翻訳【24】
English
- Bhikkhu Bodhi (2000)
- Bhikkhu Sujato
繁體字
- 莊春江
日本語
- 関西パーリ語実習会 (2023)
Français
- Canonpali.org
- Claude Le Ninan, Chandhana Le Ninan (2023)
Deutsch
- Dr. Hellmuth Hecker (1993)
- Sabbamitta (2019)
Italiano
- Enzo Alfano
Español
- Isidatta (2012)
Português
- Michael Beisert (2005)
Русский
- SV theravada.ru (2024)
Norsk
- Kåre A. Lie (2018)
Svenska
- Kerstin Jönhagen
Slovenščina
- Ajahn Hiriko
Lietuvių Kalba
- Sayalay Piyadassi (2022)
தமிழ்
- Ben Arasu
বাংলা
- বঙ্গীস ভিক্ষু, অজিত ভিক্ষু, প্রজ্ঞাদর্শী ভিক্ষু (2018)
Việt Ngữ
- Thích Minh Châu
Bahasa Indonesia
- Indra Anggara
සිංහල
- A.P. de Zoysa
ပြန်သွားရန်
- Pitaka Myanmar Translation
ภาษาไทย
- Siam Rath
पाळिभासा (Pāli)
- Mahāsaṅgīti Tipiṭaka
参照
- Sutta Central
区分の経
サーヴァッティーの因縁となります。「比丘たちよ、聖なる八つの支分ある道を、あなたたちに説示し、区分しましょう。それを聞きなさい。善くしっかりと、意を為しなさい。〔では〕語ります」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、世尊に答えました。世尊は、こう言いました。
「比丘たちよ、では、どのようなものが、聖なる八つの支分ある道なのですか。それは、すなわち、この、正しい見解であり……略……正しい禅定です。
比丘たちよ、では、どのようなものが、正しい見解なのですか。比丘たちよ、すなわち、まさに、苦しみについての知恵であり、苦しみの集起についての知恵であり、苦しみの止滅についての知恵であり、苦しみの止滅に至る〔実践の〕道についての知恵です。比丘たちよ、これは、正しい見解と説かれます。
比丘たちよ、では、どのようなものが、正しい思惟なのですか。比丘たちよ、すなわち、まさに、離欲の思考であり、憎悪なき思考であり、悩害なき思考です。比丘たちよ、これは、正しい思惟と説かれます。
比丘たちよ、では、どのようなものが、正しい言葉なのですか。比丘たちよ、すなわち、まさに、虚偽を説くことから離れている〔生き方〕であり、中傷の言葉から離れている〔生き方〕であり、粗暴な言葉から離れている〔生き方〕であり、雑駁な虚論から離れている〔生き方〕です。比丘たちよ、これは、正しい言葉と説かれます。
比丘たちよ、では、どのようなものが、正しい行業なのですか。比丘たちよ、すなわち、まさに、命あるものを殺すことから離れている〔生き方〕であり、与えられていないものを取ることから離れている〔生き方〕であり、梵行ならざることから離れている〔生き方〕です。比丘たちよ、これは、正しい行業と説かれます。
比丘たちよ、では、どのようなものが、正しい生き方なのですか。比丘たちよ、ここに、聖なる弟子が、誤った生き方を捨棄して、正しい生き方によって、生計を営みます。比丘たちよ、これは、正しい生き方と説かれます。
比丘たちよ、では、どのようなものが、正しい努力なのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、諸々の〔いまだ〕生起していない悪しき善ならざる法(性質)の生起なきために、欲〔の思い〕(意欲)を生じさせ、努力し、精進に励み、心を励起し、精励します。諸々の〔すでに〕生起した悪しき善ならざる法(性質)の捨棄のために、欲〔の思い〕を生じさせ……略……。諸々の〔いまだ〕生起していない善なる法(性質)の生起のために、欲〔の思い〕を生じさせ……略……。諸々の〔すでに〕生起した善なる法(性質)の、止住のために、忘却なきために、より一層の状態のために、広大のために、修行の円満成就のために、欲〔の思い〕を生じさせ、努力し、精進に励み、心を励起し、精励します。比丘たちよ、これは、正しい努力と説かれます。
比丘たちよ、では、どのようなものが、正しい気づきなのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、身体(身)における身体の随観ある者として〔世に〕住みます⸺熱情ある者となり、正知の者となり、気づきある者となり、世における強欲〔の思い〕と失意〔の思い〕を取り除いて。諸々の感受(受)における感受の随観ある者として〔世に〕住みます⸺熱情ある者となり、正知の者となり、気づきある者となり、世における強欲〔の思い〕と失意〔の思い〕を取り除いて。心における心の随観ある者として〔世に〕住みます⸺熱情ある者となり、正知の者となり、気づきある者となり、世における強欲〔の思い〕と失意〔の思い〕を取り除いて。諸々の法(性質)における法(性質)の随観ある者として〔世に〕住みます⸺熱情ある者となり、正知の者となり、気づきある者となり、世における強欲〔の思い〕と失意〔の思い〕を取り除いて。比丘たちよ、これは、正しい気づきと説かれます。
比丘たちよ、では、どのようなものが、正しい禅定なのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、まさしく、諸々の欲望〔の対象〕から離れて、諸々の善ならざる法(性質)から離れて、〔粗雑なる〕思考を有し(有尋)、〔微細なる〕想念を有し(有伺)、遠離から生じる喜悦と安楽(喜楽)がある、第一の瞑想(初禅・第一禅)を成就して〔世に〕住みます。〔粗雑なる〕思考と〔微細なる〕想念の寂止あることから、内なる清信あり、心の専一なる状態あり、思考なく(無尋)、想念なく(無伺)、禅定から生じる喜悦と安楽がある、第二の瞑想(第二禅)を成就して〔世に〕住みます。さらに、喜悦の離貪あることから、そして、放捨の者として〔世に〕住み、かつまた、気づきと正知の者として〔世に住み〕、そして、身体による安楽を得知し、すなわち、その者のことを、聖者たちが、『放捨の者であり、気づきある者であり、安楽の住ある者である』と告げ知らせるところの、第三の瞑想(第三禅)を成就して〔世に〕住みます。かつまた、安楽の捨棄あることから、かつまた、苦痛の捨棄あることから、まさしく、過去において、悦意と失意の滅至あることから、苦でもなく楽でもない、放捨(捨)による気づきの完全なる清浄たる、第四の瞑想(第四禅)を成就して〔世に〕住みます。比丘たちよ、これは、正しい禅定と説かれます」と。〔以上が〕第八となる。
翻訳【24】
English
- Bhikkhu Bodhi (2000)
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参照
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区分の経
注釈【1】
English