翻訳【17】
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アバヤの経
このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、ラージャガハに住んでおられます。ギッジャクータ山において。そこで、まさに、アバヤ王子が、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、アバヤ王子は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、プーラナ・カッサパ(六師外道の一者・道徳否定論者)は、このように言いました。『無知と無見のための、因は存在せず、縁は存在しない。因なく縁なきものとして、無知と無見は有る。知と見のための、因は存在せず、縁は存在しない。因なく縁なきものとして、知と見は有る』と。ここに、世尊は、何を言いますか」と。「王子よ、無知と無見のための、因は存在し、縁は存在します。因を有し縁を有するものとして、無知と無見は有ります。王子よ、知と見のための、因は存在し、縁は存在します。因を有し縁を有するものとして、知と見は有ります」と。
「尊き方よ、また、無知と無見のための、どのようなものが因であり、どのようなものが縁であり、どのように、因を有し縁を有するものとして、無知と無見は有るのですか」と。「王子よ、まさに、その時点において、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕に遍く取り囲まれた心で〔世に〕住み、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕に打ち負かされた〔心〕で〔世に住み〕、そして、生起した欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕の出離を、事実のとおりに知らず見ないなら、王子よ、無知と無見のための、まさに、また、これが因であり、これが縁であり、このようにもまた、因を有し縁を有するものとして、無知と無見は有ります。
王子よ、さらに、また、他に、その時点において、憎悪〔の思い〕に遍く取り囲まれた心で〔世に〕住み、憎悪〔の思い〕に打ち負かされた〔心〕で……略……〔心の〕沈滞と眠気に打ち負かされた〔心〕で……〔心の〕高揚と悔恨に打ち負かされた〔心〕で……疑惑〔の思い〕に打ち負かされた〔心〕で〔世に住み〕、そして、生起した疑惑〔の思い〕の出離を、事実のとおりに知らず見ないなら、王子よ、無知と無見のための、まさに、また、これが因であり、これが縁であり、このようにもまた、因を有し縁を有するものとして、無知と無見は有ります」と。
「尊き方よ、この法(教え)の教相は、どのような名のものですか」と。「王子よ、これらは、諸々の〔修行の〕妨害という名のものです」と。「世尊よ、たしかに、諸々の〔修行の〕妨害です。善き至達者たる方よ、たしかに、諸々の〔修行の〕妨害です。尊き方よ、たとえ、一つ一つの〔修行の〕妨害であれ、まさに、〔それに〕征服されたなら、事実のとおりに知らず見ないでしょう。五つの〔修行の〕妨害に〔征服されたなら〕、また、何の論があるというのでしょう。
尊き方よ、また、知と見のための、どのようなものが因であり、どのようなものが縁であり、どのように、因を有し縁を有するものとして、知と見は有るのですか」と。「王子よ、ここに、比丘が、遠離に依拠し、離貪に依拠し、止滅に依拠し、放棄に向かわせるものである、気づきという正覚の支分を修めます。彼は、気づきという正覚の支分を修めた心で、事実のとおりに知り見ます。王子よ、知と見のための、まさに、また、これが因であり、これが縁であり、このようにもまた、因を有し縁を有するものとして、知と見は有ります。
王子よ、さらに、また、他に、比丘が……略……遠離に依拠し、離貪に依拠し、止滅に依拠し、放棄に向かわせるものである、放捨という正覚の支分を修めます。彼は、放捨という正覚の支分を修めた心で、事実のとおりに知り見ます。王子よ、知と見のための、まさに、また、これが因であり、これが縁であり、このようにもまた、因を有し縁を有するものとして、知と見は有ります」と。
「尊き方よ、この法(教え)の教相は、どのような名のものですか」と。「王子よ、これらは、諸々の覚りの支分という名のものです」と。「世尊よ、たしかに、諸々の覚りの支分です。善き至達者たる方よ、たしかに、諸々の覚りの支分です。尊き方よ、たとえ、一つ一つの覚りの支分であれ、まさに、〔それを〕具備しているなら、事実のとおりに知り見るでしょう。七つの覚りの支分を〔具備しているなら〕、また、何の論があるというのでしょう。尊き方よ、すなわち、また、ギッジャクータ山に登り行くわたしの、身体の疲弊と心の疲弊は、それもまた、わたしによって安息され、そして、法(教え)は、わたしによって知悉されました」と。〔以上が〕第六となる。
論議の章が第六となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「食、教相、火、慈愛〔の思い〕があり、そして、サンガーラヴァとともに、アバヤがあり、ギッジャクータ山において問いを尋ねられ、〔章となる〕」と。
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注釈【1】
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