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翻訳【19】

或るひとりの婆羅門の経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園において。そこで、まさに、或るひとりの婆羅門が、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を相手に共に挨拶しました。共に挨拶し記憶されるべき話を交わして、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、その婆羅門は、世尊に、こう言いました。「貴君ゴータマよ、いったい、まさに、何を因として、何を縁として、それによって、如来が完全なる涅槃に到達したとき、正なる法(教え)は、長く止住するものと成らないのですか。また、何を因として、何を縁として、それによって、如来が完全なる涅槃に到達したとき、正なる法(教え)は、長く止住するものと成るのですか」と。

「婆羅門よ、まさに、四つの気づきの確立が、修められず、多く為されなかったことから、如来が完全なる涅槃に到達したとき、正なる法(教え)は、長く止住するものと成りません。婆羅門よ、しかしながら、まさに、四つの気づきの確立が、修められ、多く為されたことから、如来が完全なる涅槃に到達したとき、正なる法(教え)は、長く止住するものと成ります。

どのようなものが、四つのものなのですか。婆羅門よ、ここに、比丘が、身体における身体の随観ある者として〔世に〕住みます⸺熱情ある者となり、正知の者となり、気づきある者となり、世における強欲〔の思い〕と失意〔の思い〕を取り除いて。諸々の感受における……略……。心における……略……。諸々の法(性質)における法(性質)の随観ある者として〔世に〕住みます⸺熱情ある者となり、正知の者となり、気づきある者となり、世における強欲〔の思い〕と失意〔の思い〕を取り除いて。婆羅門よ、まさに、これらの四つの気づきの確立が、修められず、多く為されなかったことから、如来が完全なる涅槃に到達したとき、正なる法(教え)は、長く止住するものと成りません。婆羅門よ、しかしながら、まさに、これらの四つの気づきの確立が、修められ、多く為されたことから、如来が完全なる涅槃に到達したとき、正なる法(教え)は、長く止住するものと成ります」と。

このように説かれたとき、その婆羅門は、世尊に、こう言いました。「貴君ゴータマよ、すばらしいことです。……略……。貴君ゴータマは、わたしを、在俗信者として認めてください⸺今日以後、命ある限り、帰依所に赴いた者として」と。〔以上が〕第五となる。

注釈【0】