します⸺食事を運ぶ一者より他に、誰であれ近づくことなき者として」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、世尊に答えて、まさに、ここに、食事を運ぶ一者より他に、誰であれ、世尊のもとに近づいて行きません。

そこで、まさに、世尊は、その三月が経過して、静坐から出起し、比丘たちに告げました。「比丘たちよ、その住によって、〔まさに〕その、わたしが、最初に現正覚した者として〔世に〕住む、〔まさに〕その〔住〕の部分によって、〔わたしは〕住みました。その〔わたし〕は、このように覚知します。『誤った見解という縁あることからもまた、感受されたものがある。誤った見解の寂止という縁あることからもまた、感受されたものがある。正しい見解という縁あることからもまた、感受されたものがある。正しい見解の寂止という縁あることからもまた、感受されたものがある。……略……。誤った禅定という縁あることからもまた、感受されたものがある。誤った禅定の寂止という縁あることからもまた、感受されたものがある。正しい禅定という縁あることからもまた、感受されたものがある。正しい禅定の寂止という縁あることからもまた、感受されたものがある。欲〔の思い〕という縁あることからもまた、感受されたものがある。欲〔の思い〕の寂止という縁あることからもまた、感受されたものがある。思考という縁あることからもまた、感受されたものがある。思考の寂止という縁あることからもまた、感受されたものがある。表象という縁あることからもまた、感受されたものがある。表象の寂止という縁あることからもまた、感受されたものがある。そして、欲〔の思い〕〔いまだ〕寂止していないものとして有り、かつまた、思考が〔いまだ〕寂止していないものとして有り、さらに、表象が〔いまだ〕寂止していないものとして有り、それを縁とすることからもまた、感受されたものがある。そして、欲〔の思い〕〔すでに〕寂止したものとして有り、かつまた、思考が〔すでに〕寂止したものとして有り、さらに、表象が〔すでに〕寂止したものとして有り、それを縁とすることからもまた、感受されたものがある。〔いまだ〕至り得ていないものに至り得るために、努力が存在し、その境位が至り得るところとなったときもまた、それを縁とすることからもまた、感受されたものがある』」と。〔以上が〕第二となる。

注釈【0】